作成者別アーカイブ: 末永 弘之

5月25日(土)土曜日・日曜日はお休みです

 

昨日の午後は、総務文教委員会の「勉強会」でした。「津山市立小中学校の体制整備に関する」課題でした。

今日は、私の市議会報告会(~大いに津山市政を語ろう~)です、午後1時30分から福祉会館3階です、茶話会で参加費500円、よろしくお願いします

★だんだん暑くなりますね、開いていただきありがとうございます。土曜日と日曜日は、都合でお休みさせていただきます。よろしくお願いします。

5月24日(金)介護・福祉施設の不適切介護とは、?

★昨日は、1日曇り空、むせる1日でした。今朝も朝から晴れています、天気予報では、暑くなるとか、真夏日で、30度を超えるということです、あまり暑くならないようにと思いますがどうでしょうかね。

津山市内と鏡野町の施設の課題で津山市へ申し入れ

一昨日の午後、2つの施設の関係者、○○が3人、◇◇ノ関係者(被害者家族の会の人たち数人)と、津山周辺を含めた「福祉施設の在り方を考える市民の会」(代表 宮地)4人とで、津山市に申し入れをしました。

★宮地代表のあいさつ、当局から平井部長のあいさつの後話し合いに入りました。申し入れの基本としては、2つの施設、「○○」と「◇◇」についてですが、設置されている市町の違い、利用できる対象者など内容に違いがあり、関係する「法の違い」市町の条例もありますが、設立と運営について、そして、「虐待・いじめ・不正請求」などの責任がどこなのか、基本的に県と市町の責任、施設運営者の責任の持ち分野を明らかにしてもらうことを要求です。

★下の写真、申し入れの様子を写したものです、

クレヨン2

クレヨン3

クレヨン4

事前の「打ち合わせが不十分」で、私も、申し入れの時に、初めて聞く話が多く出されて、「いきなり」という感じ・・・・私自身が戸惑い気味、当局の職員も、かなり戸惑どったとは思います。その点では、申し訳なかったかなの思い・・・・ある意味、私たちの責任で「事前に準備をしっかりして、内容を把握し、当局にも、一定程度、おしらせをしておく」というのが、話し合いをスムーズに行い、効果的にもの語が処理できる方法と思ってはいるのですが、中々それが「渡したて地のほうでできていない」ということの申し入れでした。やや、反省ですね。。。

太陽光建設の疑惑と東京裁判物語

★昨日も記事にしましたが、東京裁判、そして、田邑・一宮地域に建設したというか、できたというかの「太陽光発電事業」ですが、この建設をめぐる「疑惑事件」は、率直に言いまして「未解決・未消化」のままですし、東京裁判は、まさに、真っただ中、被告の近藤吉一郎議員が、いよいよ承認へという準備段階、令和4年(ワ)第31148号損害賠償請求事件の、第6俊美書面、副本 ◎甲第30号証 → 近藤議員の令和6年3月議会の質問と答弁   ◎甲第31号証 → ○○ソーラーパーク合同会社の振替伝票64~83までのお金の出入りのわかる資料                      ◎甲第32号 領収書のコピー(近藤さんが指摘した人ではない人の受け取りを証すもの、日付、金額、などと氏名印鑑があるもの、収入印紙などで、なんとなく不自然さを感じますが、) 

この3つの書類が、なぜ、近藤さんが「裁判の上では、しでかした」といわれる名誉棄損損害賠償と、どのように関連されるのか、わからない、その上に、同様の書類が、市議会事務局と、市長部局に送られてきたというのも、理解できない出来事…何のために、その意図がわからないから、近藤裁判の勝間家に微妙な不安を落としましたね、、、基本は、関係がない書類とは思うのですが、私が、気が付かないところに、「大きな落とし穴」があって、それが「みぬけない」となると…の不安だけですが、

少し、うけとめが「ちがっています、勘違いしないでくださいね・・・

議会事務局とか、市長あてとかに「原告・Kさん」関係から、準備書面と証拠品3点が送られたというのを、私が知っていること、どこからきいたかということ、、、、、多くの関係者、資料が送られたという事実をしっかりわかっている人たちは、「末永は近藤議員から教えてもらった」と、思われているようですが、全然違うんですよね、、、近藤さんは弁護士からと思いますが、私は、全く別のルートです。ですから、皆さんの思いが、受け止めが「違うよ」と断言しておきますから。では、だれから、どこから…と思われるでしょうが、このネタ元は言えませんね、、、原告側と被告側の「中間点・接点」のようなところからと述べておきますから、くれぐれも近藤さんから…などと思わないでください。

★それは、それとして、市長部局の方は、「来たか来ないかということすらいわない」というのが公式に私が質問したら回答でした、ということも書いておきますね、、、ですから、本当か、どうかは、わからないということになりますかね。変な話ではありますが。。。私の知人の「無罪性」を明かす書類を、せっかく、原告関係者から送ってきて、受け取ったのですから、無罪性を市長から、こんな証拠品がある、と説明してほしいということなんですが。。世の中、難しいということですよね。気が楽になりたいですよね。そのために送られた書類と思っていますからね・・・

5月23日(木)市議復帰1年の市政報告会準備

★今朝は曇り空、降るような気配ですが、天気予報では、1日曇りのようです…昨年の4月の市議選挙、なんとか8年ぶりに復帰させていただき、早いもので1年が過ぎました。正式には、5月1日からが「議員の任期」です。いろんなことがありましたが、後援会のみなさんを中心として、市政に関心ある市民の皆さん、土田でもご参加ください、ということで、「1年復帰姿勢報告会」を今週末、25日に予定しました、今日は、その準備の日に当てていまして、議事の進行から、会場の準備、テーブル討論を考えていまして、テーブルごとの進行の在り方など、準備の打ち合わせ会議の日です。そして、具体的に資料などの作成です。

★後援会としまして、茶話会、参加費が一人500円、お茶とお菓子など食べ物を用意してもらいまして、懇談会で、市政を語っていただき、質問も出していただき、私のほうから、「1年を振り返っての報告」をさせてもらいます。多数のみなさんのご参加をお待ちしています。

一昨日に開かれたリモートによる東京裁判について

原告・東京の弁護士と被告(近藤吉一郎議員)岡山の弁護士と、東京地方裁判所の判事との間で、リモートの裁判があり、5時前に、その様子が伝わってきました。                               ①この雑記で何回も書いていますが、地元へのお金の流れ具合、近藤さんの3月諮問の問題、それに対する原告から「準備書面の提出」の課題を、どうするか・・・今後の課題のようでした。                    ②損害賠償事件という裁判の本筋では、次回6月26日に、お互いが証人喚問の在り方などを出し合い、その是非論が課題になるようです。        ③7月になって、原告側、被告側の「証人尋問」をすることになるようです。被告、近藤さんが、必要に有事手証言に立つかもしれませんということのようです。

★原告側は、だれを証人として出してくるのか、原告のKさん自身がでるのか、それとも、別の人が出てくるのか、決定ではありませんが相手側弁護士から、○○さんに出てもらうようになるかも・・・」」と、えっ!、何でそのひとが・・・嘘っと、思う人の名前が挙げられたということのようです、勝とか、負けるとかの意味とは全く違いますが本気で、○○さんを出してくるとすれば、とても、おかしいし、大変な事態だと思いますが、そんな立場の人物です。


★被告側は、当然、近藤さん自身が出ると思います。原告側が出してくる「証人」と「その内容」によれば、それに反論する形で「別の人」も考えるような展開になるのかもしれませんし、裁判所が、認める証人をどう作るかも一つの課題ということになりますね。裁判は、何回立ち会っても「かなり難しい」ですね、、被告、頑張れとしか私には言いようがありませんが・・・

太陽光疑惑問題を晴らして、近藤裁判を勝利することを望む市民の会も組織されていまして、私もその会員の一人、証人尋問になりますと、まさか、リモート裁判とはなりませんから、東京地方裁判所で直接法廷闘争になるとおもいますね・・・どうなるか、どうするかです。

苫田ダム阻止同盟の歴史、展示会の案内記者会見と津山市へお願い、あいさつでした

★昨日、午前中ですが、苫田ダム阻止運動の資料展示会実行委員会(責任者・武田英夫元県会議員)が、津山記者クラブで「いま、あらためて苫田ダムを問う=苫田ダム阻止運動の資料展示会についての発表を行いました。6月29日(土)から7月7日(日)の1週間、鏡野町ペスタロッチ館です。記者会見にはマスコミが3社が参加しました。

そのあと、津山市へももう入れを行いました。下の写真、資料展示会の案内・説明をする武田英夫さん、実行委員会のメンバーです。津山は、私=末永と、金田議員(阻止運動の先頭に立ってきた、矢山勇作・前社会党・衆議院議員の親族)の二人が実行委員会に入っています。記者クラブの中は、マスコミ関係者以外は、写真など写せない規定で、写真無しです。

ダム申し入れ1

市側らは、三浦総務部長と未来ビジョン福田室長の二人が対応してくれまして、職員の資料展示への案内を何らかの機械で促してもらうこと、苫田ダムに関する資料の調査などを依頼しました。

ダム申し入れ2

下の写真は、近く、配布されるであろう、当日の案内チラシです。

ダムチラシ

5月22日(水)苫田ダム阻止同面の運動歴史展示へ

★良い天気が2日~3日続きます・・・・今日は、6月29日から始まります、いま、苫田ダムを考える、苫田ダム阻止同盟の運動史展示会についての、協力依頼の記者会見です、岡山から、元県会議員の武田英夫さんをはじめとしまして実行委員の役員の来られて改憲です、私も、地元として参加します。

★記者会見の後、津山市へも協力の依頼という段取り、・・・・・今考えましても、「苫田ダム」とは、いったい何だったのでしょうかね・・・・いろんな歴史がありますが、この歴史も、穏やかではありません、当時の奥津町の苦難の歴史、岡山県の「汚点」ともいうべき苦い歴史ではなかったかと思います。記者会見の様子などは明日お知らせします。

午後は、介護施設における「虐待」問題で話し合いです

★午後からは、苫田郡鏡野町にあります「特定非営利活動法人〇〇」及び株式会社▽▽田邑事業所(障がい児童福祉施設 / 児童発達支援・放課後等デイサービス・日中一時支援)の2つの施設における「利用者」への「不適切介護・虐待行為」などにつきまして、内部告発による告発に基づく話し合いです。

★介護施設の虐待、いじめ、などとても「認定が困難な課題」ですが、一つ、一つ、具体的な課題を「関係する行政に届け出る」ことが、少しは、虐待などをなくする道かなとも思いますが、実際は、どうなんでしょうかね‥

★施設と市町の対応にもよりますし、民間施設の場合は「経営者の姿勢、思考」とも大きくかかわると思います。内部告発されたり、外部からしてきされたりすることを「原田って聞く」ということでは、どうにもなりませんが、少しでも「そうか、考えなくては…」という心根になってもらえれば、告発する価値が少しでも生まれるのかもしれませんが、何度、取り扱っても、すっきりとして対応はしてくれませんね‥‥ということは「虐待・いじめ」は、なくならないということなんでしょうかね・・・

昨日の原水協の「核兵器廃絶」への津山市への申し入れ

★昨日、午前10時からの、健全酔狂の「全県キャラバン・核兵器廃絶へ各自治体との懇談会」でした。市長から、代表団に対して、メッセージが届いていまして、藤井総務部参与が代読しました、なんか、珍しいという感じで受け止めたのですが、よくあることのようです。

原水協1

岡山県原水協の平井事務局長から、藤井総務部参与へ「核兵器廃絶キャラバンの協力のお願い」を手渡しました。

原水協2

参与が、市長からのメッセージを代読して、話し合いを始めました。

原水協3

津山市総務部参与、人権啓発課 横部課長、坂手係長と1時間弱にわたり話し合いをしました。

5月21日(火)暑い夏へ核兵器廃絶へ

★昨日は晴れ、1日ここちよい天気でした。そして、暑い日でもありました、部屋の中におりましたから、直射日光はわかりませんが、津山市も30度を超えたとかのニュースです。今朝も、欲晴れていますが、少し、雲があり、曇り気味という感じです、1日暑くならないで、しのぎやすい天気であってほしいの願いの朝です。

核兵器廃絶へ全県キャラバン隊が津山市へ

★原水爆禁止岡山県協議会が毎年行っています「核兵器廃絶全県キャラバン」が、今日、津山入れの日です。暑い夏が来ます、暑い夏は「平和」です、「核兵器廃絶」です、これから、8月末頃まで、夏の恒例行事、平和・原爆許すなの行動が始まります。

核兵器廃絶へ、津山市として「何をなすべきか」を問いかけ、お願いもしたいというところです。世界でただ一つの被爆国・日本が核兵器廃絶の署名ができない」という事態へ、一つでも、有効な手を打ってほしいものですね・・・

2024年原水爆禁止国民平和大行進 夢の島出発集会

夢の島出発5月5日(日)東京からヒロシマへ

【港区―品川区―大田区―神奈川に引継ぎ】 の            ◎11:30 オープニングイベント 12:00 東京―広島コース スタート集会 夢の島・第五福竜丸展示館前 (東京都江東区夢の島2−1−1、夢の島公園内)

❖『新木場駅』下車、徒歩 10 分 ❖都営バス「夢の島」バス停下車、徒歩 5 分 ★夢の島大橋 ★日曹橋交差点 永代橋通り左折 ビキニ水爆被災 70 年から広島・長崎被爆 80 年へ―核兵器のない世界、非核平和の日本の実現を 9:00 出発式 港区立芝公園平和の灯前 (被爆者の方のお話/港区長メッセージ/ 港原水協・東京原水協挨拶ほか) ★木場 5 丁目交差点 ★門前仲町交差点 ★15:10 永代橋 ★永代橋西交差点左折し、 鍛冶橋通りへ ★鍛冶橋交差点左折 ★15:55 有楽橋あたりで、 東京の被爆者の代表が合流し 先頭を行進する予定 ★数寄屋橋交差点(銀座駅) ★土橋交差点手前の信号右折、国会通りへ 5/7 14:10 東陽公園到着予定(東陽町駅付近) (休憩 10 分・トイレ )

★5月6日集会 2024 年原水爆禁止国民平和大行進中央実行委員会  5/6 13:00 夢の島公園行進出発[宣伝カー3台] ① 全労連宣伝カー:被爆者、通し行進者、中央団体 ポール de ウォークのみなさん ② 国公労連宣伝カー:中央団体(国公労連、医労連) ③ 東京地評宣伝カー:都団体、地域原水協、個人 ★13:10 出発 ★13:30 大森警察署前交差点 ★R15(第一京浜)を右方向へ ★14:05 京急蒲田駅(大田区産業プラザ PIO 付近) ★雑色駅前 ★六郷橋北詰交差点左の側道 ★六郷橋北詰交差点左の側道 5月6日行進

/5月7日集会・行進 2024 年原水爆禁止国民平和大行進東京実行委員会 〒170-0005 東京都豊島区南大塚 2-33-10 東京労働会館5F TEL.03-5395-4222 FAX.03-5395-4220 e-mail: tokyo-gensuikyo@aurora.ocn.ne.jp 16:30 日比谷公会堂前付近流れ解散予定 9:20 芝公園行進出発 〔宣伝カー1台…東京地評宣伝カー〕 15:00 多摩川六郷土手公園(宮本台緑地) 提唱:原水爆禁止世界大会実行委員会

日本原水協としての平和行進の始まりです。

5月15日沖縄本土復帰52年 平和行進で”基地のない平和の島”を訴えから、夢の島平和行進も始まります

沖縄が本土に復帰して52年となった2024年5月15日にかけて各地で平和行進が行われ、参加者が〝基地のない平和の島の実現〟を訴えました。このうち宮古島市では2024年5月11日、およそ80人の市民が旧市役所を発着点に市街地を行進、今、なお続く沖縄の過重な基地負担や政府が進める南西諸島への軍備強化に反対の声を上げました。

東京裁判の日・リモート裁判です

★東京裁判(太陽光建設疑惑をめぐる近藤議員が被告の裁判)が、今日後半の日です、私は参加しませんでしたが、昨日、近藤さんをはじめとして、数人で弁護士と相談会議あったようで、終わってから、子細をお聞きしました。3月議会で近藤議員が質問した、自゛元の役員へ厳禁私の課題、お金を受け取ったのはというか、原告から言いますと、「現金を渡した人は、責任者ではなくて、別のひとであった」という 裁判の準備書面、これをどう扱うか、昨日の相談で、今日の裁判に対策案が出るわけではないということのようで、これからの検討課題かなという感じでした。

★そのことと、多少関係しますが、元々の裁判、近藤さんが、ケナン節会社の責任者の「名誉を傷つけたか」同課の問題、市長選挙に出るために、をしたり、議会で質問したわけではないのは明確です。近藤さんが市長に「立候補せず琉を得ない事態」になったのは、この件が公けになって沢が゛ㇾた時期は、年月日が違いすぎますから、市長選挙にこと掛けての名誉棄損の行為」などはしていないし、できもしないことです、そうした主張を、しっかりと準備書面で書いて、争うということになります。

★まだ、明確にはなっていませんが、近く、近藤さん・被告自身が、証人として出る、そんな裁判も予定されるとかです、7月くらいになるのかな、今日、決まるのかもしれませんね。

5月20日(月)おかしな話になるのかな?

土曜日と昨日の日曜日は、書き込みを休みました、3日ぶりの雑記ということになります。今日は、日本共産党津山市委員会の「さくらブロック会議」の日です。午後は、市から、勝手の「同和施策の後始末に関する話し合い」ということで時間がとられますね・・・

昨日は、一日曇りで夜中は小雨があった感じですが、・・・・、今日は朝から快い天気、風も「さわやか」ですが、一日晴れるかな‥‥新緑の季節を思わされました、今日もそうであってほしいの願いですね、、、晴れた朝です。

土曜日は、新婦人の「絵画展」へ

夫人2夫人3夫人1

★新日本婦人の会津山支部のみなさんが毎年行っています、「高校生が書いたヒロシマ絵画展」が17日から19日まで、アルネビル・四階・津山市立図書館前のロビーで日開催されまして、十八日の土曜日出かけまして、干渉してきました。毎回のことですが、高校生の「原爆への直感的なひらめき」のような絵画、すごいことだと思いますし、いまさらながら、平和への尊さを思わされる絵画展でした。

津山の観光大使の不祥事の話、末永は、市長に何を求めたか「わからない」です…の声

★一昨日の話、ある人から問いかけられましたのが、津山の観光大使になっている人が不祥事を起こした記事を読んだが、末永さんは、どんなことを市長にしてほしいのか、何をするように求めたか、をかりにくいです・・・」といわれました、?、そうか、対応と対策を求める・・・・ではいみふめいということですよね・・・

★6月議会が近くなりましたから、「これからの成り行きではしつもんするかもしれない」ということを前提として、津山市長に対して、以下のようなことを文章でお聞きしたわけです。

◎津山の観光大使の「○○」さんの、この度の「不祥事」とタトゥー(入れ墨)問題について、何らかの対策と対応が必要ではないか・・・         ①対応としては、コメントとかを出す。                  ②対策とは、観光大使の選出基準、方法、役割など今後のあり方を示す。

 一考が任命者として必要と思いますが…どうでしょうか。

せめて市長のコメントくらいは出さなくては…

★この問いかけの、「せめてコメントぐらいは出す必要があるのでは…」という点が紹介されていなかったから、と、思いますね、「せめてコメントぐらいは。。。」を求めたのですが、、、と、説明して、納得はしてもらいましたが。。。そうですね、そういわれれば、よくわかります、コメントは、ひつようですね・・との話でした。ここまでは、普通の話で、

ここからが「おかしな」話ということになりますか

★もう一つは、「何もしない、様子を見るという津山市市長の態度は、おかしい、なっとらんがな、もう、津山市は終わりじぁー、せめて、【たいへんなことになった、市民の皆さんにご心配をかけた、検討する」ぐらいのコメントはないのか、ようせんのか。もう、終わったな‥‥」というお叱りの声です。

※表題の「おかしなこと」の一つは、この人が指摘しているように、津山市長の政治への心構え、在り方、市の態度というか、市民の心、気持ちから、完全に遊離してしまっているのではないでしょうかという問題ですよね。。

もう一つの「おかしなこと」は

★やはり、東京裁判物語ですね、7月25日に公判ですが、今回もリモート裁判のようですが、前回原告~出された                  ◎「第6号準備書面」と                        ◎甲30号証→近藤議員3月議会質問と答弁の要約の要約された議事録   ◎甲31号証→原告の振替口座と思えるお金の動きのわかるコピー     ◎甲31号証→原告の会社に対する、Aさんの「領収書」

 の4点ですが、近藤さんが訴えられています、「損害賠償事件」【令和4年(ワ)第31148号】は、3月議会質問とは、まったく関係していません。原告側としては、どういう位置づけで、この準備書面と証拠物件を提出したのか、意味不明、おかしなことです。

★何回も書きますが、近藤さんが3月議会で指摘した人とは「違う人に渡したお金の領収書」という点では、意味がありますし、大切な「役割」をもってはいると理解はしていますが、そもそものところが「おかしなこと」です。

さらに「おかしい」ことは、市長や議会になんの意味があって送ってきているのか、市長は、送られたこと自体をノーコメントの態度など・・・

ご丁寧に、原告は、裁判所に提出した書類すべてを、津山市長と市議会事務局あてに送っているということです、何のために送ったのか、?、近藤議員のしつもんが「まちがっている」という証につかうというのでしょうかね・・・・だとしたら、市長は、それを「ノーコメントではなくて、公開する」必要があると思うのですが、それは、しないということのようですから、益々、おかしなことということになりますかね…意味の分からない裁判資料になってしまいましたねです。

5月18日(土)土曜と日曜は雑記お休み

開いてもらって、ありがとうですが、土曜と日曜は、雑記の書き込みお休みとさせていただいています、よろしくご理解ください。

気持ちよく晴れている朝です。

5月17日(金)冤罪事件・再審法改正への学習会

★昨日は、1日中変な転機でした、曇りが中心で晴れたり、雨粒が落ちたり、何よりも、強風、なんでこんな時期に、これほど強い風が吹くのかと思いましたが、お昼過ぎなどは、歩くのが「歩きにくい」という感じにもなりました、天候が不順すぎますね。。。今日は、朝から良い天気です、一日中晴れてほしいものですが、。

三月議会への請願者を迎えての公聴会のよびかけ

3月議会で「継続審査」となった、「再審法改正」に関する請願の扱いについて、総務文教委員会・河村副委員長(会派・市民が第一)のよびかけで「請願の提出者・国民救援会」停車つしゃ公聴会が行われました。3月議会では、総務文教委員会の審査で、「採択」が末永一人、「継続」が二人、「反対・否決」が3人となりまして、多数決で「秘訣」になりそうでしたから、「採択」を主張していた私が「継続審査」へと態度変更しまして、三対三として、委員長採決で「継続」になった請願です。

★六月議会を前にして、その審査に「役立てよう」ということで、河村副委員長が「学習会」を見よびかけまして、岡山県国民救援会の人が講師で行われました。

参加者は、市議会議員の側が7人、請願団体・国民救援会の人が二人でした。最初に、国民救援会とは、どんな団体か、という説明を求めて話し合いが始まりまして、請願に内容などを反しあいました。国会の動きも話し合われまして、二百八十人程度の国会議員が集まったとかでした。

再審制度のあり方法改正含め検討超党派の議員連盟発足

強盗殺人などの罪で死刑が確定した袴田巌さん(87)の再審=裁判のやり直しが決まるまで40年余りかかるなど、審理の長期化が指摘される中、えん罪被害者の速やかな救済につなげようと、超党派の国会議員による議員連盟が発足し、法改正を含め、再審制度のあり方について検討を始めることになりました。日本弁護士会も動き始めました、

弁護士さんらの意見「現行の再審制度が抱える制度的・構造的な問題点」(日本弁護会の訴えから)

再審については刑事訴訟法に定めがありますが、再審の規定は、条文の中でわずか19条にとどまります。

再審請求審における具体的審理の在り方は裁判所の裁量に委ねられており、証拠開示の基準や手続は明確ではありません。そのため、いわゆる「再審格差」が生じています。また、再審開始決定がなされても検察官が不服申立てを行う事例が相次いでおり、えん罪被害者の速やかな救済が妨げられています。

このような現行の再審制度が抱える制度的・構造的な課題により、えん罪被害者の救済は遅々として進んでいません。arrow名張事件arrow袴田事件・大崎事件などえん罪性の強い事件が長期にわたり救済されず、再審は「開かずの扉」とも言われています。

icon_pdf.gif諸外国における再審法制の改革状況―世界はえん罪とどう向き合ってきたか― 【2023年2月発行】(PDFファイル;931KB)

日弁連の取組の紹介

日弁連は、これまでも再審制度の運用改善・法改正の必要性を指摘してきましたが、2019年10月の人権擁護大会で、①再審請求手続における全面的な証拠開示の制度化の実現、②再審開始決定に対する検察官による不服申立ての禁止を含む再審法の速やかな改正を求める決議を採択しました。そして、この実現に向けて、2022年6月に「再審法改正実現本部」を設置しました。

日弁連は、今後も再審法改正に向けた各種取組を進めてまいります。

★こうした見解からもわかりますが「冤罪事件」を再審へ、そして「無罪へ」というのは、中々大変なことだと思います。

5月16日(木)昨日の議会活性化委員会

★今朝は曇り空ですが、めっそう風が強い、裏の竹やぶはそうでもありませんが、表の、柿の木などは大きく揺れています。1日どうなのかな‥‥、昨日は、曇りのような晴れ、基本的には曇ったり、晴れたりの1日でしたが、何となく曇り空の方が長かったのかなとも思いました。今日はどうかな、最近は、雨が良く降ります、梅雨ではないと思いますが、今日は、どうなんだろう・・普通梅雨入りは、7月の中ころだと思いますが、試しに、インターネットで中国地方を見てみますと、

昨年が7月19日 今年の予想が、7月16日ころ

となっていましたから、梅雨ではないということなんでしょう・・・

議員のオンライン参加の試み、一人の議員さんがオンライン参加での活性化調査特別委員会でした

★昨日の午前中は、津山市議会活性化調査特別委員会でした。議員の二人が欠席、一人の議員は「オンライン会議で参加」という形式をとりまして、「びっくり」ですね・・・思考的な発想なのかなとも思いましたが、新しかったらよい」ともいかないとは思いますが、元気でおられるのでしたら、恩らせインでなくて、会議に参加した方が、身に入る感じですね・・

★コロナなどの「異常事態」下であれば、それもありうる、し、ある意味当然とは思いますが、何もない」野でしたら、「新しいものがり屋」さんでなく、普通でやってもらいたい把思います。事務局職員も、慣れているというか、わかっているから当たり前に操作の準備なとしていましたが、明らかに「余分なこと」をしている、させられている、・・・議会ですから、やれと言われればやるしかないのですが、さてさて、「線引き」なのか、元気議員が、自宅におって会議に参加できるから良し、とは、ならないと思え医師方ありませんでした、集中力が違うともおもいましたし・・・

もっとも、全部「個人の感覚・個人差」ですが、オンラインができることを近代的な議会、新しい議会と言うならば、一体、政治は、どこへ向かうのか、新しかったら、それで良しになってしまうのが、怖いですね。

★市議会の出張、各委員会ごと、そして、会派を軸にした個人の視察と、おおむね、2つのケースがありますが、その、視察の報告は、議会事務局(形式は、。市議会議長へ)へ提出していますが、今回、「活性化特別委員会」としては、市民に公開する道を検討しているということです。委員会ごとに、委員長を中心として、できるだけ事務局の手を掛けない方法で…と検討が続きます。

★ともかく、行う、する、という方向が決まりまして、どんな方法でやるのか、誰が作るのかなどを相談、各委員長が基本的に作るとしますと、まず、今の委員長さんに意見を聞く必要がある、ということで、近く、委員長会議に報告して、検討してもらう方向性が生まれました。

こちらの「新しい方向、試行」は、やることが望ましい、やるべきと思います、公開することを基本として、方法など、もう少し深く検討が必要かなとは思いますが、これこそ、皆で力と知恵を集めてということですよね・・

東京裁判・5月25日へ向けて、課題の整理

★近藤議員が、被告として争われています、損害賠償事件ですが、前回の裁判で、原告が提出した「準備書面」(近藤さんが3月議会で質問した案件への【原告の回答】のような書類)ですが、「どんな意味を持っているのか、原告が訴えている本来の裁判内容とどんな関連・関係があるのか、原告は何が主張したいのか」などを整理してほしいとの、被告側の主張をどう扱うか、そもそも「無関係の準備書面」と思えますから、「無視・法治」するという原点があり、いわゆる「疎外事件」となりますか、いろいろと苦労の多いことです。

★「訴外(そがい)」とは、訴訟の当事者(原告、被告など)以外の者のことを指します。 当事者と混同しないようにするために、「訴外○○は…」という形で使われます。と書かれていますが、本題とはまさに関係のない書類…

なんの意味があるのか、?津山市にも送付している、?

★この書類が、津山市長と市議会事務局あてに送付されているニュース」も耳に入ってきました、近藤さんから書類はもらいましたが、この話は、近藤さんからでなくて、別のルートから伝わってきたニュースです、「地元責任者がお金を受け取っていないという証拠を、裁判所とか市長に送ったはずだ」という伝わり方でしたから・・・。

★聞いてみましたら、津山市議会に本当に送ってきていました、議員だけと思いますが、見たい場合は「みてもらってもよい」という判断ということのようですが、市長部局は、?、議会に来ているわけですから、来ているというのが常識でしよう・・・だとすれば、このことも、意味不明ですね、しかし、当局に本当に送られたかどうかは、確認の方法がありません、「親書ですから、来たとも来ないとも、たぶん表明しない」と思いますから、さてさて、どうなんでしょうかね‥せっかく「地元責任者は無罪」という証明の書類を送ってもらったわけですから、送った人(東京裁判の原告)の「善意」が「善意でなくなってしまう」というものです・・・

★5月25日が裁判です、裁判というのは、とかく複雑で、法的な理解、解釈力と能力を必要としますから、私には、理解できないことが多しということです。

5月15日(水)苫田ダム展示へオンライン会議

★昨日は、朝から好天気、やや暑さもありましたが、新緑、雨上がり、この頃の季節が一番過ごしやすい、心地よいですね、今朝は、少し曇りの感じですが、晴れるとは思えます。我が家の庭に植えた夏野菜、キュウリが「虫にやられた」ので、「植え替え」です、トマトが案外早く大きくなっている感じですが、おいしくなるのかなです。

★午前中は、市議会活性化調査特別委員会です…

いま、あらためて苫田ダムを問う・苫田ダム阻止同盟の

 資料展示へ本格的な準備活動

★6月の末から7月の7日まで、鏡野町ペスタロッチ館で開催予定の「苫田ダム阻止どうめぅの歴史から、今、学ぶものは…」という意味合いを持っての「ダム阻止同盟の歴史展示会」に関して、昨日午前10時から、オンライン会議でした。オンラインの仕掛けは、私には無理、Kさんに助けてもらっての参加でした。

★資料の内容とか、展示の方法とか、運搬と片付けなど、大きなところは、県の実行委員会のメンバーに、そして、会場の準備とか、開会中の「受け付け」とか、開会への会場づくりと、閉会後の片付けとか、地元として、当然行うべきことが幾つかありまして、これから、各項目と各自の予定と当番のようなことを決めていかなくてはです。

★苫田ダム阻止同盟、保守・革新などは問わず、行政として、大きな取り組みをし、国の施策に「徹底して抵抗した歴史、そうした貴重な資料が沢山提示できればと思いますが…

昭和9年9月 室戸台風により吉井川上流部は大きな被害を受ける
20年9月 枕崎台風により吉井川大出水となり、津山市を中心に大氾濫となる
28年4月 岡山県が吉井川総合開発調査に着手
29年4月 建設省が岡山県より吉井川総合開発調査を引き継ぐ
32年11月 山陽新聞に農林省所轄の苫田ダム建設構想記事が掲載される
苫田村民大会でダム建設絶対反対を決議、苫田ダム建設阻止期成同盟会を結成
33年4月 阻止同盟会員が「団結の碑」を建立
34年4月 苫田村、羽出村、奥津村の三村合併により奥津町が発足
36年9月 第2室戸台風が襲来
38年7月 吉井川洪水発生
 11月 県と中国地建が土生橋下流で吉井川治水対策説明会を開催
       治水対策説明会に阻止同盟会員600人が橋上で抗議
 39年12月 苫田ダム阻止総決起大会が久田小学校で開催
40年1月 県は公報で、苫田ダム立入調査を告示
3月 現地予備調査開始 立入調査を阻止同盟会員500人が阻止
 41年11月 苫田ダム阻止総決起大会400人の参加で開催
42年4月 県庁で吉井川総合開発事業苫田ダム調査協定書に調印
47年7月 吉井川洪水発生
48年3月 吉井川水系工事実施基本計画決定
7月 渇水被害が起こる
54年4月 (財)吉井川水源地対策基金設立
56年4月 苫田ダム調査事務所を苫田ダム工事事務所に昇格
57年2月 標高234m以下を苫田ダム河川予定地に指定告示
3月 水源地域対策特別措置法の指定ダムに指定
6月 境界杭設置開始
8月 水没地域の家屋土地立入調査を開始
61年5月 ダム推進派地権者団体は、損失補償協定、生活再建対策費などの協定調印
11月 補償契約済91戸に補償金の支払い
第30回苫田ダム建設阻止総決起大会開
平成2年4月 森元奥津町長ダム建設を前提とした町政への転換を表明
8月 苫田ダム水没者補償交渉対策会発足
3年2月 阻止同盟から56人が脱会、新組織をつくる
4年4月 久田小学校、泉小学校閉校、奥津小学校新校舎へ移転
苫田ダム環境デザイン委員会設立
10月 国道179号付替に伴う土地・物件調査開始
5年2月 国道179号付替に伴う苫田第1号トンネル起工
3月 国道179号付替に伴う湯ノ坂トンネル起工
6年8月 町が阻止条例を廃止
奥津、鏡野町2町と国、県が苫田ダム建設事業に係る基本協定書締結
11月 ダムのボーリング調査開始
7年3月 阻止同盟が立入調査に同意、38年の反対運動に幕
「平成7年3・21会」が発足
9月 水特法の水源地域の告示
12月 水特法の水源地域整備計画の告示
8年11月 国道179号付替に伴う苫田第2号トンネル貫通
10年11月 国道179号付替、鏡野町~奥津町黒木間供用開始
11月3月 苫田ダム本体1期工事着手
4月 仮排水路完成、転流開始
6月 苫田ダム起工式
13年8月 鞍部ダム建設工事開始
14年12月 ダム堤体打設完了
16年2月 鞍部ダム堤体完了
4月 貯水池の名称を「奥津湖」に決定
5月 試験湛水開始
11月 苫田ダム完成式
17年4月 ダム管理運用開始

 

午後は、党津山市委員会の会議でした

日本共産党をどうやって大きくするか、中々大変なことですが、そうしないと、党がなくなる、若者への継承、何としても実現したいの思いの有る話し合いでした。そして、中国ブロックとして、いっせい宣伝の日が17日(金)~19日(日)として提起されましたから、1日だけでも私も宣伝の日を実施しなくてはですね。

★私に直接関係する「日程」も相談ありです。6月25日(土)午後1時30分から福祉会館3階での自技会報告会」7月13日(土)午前10時からは、市田副委員長を迎えての党を語る集い」です。これを読まれた方は、是非ご参加くださいね。よろしくお願いします。