月別アーカイブ: 5月 2013

5月28日は、勝ちたいの願いをこめて日本共産党演説会でした

★7月の参議院選挙まで2カ月たらず、5月28日に、参議院選挙勝利をめざす演説会が津山雇用労働センターで行われました。雨の中でしたが、会場いっぱい、200人の参加者でした、勝ちタイ、の願い、会場にあふれました。

★美見津山市委員会委員長が司会役で幕開け

★久永議員が「開会の挨拶」でした。

★私が、党地区委員会からの御願いの訴えでした。

岡山選挙区予定候補・垣内京美さんの訴え、候補者になって二カ月程度かな、訴えも力がはいります、えんぜつも、上手になったと思いますよ…

★比例区予定候補・仁比そうへいさん、怪我のえいきょうでしょうか、すこし、身体全体が「窮屈」そうでしたが、力の入った訴え、元気そのもの、元気、元気でした。

★怪我の後も生々しい腕、でも、参加者の方が元気もらいました。入院中の「黄門さん」のお話には、皆、感激、なんとしても、五人の比例区当選を・・・仁比そうへいさんの当選をとの願いです。

宮古へ支援物資→15日、16日は防衛省へ

★18日(日)追加挿入です→防衛省交渉の続きです。

志位和夫衆議院議員(中央委員会委員長)の秘書 浜田文さんのご案内で、衆議院会館・第一会館で、小泉党中央基地対策委員、塩川衆議院議員の秘書・石川さん、しんぶん「赤旗」記者の内海さん、そして、

※井上哲士参議院議員らと話し合いでした。

上と下の写真は、一昨年の3月2日・土蔵が倒壊した、あの瞬間の様子を説明する、被害者の井口さんです。

★井上さとし参議院議員は、京都左京区の人です、娘婿の京都市議会議員の樋口英明と同じ地域です、「お世話になっています」とあいさつの後、記念に1枚でした。

★珍しく二つの写真報告をします。ひとつの写真は、土蔵倒壊に対する防衛省への要請活動です。志位委員長の秘書の人の案内、赤嶺衆議院や井上さとし参議院議員などにもお世話になりました。5月16日のことです。

井口ご夫妻と葛原先生と私、津山らの参加者

防衛省地方協力局補償班 企画官の多賀浩之 さんに申し入れ書を渡しました。垣内京美参議院予定候補(岡山選挙区)も同席しました。

衆議院中国ブロックでお世話になりました、石村とも子さんも参加してくれました。向こう側は司会役・森脇県議がすべて段取りをしてくれました。

終わってから、岡山県から参加の皆で1枚撮りました。

○井口ご夫妻と左が私、右は垣内京美参議院岡山選挙区予定候補です。私の後ろに薄く「くさり」がみえますが、この「くさり」から一歩でも足を入れますと、「そこは入らないように」と注意が来ます、これより日だ二は寄れない防衛省正面玄関と言う事です。

★支援物資の送りの荷造り風景

★5月15日は、東日本大震災被災地岩手県宮古へ支援物資を送りました。会場:  グリーンピア三陸みやこ体育館 (宮古市田老向新田148  日時: 5月19日(日)午前11時~  (約1時間で終了)での「無料市」に使用してほしいの願いです。

作業中の婦人後援会のメンバーです。

★上と下の写真カメラマンがかわりました、わかりますか。

お米が60キロ、トマト6箱、こんかいは≪玉ねぎ≫が沢山ありました。野菜が、やや、高値ですね、青物野菜、洗剤3箱、トイレットペパー3袋など大きな段ボールに11箱でした。

5月1日挿入→宮古地域からのたより

★4月に2度「岩手県宮古ボランティアセンター」に支援物資をおくりまして、「28日の赤前保育園での無料市開催」に使用してもらいたいの願いでした。無料市は、200人を超えた「被災者の皆さんが来園」されてとても盛会だったようです。その時のようすが、「ボランティアセンターの日記・ブログ」に書かれています、ご覧ください、ここから行けます。http://blogs.yahoo.co.jp/jcp_miyako_volunteer

津山に取って少し「つらい」のは、このブログをみるかぎり、津山から送った「物資」は別の事、記事になっていません、届かなかったのかなとおもわされ、支援物資を寄せてくださった人から、津山は送らなかったんですか…と聞かれるシーンも有り、?でした。

★4月30日になりまして、宮古ボランティアセンターから、下記のような「お礼のメール」と当日の様子を沢山の写真で送ってくれました、それを紹介しておきます。今後とも、よろしくお願いします。

次回の「無料市は「田老地区」だそうです、テレビなどに何回も出出来ます、被害の大きいちいきです、5月19日(日)のようです、津山後援会としては15日(水)にでも荷づくりをして支援物資を送りたいと思います、ご協力ください、やさい・お米を「一人一品」お届けください。。。

朝早くから「無料市」の開くのを待つ被災者の人たちです。

★岡山県から、笠岡市議会議員の日野津さん、農民連のひとたちがボランティア参加していました。