★昨日は、1日暖かいと感じる、心地良い1日でした。今朝も、8時前、霧の中、曇った感じですが、暖かくなりそう・・・昨日の午前中は、津山圏域資源循環施設組合議会・2月定例会でした。私は議長役、質問ができませんで、写真は、議長席の私です。
谷口管理者(津山市長)と野口副管理者(津山市副市長)が欠席、野口副管理者は、?で理由がわからないままでしたが、美崎町青野副管理者(美崎町町長)が管理者の代理を務め、役、170億円の「令和8年度一般会計予算」を提案、議会は、全員が賛成で可決となりました。
★資源循環施設組合議会は、津山市から4人(植山・金田・近藤・末永)→昨日は、金田議員が欠席でした。奈義町→森藤議員、勝央町→森本議員混み、鏡野町→小倉議員、美崎町から江原議員で、副議長さんです。合計8人の議員で構成しています。
今日は、午前中、人間裁判・朝日茂さんの墓前祭です。
★津山市寺町にあります本行寺で午前10時から行います。参加可能な人は、ぜひご参加ください。
★人間裁判物語→朝日茂さんは、1913年津山市京町で生まれました。日中戦争中結核にかかり、国立療養所に入院していました。
★1956年のある日、ゆくえしれずになっていた兄さんへお金の入った便りが来ました。「毎月1500円送るから、栄養のある物を食べて健康になってほしい。」というものでした。
ところが1500円のうち900円は治療費として国がとりあげました。残りの600円では。そまつな者しか食べることができませんでした。「せめて、1000円だけは使わせてほしい」と、岡山県知事や厚生大臣に、願い出ましたが、はねつけられました。療養所の食事はそまつなものでした。
★「人間の命は尊いはず、こんなことでよいのか。政治とは弱い者にに目をむけ、手をさしのべることではないのか。」 朝日さんは、これは自分ひとりの問題ではない、国民みんなの問題だと考え国を相手に裁判をおこしました。
★1960年10月19日、地方裁判所は、「国は健康で文化的な生活を、すべての国民にたいして保障する義務がある。」という憲法にもとずいて、朝日さんの言い分を認める判決を言い渡しました。
ところが国は納得せず、高等裁判所や最高裁判所へ訴えました。
朝日さんは、支援する多くの人達と共に、人間らしく生きられる社会を願って戦い続けましたが、1964年52歳で亡くなってしまいました。
しかし、この裁判をきっかけに国の福祉への施策が大きく進められるようになりました。そして、この裁判を人間裁判と呼ぶようになりました。以上 津山史誌から抜粋
★茂さんが亡くなって、裁判は、義理の息子さん、朝日健二さんに引き継がれますが、その、健二さんも亡くなられました。健二さんとは、かなり長いお付き合いがありました。茂さんと健二さんの養子縁組、津山市役所への届け出、秘話がたくさんある物語、それを知る人も少なくなり、直接関係した「先輩」もなくなりました。いい秘話なんですが。。。
★茂さんの生誕の地、場所もわかったんですが、これも、いろいろとありましたね、、津山ならでわの「秘話」物語かな、私が一人、記憶をもって、世に出ることはない物語ですが、こんなことは、皆さんも多く持っていますよね、、、自分しか知らない、世の中のできごと・・・



