3日岡山県発表、津山が52人とは多すぎはしませんか、午後1時半に書き込みです、県内はコロナ173人感染
ここから下は朝の記事のままです、★昨日は、小雨の朝でしたが、お昼頃から、やや晴れ間もありましたが、曇空が基本だったです、今日は、朝から、冷えてはいますが、天気は良くなり晴れる気配ですね、コロナは、津山が多いのが気がかり、岡山県は「まん延防止」の延長はしないと決めたようですが、少なくなったとはおもえませんね、、、政治の世界は不気味、色々とあるのでしょうね。
市長選の前哨戦・9月議会から12月議会などの動きは?
★9月議会の論議を通じて、そして、12月議会へと、あせるような雲行きもあり、市長選挙で○○をたてて、何とか「津山市政を変えたい」「かえなくては・・・」と言う声が強まる中、何人かの「候補者としての名前」が出ては消え、消えては別の人の名が出てくる、そんなことの繰り返しのような日々が続きました。女性の立候補はどうなのか、と言うことで「二人の女性の名前」も上がり、私は、一人の人と「かなり深刻になっての話し合い」を数回繰り返してきました。もう一人の人とは「直接話す機会はなかった」ですが・・・結論としては、「あきらめざるをえない」ということになりまして・もちろん、他の団体や人たちの動きは見えてこないままで、全くわかりません、なんとなく幾つか話をしている感じは伝わりましたが。。。・・
★再び、候補者問題が「暗礁に乗り上げる」こととなりまして、それでも「再び宮地さんはどうなのか」というぶり返しの話になりました。谷口さんの陣営かもしれない人からも「○○が本当にでるのか」と、1週間に2度や3度は「といあわせ」とか「相談」もありました。宮地さんの名誉のために書いておきますが、自分が出たいとかではありません、「誰もいなかったら・・・」という責任感の気持ちはあったのではないか、と想定ですが、医師から注意あり「完全に断念する」と言うことになったものです。
★太陽光発電事業をめぐるインターネット上の「疑惑事件」も当然話し合われながら、市政の「動き」もしばしば「話し合われ」ました。そのつど、市長候補の名前も出ました、あれは本当か、との問い合わせも何人もありました。◇◇はいけまい、とか、△△なら気が楽だ、とかも耳に入ってきましたが、これらは「私の知らない人の名前」であり、かかわってはいませんでした。決まったら、あせてほしいとはお願いしましたが、結果としては「あうことはなすかった」ということです。
★こうしたことのくりかえしで「これ」という人はなかった・・・なんとかならないか、の焦りの心が出かけたときに、ある人が、一昨日書いた「そんな話はない」と思える人について、現職市議の名前ですね、パッと噂が広がりました。
★その人は、市長に「出るらしい・出たい」ということで様々な話があったのは事実です。そして「本気で出ることにしたい」ということを本人も言われたようです、私には、その本人からは「出たい」とか「よろしく」とかの話はなかった。
★一方では、専門的に、世論調査をされている情報屋さんが「現職が思いのほか不人気」と言う結果もあるという「噂話」も出たようでした。そして、1カ月でも勝てる戦略があるか、という話し合いもあり、一度だけ「そんな内容の話し合い」にも呼ばれたことがありましたね・・・
★取り巻きかなと思える人からは「その人についてどうか」とか「出たらよろしく」とか「今の議員の中ではこの人しかいない」という意味の話は、幾人かの人から直接言われたことはあります。12月だったと思いますが、その人が「ほぼ本気」と言う時期・・・
選挙管理委員会の「市長選挙の説明会」が行われました。
★宮地前市長と、私=末永が「説明会」に参加して、とても物議を呼んだところです。「立候補届け出書類一式」をそれぞれ「一組」(2人で二人分)を持ち帰った時を前後していますから、宮地さんは「現職の市議会議員かも・・・」と言われる人の書類をという事で、その人に書類一式を渡しました・・
★この頃に、私は、ある現職市議のひとに「出てほしい」との依頼を数人でしましたね、「本気で考えてみる」との決意で別れて、1日して、「せっかくの話だが、無理がある」という旨の「無理」の内容も大きし、返事をいただき、「残念無念・がっかり」したのを思い出します。、・
★私=末永は、「その人(宮地さんの持ち帰り書類を渡した人)が出なかった場合、元職の人のために」という意味での書類持ち帰りでした、このことは、当時の「ごきげんいかが雑記」に書いています、今、初めて書くことではありません。
時を稼いで「でない」「出せない」ではないかの疑問符
※この頃から、私は「ひよっと、○○(宮地さんの書類持った人)が出るから・・・」という言葉だけで、時を稼いで、他の人には準備をさせないで、候補者がたてられなくするのではないか、そんな【高等戦略・作戦】かも・・・、とひそかに思いまして、そして、心あたりの人に【出てほしい】と極々に内々の相談をしていました。特に、1人の人は「出でみるかな」という感覚にもなり、「そうならば、出る覚悟して、宮地さんの持ち帰った書類を持つ人よりも、「早く立候補声明をすべし」とお願いして、私の持ち帰った書類一式を渡しました、元職の人でした。
★しかし、その話が「迷い、迷い」しながら、その人が現職の人(宮地さんの書類を持つ人)の立場も「待つ」という事も考慮し、あれこれとが続いて微妙な時期でしたね。この頃に、はじめて、近藤さんの名前が出始めました、私の名前も再浮上しました・・・2人とも「とても、とても・・・」とお断りしました。
★私の書類を持ち帰った◎◎さんは、これ以上「立候補声明を先延ばしは出来ないな」と判断できるタイミングまで、「出るか・出ないか」で随分悩まれたようで、近藤さんが決意してからも、悩んでおられましたね・・・しかし、最終的には「出なかった」ですが、
近藤さんへ、本格的なお声が・・・・
★そんなとき、保守層の人・近藤さんは、元々が「保守の人」ですが、たまたま、市議会では事情があって「革新的」と言われる人たちとおんなじ会派に属しているということであります。そんなある人から「近藤さんが出るべしではないか、どうか・男の子でしょう・・・・・」と言う意味の声が本人にかかったわけです。もっとも、私が彼から聞いたのは、かなり遅い時期だったのかもしれません、私に話が直接来るまでには、色々と経過があったと、後で聞きましたが、そして、「保守の大物」さんは、名前を聞いている程度、現職市議の時に1回か2回程度、見た、あったかなとも思いますが、はっきりと覚えていない人でした、長いこと「顔」をみていな人ですね・・・・ここから、本人の「葛藤」が始まりましたね、、ここからは、明日に続きます。嘘と思われる人もあるかもですが、間違いなく、「事実あった話」です、私が体験したことです。