4月12日(金)苫田ダム資料展示などについて

★今朝も良く晴れています、暖かくなりそうな朝の雲行きです。昨日は、苫田ダム建設問題に関する「阻止同盟」の運動の歴史の提示などに関する「オンライン」による話し合い、相談会議でした。便利といえば便利、社会の発展というのでしょうかね、、、人と人とのつながり、直接の対話などから見ますと、「味がない」ですね‥さりとて、岡山まで出かけて話し合うというのもある意味で「億劫」ですから、オンラインによる対談という在り方にも「なじまなくては」という時代の流れなんですね、、下の写真2枚はつねさくら会館からのオンライン参加の様子です

苫田ダム2苫田ダム1

★苫田ダム阻止同盟の資料展示(鏡野会場)ですが、6月29日(土)~7月7日(日)までベスタロッジ館で行います。その準備のありようについての協議、そして、鏡野が終わりまして、続いて、岡山市西大寺公民館での開催です。元県会議員の武田英雄さんを中心としまして、資料集め、段取りなどをしていまして、やや、お手伝いという役割ですね。

★それにしましても、「ダム絶対阻止」を町是として決めていた奥津町の歴史でもあります。阻止同盟の事務所、集会、餅つき大会などなどいろんな思い出がありますね、そして、現在も、津山市の水道水の源として利用、ですが、この水道利用は、大インチキです、懐かしい反対運動、今でも、ダム建設の「負担金」とでもいえる「苫田ダムからの水道水買い上げ」です、岡山県広域水道企業団への負担金とか、いろいろと、姿、形・名称は「変えている」わけですが、今でも、年間、約4億円もの巨額のお金を支払っています。水道の「原水の買取」としてです。

★この不必要な「余剰水買取」によって、水道料金の値上げを余儀なくされるという「仕組み」です、これが「苫田ダム建設」とかかわっていることすら、「わからない、知らない議員」も多くいると思いますが…変な政治の仕組み、当時、悪代官といわれた、長野士郎岡山県知事のなせる業ですね…変な行政の典型です。

苫田ダムの前で当時を振り返る宮本博司さん=岡山県鏡野町久田下原で2018年10月、林田奈々撮影
苫田ダムの前で当時を振り返る宮本博司さん=岡山県鏡野町久田下原で2018年10月、林田奈々撮影

「大きな歯車」暮らしのみ込む

建設まで約40年に及ぶ反対運動があった苫田ダム(鏡野町)。深い水をたたえる湖の底にはかつて、立ち退きにあった504世帯の人々が住んでいた。苫田ダム工事事務所長を経験した国土交通省の元官僚、宮本博司さん(66)は「このダムに関わったことが私の人生を変えた」と振り返った。

 国による苫田ダム建設計画が表面化したのは1957年の山陽新聞の記事だった。計画では苫田村(現鏡野町)の数百の家屋が水没するとされた。住民たちは集会でダム建設反対を決議し、役場も「苫田ダム絶対阻止」の看板を掲げた。

 宮本さんが苫田ダム工事事務所長に着任したのは90年7月。その前は、建設省河川局開発課で働いていた。各地から持ち込まれるダムの計画を精査し、予算を取り付けるのが仕事だ。「ダムのことは全て分かっているような気になっていた」。そんな「おごり」を壊したのが苫田ダムだったという。

 この記事は、インターネットで検索して、コピーを張り付けたものです、どうなんでしょうかと思いながらの貼り付けで、ごめんなさいです。

ダム1

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