7月1日(日)1年の半分ですね・月日は早い

★2018年7月1日です、1年の半分が終り、いわゆる「折り返し点」ということです、。早い、早い、年月の流れ、、、7月は私の生まれつきです、本当は、6月10日だそうですが、1943年(昭和18年)ですが、ずっと昔というか、何年か前の「ホームページの雑記帳」にも書いたことがあると記憶していますが、私には、3つの誕生日があります。

①一つ目の誕生日、現在の戸籍上の誕生日が7月23日です、もう少しです、年を寄せまして、今年は、「後期高齢者」で、75歳の大台に乗りますから、大きくなったものです、普通は、子の日だけが誕生日なんですよね、、、ところが、

②2つ目の誕生日は、8月10日です、間違いなく私の記憶では、これが誕生日です、生まれた時から、小学校、中学から高等学校、、、は自目手の免許書、色んな所で使ってきた生年月日は、8月10日でしたから。。。されが、何で、7月23日になるのか、不思議、自分のことですが、いまだに、自分では、?、がついたまま、充分に納得いかないままに、7月23日になっているわけですよ。

なぜそんなことになったかと言いますと、20歳を過ぎたころから、末永(母方の名字)の「本家」の跡取りという話がありまして、それまでは川元姓(父方の名字)でした、川本のままで、末永の本家で生まれ、育ち、大きくなったわけです。それから数年、結婚するときに、いよいよ、川本から末永に席を写すということになり、末永泉と→母の弟・おじさん(東京住まい)の席にいれることとなり、結婚の届け出なども併せて、夫婦養子縁組のような手続きしたと思います。

★その時に、現住所の津山市日上144の川本弘之は、昭和18年8月10日となり、本籍があった、英田郡大原町中町の席にあった川元弘之の生年月日は、昭和18年7月23日となっておりまして、私は「8月10日生まれだ・・・」と学校の卒業諸所とか免許書など示して話した記憶がありますが、結果は、法の下にしたかしたか゛って「本籍に合わす」という措置を講じられたということです。6月10日は、実は、本当の誕生日で、子の時には、父が亡くなった直後(私が生まれる前に父が病死した・・)で、母が「届けるのがおそくなった」と説明してくれてい又・・・それがたんじょうびです。

津山市日上144 川元弘之 昭和18年8月10日生まれ。

         末永弘之 昭和18年7月23日生まれ。かくして、この「二人が同じ人物だ」という妙なことになったわけです。上と下の人間は、何となく別々の人間だと思いませんか、生まれた時から、妙な人生を送る宿命なのかなです。

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