★今日は、民主・平和・市民生活を守る市民協働団体&豊かなまち・人つくり津山ネットワークと、新市長・新教育長との「市民要求実現のための懇談会」の日です、かってというか、昔はというかはよくわかりませんが、「団体交渉・対市交渉」とかの、かなり、いかめしくて、固い言葉で表現していたものの名残かな、、市長や教育長の、政治や教育への基本姿勢とか、平和・原発などへの不安解消、市民の暮らし守るための多くの要望などを出して、話し合いをするということですね、
事前に私たちの「要望課題」を文章で提出して、其れに対する基本的な考え方を回答ということで文章で頂き、これでもって、最初の要望と回答が「終わった」というスタイルですね、、そして、今日は、いわば、再質問というか、回答を頂いて、気になる個所の整理とでもいうか、そこから始めます、お互いの「時間の節約」という意味と、話し合いの密度を高めたいとの心根からそんな手段をとっています。良いか、悪いか、は、別問題ということですね・・・。
お世話になっている人の死、合唱です
※かれこれ、50年になります、市議選挙で言いますと、11回の選挙、通しで「お世話になり、ご迷惑をかけてきた人」・・・・議員を辞めてからも、のんびりカフェーの野菜生産者の1人として格別にお世話になった人・・・が、・・・一昨日に亡くなり、今日がお通夜で明日が葬儀です。子の人には、言葉で言えない色々とお世話になってきた人です、地域でも、人望が厚く、一つの地域を代表して、公演官位の世話人のようにしてご面倒をかけてきた人でした。
11回とも、初めから終わりまで、市議選でお世話になった人たち・・地元町中の地元の町内の人は、格別お世話になり、この人たちを除きますと、全市的に11回とも「お世話になった人」と言うのは、案外少なく、途中からの人、途中でなくなったり、支持が変わったり・・・要望の関係で、一回だけ、とか、2~3回だけとか、中には「親戚が市議になったから」と、人さまざまですから、本当に、11回ともというのは、なかなかでしたね・・・・そして、今回のように、年に何人かの人が亡くなっていきます、、、段々少なくなりますね、、私が議員に最初に出たのが27歳と若かったですから、たいていの人が年上の人か、同年配の人、・・・と、なりますと、私が、後期高齢者の仲間入りしましたから、段々と「亡くなる人ができる」というのは、仕方ないことではあるのでしょうが・・・人の死というのは、やはり「かなしい」し、「寂しい」です・・・送サント子どもさんや孫たちを残して、心名残の中で・・・逝ってしまった春ちゃん安らかに眠ってください、長い人生、御疲れ様でした、お世話をかけてすみませんでした・・・あの世があるとして、ゆっくりと身体やすめてください。。。心からの合唱です。。