作成者別アーカイブ: 末永 弘之

4月30日(火)明日から5月、時が早い

昨日は午後2時ころまでは曇り空、その後小雨が続き、今朝も霧雨のような、降っているという感じではありませんが、さりとて、何もないということでもなし…くもりというのかな、そんな朝です、久しぶりに定期で「さくら会館」へです。ゴールデンウイークの合間の3つ日間の普通の日です、会社というか、企業によれば、前半を6日間(27日~2日)連休として、後半(2日~7日)は仕事、其の逆と社員を半々に分けるところもあるとか聞きますが、いわゆる「暦通り」というのが公務員などです。

太陽光建設に係って「近藤裁判」のその後は?

★近藤議員が3月議会で、田邑・一宮地域に建設されている「太陽光発電工事」に関して、地元の◎◎さんにお金が泣かれていたということを指摘し、物議を呼びましたが、それが、実は、🔳🔳さんに流れていたもので、K氏からS氏に「連絡していた金銭の流れ解説」のようなものには、「◎◎さんに渡した」と2度書いているのは事実であるが、それが、誤記で🔳🔳さんと間違っていると、近藤さんの「裁判に準備書面として提出された」という経緯…

★いろいろな疑問と、憶測を呼んでいますが、🔳🔳さんの方は、どうなのか、裁判の書面で指摘されるわけですし、何よりも、「お金をわたした」とされている人が、自分で裁判所に「申し出をした」ということですから、🔳🔳さんは、「穏やかではないはず」です・・・これがなぜ、近藤さんが訴えられている裁判と関係があるのか、と、不思議なことですが、🔳🔳さんは、「もらった」と自覚されて、どうされるか、・・・「厄介」なことだと思います、それなりに、この結論が市民にようにしておかないと、「3月議会では、間違った質問をした、個人に傷つけた」ということにされてしまいそうですが、どうなんだろう・・?が多い、この課題です。

★なんで、津山の本会議でだされた質問が、裁判という、全く無関係で、法の世界で、突然でできて、◎◎さんへの「疑惑を解く」「たすける」ということになったのかが、解ければ、スッキリとするのですが、裁判を通じて、この準備書面は、何ですか、どんな意味があるのか」が、裁かれるようにはならないものでしょうかね・・・「本来の裁判とは無縁、関係しない、放置する」というのが、弁護士さんの意見のような感じがしますが、原告側から提出された「この準備書面は意味が解らない」です、「◎◎さんの無罪・無関係を証明というか、言い分にはのは、間違いのない事実ですか、・・何故、裁判でそのことを主張するひつようがあったのかです・・・・

4月29日(月)昭和の日・お休み

★昨日の28日は、朝早くから私用で孫たちと京都へ日帰りの旅、孫の車に乗せてい、往復、運転はしませんが、京都の日帰りは、少々疲れますねです。今日は、やや、ゆっくりとしたい日です。ゴールデンウイーク前半というのかな、昭和の日で「前半が終わり」ということ、30日・5月1日がメーデーですか、普通の日、2日も普通の日です、そして、3日から、また、御休みが続きます。

★国民の祝日で、4月29日。 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨に制定された。 もとは昭和天皇誕生日で、昭和天皇崩御後は、植物に造詣(ぞうけい)の深かった天皇にちなみ、1989年(平成元年)より「みどりの日」となっていた。その流れをパソコンで検索してみますと、

ゴールデンウイークの飛び石を解消させる役割も

★4月29日は「昭和の日」。毎年の「ゴールデンウィーク」を構成している4つの祝日のトップバッターだ。この日は1927年(昭和2)年から国民の祝日だが、実は現在に至るまで、3回にわたり名前を変えてきた。

★「天長節」(1927年~1947年)

まず最初は「天長節」と呼ばれていた。「天長節」は、その世の「天皇の誕生日を祝う日」の意。老子の「天は長く地は久し」(天地が永久であるように天皇の治世も続くように)という言葉から付けられたとされる。日本では8世紀から、天長節を祝う慣習があった。国民の祝日となったのは明治時代から。以降、天皇が変わるごとに日付が変わり、昭和天皇の時代に4月29日に。

★「天皇誕生日」(1948年~1988年)

2番目の名前は「天皇誕生日」。戦後の1948(昭和23)年、「国民の祝日に関する法律」が制定され、昭和天皇の「天長節」だった4月29日は「天皇誕生日」と名前を変えた。

★「みどりの日」(1989~2006年)

3目の名前は「みどりの日」。1989年に昭和天皇が崩御。元号は「平成」となり、天皇誕生日は12月23日に変わった。しかし、4月29日はゴールデンウィークを構成する祝日の一つとして定着しており、平日に戻すことで国民の生活に影響が出るといった懸念から、名前を「みどりの日」と変えて祝日のままに。その趣旨は「自然にしたしむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」とされた。昭和天皇が植物に造詣が深く、自然をこよなく愛されたことが由来といわれている。

みどりの日との関係は?→4月29日の「みどりの日」はその後18年続いたが、2007年に新たに「昭和の日」と改名され、「みどりの日」は5月4日に移動することとなった。
5月4日はもともと平日だったが、3日の「憲法記念日」と5日の「こどもの日」に挟まれ、この3日間が飛び石連休になるため、「国民の祝日に関する法律」の改正で「『国民の祝日』に挟まれた平日は休日になる」と定められた。その後、4月29日が「昭和の日」となったことで、いわば玉突き的に5月4日が「みどりの日」になった。こんな経過で昭和の日として今のところ落ち着いている感じですね。

バタバタとしたゴールデンウイーク初日・27日の事

★27日は、まず、朝8時から「町内の水利組合の水路清掃の日」でした、1週間前の日曜日に雨が降って延期したもの、それでも、20人弱の人たちが集いまして、田植えへ向けて、水路掃除、本当は、田んぼということでいいますと「パイプライン」になっていますから、実質的には町内・地域の清掃」というところです、そして、9時からは、河辺学区の一つの地域の「町内会運動会」で、他の県議・市議さんらと挨拶をさせてもらいまして、ラジオ体操などに参加し、また、帰って、水路掃除と事務所の周りの清掃・・・

市議復帰から1年の節目市政懇談会でした


★午後は、市議復活1年のふしめ集会」を行いまして、20人強の講演会の人たちが集まりまして、御茶お菓子の「持ち寄り懇談会」でした。一年間の市議会の有り様、5月臨時会、年4回の定例市議会、そして、常任委員会の開催の「日程」のような説明、私の委員会所属と、圏域議会(資源循環施設組合議会)についての報告などでした。4時前までワイワイガヤガヤ、幾つかの質問も出され、美作大学の公立化問題、2年後の市長選挙の動きなどに花が咲きました。もちろん、地域の問題、妙な2つの町内会」の問題など、あれやこれやでした。

★それが終わって、町内会として、街頭設置の話が前々からありまして、関係する役員の人と、現場の様子を見たり、しに申請のための写真などをとりまして、届け出用紙に添付する準備などでした。

 

4月27日(土)ゴールデンウイークへ

★今日からが、ゴールデンウイークですかね、29日までを「前半」と称して、5月1日のメーデーを挟んで、5月3日から5月6日の月曜日までを「後半戦」と称しているようです。長いスパンで考えますと、4月27日(土)~5月6日(月)マテですかね、まぁー、のんびりと暮らしたいものですが、この休みの間で、なんとか、「美作水平社創立100年記念史誌」の編纂作業に「けじめ」をつけたいものです。

大丈夫か否、が、2つの案件?

★一つは、上記の「記念史誌」の編纂です、なんとかしたいものです、これは、自分の努力が大きく作用する問題ですから、自らに「鞭打つ」ということになりますね。もう人は、さてさてです、自分では、どうすることもできない問題です。

★太陽光建設事業に関しての「疑惑解明問題」で、特に、ここ、3日か4日前から書いています、「近藤議員の裁判と3月議会の質問」に関する出来事です、思いもしない方向での展開です、いくら考えても、「近藤さんが訴えられている「損害賠償事件」と本会議で質問したこととが、結びつきません。もちろん、近藤さんが「3630万円の損害を出さなくてはいけない」(裁判で負ける)という事態を、なんとしても、頑張って館たなくてはいけないから、いろいろと自分のできる立場で、手を打つ、行動する、というのは「至極当然」のことだと思います、が、がです

★相手側が、本会議で質問した「◎◎さんに現金が流れているのはおかしいのではないか」との趣旨を質問したのに対して、「裁判での正式な「準備書面」で、◎◎さんは「もらっていない」という主張をする、ここが「わからないから、本当に、大丈夫なのか」という間持ちが残るわけです、…しっかりしてほしい、・・?、だれに‥‥双方ともに、、、、、

★しかも、準備書面では、「◎◎さんにお金が平成30年10月30日に30万円の支払いが記載されているのは事実だ」と認めているわけです。しかも、2度も◎◎さんの名前を実名で書いている「金銭出納帳」のコピーまで出しているわけです…それが、実は、名前を書き間違えた帳面なんですということです、こんな理屈が、本当に、成り立つのですかね、、、大丈夫なんでしょうね、、、しっかりとしてくださいよという愚痴なんです。

 

4月26日(金)美作水平社100年の記録は

70周年・1923年から100年まで、30年間の歴史を中心として「記念詩誌の編纂を」と意気込んでみたものの、日々の忙しさと、年とともに「気力がながつづきしない」という体力と能力の衰え、もあり、中々構想通りに事が進みません。

★昨日も午前中に、パソコンへの記事の打ち込み作業とか、写真や資料の整理などをしましたが、はかどりませんね‥それでなくても遅れている「編纂作業」です、とはいえ、パソコンへの打ち込みも、だれにでもできることではなくて、多少は、お互いの「頭の中にある構想・イメージ」などが、そのまま、文字にならないと「生きた史誌」にはならないと思っていますから、もっと検討が必要かなとの思い、早く編纂する、丁寧に編纂する、津山らしさの在る内容に史実でもって語り掛ける必要があるとは思います

目次

1.70周年記念式典の取り組み

2. 同和対策事業特別措置法の遍歴と地区の変化

3. -本音で語る-同和問題シンポジウムのとりくみ

4. 解放会館から社団法人「さくら会館」へ事務所の名称変更

5. さくら会館祭りの開催

6.2014年 国民運動学習会の開催 

7.津山市市民協働の対市交渉と美作地区内の町村協議会の自治体闘争

8.女性部の活動 

9. さくら介護センターの開設(夢発進と名付けた活動)

10. ヘルパー2級養成講座の開催

11. 「21世紀へ部落問題を持ち込まない」決意と各種の集会 地区内の動          き 

12. 自治体の統廃合

13. 地区協議会の廃止と全国・県の組織の関連 下部組織

こんな目次で編纂予定なんですが、内容は少し変化せざるを得ないかなというまとめになりました。

★以下の2つの市民集会、このスローガン、

1996(平成8)年11月   同和の終結をめざす市民集会
☆子どもたちや孫たちに「同和」という名のつく地域がある社会ではなく普通の社会を残してやりたい

この集会には1500人の市民が参加し、このスローガンを作り出しました。そして、解放同盟が一定の影響力を持つ中、行政ぐるみではありませんが、市民の側から、同和地区の側から、同和の終結を実践し、行政や教育をも動かし、ほぼ同和をなくしてきました

いつもでも同和・部落ではない、限りなく同和をゼロに
このスローガンは1998年(平成10年)7月でした。

そして、同和団体からの脱皮、特別助成金(補助金)からの脱皮をめざして産地直送運動・助け合い共済会に加えて、欠陥だらけの制度ですが、介護保険制度の導入にあわせて、介護センター開設などの新しい運動を展開しています。(私の夢発信講演の原稿です)

まさに、津山らしさ、津山の運動が作り出した運動の在り方を的確に表しています、この運動をどのように描くか、骨の折れるところですね。

昨日の「太陽光建設に関する近藤裁判の続き

どうも、段々と「物事がわかりにくくなります」ねが、裁判に提出された「第6準備書面」です。近藤さんが、市議会で、地元財産区の責任者◎さんにお金が流れたという出納長のコピーがあるが…と質問しましたら、議会とは関係なく、裁判で「第6準備書面」として、◎さんではなくて、🔳さんに渡したものだ、誤記である、と、主張して、領収書まで添付している、裁判所で取り寄せた書類です。

★従いまして、◎さんの問題は解決したかもしれませんが、🔳さんのほうは、個人がもらったのか、領収書は、個人の受け取りです、組織なのか、町内会なのかが問われます。私が関与する問題ではないと思いますが、

おかしなこと、ぐるみとは、このことだよと思いますが、およそ、訳が分からない典型です。

近藤さんは、谷口市長に質問したわけです、裁判とは全く関係していません、議会質問ですから、それが、議会質問と答弁の様子を議事録のようにして裁判所に提出し、◎ではなくて🔳へ渡したお金だから、◎は「無罪」という書類です、何なんだろう、何で、市長に質問した事柄が、裁判所に「正式なかいとう」として出てくるの、不思議というか、おかしいというか、真面ではないというか、「ぐる」なら「そうか」と言えますが、それにしても、裁判もおかしいし、市長と原告の関係、◎さんと🔳さんの事柄、後ろで動いているのだろう」という、謎の物語が、まだ、続きそうですね。グル、?、まさかね。

4月25日(木)美作水平社100年誌のまとめへ

★今朝もやや涼しさがありますが、暖かくというか、暑くなる予報が出ています、どうでしょうかね・・・・なかなかはかどらない「美作水平社創立100年記念史誌編纂」の作業ですが、それでも、最後の仕上げへ急がなくてはです、今日は、編纂の原稿の最後の整理です、2~3人の事務局が集まりまして、ほぼ出来上がっている「年表」に加えて、「主な出来事の解説記事」のまとめ作業です。これが終わりますと、印刷へ何とか出せると思っていますが、なかなかです。

70周年記念式典の取り組みからの記述になります。

1923年7月4日(日)に、文化センター・津山鶴山ホテルを中心として、美作水平社70周年記念事業が取り組まれています、個正に、部落解放運動の全盛期時代を物語るものかもしれませんね・・

百7

※上の写真は、文和センターにおける一部・記念式典の様子です、1200人の参加、3階まで満席だった記憶があります、住寄愛水さんが地区委員長でした。岡映さん、手塚亮さん、大林秀弥さん、そして、水杉一夫さんらを表彰・感謝状を渡しました、一人、一人に応じた違った言葉で感謝状を書いてもらい、渡したと思います。

こうした一つ一つの出来事に「解説と写真」を入れた記念史誌を編纂です、この記事がなかなか大変なことで、元々発刊予定を、大幅に「おくらせてさくせい」ということになってしまいまして、申し訳ないことだと思っています。

自らの手で「運動を閉じた」責任としての報告は・・

★100年の歴史を「今の時代に生きる者の責任として閉じた」わけです、それなりの理由、歴史の流れと世の変化、課題ごとの終点、経過があるわけです、津山市を中心として行ってきた、美作地域での「部落解放運動の歩み」です、「子供や孫たちに童話という特別の地域がある社会ではなくて、普通の社会を残してやりたい」そして「いつまでも同和・部落ではない」、特別措置のある時に「特別のことは何もしないのが最善策」と妙な「先進」となずけた事業、ー本音で語るー同和・人権問題シンポジウムとは何であったのか、津山からのレポート称して、各地で行ってきた運動は何を残したのか、・・・暗中模索の事態からの脱皮とはなんであったか、などなど、書き残しておかなくてはいけない課題は、山ほどあります、一定の資料もそろいましたが、見つからない資料もありますが、急いで編纂・印刷にかけなくてはです。

それは、それとして、今の津山の動きは、?

★過去を顧みて、今を知る、今何が起こっているのか、何が市政の上で問題なのかを、しっかりと見据えなくてはいけません、これも、大事なことです。

太陽光建設「疑惑」に関して、近藤さんの本会議質問その後物語・22日の裁判での課題

★この話前提が2つ ①近藤さんが太陽光建設に関することで損害賠償(3千6百30万円)訴訟を起こされている。                  ②3月議会で、太陽光疑惑で、建設している土地の「財産区」の地元責任者がお金をもらっているのはおかしいと指摘をした、という事柄です、これが前提です。

★子細は「別の機会で近藤さんに聞いてください」ですが、近藤裁判が24日にありました。その裁判へ、相手側・原告K氏が、「財産区の地元責任者(実名入れ)と書類には書いているが、それは、「別の人と間違えて書いた、誤記であり、本当は、別の人(実名が書いています)事務担当者が適当に名前を記載したものだ」という正式な準備書面が提出されました。

・令和四年(ワ)第31148号 損害賠償請求事件 原告 金田直己 被告 近藤吉一郎 第6準備書面 令和6年4月22日

という公式な「裁判書類」です。原告の主張は「田邑財産区の地元責任者ではなくて、他の人だ」「誤記だ」「事務担当が適当にきさいしたものだ」ということですから、近藤さんが本会議で指摘した、お金の流れは、「事実あった、しかしお金を渡したのは別の人だ」ということですから、地元責任者は「関係なくなった」ということです。
★では、「別の人」は、実名がありますから、近藤さんが「確認」しましたら、「無茶なこと、知らない、私までそんなことにまき添えにしないでほしい、裁判の書面の書き直し、削除を求める」と、ひどく立腹していたということのようです。この怒りは、本物のようで、腹からの怒りという感じでしたね・ということです。

これが、昨日の津山の現実の動きの一つです、?、です、頭の中を整理しないとよくことがわかりませんというお知らせ。後、市議会をめぐる動き、市長選挙をめぐる新しい動きなど耳に入ってきますが、1年と10か月後の選挙、まだまだ情勢は動くのではないでしょうかね・・・そんな感じが強くします。

4月24日(水)平和委員会・安保の日

★水曜日の朝、例によりまして、我が家のゴミ出しからです。小雨のというか、霧のような雨の中です、昨日は、朝小雨も少しありましたが、曇りの1日、夕方参時過ぎからは小雨そして、本格的なあめが夜まで続きました。そして、やや、寒さも感じる1日でしたが、今日の一日はどうでしょうかね・・・

4月28日は「安保の日」といわれています

岡山県安保廃棄実行委員会が(旧)安保条約発効の日4月28日に「安保宣伝」を行います。岸田首相がアメリカと一層の従属的軍事一体化を約束し、大軍拡と武器の共同開発などなりふり構わぬ戦争まっしぐらで任期中の憲法改悪をめざしていますが、これらの根源にあるのが「日米安保条約」という軍事同盟です。なぜ日本が中国と戦争しなければならないのか、日本人も中国人も互いに戦争したいと思っている人はごくごく少数にもかかわらず、対話もせずに戦争に突き進む政府にストップをかけないと、「抑止力」が「攻撃力」になったあとから後悔しても遅いのです。
基地問題も軍事費も核兵器も敵基地攻撃も自衛隊募集もそれぞれみんなで工夫をしてアピールしましょう。原発も地球温暖化も待ったなしの状態です。
でも安保を廃棄して憲法の輝く日本をつくろうと言わなければ、自民党が後退しても補完する安保推進の野党と一緒になって取り返しがつかなくなることが予想されます。
安保についてほとんど知らない人たちにどうアピールすればよいのか、実行委員会でなんども議論をして今回の宣伝を「やってみよう!」となったものです。みんなで盛大に盛り上げましょう。そして各地域・職場でもこれを参考にして学習や宣伝行動を計画していきましょう。6月23日何か行動を計画しましょう。  岡山県平和委員会 よりの案内です。

各 位
4月28日(日)は日米安全保障条約(旧)発効の日です。
以下の通り、宣伝行動を行うのでご協力ください。             日時   2024年4月28日(日)  11時00分~12時00分         場所   岡山駅西口2階 さんすて前

60年「安保の年」とも言われた時代に生きてきた私らの年代です、何かの行動を、6月23日も含めて起こしたいものですね。核兵器廃絶と世界平和のための行動をです…

津山市民平和祭実行委員会事務局について

1985(昭和60年)の9月に第1回津山市民平和祭りが開催されまして、39年目になります、祭りの回数は、37になるかな、8かもしれませんが、最初のうち「年に一回」が実施されなかかった時もありますが、されでも、年に一回の、8月6日と9日を中心とした、いわば、津山の平和行政です。写真は、昨年の様子で、木原実行委員長(被爆二世の会会長)と、美作原水協の代表・下野先生と私です。もう1枚は、市役所ロビーの様子です。

津山市民平和祭実行委員会の画像

原爆の悲惨さを訴えるパネル展、第34回「津山市民平和祭」山北の市役所ロビーにて

核兵器廃絶へ、平和の願いを込めまして、「平和センター」を中心とした市民団体と原水協・平和委員会を中心とした市民団体と2つの団体が、1年交代で「市民平和祭実行委員会」の事務局の役割をしまして、企画・運営などの責任団体となります。今年は、いわゆる「私たち=津山平和委員会代表・の当番都市」ということになります。近く、内部協議をしまして、正式な実行委員会の立ち上げということになります。

★私=末永が、津山市議会議長になったのが、1985(昭和60年)3月7日でした。それまで、いくつかの動きはありましたが、「平和都市宣言」の決議を行うことに成功しまして、それを記念として、私と、当時の市長、永礼市長と、被爆者の会会長の木原さん(現会長のお父さん・徳二さん)とで頭をひねりながら作り出した「平和行政」としての位置付けの催しです。

★今年も、暑い夏がまたやってきます、暑い夏は、平和です、原爆許すなです。

4月23日(火)1年前の「苦い苦い思い」の日

★昨夜から雨、今は、降っていませんが、降りそうな空、壱日どうかな…1年前の津山市議選挙・投開票の日です、2期8年の空白を置いて市議に挑戦、決意から1か月の準備「いくら何でも通るまい」「いい年をして何を考えているのか」など様々に言われながらも、それでも、「末永のような人間も市議会にはひつよう」という声に励まされて、やっとの思いで、「奇跡の当選」ができました‥‥それは、とても、うれしいし、良かったこと、「苦い苦い」ことではありませんがね実は、中身です。

今回から市議会議員は25人が定数でした。

23番目・当選 吉田 こうぞう 1,093 、2⁴番目・当選 松本 よしたか 1,053  ※25番目 当選 末永 弘之 1,030 日本共産党 ※26番目(次点) 美見 みち子 1,005 日本共産党   27番目村上 ゆうじ 999  無所属 西野 修平 951 無所と続いたわけです。

★1093票~1005票です・その差88票の中に4人おりまして、日本共産党が二人おります。結果論ですから、どうにもなりません、が、日本共産党が、今少し頑張って二人が当選していましたら、失礼ですが、別の人がということにはなりますが、2議席が取れていたということです、後、少し、美見さんだけが頑張っていたら、私が次点でおちるということです。。。まさに、苦い苦い経験、言葉では言えない人の心です、吉田さん、松本さんには大変失礼なことですが、例えの話です、お許しくださいね。。無念としか言えないにがい思いですということ・・

★あれから1年、長いようでも、アッという間に1年が過ぎたという感じでもありますが、この苦い苦い足をなんとしてもなくしたい、次回、3年後へ向けての奮闘です、党を大きくし、若くし、その運動と結びついて、3年後の候補者をです、公募ではありませんが、党に入って、市議への希望者、ぜひ、一報ください、の強い願いです。

★それでも、壱年前の万歳の風景の写真は、うれしさですよね・・

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地元の水利組合総会など、田植え準備

毎年この時期になりますと、田んぼへの水へ流れが良いようにと、パイプライン以外の水路(正解排水にもなっているところが多い)の掃除です、これは、農家組合で組織する「加茂川水利組合の根っこ、基礎とでも言いますか、地域の「水路組合」の仕事として、皆で掃除します、今年は、これらで五年「文書による総会」の身でしたが、集まる総会を先日しまして、事業報告と事業計画、決算、役員人事などの協議をしました。来年のいちがつには、加茂川改良区の理事の改選、私の地域からも一人、げんしょくが「やめる」と発表で、新しい人を探さなくてはです。

★そして、先日、雨で延期した水路の掃除」を今週の土曜日です、この日は、御世話になっている地域の町内運動会」もあり、ゆっくりとは出来ないか者日になりますが、忙しいのは、良いことと思って頑張らなくてはです。

4月22日(月)1年前・明日が市議選投票日

明日の4月23日は、1年前の市議選挙、投票・開票の日でした、皆さんのおかげて、何とか、びりけつでしたが「当選」という報を受けた時です、正式な人気は5月1日ということになりますが、一年間お世話になりました」のご挨拶です。5月の臨時議会、4回の定例会議ということで、1年が「ぐるっとまわった」ということです。

1年経過の市議会報告を予定します

★来週の土曜日、地元の日上事務所を皮切りにして、「議員に復帰して1年、末永弘之の市議会報告会、懇談会」を予定します、数人でも、御集り頂きましたら、参加します、是非、企画してくださいね、、、今、津山市はどうなっているのか、みれからどうするのか、色んな問題があります、皆さんの声をしっかり聴いて、施政へ、其の声を届けていきたいと思います、できる多気沢山の市議会報告会」組んでください、日程は、末永に相談の上決めていきます。よろしくお願いします。

★地元町内会のの内部、後援会の皆さんを中心としての「報告会」です、27日、午後1時半から、これは、町内会の内部に限ってという催しになります、ご理解ください。

20日(土)太陽光疑惑問題に関する3月議会報告会、近藤吉一郎議員の裁判に関する市民集会50人強が参加

★太陽光建設に係る疑惑を解明する市民の会が呼びかけまして、市民集会、約50人が参加し、充実したいい話し合いになりました。

4月3

★宮地代表の開会あいさつと、市長への公開質問状及び平成30年6月1日の市長行動の、連合町内会の会議に参加していたということに対しての市民の会」の調査活動の報告でした。

4月1

続いて、飯島事務局員からの「再現を中心としたけいかほうこく」が行われ、ここで、一度、質問時間をとりました。

4月2

★質問では、近藤さんに対して「財産区の地元責任者の巡航けむ印とはどんなことか」とか「何があったか子細を知らせてほしい」と問いかけられました。また、参加者から「リコールしかない」と厳しい意見が出されました。

4月7

★上の写真、近藤議員の挨拶と議会報告、下の二枚は、河本議員と私の議会報告の様子です。

4月4

4月5

 

この後、参加した市議会議員さんから、それぞれ今の津山の政治のあり方についての感想や対応などが話され、参加者との懇談、質疑、参加者の市政への願い、各議員への願いなどが多数出されまして、予定時間をワーバーしてしまい、最後、死会社が「時間オーバーの運営で申し訳ない…しかし、多くの声が聞けて良かった」などの声で閉会へでした。

4月20日(土)今日は太陽光建設に関する疑惑解明の市民集会

昨日は、黄砂も少なくて、朝から晴れていました、青空でした、黄砂もほぼ感じられない空で、すがすがしさもありました。今朝も、晴れ、気持ちよい食う気です。

県民局と鏡野町に、2つの「福祉施設」に関する「虐待・違法行為」などにつきまして、関係する元職員の人たちと、「津山周辺の福祉に関する問題を考える会」(代表・宮地昭範)らと話し合いでした。中々、虐待などの行為が「なくならない」「行政としての対応の在り方」などについての論議、元職員の人たちの「目で見た様子、体で感じた事柄」など中々理解しませんし、あいまいさが多すぎるという感じです。

午前11時からは、県民局への申し入れ

申し入れの冒頭の言葉を紹介しておきます。相手は、県知事 伊原木隆太様と鏡野町町長 山崎親男様の二人へです。

※苫田郡鏡野町にあります「特定非営利活動法人 稲の穂・クレヨン」(以下「稲の穂」と称す)及び株式会社ミツバファクトリー・あそび王国・田邑事業所(以下「あそび王国)(障がい児童福祉施設 / 児童発達支援・放課後等デイサービス・日中一時支援)の2つの施設における「利用者」への「不適切介護・虐待行為」などにつきまして、内部告発のような形で2年~3年前より、貴職に対して「改善策」を求めてきましたが、その後、改善の様子も見受けられません。従いまして、下記事項につきまして、申し入れます、早期の改善を求めるものです。

まず冒頭に、稲の穂とかあそび王国とか、利用する対象者など内容に違いがあり、関係する「法の違い」市町の条例もありますが、基本的に県と市町の責任、施設運営者の責任の持ち分野を明らかにしてください。

ということで、2つの施設における「不適切と思える施設の運営と介護の実態」を具体的に提示しての対応を求めました。下の写真は、宮地代表が都合で午前中は参加が出来なかったため、私が、県民局連行福祉課・統括副参事の隅田さんに申し入れを手渡ししました。

県民局申し入れ

今日は、午後1時30分から「太陽光に関する疑惑解明集会」です、ご参加ください

津山総合福祉会館の3階です、①近藤議員が「3630万円の損害賠償事件」として訴えられている裁判の支援というのが大きな課題、なんとしても勝たなくてはの思いです。そのためには、田邑の太陽光建設を巡ってインターネットに流された「疑惑」の真実性を求めて、真実を明らかにしていかなくてはです。

★谷口市長は、インターネット上の「疑惑」はすべて否定しています。そして、インターネットの記事を書いた会社を相手に「記事の修正・名誉棄損」など手訴訟を起こしました。原告として訴えた訳ですが、一審では「敗訴」しました、負けた訳ですが、上告はしないという、妙なことになったままです。このインターネット記事の疑惑問題で、一つの問題は、

平成30年6月1日(谷口市長が、宮地さんと戦って、勝って市長になった4か月後のこと)に、どんな行動をしたのかということです。市長は、高級接待には行ってない、その時は、連合町内会の会議と懇親会に参加していたという主張をしています。

★これについて「市民の会」としては、個々の連合町内会に訪問活動をしまして、ことの」有無」を対話して調査しています、その調査の報告もする予定ですし、市民の会で市長に「公開質問状」を提出していますが、その返事がまだ来ていません、申し入れの内容とか、問題なども説明する予定です、皆さんの、ご参加をよろしくお願いします。

4月19日(金)いろんな施設の「虐待」は?

ひどい黄砂の中、鳥取へ行ってきました

★昨日は、鳥取市へ、とても激しいというか、ひどい黄砂、山々の新緑見えずの景色の中、鳥取市へ…県と市で運営する「鳥取環境大学」の公立化への経過、課題などを勉強のために、鳥取市日本共産党市議団(3人)にいろいろと教えてもらいました。元々が、「公立で民営化の環境大学だったそうで、公立で運営するという課題は、特に「反対」とかのことは無かった、比較的自然に移行したということのようです。

★公立になっての公務負担」についても、元が公立でしたから、特に、増加するということは無く、公立化した後も、指揮官として市税を新たに追加する時代は起こっていません、須戸と、特別の「公立擦すな」という感じでした。

★公立になってからの運営費は、あくまで「くにの特別交付税の範疇で運営して、県と市が半分半分、市税をもちだす」ということは今のところないということでした。

中々かなと思ったのは、市が運営するということ、責任を持つということですね、生徒を集める、好評というか人気が出る運営と学習、研究などができるか、教授の配置がうまくいくのか…住まいは、などなど全部「市が責任をもてるか」ということが大変な課題だと思わされましたが…これからどうするか、検討の第一歩ということですね。

鳥取以外にも、私立から公立化した大学 

※2021年8月18日、山口県周南市の私立大学、徳山大学について、周南市議会の令和3年第6回臨時会において公立化に関する4議案が可決され、2022年4月1日に「周南公立大学」として開学することが事実上決まった。

※山陽小野田市立山口東京理科大学(山口県山陽小野田市/2016年度)

※叡啓大学(広島県広島市/2021年度)

等がデーターとしてはありますから、もう少し研究が必要かな。

  • 今後の公立化予定と検討状況
    ・旭川大学(北海道旭川市/2023年度予定)
    ・美作大学(岡山県津山市/検討中)
    ・東北公益文科大(山形県酒田市/検討中)

福祉施設の「虐待問題」は無くならないのかな

★ここ数年、議員に復活させてもらう前から、福祉施設・介護施設などの「虐待問題」が一つの問題として取り上げてきましたが、それがご縁で出来ました津山の福祉施設のあり方を考える会」を、この度、「津山市と周辺の福祉問題を考える住民の会」と、規約改正の案を検討しながら、周辺の施設の課題について、県民局と鏡野町に申し入れ」に行く日です。

★因縁とでもいうのでしょうか、勝手「障碍者施設・学園」での「虐待・高額物品販売」等で話し合ってきたときに、其の中心に座っていた人が、其の施設を「辞めて」今度は、じぶんで「施設」を作るというか、ご夫婦で創った施設、そこでの「虐待」等のうったえですから、何んとも言い難しということになりますね。