6月27日(火)私の所属常任委員会はお休み

★今朝も曇りです、昨日、総務文教委員会がありまして、与えられた議案は少数でしたが、結構時間のかかった論議で、みんな熱心に向かい合ったという感じでした。今日は、産業委員会と建設水道委員会の審査日ですから、総務関係と厚生関係はお休みというところです。

★昨日の委員会、総務関係と教育関係、双方に関係する議案は、令和5年度津山市一般会計補正予算(第二次)です、歳入の主なものは、新型コロナ運留守感染症対応地方創生臨時交付金、基金取り崩しなど11億円強の歳入、総務では、

基金の取り崩し策と多少の経過措置と残金について質問をしまして、教育関係では、2千200万円程度の「給食費の値上げ」を抑える手立てなどを聞きました。この「物価高騰に伴う学校給食費の支援策について」ですが、保護者の給食費の負担を軽減するために、「給食物資に係る費用の高騰分を市が負担するという仕組みです。給食費算定委員会(学校給食会専門委員会)に置いて検討して、すべての学校長とPTA会長で組織する「学校給食運営委員会」で決定された施策という説明でした。

一食20円の「値上げ」になるので、給食費に影響しないように食材を購入するところ(食育センター)を支援する

★麺とかパン、牛乳などが想定する価格から値上げされたもの、服飾費が平均6、73%の値上げで、給食費の一食に試算すると「20円の値上げ」になるために、2つの食育センター(戸島と草加部)に直接補助するというものですから、少し「分からない部分有」でしたから

末永⇒誰にお金が渡されるのか、どこが受け取るのか。と聞きましたら、上記のような説明で、「職員センターへ支援金をだす」ということでした。   末永⇒仕組みはわかりましたが、直接保護者の給食費を「下げる措置」の方が、市民にはわかりやすい、間接的な支援策では、明確に見えないと思う、わからない支援策でなくて、わかる支援産駒を一工夫してほしかった。。。

こんな意見を申しました、「予算・施策のあり方」に反対するものでもありませんから、賛成をしました。

先週の金曜・土曜・日曜と、結局は美作水平社創立100年記念事業の段取りで終われてしまいました

7月8日(土)まで、残り2週間足らず、23日(金)~見ましても2週間しかありませんでした、記念集会の参加者に配る「当日の日程案内のレジメ」の印刷だけでも決行時間が足らない感じ、原稿がすべてそろわないままですが、印刷に掛ける原稿はと、やっと作り上げまして昨日の朝、印刷に回しました、委員会の資料の調査とか、委員会質問の準備などとてもとても、という感じの委員会審査でした。明日は、総務文教委員会はお休み」ですから、水平社記念式典の準備に集中というところです。、

水平社運動の継承を今に生かして

     豊かなまち・人つくり津山ネットワークの決意

 ★私の責任分、原稿の出費っという任務です。

※津山市内における水平社運動を継承する私たちは、全解連津山市協議会を、2002年5月に発展的に解消して、「豊かなまち・人つくり津山ネットワーク」として、部落解放運動にさよならをめざして、新しい時代へ扉を開くとして再構築した運動団体です。

思い起こしますと、1978年から、「同和問題を自由に語る市民懇談会」を年に20団体と行ってきました。 当時の「運動方針」から抜粋してみますと、

【暗中模索の運動の中で「部落問題を自由に話す会」へ

1980年になる前後、暗中模索の運動の中で、「部落問題を自由に話す会」「討論会」を無数の団体に呼びかけて開きました。公民館単位で沢山の人たちに討論をしていただきました。企業や行政や教育界の人たちとも、民主団体とも・・・・・。

多い年は、年に30数団体と話し合いをしてきました。全解連に組織改組・発展し、国民融合の方針を説明し、「いい方針です」と言われて、得意になっていました・・・・、が、どこかが「腑に落ちない」部分がありました、どうしても、腹のそこから「スッキリ」としない、もやもやが続いていきました。まさに、暗中模索と名づけた時代そのものでした。」

  との記録があります。そして、市民の方から「一言話すと、必ずあなた方は、10分程度は、あれこれと解説説明される、これで自由にと言われても、緊張する、言葉はだせない」という言葉をなげかけられました・・

組織の側は「黙って聞く」という集会として、1981年7月13日に、第1回「本音で語る、同和問題シンポジウム」を開催しました。

その中で「あなたたちは、組織の名を使って、行政の決まりでも、無理難題を押し通そうとする、そんなことではいけないのでは・・・」とか「確認会は、拷問であり、自分たちの思うとおりに押し通してしまう…」こんな意見に直面し、「黙って聞く」ということの苦しさ、しんどさを味わいながら、それとは違った、何かを見つけられる、見た、という心の温かさを感じ取ったものです、 そして、閉会と同時に、参加者から「あんたらは、とてつもないことをしでかした、これで新しい何かが生まれると確信する、がんばって・・・」と握手までしてくれる人も出ました。

このことに気を良くして、津山市では31年間本音シンポを継続し、5回目からは、当時の美作地域5郡(真庭郡・苫田郡・久米郡・英田郡・勝田郡)一帯へと広げ、さらに、〇〇年1月の広島県加計町をはじめとして、徳島県阿南市、和歌山県南部町、滋賀県甲西町、野洲町をはじめとして、千葉県から長野・愛知・京都・大阪・兵庫・香川・高知・山口・福岡・大分へと「津山からのレポート・本音シンポジウムから学ぶもの」と題する報告会を無数に開催してきました。

それぞれの地域での特徴と思い出は語りつくせませんが、大阪府浪速の「解放会館」(当時・解同の拠点事務所)での開催は、開催したということだけでも特筆すべきことではないかと今でも思っています。

「本音シンポジウム」の経過の中で、1984年政府の諮問機関である「地域改善対策協議会」(磯村会長)が、6月19日に答申をだし「同和問題も自由に語れる土壌づくりが肝要」との方向を基本とする「啓発活動の在り方」とした。この指針について、津山市での「本音シンポジウム」の資料が、地対協に届けられたことも特筆しておきます。

磯村答申の要約→・・・前略・・・むしろ啓発推進の前提ともいうべき条件が欠けていると考えられ、これを早急に整備する必要がある。
(ア) まず第一には、同和問題についての自由な意見交換ができる環境づくりを行うことである。これまで、同和問題に対する疑問や不信感を持ちながらも、意見が意見として受け取られにくい状況及び本問題を避けて通ろうとする向きがあったことから、同和問題に対する批判のみならず自由な発言や積極的な提案が公にされることなく、潜在化する傾向が指摘できる。

このような自由な意見交換が困難なままでは、啓発効果は期待できないのである。と指摘されたことは感無量という感じでした。

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