★昨日の28日は、朝早くから私用で孫たちと京都へ日帰りの旅、孫の車に乗せてい、往復、運転はしませんが、京都の日帰りは、少々疲れますねです。今日は、やや、ゆっくりとしたい日です。ゴールデンウイーク前半というのかな、昭和の日で「前半が終わり」ということ、30日・5月1日がメーデーですか、普通の日、2日も普通の日です、そして、3日から、また、御休みが続きます。
★国民の祝日で、4月29日。 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨に制定された。 もとは昭和天皇誕生日で、昭和天皇崩御後は、植物に造詣(ぞうけい)の深かった天皇にちなみ、1989年(平成元年)より「みどりの日」となっていた。その流れをパソコンで検索してみますと、
ゴールデンウイークの飛び石を解消させる役割も
★4月29日は「昭和の日」。毎年の「ゴールデンウィーク」を構成している4つの祝日のトップバッターだ。この日は1927年(昭和2)年から国民の祝日だが、実は現在に至るまで、3回にわたり名前を変えてきた。
★「天長節」(1927年~1947年)
まず最初は「天長節」と呼ばれていた。「天長節」は、その世の「天皇の誕生日を祝う日」の意。老子の「天は長く地は久し」(天地が永久であるように天皇の治世も続くように)という言葉から付けられたとされる。日本では8世紀から、天長節を祝う慣習があった。国民の祝日となったのは明治時代から。以降、天皇が変わるごとに日付が変わり、昭和天皇の時代に4月29日に。
★「天皇誕生日」(1948年~1988年)
2番目の名前は「天皇誕生日」。戦後の1948(昭和23)年、「国民の祝日に関する法律」が制定され、昭和天皇の「天長節」だった4月29日は「天皇誕生日」と名前を変えた。
★「みどりの日」(1989~2006年)
3目の名前は「みどりの日」。1989年に昭和天皇が崩御。元号は「平成」となり、天皇誕生日は12月23日に変わった。しかし、4月29日はゴールデンウィークを構成する祝日の一つとして定着しており、平日に戻すことで国民の生活に影響が出るといった懸念から、名前を「みどりの日」と変えて祝日のままに。その趣旨は「自然にしたしむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」とされた。昭和天皇が植物に造詣が深く、自然をこよなく愛されたことが由来といわれている。
みどりの日との関係は?→4月29日の「みどりの日」はその後18年続いたが、2007年に新たに「昭和の日」と改名され、「みどりの日」は5月4日に移動することとなった。
5月4日はもともと平日だったが、3日の「憲法記念日」と5日の「こどもの日」に挟まれ、この3日間が飛び石連休になるため、「国民の祝日に関する法律」の改正で「『国民の祝日』に挟まれた平日は休日になる」と定められた。その後、4月29日が「昭和の日」となったことで、いわば玉突き的に5月4日が「みどりの日」になった。こんな経過で昭和の日として今のところ落ち着いている感じですね。
バタバタとしたゴールデンウイーク初日・27日の事
★27日は、まず、朝8時から「町内の水利組合の水路清掃の日」でした、1週間前の日曜日に雨が降って延期したもの、それでも、20人弱の人たちが集いまして、田植えへ向けて、水路掃除、本当は、田んぼということでいいますと「パイプライン」になっていますから、実質的には町内・地域の清掃」というところです、そして、9時からは、河辺学区の一つの地域の「町内会運動会」で、他の県議・市議さんらと挨拶をさせてもらいまして、ラジオ体操などに参加し、また、帰って、水路掃除と事務所の周りの清掃・・・
市議復帰から1年の節目市政懇談会でした
★午後は、市議復活1年のふしめ集会」を行いまして、20人強の講演会の人たちが集まりまして、御茶お菓子の「持ち寄り懇談会」でした。一年間の市議会の有り様、5月臨時会、年4回の定例市議会、そして、常任委員会の開催の「日程」のような説明、私の委員会所属と、圏域議会(資源循環施設組合議会)についての報告などでした。4時前までワイワイガヤガヤ、幾つかの質問も出され、美作大学の公立化問題、2年後の市長選挙の動きなどに花が咲きました。もちろん、地域の問題、妙な2つの町内会」の問題など、あれやこれやでした。
★それが終わって、町内会として、街頭設置の話が前々からありまして、関係する役員の人と、現場の様子を見たり、しに申請のための写真などをとりまして、届け出用紙に添付する準備などでした。