★今日は、文化の日で祭日休み、ふつうの場合3連休と言われますが、そんな職場ばっかりではない、土曜、日曜、さいじつが「忙しい職種」もあります。いわゆる「稼ぎの日」になっている人もあり、一概ではありませんが、なぜか、3連休と称しますね。
★昨日は、午後から、少しは、天気が回復して、やや、暖かい日差しでしたが、曇り空の多い日、晴れていても、小さい雨粒が落ちたり、まぁー、秋のてんきということでしょうかね、
★今朝は、冷たい空気の中ですが、東の空は晴れています。太陽が随分と南に移動したように見えます。本当は、地球の軸が回り、動くというのが正解なんですが、そんな天文学でなく、見た目、南によりました。今朝の、6時33分が日の出の瞬間かな…
★そして、だんだんと日が昇ります。依然尾は、小学校の上くらいで太陽が移りましたが、その景色では、太陽がうつせませんね、、
★
文化の日、文化とは ? の思いですね
★文化の日は、1946年11月3日に日本国憲法が公布されたことを記念して、1948年に国民の祝日として制定されました。日本国憲法が平和と文化を重視していることから、「文化の日」という祝日が生まれました。文化勲章とかを授与したり、厚労省をもらったり、いろいろな催し物がありますが、さて、改まって、「文化」とは何かを考えますと、?、というところではないでしょうか。
★この文化の日、戦前・戦中は呼び方が異なり、少し違った意味合いを持っていました。
戦前、天皇の誕生日は「天長節」と呼ばれていました。11月3日は、明治天皇の誕生日だったのです。天長節とは、中国春秋時代の思想家である老子の「天長地久(天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと)」という言葉を用い、唐の玄宗皇帝の誕生日をお祝いしたことに由来しているといわれます。
★大正時代に入ると、天長節は大正天皇の誕生日である8月31日に改められます。一方、明治天皇の誕生日である11月3日は、昭和2(1927)年に「明治節」として定められました。その背景には、明治天皇の威光を記念したいと請願運動が起こるほどの、国民の強い要望があったのです。
★日中戦争が勃発すると、日本政府は明治節奉祝実施要綱を毎年定めるようになり、明治節は国策に利用されます。さらに、昭和16(1941)年には文部省(現 文部科学省)が、祝祭日の礼法を礼法要項により制定し、「祝祭日には、国旗を掲げ、宮城を遥拝し、祝賀・敬粛の誠を表する」ことが求められました。また、明治節には学校において、天皇の写真を用いた儀式や国歌斉唱も行われました。
★戦後、上記で紹介のように、「平和と文化を基調とする憲法」にちなみ、昭和23年(1948)年、同日は「文化の日」として定められました。現在では、文化勲章の親授式をはじめとした、文化にまつわるさまざまな催しが実施されているということです。
★すごい歴史がありますが、今、真の意味の「文化とは何か」が問われているとおもえてしかたありませんね、、、高市総理、核兵器使用を口にするトランプに「平和ノーベル賞を」なんて叫び世の中ですから、おかしなことですよ。



































