月別アーカイブ: 8月 2012

低空飛行許すな、土蔵崩壊補償の早期解決を、31日には防衛省へ再度の要請

★31日には、県北連絡会議で「土蔵崩壊早期解決」                    をと、再度の申し入れ、そして、被害者の井口さんから                   「補償に関する追加資料」を提出しました。

損害補償の追加資料を渡す井口夫妻

低空飛行許すな、オスプレイ配備ゆるすな、土蔵崩壊問題                  の早期解決をと、再度の「申し入れ」を行なう葛原代表

★低空飛行反対・土蔵崩壊の早期解決をめざす県北                    連絡会議が呼びかける、低空飛行を斬る―安保と低                    空飛行、オスプレイと土蔵崩壊学習会が8月29日に                    行なわれました。その時の模様を写真報告します。

葛原連絡会議代表から開会の挨拶

吉村弁護士から「安保と低空飛行」と題して講演、日本が                  安保条約によって「アメリカいいなり」になっている法の実                  態と、日米協定といわれる「低空飛行訓練」の条約も、日                   本の領土に、日本の主権が無い実態を「法・協定の条文」                 などから学びました…

続いて、低空飛行解析せんたーの大野さんから、オスプレイ                の事故について、飛行機としての構造的な欠陥、国会論議で               の数値をつかっての「危険性・落下するスピード」などの話を                聞き、決して、運転ミスなどで、パイロットの責任で「事故が                起こっているわけではない」と学びました。紙の簡単な装置                 をつかっての「オスプレイの落下現象実証」は面白かったです…

最後は、土蔵崩壊の被害者・井口貞信さんから、事件以来、                約1年と6カ月、みなさんにお世話になってきたことと、米軍                 と防衛省の「誠意の無い対応」への怒り、無念さなどの報告                が有りました。

そして、私=末永の方から、防衛省との「補償交渉」に                    関係する動きを報告し、31日の午前11時30分に、防                   衛省・津山事務所に「申し入れ」と「損害補償に関する                   資料提示」を行なうこととしました。

そして、土蔵崩壊とは直接関係有りませんが、原発・中                      国電力も「再会への動き強まる」と言う情勢下、9月2日                  に行なわれる「松江集会」への参加、9日の岡山市での                  学習会参加、さらに、津山市内での「原発再会許すな」の                 一定の行動提起、などが話し合われ、安保と市民生活、                  日本の「潤い」とのギャップ、実態のみえにくい安保での                  支配、なども話し合われました。

8月24日に視察地・松本から帰ってきました

★長野県飯田市~岡谷市~松本市への視察、24日に                    終わりまして帰ってきました。松本は、休耕田・農地の荒                    廃復旧事業と自然エネルギーへの転化・小水力発電を学                   びました。朝は、涼しい風でしたが、日中は暑い日でした。

松本市は市議会棟が別棟になっていました。松本市議                   会の委員会部屋で、休耕田・荒田復旧対策などを勉強                   しましたが、その時にカメラ忘れまして、勉強を終えてか                   らの写真となります。

波田町(平成22年に松本市に合併→松本市波田支所)の                 玄関には、木質ペレットのストーブが置いていました。自然                 エネルギーへの転換、一つの現れでしょうか。

★波田地域から、約30分、松本駅前で昼食に「信州そば」                の老舗にはいりまして、おいしく食べました。そして、松本~                名古屋へ、特急「ワイドビーしなの」で帰り、後は、お決まりの               コース、新幹線~津山線、帰津が18時23分でした。

視察二日目23日は岡谷市でした

★信濃路というのでしょうか、諏訪路かな・・・諏訪湖のある街、              長野県岡谷市では、①子どもの居場所づくり事業                       ②子どもたちの育成と学ぶ力  の二つを研修しました。

向かって左から本城・久永・私=末永・藤田 岡谷市正面玄関です

★写真が逆行でわかりにくいですが、久永議員が代表して挨拶でした。

岡谷~松本まで、短い距離でしたが「特急・あずさ」で移動

★駅について、ホテルに入る前に、国宝・松本城(上)とか                 重要文化財旧開智学校(下)とか、蔵のある街→中町とお                 り・町並み保存地域などを見て回りました。

★有名な人が作った「あんどん」の前で・・・街づくりの蔵の一つ

8月22日~24日は党圏域議員団の視察

★日本共産党津山圏域地方議員団が、長野県飯田市、岡谷市、松本市へ視察です。飯田市は「太陽高熱と市民共同の取り組み」でした。都合で久永議員が「遅れて参加」となりましたが、美作市の本城議員、鏡野町の藤田議員と4人の勉強・視察・研究となりました。

名古屋から「高速バス」で飯田市へ、電車よりも「高速バスが早く着く」ということです。それにしましても、約二時間のバスの旅は中々のものでした。

写真は、市役所前で本城・私・藤田各議員です。

2012年8月17日~18日平和運動・女優 日色ともえさんとともに・・・

★第26回津山市民平和祭の行事

①8月1日~7日 平和のための戦争展パネル・戦争遺品展 市役所ロビー 

②8月11日 夏休み親子映画会「ガラスのうさぎ」 リージョンセンター 

③8月18日平和講演会 講師 女優・劇団民藝 日色ともえ 津山総合福祉会館 

④夏休み親子平和バスツアー 広島平和記念資料館 の四ッの取り組みの一つ、平和講演会の講師・日色ともえさんを津山に迎えまして、津山~鳥取・若桜へ、そして、津山へと、来年の「夏の平和行事」への段取りを含めての行動でした。その模様を写真としてお届けします。 

★ここまでの三枚は、鳥取医療生協の森山理事長お世話で、「わかさ診療所」に到着後、診療所の職員の方々、鳥取県の市民団体などの役員の方々、20数人に、日色さんの挨拶の様子の写真です。

ここまでの三枚は、守山理事長のお世話で集まってくれた、鳥取県の市民団体・民主団体の代表者10数人との懇談と言うか、話し合いでした。来年、2013年7月27日の「津山公演予定」の次の日に、鳥取での上演をお願いしました。

そして、また、津山に帰ってきました。鶴山ホテルにおいて、日色さんを迎えて、市民平和祭実行委員の有志や市民団体・さくら会館関係者など「夕食懇談会」でした。

★私=末永が司会役ではじまりました。

★木原被爆二世の会会長(津山市民平和祭実行委員長)挨拶

★劇団民藝・女優 日色ともえ さんが訴え

「夏の会」岡山支部の松原さんの挨拶

森元津山文化財団常務の挨拶

葛原智 美作原水協事務局長 乾杯の音頭どり

20人の参加者全員の自己紹介、ビールにお酒、おいしい料理にしたつづみ、懇親が深まりました、特別参加の感じで、弁護士の吉村さんが「東京大空襲裁判」の記録などを紹介でした。偶然かどうか、平和祭の平和講演会 講師は 日色ともえさん、講演題目は「あの時、生きのびた私は―東京大空襲」でした。そして、最後は、皆で写真

★ここまでが、17日の日色ともえ との1日でした。18日(土)午後2時からの「平和講演会」の心の準備、役員さんらの準備などで、9時半ころにはお開きでした。

2012年8月16日午後2時 平和講演会 あの時、生きのびた私―東京大空襲 講師が日色ともえ でした。120人~130人程度参加だったのでしょうか

★津山市民平和祭実行委員会事務局担当 田中さんの司会で開会

★上と下二枚は、木原賢一実行委員長(被爆二世の会)挨拶

日色さんは講演が終わって、すぐ、東京へ帰られました…明日も仕事で、ゆっくり出来ないと言うことでしたが、良い話でした、お父さんが東京新聞社の記者さん・・・・終戦前に「先を読んだ」お父さんの計らいで、お母さんや姉妹で、お父さんの故郷へ疎開して暮らしたそうです、そして、東京大空襲、昭和20年3月11日でしたか、住んでいた家が空襲に・・・叔母さんや8か月の赤ちゃんを身ごもったまま亡くなった伯母さんの体験・・・日色さんが、なぜ、平和か、広島・長崎か・・が分かりました。

★来年の7月27日(土)津山文化センターを予約しました…女優たちの原爆朗読劇

2012年8月10日と言う日は

立秋が8日でした、8月1日~12日まで衆議院選挙                      岡山3区政策責任者の古松国昭さんのキャラバンで                       したが、10日は、津山での最後の訴えの日。そして、                     金曜日は「しんぶん赤旗日曜版」の配達の日、さくら                      介護・津山ネットなど給与の日が10日です、そして、                      午後は、土蔵崩壊に関する防衛省中国四国防衛局                       との話し合い、夜は、低空飛行反対・土蔵崩壊の早                        期解決を求める県北連絡会議の役員会でした。キャ                       ラバンと防衛所との話し合いの場面を写真に収めまし                     た。ブログで紹介です。

★午前8じから津山駅前での訴えからでした。

津山駅前から末永区で数カ所うったえ、久永区へバトンタッチでした。

★昨年の3月2日米軍機2機が津山上空を低空飛行、                   土蔵が崩壊、母屋も歪みがきました、そして、津山市                    内の中学・小学・幼稚園・保育園のこどもたちが、爆                     音でパニックに、何人もの市民が「戦争前夜か」「何                     事か」と脅威、頭の真上を飛んだ、、、怖かった、と証                    言でした。この責任を求めて1年以上「申し入れ活動」                    を行ない、今年の5月に「損害補償請求」をしました。                    この件についての話し合いを、10日の午後から、防衛                   省津山出張事務所で行ないました。

津山の上空を飛んだのと同じ機種・色んなことは、                      私のHPhttp://www7.ocn.ne.jp/~suenaga/からご覧くださいね。

この日は、たまたまレジカメを「買い替え」しまして、すこし、                 写りの良いものになり、何かを写すか…など思っておりまし                て、キャラバンと防衛省との話しがあり、ブログへ挿入とな                 りました、悪しからずした。