2012年8月17日~18日平和運動・女優 日色ともえさんとともに・・・

★第26回津山市民平和祭の行事

①8月1日~7日 平和のための戦争展パネル・戦争遺品展 市役所ロビー 

②8月11日 夏休み親子映画会「ガラスのうさぎ」 リージョンセンター 

③8月18日平和講演会 講師 女優・劇団民藝 日色ともえ 津山総合福祉会館 

④夏休み親子平和バスツアー 広島平和記念資料館 の四ッの取り組みの一つ、平和講演会の講師・日色ともえさんを津山に迎えまして、津山~鳥取・若桜へ、そして、津山へと、来年の「夏の平和行事」への段取りを含めての行動でした。その模様を写真としてお届けします。 

★ここまでの三枚は、鳥取医療生協の森山理事長お世話で、「わかさ診療所」に到着後、診療所の職員の方々、鳥取県の市民団体などの役員の方々、20数人に、日色さんの挨拶の様子の写真です。

ここまでの三枚は、守山理事長のお世話で集まってくれた、鳥取県の市民団体・民主団体の代表者10数人との懇談と言うか、話し合いでした。来年、2013年7月27日の「津山公演予定」の次の日に、鳥取での上演をお願いしました。

そして、また、津山に帰ってきました。鶴山ホテルにおいて、日色さんを迎えて、市民平和祭実行委員の有志や市民団体・さくら会館関係者など「夕食懇談会」でした。

★私=末永が司会役ではじまりました。

★木原被爆二世の会会長(津山市民平和祭実行委員長)挨拶

★劇団民藝・女優 日色ともえ さんが訴え

「夏の会」岡山支部の松原さんの挨拶

森元津山文化財団常務の挨拶

葛原智 美作原水協事務局長 乾杯の音頭どり

20人の参加者全員の自己紹介、ビールにお酒、おいしい料理にしたつづみ、懇親が深まりました、特別参加の感じで、弁護士の吉村さんが「東京大空襲裁判」の記録などを紹介でした。偶然かどうか、平和祭の平和講演会 講師は 日色ともえさん、講演題目は「あの時、生きのびた私は―東京大空襲」でした。そして、最後は、皆で写真

★ここまでが、17日の日色ともえ との1日でした。18日(土)午後2時からの「平和講演会」の心の準備、役員さんらの準備などで、9時半ころにはお開きでした。

2012年8月16日午後2時 平和講演会 あの時、生きのびた私―東京大空襲 講師が日色ともえ でした。120人~130人程度参加だったのでしょうか

★津山市民平和祭実行委員会事務局担当 田中さんの司会で開会

★上と下二枚は、木原賢一実行委員長(被爆二世の会)挨拶

日色さんは講演が終わって、すぐ、東京へ帰られました…明日も仕事で、ゆっくり出来ないと言うことでしたが、良い話でした、お父さんが東京新聞社の記者さん・・・・終戦前に「先を読んだ」お父さんの計らいで、お母さんや姉妹で、お父さんの故郷へ疎開して暮らしたそうです、そして、東京大空襲、昭和20年3月11日でしたか、住んでいた家が空襲に・・・叔母さんや8か月の赤ちゃんを身ごもったまま亡くなった伯母さんの体験・・・日色さんが、なぜ、平和か、広島・長崎か・・が分かりました。

★来年の7月27日(土)津山文化センターを予約しました…女優たちの原爆朗読劇

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