2月13日(水)歴史の「記念」とは、?、

★時の流れ、1カ月とか、半年とか、1年と言う刻みではなくて、20年、30年、50年、100年となりますと、その瞬間に「その座にあるもの」が、過去の流れ、動き、課題を、それなりに、その瞬間の人達に「歴史を伝える」「成り立ちをしってもらう」と言うことに力を注いで、自らが「研修する」「学習する」と言うか「過去を知る・学ぶ」必要があるのではないでしょうか。例えば、歴代の市長の名前や、それぞれの「政治の特徴」などを検証する、とか、その時、市議会はどう動いたかを調査するとか・・・。。歴史の価値観、・・・・ましてや、その地域全体を代表するとすれば、その地域の「出来事を学べる機会」を与えなくては・・・・学んでもらわなくては…くらいの心構えが欲しいものですね、・・・・それが、今に生きるというか、その時に生きているものの「役割」の一つではないでしょうか・・・・・・違うかな…

○何のために、歴史の「節目」に、記念式典をするのか、、、?、単に、過去を懐かしむだけでもなく、今の時代を生きている人の「宣伝」のためでもなく、「未来への思考」だけでもなく、、、いろんなことが「複合された目的」があるはずです、運動誌の中で、その時、今を生きる人たちの責任と言う立場が、過去を検証し、教訓を引き出し、学び、今に生かして、そして、未来へつなぐ…当事者が、そんなことを考えるだけでも、重み、価値観が多少でも変化するのではないでしょうかね。。やはり、年寄的な思考ですかね・・・・で、失礼が多いのかな…

★私らが行った、水平社創立60周年、戦後30周年の「つやまのあゆみ」の式典では、(もう、古い話ですが…1986年(昭和  年))、それでも、戦前の美作水平社の創立・津山(美作)水平社の創立冬至の世の中の動きや、創立に携わった人たち、創立の場所、話し合われた内容などを、いろんな地域に出かけたり、建立図書館で市資料を調べたり、当時の「特高の資料」をコヒーして学んだりして、寸劇のようにして「式典に参加して下さった人たち」に見てもらい、…とても、喜んでもらったのが記憶にもどります・・・当然、運動の大先輩たちを「感謝状」を贈ってたたえましたが、表彰する人を「見てもらうのが目的か」と思わされるような「演出」はなかったと思います…やはり、「挨拶・式辞」だけではなく、どちらかと言うと、寸劇が印象に残る「演出」だったと、今でも自負しますが。。

★いろんなことがありましたが、こんな「歴史の記念式」も行ったことがあります、「部落解放運動を歴史に綴じた(閉じる、ではありませんでした・・)式典を、みてみてください・・・部落解放を歴史に綴じて – 。こんなことができた時代があったんですね、古き、懐かしいときの刻みですかね、、、

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