2月24日(水)3月議会開会日ですが、

★今朝もよく晴れた朝の空です、太陽さんもかがやいていますね・・・一日おだやかな日とおもいますが・・・

★どう表現すべきか、難しいところ、2期8年市長職を務めた、谷口圭三さんが、今日で市長を辞めます。彼の祖父が市議を務め、副議長も務めていた時、私とのトラブルがありました。

★それは、もう50年前のお話で最初の全員協議会の席、「末長君、若いわけだから、・・・」という言葉かけ、それに対して、「若いからどうしたの言うのでしょうか、議会は、若い、古井は、経験などと併せて実態はありますが、基本的には、その時、その時に、議員に当選したら、年とか、年期とかは関係なく、見な平等、おんなじ議員とおもっていますから」という趣旨の2、生意気盛りの言葉でのやりとり・・・

★細かいことは忘れましたね…そして、何よりも「忘れられない思い出の日」です、私の3期目のセンナ虚と思います、2期目かも、昭和54年、1970年の4月、谷口家の下の4つ筋の処で「街頭演説」(枠この場所を使って演説していた)していましたら、強さんが出てきまして、マイク持ってくれ、「◎〇の諸君、この末永をよろしく頼む、いれてやってほしい」という意味の言葉を話してくれた、驚きましたですね…

これって、嘘のような、本当の物語、、、本人も、覚えているのかもしれませんが、私は鮮明な記憶が浮かびます

★そんなことがあるのかでした、さらに、面白いのは、そこに、「ちっちゃいこども」さんが学校から帰ってきまして、私と握手しまして、頑張れでした。強さんが「圭三おかえり」といいましたね、、この子供が、のちの谷口しちょうなんですね、、不思議な縁です。

★そして、それから10数年、彼が市議会議員として登場してくるという事になりますね。同和対策特別委員会の委員長と副委員長にもなりました、その時に、「特別措置法があるときに、特別対策をなくするのが涵養、先進行政だ」と歌い上げた、津山の同和対策事業の在りかたでした。いい、思い出ですね、、懐かしい限りというところ。

その後、県議になられて、そして、市長で津山の議場に帰ってきてという経過ですね、県議になってからは、多少、お付き合いが切れたのかもしれませんね。これからどうされ芽のかは、聞いていませんが、また、ゆっくりとみられる時もあるかもです。お疲れさまでしたは、いえないかなとはおもっています。

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