月別アーカイブ: 7月 2011

6月議会が終わりました

報酬引き下げなど特別委員会で話し合いへ

★昨日、やっと6月議会が終わりました。私たちが求めていた「議員法報酬の引き下げ」については、結果として「市議会活性調査特別委員会」を設置して、その中で、報酬や議員定数、質問のあり方、議会活動全体の透明性など、色んな事を検討するということで、特別委員会が設置されました。妙に、議会がギクシャクしている感じで、正副委員長の互選で30分もかかりました。これからが思いやられます…

しかし、特別委員会で審査すべき内容は「盛りだくさん」というところですが、せめて、報酬の「引き下げ」は早期に実施へと踏み出したいものです…

全国議長会から「議員歴40年」の特別表彰でした

★本会議に先立ってひらかれました、全員協議会で、こんどは、全国議長会から「議員生活40年の特別表彰」の伝達がありまして、西野議長から「代読」と言う形で紹介をしていただき、表彰状と議員バッチ(紫の玉)を記念品として頂きました。党と後援会、地元の支援者のみなさん、ありがとうございます、皆さんの力で40年、色んなことがあった、と言うか、ありすぎた感がしますが、皆さんのおかげです、これからもよろしくお願いします。

岩手県宮古地域からのお礼のハガキ

★「住民の会」会長井上雅之さんが、トマト園の経営者です、私たちの呼びかけに応えて、トマトを沢山、岩手県宮古地域へ送って頂きました、3~4回ぐらいに分けて送って頂いたと記憶していますが、その内の一つ、田野畑村から、丁寧なお礼状がとと゜きました、被災地の実体と喜びが伝わってくる内容です、井上さんは「うれし涙で読んだ」と感激していました・・井上さんの話と、このハガキの文面で、私も、もらい泣きですね…145戸の仮設住宅に暮らす被災者の皆さん、これから暑くなります、身体に気をつけて下さい、一つでも、お役に立ててとってもうれしい限りです、やはり、相手が見える支援先と言うのは、価値観が何となく違うという感じが強くします…

次の支援物資の送りは7月12日午後からです

支援金も支援物資も、中々届かない、赤十字の金庫や倉庫に「眠ったまま」では、率直にいいまして、支援の心が「鈍る」というものです、日本共産党が組織の特徴を生かして「支援の方法」を具体的に、地域と支援場所・避難所・仮設住宅と「明確に定めて」の支援のとりくみです、津山市後援会として、次は、12日(火)の午後から、末永事務所で荷づくりです、宮古地域、宮古市・山田町・田野畑村の3か所に送ります。

〇お米、日持ちのする野菜、保存食・・・そして、夏の上着と下着、石鹸やタオル

〇缶詰・インスタント食品に「靴」、「新鮮な野菜」は、新しい物を購入して送ります、支援物資購入の資金カンパも是非ご協力ださい・・・

そして、12日午後1時半~の荷づくり、お手伝いください…岩手県宮古市党地区委員会からは「市内で被害の大きかった津軽石地区(保育所付近)で第3回目のフリーマーケットを実施予定です。梅雨時ですので、雨が降らないことを祈るのみです。衣類、食器、タオル等会場のどこに、何が置いてあるのか、被災者が簡単にわかるよう、準備と案内にも改善を図ると同時に、要望にそい、日曜日、夕方5時から実施します。」

とのメールが入っています。先日送った「沢山の食器類・靴・下着」などがフリーマーケットに並べられるとおもいます・・・。

松本復興大臣が9日で辞任か…

福岡の部落解放同盟、北九州の現業労働組合、部落解放運動の「青年部の分裂」という悲劇、豊岡集会・・・色んな事を思い出します・・何やってるんのか国会は、官さんは・・・こんなことでどうなるのかです・・・

今日が6月議会最終日です

★議員報酬の引き下げを7月から実施したら、10%でもやったら、と、日本共産党議員団として意見を述べましたが、だれも、ついてきません、①報酬だけではない、定数とか、議会活性化とか、政務調査費も…など合わせて…の意見が多数でした。色々とありましたが、結果として、私も含めて、「明日、議案会として『市議会の活性化等検討調査特別委員会」(仮称の仮称、正式な仮称でもない)を作って検討しよう・・・」と言う結論でした。明日とは、今日と言う意味ですが・・・昨日の論議からみますと、明日なんです…

議員報酬→安ければ良い、と言うものではない、若い人でも「生活が保たれる」という額は必要である→他に収入のある人は、それを基本支給額から「差し引く」というのは・・?

年金をもらっているひとは、報酬から「年金を引いた額をうけとる」とか「年金で無くて、会社経営ややくいん、会社勤め人」の場合は、報酬・給与についこそ考慮する、という方が正しいのではないか、年金だけを収入とみるのはおかしい」という意見・・・そして、「若い人が議員となっても、生活が維持できるようにしないと、おかしいことになる、年金が無くなり、市議会議員を辞めたら、すぐ、生活保護家庭にならなくては食べていけない、と言う悲劇に陥るのではないか…」と言う意味の、極めて辛辣な意見も出されました。議員とはいえ、わかいひとは、子どもを高等学校から大学へいかせてやりたい、人波のことはしてやりたい・・・との親子心をもつのはあたりまえ、せめて、こうした「親としての子育ての気持ち」がいかされる報酬額は必要だとおもいます。

議員は贅沢をしているのか・・・?、質は大いに向上をです

確かに、議員年金が無くなり、退職金は初めからゼロで、委員会に参加する「日弁」ももらったことがない津山市議会、基本報酬以外に何にも収入がありません、こんな実体の中で、「報酬はやすければ、やすいほどよい」とか「定数も少なくすべし」とか、では、本来の議会の「役割」がたもたれないし、なによりも、一定の「収入」「他の年金」もらっているひとが、「暇にまかせて議会活動をする」という感じては、いかがなものか…議員は贅沢をしている、と、思われる人が多いとはおもいますが、そんなものではないと、私も思います。

議案提案権がほしい出来事でしたが・・

しかし、今の時機、私たちは、敢えて、色んなところから、色んなことを言われる、善し悪しは別として「国も人件費カット、地方公務員もカットの指針を出そうか…」なども言われる中です、他からあれこれと言われる前に、「議会が率先して報酬カットをすべし」という提案なんですが、いかんせん、二人では「議案提案権」がありません、だれもが、賛成した道は、今日の本会議で、「議会活性化調査特別委員会」を作って検討していくという道でした、朝、一番に、もう一度「会派代表者」があつまって、議案会の提出準備です…我が党議員団の力不足(三議席確保ならずのです・・・)を「しみじみ」と感じる朝の雑感です。

今日は、本会議最終日への課題整理です

昨日は第47回岡山県母親大会が津山で開かれました

―第45回―岡山県母親大会 見学分科会  日本原基地&米軍低空飛行  

 2011年3月2日午後、米軍のF/A-18ホーネット戦闘攻撃機とみられる機体が津山市上空を飛び、爆音直後に、同市上田邑の井口貞信さん宅の土蔵が全壊し、母屋に「歪み」が生じ、周辺の人々に「すさまじい爆音」で「戦争が起こったかと思わされた」などの被害を起こした現地への「見学分科会」の説明員でした。写真は、久しぶりに井口さん宅を訪問し、井口さんの話をきいている、「分科会参加者」(約30人弱)の皆さんです。小雨も時折降って、井口さん宅前では、雨は降っていない時でした。「見学」という呼称がどうかな、との思いと、もう少し「時間」を取って、目撃者~の聞き取り等が必要ではないのかな・・・と思わされました。10に福祉会館出発し、11時には日本原基地へ引き継ぐ、そして、12時30分には、再び福祉会館へ帰宅・・・・と言うのでは、どちらも「中途半端」では・・・

★明日が議会最終日・議員報酬引き下げの行方は・・・議会活性化は・・

6月議会が、明日、5日最終日です、何回書きましたが、提案されている議案は「少ない」です、そして、最終日に追加提案されるのは「人権擁護委員の推薦」「固定資産評価委員」の人事案件二つですから、大きな論議にはなりません。それよりも、議会初日から、私たちが提案しています「議員の報酬引き下げ」についての議員協議、結論が大いに注目されますし、これだけは「整理」をして最終日をむかえなくてはです・・・。

今日、10時から「会派代表者会議」で論議です

その為に、今日は「会派代表者会議」です。報酬の引き下げについて、まず、会派間の調整ですが、「報酬問題だけではない」との意見が多いと言う感じですが、報酬は、報酬削減と言うことで率をきめてしまえば、それで良いと思っています、県議会が1割カット、ですから、ひとつの「目安」にはなるのでしょうか・・・・?です、3割カットを主張している議員もおられますから・・・どう落ち着くのでしょうか。

もう一つは、党議員団は、と、言うよりは、前議会の「議会役員づくりの取り決め座長」としてというのが、本来かもしれませんが…今回の「改選による役職づくり」について、新人議員さんからだされた「議長経験は三期でもよいのでは、とか、新人議員の意見の言う機会とは何か、などを「話し合って役職づくりの一層の具体化」が必要とのべています、これも、話し合いの課題です。

政務調査費は、会派「担当者会議」の論議かな

その他、質問の「ありかた」として対面方式、一問一答方式、議会全体の「活性化」などを取り上げて整理して行く、との議長室の意向のようです。先日、政務調査費担当者会議がありましたが、その中で「個人の政務調査費」のみとして「会派の調査費」は無くする、その際に「全体では金額を下げる」という提案もしていますが、これは、担当者会議での結論になるのかなです。会派代表者会議でどんな結論がだされるか、西野・吉田の正副議長が、どう、英断して行くのか・・・明日の本会議最終日へ、課題が残されていくのでしょうか…

市議会報告「ごきげんいかが1080号」のご案内

末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」1080号は、6月30日に発刊で、すでに「赤旗読者」を通じて配布してもらっていますが、昨日から、古いホームページの「ごきげんいかが」の画面に挿入しました、できましたら、ここからご覧くださいね

岩手県宮古地域へ「支援物資」を・・・

朝いちばんは、新聞配達です

2~3日雷、夕立、土砂降り、小雨もふくめて、雨模様が影響したのでしょうか、今朝は、やや涼しい朝です。そらは、晴れ間が見え、暑くなるのかもしれません・・・金曜日と土曜日は、しんぶん「赤旗・日曜版」の配達がくわわりますから、自転車の配布は無理、車をつかっての配達です、少しだけ、日が短くなってきたのでしょうか、という自然界の動きを実感します。

支援ボランティアからの報告あり

★上記の写真は6月30日午後5時過ぎ、はげしい雨と雷の中、岩手県宮古地域へ「災害ボランティア」として、日本共産党美作・東備地区委員会から4人の人が出かけました。あいにくの「豪雨」となり、車への支援物資の「詰め込み」には苦労しました、また、車への荷入れ状態をふくめて、地区委員長以下、手伝いをした皆で「写真を1枚」と思いましたが、残念、この写真しか写せませんでした。地区の事務所に「無事到着」した、とか、支援物資である「自転車を早速、現地の人が、仮設住宅の奥さんにとどけた、とても、喜ばれた」などの報告が入ったようです・・・

支援物資も全部運べませんでしたから・・昨日宅急便で送りました

津山市内だけでなく、真庭市、美咲町、美作市、鏡野町や東備地区と言われる、和気や備前市、などなどから、沢山の「物資」が寄せられまして、30日には全部車に乗りませんでした。やむを得ない措置として、昨日、7月1日(金)に、残された「物資」は、全部、荷づくりにしまして宅急便で送りました。

夕立、雨がふるかな、と言う雲行き、小雨はありましたが、一昨日のような「雷と土砂降りの雨」はなんとか避けられました。党の事務所の中で、岩手県宮古地域の「三つの事務所」への荷づくりでした、多くの党後援会と党員のかたからの「支援物資」でしたから、荷づくりも大変でした…ただ、物資の中には「相手の人に失礼ではないか…」と思わせる物資も「混ざって」おりまして、いくらなんでも、これは、送れまい…と「整理さぜるをえない」ものも少しですがありました・・・・折角の善意ですから、全てを送るべきなんですが、・・・どうも、今いち・・・という物資ありで「悩み」ですね。

次回は7月12日(火)午後1時から「末永事務所」で荷づくり

支援物資を次回は、7月12日に送る予定です、岩手県宮古地域の「三自治体」です。お米、日持ちのする野菜、石鹸やシャンプーを中心に生活用品、夏の下着、くつしたなどを送りたいと思います。現地から喜ばれるといわれる「靴」は、新しいものを「量販店」に協力頂き、すこし流行遅れ品になるかもしれませんが、格安で購入して送ります、「支援物資購入資金カンパ」をお願いします。そして、荷づくりお手伝いくださいね…よろしくお願いをします。

おかしな話があるもんですよ

★写真は、6月議会の一般質問の時ですが、津山駅周辺に「賑わいをとりもどす施策のあり方」も質問をしました。その内容は、①国道53号の改良について、②駅構内の送迎時の交通渋滞の解消と高速道バス停のあり方、③扇形機関車庫の観光資源と駅の南北をむすぶ自由通路の問題、④駅のトイレの美化について、⑤賑わいを取り戻すために「夕方市の開催を・・・・などを取り上げました。HPの画面はここから見て下さい。それなりに真面目に「津山駅前問題も・・」質問しました、そして、宮地市長も、西野議長も「熱心に耳を傾けてくれています」、当局も、何となくですが、少しでも「前にむいてみるか・・」という機運が見え隠れし始めたとぎです…

★突然、杉山義和氏が「妙なビラ」を撒きました →これが、「おかしな話」のタイトルでしたが、下の書き込み、も、偶然「おかしな話」のひとつになりました

―実は、ここから下、上もですが、かなりの量を一度書き込んで、「下書き保存」をしていましたが、変な編集になっていたので「修正」をしていましたら、全部文字が消えてしまいました・・・・何と言うことでしょうか・・・・画面を消して、再び「下書き保存」を取りだしてみましたら、完全に削除された画面でした・・・・無くなった文字を「削除」も「ゴミ箱へ移動」もしたものではありませんし、無くなったものを「下書き保存」した訳でもありません・・・どうしても「なじめない、ブログ」です、だれか、助けてくれませんか・・・たしかに、どこかの使い方を間違ったのでしょうが、古い文字を書き間違えて、保存も登録も下書きもしないのに、無くなってしまう…嫌になりますね…―
さて、問題の記事ですが、二度と書くことは「難しい」ですね…困りました

―津山駅周辺の「公共下水道工事」に反対するものではありません―

〇杉山氏の「ビラ」によりますと、市議会議員の末永弘之らは「公共下水道南部地域(伏見町)中継ポンプ場設置に反対しているから・・津山駅前開発をする気がない、選挙の票がほしかっただけだ、駅前会議から排除しよう」との旨で、全く、事実を「歪曲」したものになっています。

〇杉山氏の認識の、重大な「間違い」は、今後、国道53号が「改良」されることになっても、津山駅前や周辺地域の開発行為は、公共下水道工事とは、直接の「リンク・影響」はありませんが、あたかも、下水道工事が出来ないと、駅周辺の「賑わいをとりもどす施策」が出来ない、国道53号等の改良が出来ないとしている所です。

下水道工事と津山駅周辺の開発は、元々関係が無い、別々の事業です

公共下水道工事が、津山駅前、その周辺に実施されるとしましたら、現在の国道53号の地下に「トンネル堀方式」で埋めます。国道53号が、『改良』か、あるいは、別のルートで『新設』されるとしても、現在の国道は、旧道として残りますから、公共下水道と津山駅前開発、賑わいをとりもどす施策とは、別々のもの、直接関係が無いものです、これを、「関係がある」としている点が、大きな間違い、認識違いです。しかし、駅周辺の皆さんの「生活ライフとしてトイレを水洗化したい」との要望を満たす、近代都市化になっていく・・・と、言う意味の「都市像のありかた」と言う点では、大いに関連はあります。

もう一つの、杉山氏の大きな間違いは・・・

〇もう一つの、杉山氏の認識の大きな間違いは、公共下水道工事や中継ポンプ場設置に、末永らがが「反対している」という描き方をしている点です。各議員は、市民生活の向上のために「公共下水道は必要なもの」と考えています。反対はしていません。ただ、下水道管が吉井川の底を渡って、伏見町側でポンプアップする「場所」について、関係する町内の人々が「別の適当な場所に変更してほしい」との請願が出され、それに「紹介議員」となっているだけです。

下水道管は、今の国道の地下に「もぐらトンネル堀」で埋められ、仮に「53号」が新しく改良されても、旧道として残るものです。ですから、私たちは、過去の関係者との話合いでも「駅前に賑わいを取り戻す・国道の改良工事」などの必要性を話し合ってきましたが、公共下水道工事とは、別々のものとして話し合いを進めてきています。

妙な「ビラ」がまかれたために、一部の皆さんに、ご心配をかけたり、不安を与えたとは思いますが、私たちの基本的な「考え・事業推進のあり方」をご理解の上、今後ともご協力をお願いいたします。

過去の苦い経験を繰り返さないで、前に向いていきましょう!

今まで、何回も、駅周辺の「開発」について論議が行われ、シビックコアから区画整理方式、駅の橋上化など検討が行われてきましたが、どれもが「実施」に至りませんでした。その原因の一つに、自分たちが「気に入る人たちだけ」で検討が進められたりしてきた特定の「政治目的に利用する」機運もあったという「苦い経験」があります。

昨年から行っています、4人の議員が呼びかける「住民との話し合い・津山駅前に賑わいを取り戻す話し合い」は、「特定の考えやイデオロギーを持った人たち」の集まりでなく、関係する町内会、商店街、対策協議会の役員さんとの共同の話し合いとして「事業推進」する方法で話し合いを進めています。特定の人たちを「排除」したり「話し合いから追い出す」ようなことはやめて、皆で知恵をしぼって、「津山駅周辺に゛賑わいを取り戻す゛施策」を推進していきましょう。

★仮のお話ですが・・・公共下水道事業が困難になっても、駅周辺に「賑わいを取り戻す」事業や国道53号の改良事業は、独自に推進していけます。

津山駅周辺の町内会や商店街・街づくり協議会などに関係する皆さんが、最終的には決定をすることですが、国道53号の改良、駅周辺の街づくり、駅の南北自由道路、高速バス停留所のあり方、そして、駅前周辺における定期的な「夕方市(仮称)」の開催など今後の事業推進のあり方を話し合う予定です。

れらの「各事業」は、公共下水道事業が「仮に困難」となりましても独自に事業推進ができるものです。私たち議員団は、何回も、当局と何回も話し合いをして、このことも確認をしていることです。ご理解ください。

〇何んということでしょうかね・・・何で?の思い強し

本当に、杉山氏のビラ、これは何なら!、の内容です、何で、今、こんなビラがくばられるのか・・・です。

「事実と違う」事を、前提として書かれているビラ・・・、なんで、いま、杉山氏が出てきて、ビラなど撒かなくてはいけないのか・・・です。何やってるんでしょうかです…・

もう一つ、おかしな話が追加です。

確実に、記事を書きなおしたのが7月1日の午前5時半すぎでした、そして、更新をしましたが、日付が6月30日で「書き込まれる」というじたいなっていました、何人かの人に「日にちが違う」とか「ブログは見にくいから見ていない、が、今朝は見た」とか連絡もらい、夕方に帰宅して「確認」しましたら、6月30日に確かになっていました・・・?で意味不明ですが、これ日付けが変化しますかね…?