★暑い、毎日の猛暑、コロナ感染問題はおさまる気配がない。昨日も「猛暑」というのでしょうね、一日中「青空」で、雲もほぼなく、日中は暑かったです、お盆を過ぎてからは、本当に暑いです‥…全国的に最高気温が40℃を超える予想で、特に、西日本を中心に体温を超えるような危険な暑さが続く見込み。連日の暑さで疲れがたまり、熱中症のリスクがより高まっていると考えられる。きょうも、熱中症には厳重な警戒が必要だ。といわれますが、津山市では35度と少しかな・・・
津山市の熱中症情報 ★8月19日(水) →危険、屋外での活動はなるべく控えてください。 ★8月20日(木)→同じく危険とかのお知らせで、屋外での活動はなるべく控えてくださいとのことです、35度から8度くらいかな・・・。
気温はどこで、どのように計測しているのですか?
気温の観測は、風通しや日当たりの良い場所で、電気式温度計を用いて、芝生の上1.5mの位置で観測することを標準としています。また、電気式温度計は、直射日光に当たらないように、通風筒の中に格納しています。通風筒上部に電動のファンがあり、筒の下から常に外気を取り入れて、気温を計測しています。
通風筒(この中に電気式温度計が入っています)
★津山市内の「特別地域気象観測所」は市内林田です、丹後山の頂上ですね…
1943年(昭和18年)1月1日に津山市林田に開設され津山市を中心とした岡山県北部の気象観測と解説を行ってきた津山測候所は地域気象業務体制の効率化等のため無人化となり約60年の歴史に幕を閉じました。
2002年(平成14年)3月1日をもって「津山特別地域気象観測所」へと移行し観測業務等を自動化しました。津山の気象は新たに設置された機器により引き続き岡山地方気象台で遠隔観測されています。
過去の気象資料の閲覧、気象証明・鑑定等が必要な方は岡山地方気象台防災管理官室にて対応させて頂きますのでご了承願います。
津山(つやま) | [北部 | 津山地域] | |
津山市林田(つやまし はいだ) | ||
津山の市街地を見下ろす小高い山の上に観測所があります(海抜146m)。旧測候所の建物を撤去した跡と思われる、アスファルト敷の空間が広がっています。周辺は、林や農地が取り囲む環境ですが、見通しは良く、風がそのまま吹き抜けている感じです。 |
昔は、気象庁の職員さんが交代で勤務していました、24時間体制だったと思いますが‥‥現在は無人、それは仕方ないこととはいえ、この地点、風通しの良い場所で、草地の地上1、5m地点での「測量」です、ここが、公表される津山市の「温度」ということになります。
★全国どこでも、「風通しの良い、草地の上・地上1、5mが基本的な「観測地点の条件」ですから、例えば、東京が38度~39度として、、テレビで映し出される人と人の姿、・・・・確実に40度は超えていると思います‥‥人里、アスファルト・コンクリー、そして、冷房機の設置と外気熱、家と家、空間もありとは言え、気象庁は、こうした「風通しの良い、草地の地上1,5m地点の測量地」を、普通の道行く人たちの写真とともに「熱中所、温度」を発表していますが、正しいのかな、人の間隔として、自分たちが「暮らしている地点、歩いている地点」が38度だとおもうのではないでしょうか・・・「40度を超えると危険値」とも言われます、普通に歩いている場所は、40度はある、と、おもいますが・・・?
新型コロナ感染症はまだまだ収まらず、続きそうですね、、
★岡山市で、また一人感染、仔細は公表しないそうですが、2~3日前の「感染者の濃厚接触者」という事のようです。そして、新型コロナウイルスについて、東京都は19日、新たに186人の感染を発表しました。重症者は、18日から1人増えて32人となっています。大阪が187人で東京より多い数値は初めて、そして、またまた沖縄が多数です、71人へと大変です、全国派1070人かな、7人かな・・・・これに、全国的な熱中症が加わり、世の中益々物騒です・・・
若い人の死はよくないね、誰れでもすが、とりわけですね
★昨日の朝、友達というか、同僚?、後輩?、何の後輩か?、色々と表現に「迷う立場」の60歳代後半、新聞では70歳となっていましたが、誰が無くなっても、良いわけではありませんが、まぁー、「順番」でしょうか・・・とりわけ、自分よりも若い人の「死」は、良くないです、年寄りにも「こたえます」です・・・
★鏡野町で7期「町会議員」を務めた藤田さんが亡くなった、一度選挙に失敗したのだったかな、その後、私が「責任者」のようになって選挙をした、義父(奥さんの実父→藤田議員は養子・義父は自民党の選挙参謀のような立場を持っていた、国政などは「一定の票のまとめ役」もしていた・・・)と、大いに「もめました」記憶、基本的な「もめごと」ではありませんでしたが、選挙戦略の違い・・・おやじさん、妙に私にだけは「本心・本音」のようなことをもらにしていた・・・・「おんなじ紙を配っても、質が違う、共産党のようにチラシの紙を配って当選するわけがない…」と嘆きになげき・・・・
★「まぁー、おやじさん、自民党のように札束配らないで、安くつくよ、チラシ配って当選できたらよかろうがな・・・・・みよってみんさい、今度は当選するけん」という意味の゛やり取り゛を毎日のようにして、私の車でおやじさんの知りあい、自民党の基礎票のようなところを回ったのを思い出す、・・・・
★もう、昔のこと、かれこれ30年もまえのことだよ・・・・何があったとしても時効だよ・・・かくして「タキさんの初当選」を迎え、おやじの「うれしそうな顔」がいまだわすれられない・家の庭・坂道を上がったところで「焚火」していたおやじが「晴れがまして顔」して薪を燃やしていたっけ…・・・・・・・・・懐かしい話、そのおやじさんも10年くらい前に亡くなり、そして、タキさんは七期目の途中「病魔」に襲われて「途中辞任」した・・・・・その今度は、養子がなくなり、来年の2月かな「町会議員選挙」は、奥さん(おやじさんの長女)が「弔い合戦」になります。。。。タキさん、しっかり奥さんを見てやってよ・・・・今日の夜が「お通夜」です、心からの合掌です。明日が葬儀の日です。