★残り3日・少しだけ草木の上と車のウインドーに粉雪、降ったかどうかわからない程度ですがあります朝です。今日から、暦で言いますと、9連休ですが、お店、飲食業の皆さん方は、稼ぎ時期、正月もないという実態もあると思います。れじぁー関係の業界はどう何んでしょうか、普通は、土曜日曜の休日、祭日、連休などは忙しくなる業種と思いますが、年末から年始はどうなんでしょうかね、、、年始は、感じとしては、いそがしいかもですね・・
★一般的には、お休みが連続します、この「末永弘之の写真が中心のお便り、雑感」は、呉から新年にかけては、まさに、気まぐれに書き綴ります、開いていただき、書いていないときもあると思いますが、よろしくご理解くださいね。まず、明日は、休みますね、、
我が家の犬は「ころう」です
★厳密に言いますと、我が家と言えないと思いますが、息子の家、孫夫婦が買っています犬は、「ごろう」と言いますが、昔から、猫と比べて、犬は「利口だ」と言います、まさに、其の典型かもしれません、蒸すことか真子が帰りますと、車の音がするときから、クンクンと甘えた声出しています、
★私たち夫婦が帰っても、ソバを通っても、お尻のしっぽは降りますが、めったに、声はあげません、そして、知っている人が来ますと、すこしだけ「吠える感じで鳴きますますね・・・・市にない人、宅急便の人、郵便の人には、激しく泣いて、牙を出すときがありますから、「怖い」と言いまして、配達に困っています。
★私の家の玄関には、ごろうの前を通らないと到着しませんから、よほど犬の怖い人は、電話をしてきまして、犬が吠える、怖いので配達ができない」と言いますから、外に出で「ごろう」をなだめるか、小さい配達ものなら。外で受け取るかです・・
水平社100年記念誌編纂作業、国策樹立運動から、60年かな、?、今年で終わりました
★美作水平社創立100年記念詩誌の編纂、年始もむ早々に事務会議で、編纂の「まとめ」が待っています。
★1945年(昭和20年)の敗戦、農地改革と労働運動の発展、日本憲法の国民民主主義、基本的人権の確立など、大きな変革の時期、部落解放委員会として「水平社運動」が再開、①部落解放要求国策樹立運動が昭和20年代の運動の中心に座ります。
下の写真は、全国徒歩行進隊、津山市内での様子です。1966年(昭和41年)8月です、額田雄二郎さんが市長、西日本徒歩行進隊が津山市に到着、津山から二人が合流して、東京へ徒歩行進隊として加わっていきます。この項は、70年の歩みに紹介されています。
★同和対策審議会の答申が出され、答申完全実施運動を経て、法が制定された後は、諸要求貫徹国民大運動と称して、地域からの要求の積み上げ方式で、津山市・岡山県・全国へと、大きな要求闘争が起こされます。
★そして、今年の2月です、豊かな・人つくり津山ネットワーク・市民協働団体による、市長・教育長との「最後の懇談会」でした。戦後、部落解放委員会として運動が再開され、国策で「部落差別をなくする法律をつくれ」と全国徒歩更新して訴えて、特別措置法が生まれ、諸要求貫国民運動へと発展し、要求貫徹闘争から、懇談会、話し合いへと変化発展した、運動の歴史、水平社百年の歴史刻み、戦後、七十年の国民運動の歴史、それに「終わり」を宣言しました、いろいろとお世話になりました、ご迷惑もおかけしましたということですね、、
★写真は、最後の申し入れ書を市長に手渡す、協働運動の中西会長です、下は、懇談会の様子です。
★この歴史は、記念史誌に「ほぼ収まる形で編纂」していますが、ページの都合で、少しは変化するかもです。この歴史ある行動が、実は、3年間の空白・しなかった年」があります、桑山博之市長の事態です、最初の年は、引継ぎということもあって、もう一つは、率直に言いまして、初めて公開する事実ですが、「桑山市長誕生の裏責任者」のような人を通じて、私と面談して、ほかの事の意見不一致は仕方ないが、この歴史ある対市交渉は、継続するように」と申し入れをひそかにして、了解を取っての始まりでしたが、2年目から、其の約束も保護にして、歴史に「空白・汚点」を残しました。