月別アーカイブ: 5月 2011

宮古地域からのお礼

28日に岩手県宮古地域に「災害救援物資」を、日本共産党津山市後援会の名前で、2か所に送りました。食器類が比較的多かったので、「重い・重い」の荷物でした、そして下着とお米などでした。昨日現地から、「届きました、沢山の物資ありがとうでした、たすかります」との旨連絡が入りました。土曜の夕方おくって、月曜日の朝着いたようですから、心配することなく、ほぼ、普通の状態で、党地区委員会の事務所と協同作業所・・・送り先が「明確にわかる」と間違いなく相手に届くと言うことて゜すね・・・津山市内の沢山の皆さんに「物資の拠出」に協力頂きました、津山市外の人たちからも応援を頂きました、送った荷物等の様子は、28日の「雑記」に写真もあります、下を見て下さいね。

岩手県宮古の被害の内容は・・・

宮古地域は、宮古市を中心として四つの自治体をいうのだそうです。宮古市田後地区は、住宅地と商店街が壊減的な被害にあい、行方不明者をさがす姿は、2カ月を経過した今でも沿岸各地域で見られる光景だそうです。大槌町と山田町では、津波のあと、火債と山火事が発生した地域だそうです。

写真は「やまだ駅」のもようで、火災もあっ跡地です、須増さんのブログから

また、次の機会(現在の所、6月12日(日)の「さくら会館まつり」でバザーを行い、支援物資をお願いして、13日にはおくりたい)にもご協力ください。次は、お米・野菜(玉ねぎ・人参・ジャガイモ・きゅうり・なす、など日持ちのするもの)とか石鹸・洗剤・少し小さめの入れ物に入ったシャンプー、歯ブラシと歯磨き粉、タオル、夏物の下着、夏物の上着、などす、特に「お米」を大歓迎です。よろしくご協力ください。

しんぶん「赤旗」の集金急がなくてはです

もう5月も終わりです、明日から6月、アッと言うまに1カ月が過ぎます、昨日、すこしだけ終えましたが、月末は「しんぶん赤旗」の集金です、読者を大切にする、読者との対話を強め、選挙などの時に「力」になってもらう・・・何と言いましても、党に一番近い人々が「赤旗読者」です、後援会とほぼ同じでは、と、思います。なかには、「お付き合い」でとか「読者の都合で…?」とかの人もおられますが、一人一人が「かけがえのない読者」です、集金と言う目だだない、極、当たり前の活動と言うか、仕事と言うか、コツコツとやっていかなくてはです・・・・今日は、火曜日ですが、全体が集金の「締め」ですから、地区党の常任委員会は「日延べ」です・・・・夜は、久しぶりに「ゴミ問題・住民の会役員会」へ参加です。どうなるか、これからの「ゴミ処理施設建設問題」というところですね

広戸風は、かなりの被害を

台風が太平洋側、高知県沖とか和歌山沖で、広戸風か?

梅雨入りと同時に上陸かと心配した台風2号ですが、四国沖で「温暖低気圧」にかわり、心配したほどの被害は、岡山県にはありませんでしたが、台風が「太平洋側・和歌山沖」付近をとおりますと、吹く言われる「広戸風」のつよいのがふきました、奈義町から津山市の東北部、那岐山からの吹き下ろし、地域によればかなりの被害、川崎当たりも「屋根が飛んだ」とかです・・・・被害にあわれたみなさんに心からのお見舞いを画面を通じて送ります…・私の事務所もトタン屋根が少しだけですが、ガタガタとして修理が必要な感じです。。。

恍惚の人・・・・を見て・・・・

昨夜のテレビ、少し眠い中でしたが、12時まで、笑いながら、しかし、その笑いの内容は、あまりにもリアル、昨年亡くなった実母を介護していた時、数年前の「我が家の暮らしぶり」とあまりに「似ている」から、思わず、笑いです・・・・母のすがたと「言い分」・・・それにたいする、わたしたち夫婦の「やりとり」と『行動」は、まさに、そっくり・・・おもわず、笑いです。。。

1973年の作品、38年前に、まだ、介護とか、認知症などの「言葉も無い」時代に、よくぞ、あそこまで「リアル」にボケ(今は使用しない用語)問題を描いたものだと、しみじみと思いました…この時代にボケ・アルツハイマーを取り上げた映画があるなんて驚きでした、森繁久弥、高峰美枝子、音羽信子さんらの「光演技」(光、漢字か違う。。。ここも、漢字=感じ、のほうが良いですよ)も、やはり、たいしたものです、たいした役者さんたちです・・・

映画「無言館」を見て、窪島誠一郎さんの講演を聞いて

昨日は、孫たちの「誕生日のお祝いの買い物」がありおかやまへ、ついでに、映画「無言館」をみてきました、そして、窪島誠一郎さんの「講演」もききました。無言館が、窪島誠一郎さんの作った「信濃デッサン館」の分館として平成9年に開館した美術館でだと言う事を初めてしりました。2度無言館には行っていますが、その経過だけは「映画を見て、窪島誠一郎さんの話を聞いて」初めて知った事でした、そして、時代により、人により、それぞれの「絵」というものへの「感じ」は違うと思いますが、戦争と言うことで、好きな「絵が描けなくなった」人たちの「絵」をあつめようと思った、絵そのものに、反戦とか平和とかを描いているわけではない、しかし、戦争がなかったら・・・・・その思いが強い、その、心理、心境の動き、かなり、仔細にわたって、丁寧に窪島誠一郎さんが話されました・・・

単純に、「第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、平和・戦争反対」などと単純におたまで描いていた私。。。少しですが、違っていました、もっと、大きい、深いところで「人」「人間」というものを考えていた、・・・最後に窪島誠一郎さんが言われた言葉・・・「画学生らが書こうとした絵、その対象物、絵描きは、そのものに愛が無いと描けない、書こうとするものを愛さないと描けないのが絵だ」と結びました・・・凄い意味のある言葉を学んだ・・・昨日でした。無言館のことは、ここから見て下さいね。。。

宮古地域へ支援物資を送る

★今日はニ度目の書き込みです

東日本の被災地へ「支援と復興をめざす」活動の日でした、岩手県宮古地域の「党事務所とやまだ共生作業所」の二か所に、津山市後援会の名前で支援物資を送りました。午前と午後も荷づくりに時間が取られるかな、と思っていましたが、10人で荷づくりを行い、午前中で終わり、午後は、送りの段取りと片づけだけで早く終わりました。10人の皆さんお疲れ様でした…災害支援物資と言う「看板」のような者も無く、上の写真のような模様で送りだしました。

食器類がほしい、との声もありましたから、お米や野菜、夏の下着や上着、調味料などを中心として「拠出」をお願いしまして、結果として、食器類が多数、お米や下着などもふくめて、段ボールに20箱でした、二か所にわけまして、宅急便にとりにきてもらい、「割れもの注意」などのただし書きもはりつけて午後3時前に「送り出し」ました、いつ頃到着するのでしょうか・・・・・次回につなげられるかどうかです…・

梅雨入りと台風

昨日からでしょうか、一昨日でしたか「中国地方も梅雨入りの様子です」と言うニュースでした、最近は「入った模様」とかのニュアンスです、「梅雨入り宣言」のように、何日から入った、とはなりませんね、気象庁の発表を聞いていますと、感覚で言いますと、「いつのまにか梅雨に入っていました…」と聞こえるのは私だけでしょうか。昨日のお昼過ぎから「本格的な雨」が降り続いています、昨日の朝は、それでも雨は無し、お昼前から「振ったり、止んだり」を繰り返していましたが、梅雨らしいあめとなり、今朝も降り続いています。台風二号が「沖縄付近」へは上陸とかの話しですから、梅雨と台風が「重なる」とまた、被害も出るのではないかと心配ですね…

岩手県宮古地域へ支援物資を送ります、荷づくりなどお手伝いください

日本共産党津山市後援会として、東日本の大震災、被災地への支援物資を送ります、きわめて具体的に「宮古地区委員会」と「やまだ共生作業所」(避難所にもなっているそうです)の二か所に、直接連絡をとりあい、当面「被災地が必要とする物資」をお聞きし、それに準じての物資の調達です。昨日までに、かなりの「分量」があつまっていますが、最終的にどの程度集まるのかは、今のところふめいです・・・・心配していますのは、「物資」は比較的集まりやすいですが、「荷づくり・発想の準備」です、どうも、支援物資の荷物はとどけるが、お手伝いは無理・・・という人も多くありまして。。。少々困るのではないかと不安の朝です。昨日の段階で数人の人がお手伝いに来ていただける感じになっています、一人でも多くの人の手が必要です、午前10時からと午後1時30分からと、ともかく、さくら会館にお手伝いに来て下さい、是非ともよろしくお願いします。

津山ネットの学習会

午後と夜の2回ですが

今日から、豊かなまち・人つくり津山ネットワークの会員による「学習会」です、午後1時半と夜7時からの2回です。全体では、「人権・民主主義」という課題では、今、何が問題なのか、を皆で考えて見ようと言う趣向です。人権、人を人として大切にする、と言う視点からみましても、「東日本大震災」の問題が何よりも第一ですね、大地震と巨大津波の二つは、大変は大変ですが、「日本中の国民が、一つでも出来る事を考え、支援して行く、ガレキの整理から土木・建築と、莫大な費用と近代技術、一定の時間が経過すれば「復興」も含めて、何とか「収まる」とは思いますが・・・・・

原発事故・放射能漏れは、救われない

 

放射能対策を講じて「被害者への供養の花束を・・」浪江地域の皆さんの一時帰宅の様子の写真を他のブログから拝借使用です。

被害者への支援と生活の復旧、街づくりへ…・費用と技術は当然必要です、避難させられた皆さんへの救済、責任、そして、風評被害の人も含めて「生活権の確保・生きて行く保障」は当然ですが、大変失礼ですが「復興」と言う点では、地震や津波とは「全然違う」と言わなくてはいけません・・・メドが立たないですね、別の地域で「新しい生活圏をつくる」というイメージの方が、つらくて、腹正しくて、情けないでしょうが、正解ではないでしょうか・・・簡単に「故郷と生活した場所」を失うわけにはいかない、いつか、元の場所で、同じ人たちと暮らしたい、生きて行かなくてはいけない…・あたりまえのことです・・・・しかし、本当に、それが「実現可能なのか」と言う事も視野にいれての対策がひつよう・・・・そこに、重大な「人権を侵している東電と政府の責任」があるのではないでしょうか・・・写真にあるような「防護服」でないと、自分の家に帰れない…こんなことに誰がしたのか!、もっと、怒れ、怒れ、ではないでしょうか、怒ってよいのではありませんか・・・・

そんな内容の学習に加えて、津山の政治について、市議会議員選挙後の「議会の動き」などを報告します。

津山市議選の総括会議

今夜は津山市議選総合選対の会議です

一人1.600票=3人で4,800票で、3議席の回復を・・・・・これが「選挙前」に掲げた、日本共産党津山市委員会の政治目標でした。その目標は達成できませんでした、悲願とも言うべき3議席回復が出来なかっただけでなく、得票数字でマイナスでした、3人で「平等に割っても、3議席にならないで、やはり2議席どまり」の得票でした。。。。党の主体的力量の「弱さ」もありますが、現職議員としての「党を大きくして、党への支持を増やす」という取り組みの弱さがあったこと、現職議員としての「奮闘」が弱い事、などが「勝てない」大きな原因です。

さらに、議会活動の不十分さ、政策の弱さ、一面化など、反省すべきことは沢山です。なによりも、これからの「議会活動」と「支持をふやす活動」への教訓を導き出さなくてはです…

東日本大震災への支援、復興への思い

昨日でしたか、東北の大惨事とか、太平洋沖地震とかの言葉を何故使わなくなったのか、何か意味があるのか…こんな話がありました。どうなんでしょうか「東京一極主義」という世の流れの中、東京も「被災地」というイメージを残したいのでしょうかね…・こんな会話でした。

さて、今週の土曜日に、岩手県宮古地域へは「初めて」(震災直後と選挙後には福島県でした)となりますが、支援物資を「日本共産党津山市後援会」として、支援物資を送りたいと準備中です。以下のご協力を呼び掛けています。

二つの「センター」へ送ります、二つに共通する「支援物資」は、お米、日持ちのする野菜・果物、大人も子供も、男様も女様も、「夏の上着から下着(シャツもパンツも)、くつした」などてす。

・仮設住宅を一つの対象とする「センター」は、食器類、簡単な「電化製品」など

・一つの避難所を対象とする「センター」は、タオル、歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸、味噌や醤油の調味料などです。

現地と直接連絡を取り、直接おくりますから、どこかに「滞留」したり、届かないと言うことは絶対にありません、私に連絡下さい、そして、28日の土曜日、午前10時と午後13時30分に「さくら会館」で荷造りしますから、そこに持って来て、荷づくりもお手伝いくださいのお願いです。よろしくお願します。

「ごきげんいかが」の作成の日

★5月25日(水)ですが、末永弘之の市政報告「ごきげんいかが」の作成の日です

★今日は、水曜日です、火曜日が党地区常任委員会の日、水曜日は、末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」(毎週発行・B四二面づくり)の作成の日です、発刊は、明日の木曜日となり、木曜日の「しんぶん赤旗・日刊紙」に入れてもらい配布が始まります、そして、木曜日は、「しんぶん赤旗・日曜版」が、いわゆる「津山分局」に来まして、それを「ポスト」におろしていきますが、その「ポスト」にあわせて、「ごきげんいかが」もポスト卸に乗せてもらい、「日曜版」の配達する人が、他の「通達や久永だより」などと一緒に配布してくれます、これが通常の配達で、特別に「地域版」とか、何か、全市民に知らせたい事、などがありましたら、「地域配布」をおこないます、今回が、1075号となります。

「ごきげんいかが」ですか、は、

私のHPの表題です、そして、新しいブログの表題にも使用し、「ごきげんいかが」ですか、市民が主人公のニュース、とタイトルをつけてもらいました。そして、パソコンをつうじて、全く不定期に「勝手な通信」をおくる場合には「ごきげんいかがですか通信」と名付けています。これらの「タイトルの付け方」を一つにまとめて「ごきげん」と称する場合もありますが、私の「頭の中」では、一応、別々のもの、と言う感覚ではありますが・・・

「ごきげんいかが」ですか、市民が主人公のニュース

★昨日の朝が、カウント527,332でした、今朝が、527,379でした、67人の人が「開いて見てくれた」と言う事です、わざわざ、ブログを開いて見て頂く皆さん、ありがとうございます…以前のHPは、一人が何回かひらいたら、開いた回数がカウントされていた数字で、今のブログになってからは、一台のパソコンは、何回開いても一回しかカウントしないそうです・・・・してみますと、多い時には500を刻んだ時もありましたから、今回、同じ感覚でしたら、「市議会の議長」が決まった日、などは、過去の通例でしたら少なくても3~400は・・・と思っていました。しかし、現実は、70人程度したから、不思議な感じでブログをながめました・・・・、今までは一人の人が、同じパソコンで6~7回開いて見ていた…と、言う計算になります、・・・・まさか、そんなに一人の人が「何回」も開くわけがない、です、・・・どうなっていたのかな、どうなったのかな・・・・と、戸惑いが今でも続いています・・・今までの数字も、今の数字も、どちにも「間違いのない数字」です・・・・・

開いて読んでくれていると思える人々は・・・

比較的沢山の人が見てくれているのかな・・・と、市民の皆さんとの日常会話での「思い」は、うぬぼれでした、見事に「頭をたたかれた」このブログのカウント数字ですね…現実は厳しいです…今までの「対話」のなかでは、あの人と、この人とと、あちらの人も…あの人も朝の散歩から帰ったら必ず開いている、とか教えてくれた・・・20人や30人ではない、と思っています・・・と、すれば、頭の中に浮かぶ人だけでも、かなりの皆さんです、、、そこから感じる感覚と、現実の数字のギャップ・・・どうも、おかしな感覚の毎日です…悩むことではありませんが、割り切れない頭の中ですね…

今朝は、変な「雑記」となりました・・・・

 

 

見つかりましたです

朝一にブログの作成者ハセさんに連絡、やっと、起き上がりました。

新しく今朝の「雑記」の書き込みです。一部は、昨夜、下書きをした文章もあります。

★朝は、継続している「生活相談」のひとつですが、新しい問題での「解決へ向けての」現地での『打ち合わせ』を朝一に予定をしまして、地区党の常任委員会までに終えたいの願いの朝です。一斉地方選挙の後始末も、まだまだ不十分です、当然「地区党」としてね「津山市党」としても、いわゆる「全体での総括的な反省」などもしなくてはいけません、そして、一つ、一つの「選対」も同様に、総括的な反省も必要かなです。

選挙後の新しい生活相談も中々複雑です

今朝の生活相談とは、違った相談、選挙後の新しい問題ですが、昨日、役所の人とお邪魔して「直接」の話し合いでした、本人の希望、相談の内容には、直接解決させると言うことにはなりませんでした、内容が「個人の家庭内の問題」と言うことになってしまい、第三者が、ましてや、私が「あれこれ」とくちばしをはさむ事ではありません・・・・と一面はお断りし、税金に関する課題のみ「行政措置」をもとめることとしました。また、今日の「昼間の相談」は、一つの「地域」をまとめたような相談でしたが、これは、とてつもなく「複雑」で、わたしが一人で「解決できる」ことではありませんでした・・・一口に「生活相談」といいましても、いろいろと内容があり、複雑です・・・。

新しい「避難所への支援物資」について

岩手県の被災地の避難所、新しい「避難所」の責任を持っておられる、山田町の佐藤議員さん、党議員さんと直接連絡がとれました。写真が、やまだ共同作業所(避難所)前の佐藤町議(男性)と、岡山から支援隊ででかけた、向かって右から須増さんと石村さんです。

「仮設住宅」ではなくて、「党の議員さんを含めた避難所」です、石鹸、歯ブラシ、歯磨き粉、調味料(味噌・醤油など)が新たな物資として「要望」がありました、夏の下着、くつした、半袖のシャツ・・・よろしくお願いします。28日(土)までに、末永にれんらくいただくか、さくら会館・二宮党事務所・日上事務所にお持ちください、そして、28日の朝10時と13時30分から「発送の荷造り」をします、茶碗や皿、割れものも包装します、丈夫な「箱・入れ物」も考えて寄付して下さいね…送料もみんなでカンパしてよろしくお願いします。

山田町の佐藤照彦議員についてを「追加」します

山田町議会議員 佐藤照彦. 山田町出身◇山田高校卒◇日本共産党宮古委員会地区委員会 山田町支部長◇山田町議11期◇社会福祉法人山田共生会 理事長◇岩手県沿岸知的障害 児施設組合議会議員さんという肩書です、私と同じ11期目になると言うことです。もし、今年の「一斉地方選挙」が、震災で「繰り延べ選挙」としましたら、本来は12期目へとなっているのではないか。。。と、想像しています。

おはようございます、?です

いつも書き込みをします、パソコンの画面が「新規追加記事」を書き込むコーナーが消えてしまい、書き込みが出来ない朝です。別のパソコンには「新規書き込み」コーナーが表示されたので、そちらから、ご挨拶だけ書き込みです。

この記事も、うまく表示されるのでしょうかです。昨夜、少し下書きをした「今朝の雑記」はどこへ消えたのでしょうか・・・・

大雨の奈良公園でした

土砂降りの直前、春日神社へ

今朝は雨です、昨日の奈良も雨でした・奈良市春日神社へ参拝、何十年ぶりでしょうか、さくら介護センターの皆さんと一緒の旅でしたが、ここは、傘をもつだけで「雨」は何とかさけてくれましたが、この後、大仏さん、春日山、興福寺の五重塔、法隆寺へと、ゆっくりと「見物」の予定でしたか、どしゃぶり、それでも「大仏」の中にいた時は、それほどでもありませんでしたが、そこを出てからは、どしゃぶりのなか中、大雨と強風で、無茶苦茶になりました。お昼御飯も食べるところが無い、しかたなく、大雨の中、奈良駅の方まで行って、やっと、駐車場付きの食堂見つけて食べる事が出ました。ともかく、ひどい雨、大変でした…。

法隆寺は修学旅行の大隊群

法隆寺では、雨は小雨、しかし、人、人、人、何組の修学旅行生で、いったい、何人がおったのでしょうか、ともかくすごい人数、軍団でした、広い法隆寺の境内が人でうずまっていました・・・あるお店のおばさんにおききしましたら、「日曜日にこんなに人が来たのは初めてですよ、ふだんは、幾らなんでもこんなには来ません、今日は、どうしたんでしょうか・・・」といわれていました・・・人の数と制服の種類とに圧倒された法隆寺散策でした、それから帰宅、小用もあり、夕方に帰ってきました。

岩手県宮古市からの連絡

党県委員会から、岩手県宮古市へ石村さんと須増さんが「支援活動」へ、上記のしゃしんは、須増さんのブログからいただきました、宮古市の様子です。そして、現地からのメールでの「便り」も届いていました。

仮設住宅に入っていく人たちは、「食器類、電気製品、下着、洋服」などが不足、「野菜・果物・お米」も不足だそうです、これをよまれたみなさん、現地へ直接「支援物資」を送ります、お家にあるもので、役に立ちそうなもの「支援物資」として是非とも、お譲り下さい、日上の事務所か、さくら会館か、へ持ってくるか、連絡下さいね…よろしくお願いします。

今日は、広報調査特別委員会の日です

新しい議会がはじまって、役員人事も、会派も、色んな任務がきまりました、「臨時号」を発刊して、市民の皆さんへお知らせです、広報調査特別委員会(議会だより編集委員会・新聞部)の日です。あたらしい、正副委員長とあたらしいメンバーによる編集です、よろしくお願いします。