広戸風は、かなりの被害を

台風が太平洋側、高知県沖とか和歌山沖で、広戸風か?

梅雨入りと同時に上陸かと心配した台風2号ですが、四国沖で「温暖低気圧」にかわり、心配したほどの被害は、岡山県にはありませんでしたが、台風が「太平洋側・和歌山沖」付近をとおりますと、吹く言われる「広戸風」のつよいのがふきました、奈義町から津山市の東北部、那岐山からの吹き下ろし、地域によればかなりの被害、川崎当たりも「屋根が飛んだ」とかです・・・・被害にあわれたみなさんに心からのお見舞いを画面を通じて送ります…・私の事務所もトタン屋根が少しだけですが、ガタガタとして修理が必要な感じです。。。

恍惚の人・・・・を見て・・・・

昨夜のテレビ、少し眠い中でしたが、12時まで、笑いながら、しかし、その笑いの内容は、あまりにもリアル、昨年亡くなった実母を介護していた時、数年前の「我が家の暮らしぶり」とあまりに「似ている」から、思わず、笑いです・・・・母のすがたと「言い分」・・・それにたいする、わたしたち夫婦の「やりとり」と『行動」は、まさに、そっくり・・・おもわず、笑いです。。。

1973年の作品、38年前に、まだ、介護とか、認知症などの「言葉も無い」時代に、よくぞ、あそこまで「リアル」にボケ(今は使用しない用語)問題を描いたものだと、しみじみと思いました…この時代にボケ・アルツハイマーを取り上げた映画があるなんて驚きでした、森繁久弥、高峰美枝子、音羽信子さんらの「光演技」(光、漢字か違う。。。ここも、漢字=感じ、のほうが良いですよ)も、やはり、たいしたものです、たいした役者さんたちです・・・

映画「無言館」を見て、窪島誠一郎さんの講演を聞いて

昨日は、孫たちの「誕生日のお祝いの買い物」がありおかやまへ、ついでに、映画「無言館」をみてきました、そして、窪島誠一郎さんの「講演」もききました。無言館が、窪島誠一郎さんの作った「信濃デッサン館」の分館として平成9年に開館した美術館でだと言う事を初めてしりました。2度無言館には行っていますが、その経過だけは「映画を見て、窪島誠一郎さんの話を聞いて」初めて知った事でした、そして、時代により、人により、それぞれの「絵」というものへの「感じ」は違うと思いますが、戦争と言うことで、好きな「絵が描けなくなった」人たちの「絵」をあつめようと思った、絵そのものに、反戦とか平和とかを描いているわけではない、しかし、戦争がなかったら・・・・・その思いが強い、その、心理、心境の動き、かなり、仔細にわたって、丁寧に窪島誠一郎さんが話されました・・・

単純に、「第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、平和・戦争反対」などと単純におたまで描いていた私。。。少しですが、違っていました、もっと、大きい、深いところで「人」「人間」というものを考えていた、・・・最後に窪島誠一郎さんが言われた言葉・・・「画学生らが書こうとした絵、その対象物、絵描きは、そのものに愛が無いと描けない、書こうとするものを愛さないと描けないのが絵だ」と結びました・・・凄い意味のある言葉を学んだ・・・昨日でした。無言館のことは、ここから見て下さいね。。。

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