月別アーカイブ: 8月 2011

8月8日月曜日米軍戦闘機の低空飛行について

★3月2日でしたか、米軍海兵隊の低空飛行訓練によって、市内田邑の井口さん宅の土蔵が崩壊されて、5か月が過ぎましたが、何をしているのか、一向に前向きがしません、今日は、午前中、この問題での、少々の『新たな調査』を行いたいと思っています。飛行訓練に関する「日米協議内容」は何であるのか、無いのか、どんな内容なのか、少々勉強が必要と言うところです。

日米地位協定、そして、日米航空協定とは、

日米地位協定とは何かを改めてひも解いてみますと、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定とあり、「在日米軍による施設・区域の使用を認めた日米安全保障条約第6条を受けて、施設・区域の使用の在り方や我が国における米軍の地位について定めた国会承認条約」とされている。

要するに、日本におけ『アメリカ軍隊の地位を認める』と言うことであり、アメリカ軍が自由に出来ると言う協定と思える…では、日米航空協定とは何かがとわれ、それが、津山の上空を飛んだ「米軍戦闘機」のあり方と大きくかかわってくると言うことです、違反か、どうか、の見極め、そして、違反でも、違反していなくても、「土蔵が崩壊した」のは事実です、「因果関係とは何か」と言うことがどうしても、問い質されます…このあたりを、もう少し、深く事実関係をふくめて調査が必要と言うところですね…

★明日は、長崎の原爆投下の日です・・・

原水爆禁止世界大会2011年広島大会へ参加した写真を中心とした画面を作成しました、ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキにくわえて、放射能は嫌、ノーモア・フクシマということです、ここからみてくださいね。

この写真は、パソコン検索でみつけて勝ってに張り付けたものです、悪しからずご了解ください。

★広島・長崎も、原発事故、福島も、アメリカ政策そのもの、そして、米軍低空飛行も。まさに、アメリカそのものです、アメリカに「現地に来て、実体調査をするように言うべき」と先日は、広島の防衛局へ申し込みをしましたが。。。無しのつぶて、何にも言うてきませんですね・・被害をうけた直接の日本人よりも、明らかに「加害者であるアメリカさん」の言うことを信じる日本政府・・・これが、日米地位協定、日米安全保障条約と言うことになるんでしょうかね・・・日本の空をアメリカが「わがもの顔」で自由に飛べるということでしょうね。

しかし、そこには、何らかの「基準」もあるべきですね、いくら低く飛んでも良いわけはない、病院や学校のうえは、どうなのか、どんな基準なのか、もっと、日本政府・防衛省やアメリカ軍に「責任を感じてもらう』必要があります…

★今夜は、党の市委員会の日です

暑い時に、暑い論議の日です、党を大きくするという課題、中々前に行きませんですね、いつでも「選挙に勝てる党作り」を一つの目標、参議院、いつ国会解散があっても衆議院でも勝てる党作りへ、今日は、暑い思いの論議の夜になりそうです。

原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式へ

午前8時からの「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加といいますか、会場そのものには入れず、側道という感じ、ロープの張られているところで眺めてきました。市長から県知事、菅直人さん、国連総長さん、など挨拶、など約45分、写真は、顕花のときの様子でしょうか、遠くから撮りましたから小さ過ぎますね。

ホテルで一休みしていますが、今頃、津山を美作原水協の仲間が、津山を出発している予定です、お昼から合流しまして、原水爆禁止2011年世界大会・ヒロシマデー集会へ参加して帰る予定です、続きの平和祈念式と世界大会の様子は、また、月曜日にお届けします。

8月6日広島の朝

★台風の関係があるのでしょうか、少し曇りの空の広島です。今のところ雨は降っていませんが、予想では午後は雨になるとかです。早朝から平和公園は沢山の人たちで混雑しています。

朝早くから「式典の準備」で大変な様子ですが、すごいマったスコミの量、早くからインタビューもしていました、準備の広島市の職員さん、おまわりさんの警戒の数は並ではありませんね、色んな「碑」があり、それぞれの碑の前で『式典』の準備、顕花でしょうか、お花をもった人たちもん多くみられます。

黒っぽいスーツに身をつつんだネクタイの人たち、SPというのでしょうか、数人の集団が行くかの組、しかし、ネクタイのない黒っぽいスーツの集団は10人以上の異様な空気の集団も2~3集団、少々気になる感じでしたが・・・こんな感じの早朝の平和公園周辺です。

数年ぶりの平和公園から原爆ドームへ

★廿日市の方にいきまして、研修を終えて、広島市内へ、平和公園を歩いて、原爆ドームー・・・・このコースは数年ぶりかな・・・・広島市民球場が「移転」してから初めてとおもいますから・・・・明日の「平和慰霊祭」へ向けて、沢山の々が、色んなおもいと姿で訪れていました。。。

夜は「海外代表と市民の交流会」です、そして、朝早く、広島市主催の「原爆慰霊祭」へ参加です、また、明日の朝、書き込みますね。。。

原爆ゆるすまじ、広島へ

★原水爆禁止世界大会・広島へ、今日から明日にかけて、一つの行政視察を含めて、広島集会へと、広島へ行きます。今日も、暑い日になるのかな、久しぶりの原水爆禁止・広島集会へ参加と言う事になります。

緊急事態へ遭遇・・・・こんな時は大いに困ります

昨日も暑かったです。昨日は、予定した「生活相談」もありましたが、急な相談が二つ、とくに一つは、今すぐに・・・と言うものでしたが、市税の滞納と督促と差し押さえ・・・この不景気な中、市税の滞納者は年々増え続けて行く、行政としては、もらわなくてはいけない、ましてや、差し押さえ処分の手続きまでしておれば「取らなくてはいけない、押さえておくものがあれば押さえておかなくてはならない・・・」という問題へ遭遇です・・

本人は留守にしている、留守の家に来て、家族がいるからと、突然、差し押さえると言うのは大いに困るし、家族は腰を抜かすおどろきで混迷している…・せめて、自分が家にかえるまで待ってほしい…そんな時間が許されるかどうか…市として「まっている間に、国税が来たら・・・・どうなるか・・・・」という瀬戸際のしのぎ合いだと言う感じですから、緊急も、緊急、大変な「きわどい」生活相談です、何ともしがたくです、「まぁー出来るだけ、本人さんの気持ちを、ここに来ても大事にして、許されるなら、一時間や二時間、踏み込むのを待ってあげたら・・・」という程度のお願いを伝えるだけの事しか出来ませんでした…

貧弱な日本と津山の政治の犠牲者・話を聞くだけの相談事は、むなしさが残りますね…・

こんなケースには、めったに行きあたりませんが、一般的に「景気が悪い、お金がはいらない、政治が悪い」と言うパターンではありません、私が多少知っている原因・事態は、あきらかに、日本と津山の政治の「貧弱さ・間違いさ」が生んだ悲劇と思えてしかたありません、まだまだ「こんな犠牲者」?が出てくるのかもしれません、差し押さえと言う直面した問題はありませんでしたが、昨年の生活相談のなかにも、一件、あきらかに「日本の政治と津山の政治の貧弱さ・間違いさ」が原因の相談事がありましたが・・・そして、その前にも『銀行口座を差し押さえられる』という同じ立場の人からも「相談」があったこともあります・・・・これが「原因の生活相談」は、全てが、話を聞いてあげるだけと言う、むなしい解決の道があるだけ・・・・それでも、「よく事情をしっている末永さんに話を聞いてもらえるだけでも、気が晴れる…」と言う言葉をいわれました・・・想像も出来無い「苦難の経過」があるんでしょうね・・・放射能漏れ、原発・・・日本の沈没の一つかもしれません、そんなことを思いながら、原爆許すまじ、と、広島へです。。。

少しわかりかけた原発のしくみ

昨夜の「原発問題学習会」の写真です。

原子力、核、放射能の仕組みは難しい論理

我々、私だけかな、には、かなり高度な「論理」ですが、青山先生の話し、「難しい学説の原子力・原発の仕組み」ですが、昨夜で二度目です、何と無くですが「原理」のようなものが、わかりかけたのかな、一回目ほど、難しいな、と言う感覚ではなくて、そうか・・・そうなっているのか、など思える部分もありました・・・でも、今朝は、もう、忘れていますね…寄る年ということでしょうか・・・120人の参加と言うことでした、ありがとうでした。

核分裂で熱をつくるが、放射能も流出

濃縮ウランを、原子炉の中で『核分裂』させる、核分裂により、大量の熱を発生する、その時の大量の熱で「水を沸騰させて蒸気をつくり、その蒸気を、発電機につないだタービンに吹き付けて「発電機を回す」と言うしくみ、というば、それだけの事・・・しかし、その過程で放射能を沢山放流する、それを、建物の中に『閉じ込めて』おく、これが高温になるために、つねに。水で「冷やす」事が必要…

使用済み「核燃料」の処理方法なない!

さらに、使用済の「核燃料」(大量の放射能を含んでいる)を、処理する方法が無い、その方法は、考えられていない、だから、いわば、「安全な箱詰め」にして、青森の六カ村か、原発のある所に『貯蔵』する以外に方法が無い…青山先生に言わすと、先生は、この「放射能使用済み燃料」を、海の底、深海の底に「埋める」ことを研究していたとかでした・・・とても、とても、『安全』といえる代物ではないと言うことですね…

自然エネルギーへの転嫁は・・・

必要ではあるが、それでも、解決すべき幾つかの問題点も教えてくれました・・・

少し、読みづらい写真ですが、読んで見て下さい…・。

今の「原発施設」をどうするか、この問題は、本当に大変な事ですよ、原発をやめても、放射能に汚染されている、大量の放射能をもっている『施設』は、永久の建築物ではない、いつかは・・・壊れる…原発ゼロであり、これから利用するにしろ、たいへんです、まさに、安全は『保障されていない』のが原発ではないでしょうか…・このあたりが、良くわかりました・・・・

私の任務は、先生の送迎と先生の紹介でした…

終わってから、先生を「夕食」にご案内して、ホテルに送りまして、今朝は、ホテルへ迎えに行き、津山駅へです…

原発学習会へご参加を

吉永小百合さんのお話から一言

今、一つの世の課題、そのくせ、私たち庶民には「理解が乏しい問題」が、原子力、放射能と言わなくてはなりません。あの吉永小百合さんが、第57回母親大会(30日と31日に広島で開催)に「原爆詩の朗読」をおこないましたが、その中で、「3月11に大震災があり、福島の原発と言う大変な事故がありました、原子力の平和利用、安全と言う課題を、わたしは、あいまいに受け止めてきました…原子力発電の事をもっと、知らなくては、知っておかなくてはいけないと思いました…」と語った事がマスコミで伝えられました…吉永さんは「原爆の詩の朗読」を長い事されています・・・

少しでも知りたい、不安な人、是非ご参加を

日本共産党地区委員会が呼びかけます「原発学習会」です、講師は、先日「住民の会」の後援会でお世話になりました、青山勲元岡山大学副学長です、お友達をお誘いの上、多数のご参加をお願いします。

◎8月3日(水)午後7時 リージョンセンター です。

★末永弘之の週刊市議会報告「ごきげんいかが1085号」の作成日

週一回の「市議会報告の発刊」は、率直に言いまして、「すぐ来る」という感じですね、今週号は「暑い夏は平和です」をお届けするつもりで、少しは、書きつつありますが、原水爆世界大会へ、平和行進と美作地域への「網の目行進」とか「市民平和集会と市中行進」とか、津山市民平和祭の様子とか、7月の中頃から、8月の中頃まで、例年のように「暑い夏は平和です」と言うタイトルを使っているような気がしますが。。。今回は、市民平和祭りの記事、過去の2回分、2週間を、HPの方で紹介しています、時間がありましたらご覧ください。

ブログよりも多くの人の手に・・・・・

時が早く流れると言うことと、この雑記に書くことと、市議会報告「ごきげんいかが」に書くことが、どうしてもダブル、という傾向がありますね、しんぶん「赤旗」に載せてお届けしていますから、インターネットのブログ寄りも、かなり沢山の人に「配布」しているとは思いますが、さて、読んでいただいているかどうかは、少々不明です、この雑記・ブログが、1日40人~50人程度開いて読んでくれているとおもいますが、どうしても、この数字は気持ちの上で凹む数字です、生意気なようですが、もっと、沢山の人が「開いてくれている」と思い込んできましたから、、、自分の手で作っていると言う『実感』がない、しっくりとこない新しいブログへの変化・・・と、合わせて、気持ちが凹むこの頃という次第です。毎朝、しんぶん「赤旗日刊紙」の配達をしながら、こんな事を考え、考え自転車こいでいる時がありますね…・人間と言うのは、おかしな生き物です…・

地区党の常任委員会の日です

★今日は火曜日です、定例の党地区常任委員会の日です、党中央が提起する「党を大きくする運動、とくに、党員の若返り」という課題、中々たいへんです、名前をかえたら、と、言う話は別としましても、そんなに「無茶苦茶なことを主張したり、行動をしたり」している訳ではないとおもいますが、どうも、支持率がさがる傾向です、何とかしたいものです、この雑記を読まれた方で、日本共産党にはいろうか・・と考えられる人ありませんか、是非、ご相談させて下さいです…

夜は津山ネットの学習会です。

★昨日の「津山市民平和祭オープニング」から

第25回津山市民平和祭のオープニングでした、5日まで、市役所1階のロビーで、核兵器廃絶・津山と戦争のテーマで「平和のための戦争パネル展」がオープンしました。

津山市市民平和祭実行委員長木原さん(被ばく二世・木原原爆被災者の会初代会長の二世)の開会挨拶

★その後、宮地津山市長、西野津山市議会議長、田村教育長が挨拶を行い、そして、

オープニングのテープカットです、向かって左から、西野議長・木原実行委員長・宮地市長・田村教育長です

木原実行委員長と記念に一枚です、お父さんの木原さんと苦労しながら「非核兵器都市宣言」を議決し、それを機にして、この『津山市民平和祭実行委員会」も作り出してきました、お父さんとの思いでを『少しだけ』語らいあいました…

★今年の最大の「話題」のパネル展、津山らしさです。

実行委員会の皆さんの計らい、津山での「平和のためのパネル展」です、まず、3月2日の「米軍低空飛行の土蔵被害写真」です、宮地市長も、挨拶の中で「平和を脅かす課題のひとつ」として話されていました。そして、福島「原発事故と放射能漏れ」の写真も貼られていました。

市民の皆さんが、一人でも沢山見て頂きたい平和のためのパネル展です。足を運んで見て下さいね…

第25回市民平和祭のオープニング

★第25回の市民平和祭のオープニングが午前8時30分からです。1日(月)から5日(金)までか、市役所ロビーをつかっての「平和のための戦争パネル展」が開かれます。これは、戦争の悲惨さと、平和の尊さを訴える、「平和のための戦争展」として行なわれるものです。この展示は、津山市民平和祭実行委員会が、1985年の「津山市非核兵器平和都市宣言」を記念して毎年開いている「津山市民平和祭」の一環としておこなわれます。

年数と回数の「微妙」な違いは・・・

今年は2011年です、1985年が第1回です。時々ですが、1年1年の開催とすれば、回数が微妙に違うのではないか…こんな意見をいう人があります、案外、こんなことに「こだわる」人もあるんですね・・・今の「実行委員会」の皆さん、メンバーの人が、その原因を『正しく知り、正しく対応しているかどうか』は不明です、お互いの「紳士協定」のようになり、不問に付す、ことではありますが、歴史は歴史です、一つの「汚点のような歴史」も残すべき、と、いうことで、20回記念の「冊子」を作成した時には、その事を明記していますが・・・・

元々この『実行委員会』は、5つの団体が「持ち回りで事務局」を行うことが決められ、その年々の「企画」を事務局が提案する事になっていますが、最初の頃、一回りまわったときに、「ある団体の事務局当番」となり、その団体が、「おさぼり」をして、企画も無く、実行委員会の会議も開かないで「没」にした事があります。当時の実行会の委員長の「美作原爆被災者の会会長の木原さん」も大変気にして、その団体に声をかけたのですが、結局は、開催が出来ない年となりました。。。

津山市民平和祭実行委員会組織され、戦争の記憶が薄れてきている。21世紀に向け、『核兵器の全面禁止』『恒久平和を求めて』ひらかれるものですが、今年は、福島原発事故、放射能漏れと言う異常な事態も起こっているさなかの「平和祭」であり、例年とは違った意味で、今年は注目です。

★実母の一回忌、養母の三回忌無事終えました

昨日の午後から、法要を終えました、一つの「節目」とて゜も言うのでしょうか、大法寺から2人の僧侶をむかえ、実母・品代に縁のある遠くの親戚や地域の親戚などにあつまってもらい、思いで話しにも花が咲きました、あわせて、お互いの「寄る年」を感じながらの午後のひと時でした。これから、お盆をむかえ、あわせて、京参りをして、西本願寺へ納骨をする予定です…阿弥陀さんの教えと言うのは、前世に、どんな「悪い事」をしても、救われると言う教え、ここが、少しだけ「気にくわない教えですな」と住職と少しだけ『仏の世界の話し」もしました、住職は、苦笑いをしていましたが・・・・宗教の世界は難しいですね…そんなことを思う今朝の雑感です。