日別アーカイブ: 2025年8月9日

8月9日(土)さくら会館の駐車場に古民家が崩壊

★昨日、岡山まで新幹線で帰ってきまして、その手前位から、連絡が入りまして、さくら会館の隣の古民家が崩壊して倒れ掛かってしまった」という連絡、知人や近藤議員や役所関係者に「緊急連絡」として色々とお願いしまして、一応の臨時的対策はしてもらいまして、私が現場に帰ったのは午後6時30分頃、その時は、もう、役所の人達も近藤議員も帰っていまして、電話で色々と連絡し合い、地権者との接触など市が火曜日から本格的な対応かなというところです。

1さくらかいかん

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★倒壊した古民家が倒れているところが、さくら会館の駐車油状です、前面に木々が広がってたいへんです、下手に手を出しますと、2時被害にもなりそうな現場です。

★駐車場が、しばらくは使えないということ、さくら会館の裏側、倉庫のようになっていますが、昭和町の敬さんの建物、やがて、影響が出るかもですが、しばらくは、現状維持しかないのかもというところ、大変でした。役所の担当の人、近藤議員などご迷惑をおかけしましたというお話からです。

昨日、草津市から帰ってきました。議会改革のありようを、しっかり学んできましたが…

★草津市でも、内規を作って「常任委員会の代表質問性」を取り入れていました。甲賀市では「いいんちょうがしつもん」と決められていましたが、草津市は、委員長以外も可とする規定で、4十分の質問時間でした。委員会で事前に十分に論議し、テーマを決めて、質問するということで、より、わかりやすい政策をとの在り方でした。

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★年一回の「議員研修会」も行っていまして、昨年度は「議員の史誌さ向上に必要なこと」をテーマらして、講師を招いてやったということです。大正は、議員全体、グループに分かれての論議もされて、中々の評判の用でした。議員の資質向上というタイトルがいいですよね。津山も真似たいものです。

1くさつし

1くさつし

○ 日本共産党草津市会議員団   2人 役  職

団  長    藤 井 三 恵 子             副団長 西 川 仁  

★上の写真、議会棟の入り口です、日本共産党の西川議員と藤井議員、二人とも、10数年まえからの知り合い、津山にも来ていただいた人たちです。活性化の視察のふと、若干の雑談、懐かしい話も出されましたという視察の様子です。議員間のデスカッションも「テーマ」を限定して行い、また、高校生と野話し合いもありで、津山とは少し違うという印象でした。

少し遅くなりました、苫田ダムの「団結の碑」の申し入れの追加記事

★地元の光吉町議にお願いして、写真を送ってもらったのですが、此方の都合で遅れて申し訳ないです、送っていただいた写真を中心として紹介しますね、

元奥津町として、苫田ダム絶対阻止を決めて、行政と町民の力で「阻止」を貫き、行政として「団結の碑」を県立しました、ダム建設によって、今は、ダム湖畔に移転されて立っています。

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★昭和33年3月に「苫田村」として反対ののろしを上げた。当時、ダム建設の突然の新聞報道に苫田村民はすぐさま反応し、総決起集会で「苫田ダム建設阻止期成同盟会」が結成され、県議会に陳情を行った。住民の同意なしに事業を進めないとの決議を全会一致で勝ち取ったことは、住民運動の大きな成果であった。碑文では「感激の極」と表現されている。

さらに碑文には、人権宣言ともいうべき大切な真理が示されている。「一握の阿堵物を以てすれば民は倚らしめ得る」という「いくら反対しててもな、あいつら金を渡せばコロッと態度を変えるぜ」という行政の態度を批判し、住民の連帯を高らかに宣言したのである。

その後、苫田村は合併により奥津町となり、ダム建設反対は町是として長く維持された。しかし昭和五十年代後半から県の圧力が強まるとともに住民にも賛成派が増え、特に六十年代には建設阻止を公約とした町長が三人連続して途中辞任に追い込まれるなど、町政は混乱を極めた。

そしてついに平成二年、町長はダム建設を前提とする町政への転換を表明するのである。今は、奥津町は、鏡野町となっています。鏡野町が行政として、引き継いでいるということです。ここから下の写真が、光吉議員からいただいた写真です。

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偶然にも、草が刈り取られた直後の申し入れになったようで、普段は、夏草に終れているようで、奇麗には見えないということで、周辺の整備をお願いしました。

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国道からの「ダム湖畔」の案内板、179号線沿い、個々のところに「苫田ダム阻止の団結の碑」(汲田村から奥津町是となった)道案内が欲しいと要望でし

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上下の写真、ダム湖畔をぐるりと回る感じの道路。ここにも、案内板をとの要望です。

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