月別アーカイブ: 3月 2015

議長がよびかけた「お別れ会」のようす

★津山市議会の恒例行事になっていますが、市議会議員の任期がおわる「3月議会」が終了しましたら、市議会ぎ地用の名前で、議員全員と、当局は次長以上かな、そして、津山記者クラブのメンバーにこえをかけまして、「さようなら懇親会」わ行いますが、紹介が少し遅れましたが、3月28日の夜に挿入です。

川端議長が「挨拶」からです。私の席は、一番前で、退職する部次長と引退する議員が一つの席でした。私と、村上建設部部長です。クリーンセンター建設事務所所長から都市建設部部長へ、私の意識の中で、幾つかの「思い出」を作り出した部長さんです。

宮地市長が「あいさつ」でした、引退する各議員の名前と簡単な、議員としての経過を説明でした。

田口議員が引退のあいさつです。

続いて山田議員の引退あいさつです。

続いて、同僚の久永良一議員が、この日の本会議の「討論」で初めて「公式に引退声明」をして、この席でもあいさつです。

そして、私のあいさつでした。何を述べたか、44年お世話になりました、年が大きくなりまして私より中区務めている職員がいなくなった、と、言うのが、引退の原因です。末永家の言い伝えで、御馳走が並んだ席では、永く話してはいけないとのことてぜ、これで終わります、と、そうですね、1分かなという感じで終わりました。

 

宮地市長と、市長が持ち込んだ「沖縄・泡盛」の2升かな3升かなが、入る大きなビン詰めです。

続いて、退職する職員の紹介でした。上高水道局次長の紹介、そして、村上建設部部長の紹介でした。

どうも、写真が、今一の感じですね、、、すみません。

大下副市長が「乾杯の音頭」をとって、宴会の始まりです。

 

 

 

 

 

3月24日(火)とうとう最後の議会が閉会です

3月定例会議が、平成27年3月24日に閉会となりました。今議員任期の最後の議会でした。そして、私、末永弘之の44年の市議会議員としての終わりの市議会でもありました。色んな思いを込めて、この「我が生涯の最終議会」となります本会議の場、幾つかの「出番」もありましたから、写真で紹介します。

★10時から議会運営委員会がありましたが、同僚の久永議員が参加していまして、私は、不参加、11時の全員協議会からが始まりでした。

竹内議会運営委員長から、最終日の日程、等の報告、その中で、議案会として私が提案する予定の、「市民税滞納者は市議会議員には立候補できないという法の整備をくににおねがいする」という趣旨の議案会について、「まだ、決定されていないのに、今朝のブログでそのような趣旨が書かれるというのは、いかがなものか」との旨報告されました・・・?

★議運の委員長報告の後、当局から「追加議案」についての説明がありました。そして、質疑に入りましたから、

ブログのことは、私の記事のことだろうが、決議されていないのに、決議されているように書いているとすれば、間違いであり、お詫びをしなくてはいけない。ただ、皆が知らないのに、早くブログの記事にしたことを、言われるのであれば、見解の相違としか言いようがない、こんな意見書を提案したいと準備したわけで、条例に定められる手続きが出来て、正式な書面で議長室に提出した時は、準備したものとしては、当然、市っていることで、議案会として提案しますは、書きます、この時に、人により、立場により、知らなかったことはあるだろうが、私は、準備したものとして、正式に゜受け付けたら公然と書きます」としかいいようがない、、、という論議、その後、この事と直接関係なし出、関連する議員間の多少のやり取りはありました・・・見解の違いは、どうにもなりませんね。

★その後、当局から、報告事項が行われ、「加茂のウッジ」における不祥事事件の中間報告があり、指定管理人の在り方、「赤字経営」のやりくりの様子などが報告、仔細は、さらに調査するとかでした。

全員協議会の後、直ちに、津山オンブズマンによる「政務活動費」にたいする訴訟問題、対象とされた17人の議員の会議を行いまして、被告に補助参加するかどうかを話し合いました。そして、お昼休憩へでした。

★午後1時に本会議開会

第1日程ともいうべき、議案会の提案、可決からでした。上が、市議会委員会条例の7分改正議案を提案する竹内靖議運委員長、下は、倫理規定に関する条例の一部改正を提案する、西野委員長

提案をきいている風景です。

そして、私が、議案会6号として「税金を完納していない人は、市議会議員に立候補できない措置をしてほしい」との旨を「公職者の立候補の資格条件に納税の義務を果たしていることを加える法整備を求める意見書」の提案でした、いずれもが、全員一致で可決されました。

自席から立ち上がって、登壇への歩み始めです。そして、議長席に一礼して、登壇して、提案理由の説明です。

 

提案を聞く、市長ら当局者席です。

★末永弘之の28番席から、登壇して、提案する末永弘之を望む、カメラマンの目ですね・・。いい、目線ですね、ありがとうです・・。

下は、その瞬間の末永の机の上です、当日使用する(幾つか登壇発言の予定)資料・原稿など、順番に並べておくわけです。

提案が終わりまして議長席へ一礼して自席に帰ります。

★自席に帰って、やれやれ、と、資料を見ながら、議長の「質疑もなく、お諮りします、提案通り可決することにご異議はございませんか、」「異議なし」で可決されました、迄が、一つの流れです、これて、一軒落着というところです。

今度は、提案されていました、60議案の各常任委員会審査結果の報告を4つの常任委員長がします、それを聞きながら、資料の整理もしていきます。

そして、委員長報告が終わり、討論に入ります、黒見議員、久永議員続いて私が討論に立ちました。

★討論に立った久永良一議員が、「私は、今期で議員を辞します」と勇退宣言でした。

久永議員が終わって、28番、と、発言を求めます。

原稿用紙8枚、×4分=32分と計算して、持ち時間30分以内へと、少し、早口での討論開始です。

少し時間が経過してのカメラ目線、もう少し、ゆっくりでも良いかな、なんて、思った頃かもしれません。

9議案に反対する討論を終え、アルネビル関連、新クリンセンター関連予算が、建物の建設から「管理運営分野へ移行の予算」「住民訴訟がおわった」「もう、反対しても、2つの建物の位置など変更は出来ない、別のところに建設はできない」などの理由で、賛成討論へと移っていきます。

討論原稿の真ん中、順調な時間配分、30分で収まると、ほぼ、安心の時間配分・・

わたしは、世さん・決算審査では、数字合わせや自分がお願いした道路の予算があるから、とかでなく、真正面から政治を見つめ、予算が、市民の暮らしに役立っているか、政治家を堕落させないか、利権やエゴはないかを調査し、かたりかけてきました・・と、力が入ります。

過去、議長という≪甘い餌≫を与えられるなど、様々な誘惑、そして、脅し、圧力がありましたが、いつでも、歯を食いしばって、真っ正直に、この道を歩んできました、ありがとうございます。。のあたりから、少し、胸が詰まってきた感じですね・・お恥ずかしい限りでしたが、仕方無いですかね・・。

私が一票を投じたひとが市長に座っている、・・・こんな事は、生涯で初めてのこと、・・・宮地さん、あの時に、本当に、勝てて良かった、しみじみと思います、よくぞ勝ってくれたです・・惜しまれているときが華かもしれません、

もう、この壇上にかえってくることはありません・・

もう、だめでしたね・・・

44年間、お世話になりま下、ありがとうございました、これで、我が人生最後の賛成・反対討論を終わります、本当に、永い間ありがとうございました。

★一礼をして、拍手もらいまして、この瞬間、時計は、残り2分、まさに、奇跡的、わずかですが時間残り、最後の最後に、良かった、の思い、時計かがり事務局長さん、カメラマンの事務局の人、そして、討論に必要な資料、44年の「経過」と「歴史秘話」など調査にご協力の職員の皆さん、皆さんにお世話になり、無事、全てのことを「やりきった」という充実感と、いくつかの「心名残り、寂しさ」をあじわって、自席へでした。

心なしすこし「背中が寂しい」感ありかなです。。。

自席に帰りまして、これから、各議案の採択へ議事が動きます、反対する議案は、一つ、一つ、分離採択、全員一致は、まとめての採択へです。

反対する議案、9件には座ったままです。そして、残り、51件は、賛成ですから、立ち上がります。

この後、追加案件の「市長らの給与かんけい」議案と、人事案件を可決して、3月議会で、議会に与えられた課題のすべてを終えました、と、議長宣言、そして、市長が、あいさつです。

市長が、今期で議員を辞する、田口・山田・久永・末永、そして、川端議長の紹介などとお礼を述べてくれました。

下の写真は、ぎ地用席から、「今任期で議員をやめます」と思いでも語りながらのあいさつする川端議長です。

全てがおわりました、久永議員と二人を写真に・・・

 

議場から出てみますと、職員ОBの人たちが、花束をもってきてくれまして、議長室へ、市長らも同席、記念に写してもらいました

右から、花束を頂いた市民の人、宮地市長、川端議長、私、大下副市長、田村教育長、常藤特別理事です。

私の最後の議会・3月定例会議・本会議の様子は 中継録画からごらんください。
★3月13日 3番目・ 一般質問の 再生画面から ここをクイックしてみて下さい。

議会最終日・24日 議案会として提案、市税滞納者は市議選に立候補できない措置を求める意見書提出はこの再生画

議会最終日・24日市議会広報調査特別委員会の「存続」を求める報告は、こちらの再生画面から

議会最終日・24日は末永の最後の「賛成・反対討論」の再生画面です。もう、この壇上に帰ってくることはありません、永い間お世話になりました。。。少し、目頭が熱くなったシーンもあり画面。

常任委員会と特別委員会終了

★津山市議会は、16日(月)に総務文教委員会、18日(水)に広報調査特別委員会と市議会活性調査特別委員会の審査を終えました。いわゆる「委員会日程」が終わりまして、最終日、-の日程を残すのみとなりました。委員会の様子をお知らせします。まずは、総務文教委員会からです。

議案説明員、当局席から議員席をのそ゜む風景、大下副市長が開会の挨拶をしている風景と思えます。

やや丸いテーブルの議員席です。当初予算など議案の説明を聞く風景。

総務部長のあいさつ、参加している職員のしょうかいなどで、議案の細かい説明は、各部の次長・課長級の職員から説明があります。

議員席から当局席を望む風景です。

私の席から正副委員長を望む風景。森岡委員長と近藤副委員長です。

それなりに「まじめに」聞いて、チェックして、そして、幾つか基本的なことの質問をしましての上下の様子。最後ですから、やや、質問は、控えめでしたかな・・。

★後ろは西田議会事務局長ですが、実は、議会関係の予算も当然提案されていまして、その審査をするのが総務文教委員会ですから、この時には、説明員に準ずる形で必ず同席しています。議会費の審査が終わると、後は、全体への気配りが必要で局長室などへです。

★総務関係の審査が終わりますと、文教(教育委員会)に関係する審査です。まず、教育長のあいさつです。

政治(首長)が教育に関与(を支配)する仕組みが始まるが、教育の自主性・自由な研究が損なわれ、政治が教育を支配し、物いえない事態が来る気がするが、それで良いのか。。。など質問です。

安倍さんの政治、教育方針は極めて危険だよ、いつか来た戦争への道だよ、気を付けてくださいよ・・のご意見・・・そして、委員会終了して・・・

内海次長(スポーツ課課長)が42年の職員の幕を閉じるあいさつです。

そして、議員の側、今期で「勇退」される田口議員、川端議長からあいさつでした。

そして、私、末永が44年の幕を閉じる総務文教委員会でのあいさつでした。

かくして、私の最後の常任委員会での勤めが終了しました。44年前は、確か、厚生委員会から始まったと思いますが・・。お世話になりました。ありがとうでした、が、最後の言葉です。

★★18日は、2つの特別委員会の審査、これも、最後の委員会風景です。

市議会だよりの編集を中心とした市議会広報調査特別委員会の開始です。

委員会の全体の様子、私が委員長、安東議員が副委員長、後ろ姿が大倉事務官、そして非議周りで、岡田議員・秋久議員、黒見議員です。

吉田議員、岡安議員、竹内靖議員です。

議会の内部協議のような「特別委員会」ですから、当局席には、議会事務局の担当書記官・大倉さんのみが着席です。

そして、書記官席には、広報担当の美若さんが座って、録音したり、議事進行に気を使ったりで、時々、説明もしなくてはいけません。このメンバーに欠席議員が一人、で、市議会だよりは発刊されます。

今の議員の任期は終了し、委員のメンバーは自動的に解任されますが、この特別委員会は、新しい議会になって根も存続してくださいとの「委員会・中間報告」の提案原文を作成して、提案です・・・17年前の第一号の創刊号・発刊からの若干の経過、衆楽座さる芝居の待っただ中・議長不信任議決という騒動の中での発刊、表紙が議長の発刊のあいさつ文、そして、開いたら、その議長に不信任が可決されたとの記事が躍ったったのが第一号でしたから・・・あの時から、私が編集長・・・・今でも編集長・・・お世話になりましたのあいさつです。

委員会の最後、私が委員長でしたから、やや、わがままが通りまして、皆で「記念写真」に納まってもらいました。

★★そして、今度は、市議会活性化調査特別委員会でした。

西野委員長・松本副委員長のもとで開会です。

この委員会も、議会内の「協議体」のようなもの、当局席には、議会事務局長以下、担当事務官の説明員のみです。

本会議でも、手振り身振りのスタイルがありますが、委員会になると、その様子が多いのかな、・・・この日は、

「市議会議員の市税納付状況報告の在り方」について、「完納でないといけない」という様式が明文化されるように、条例・規則・報告様式(各議員から議長に提出が義務つけられている書類)など、全てのものに「税金の完納」ということが判明する方法に変更手続きの相談・でしたからて

かなり、重たい、面ぐるしい雰囲気の中でしたが、条例改正へ、全員の議員が提案者として本会議に提案することとしました。

ここでも、永い間お世話になりました、のあいさつをさせてもらい、終了でした、これで、24日の本会議最終日へ向けての最後の「詰めの」動きへと入っていきます。

 

 

 

13日本会議一般質問の様子

★13日(金)は私の生涯最後の「一般質問」でした、午前11時頃からかなと思っていましたが、最初の松本議員の質問に対して、西の議員が「動議」の提出、河本議員の「発言削除要求」などが出され、いわゆる「物議」を呼びまして、しばし休憩、結果としては「議会最終日まで議長室預け」としまして、本会議再開の運びとなり、11時40分頃からの質問開始でした。質問の様子は、中継録画 再生画面から ここをクイックしてみて下さい。

このブログでは写真を中心としての報告です。

登壇の質問へ、登壇席に上がる前に議長に「目礼」して上がります。

★質問を聞くというか、事前に質問書を渡していますから、見ているというか、市長ら、当局幹部です。

質問の姿を後ろ方面から、議員席の右側が上、下の写真が左側

そして正面です、偶然ですが、後ろ側に映っている川端議長と西田議会事務局長ですが、今期で勇退と退職です・・・ここで辞める人が三人そろった写真という事です。写真をとってくれた事務局Оさん、意識はしていないと思いますが・・・。

28番席が私の席です、そこから質問中の私を「望」んでもらいました。

質問を聞く、議員の席の様子です。

登壇の質問を終えて質問時間残りを表示する時計です。質問時間は30分、普通なら10分は絶対にオーバーすると想定される原稿、事務局の人が「時間がなくなるかも」と心配気味・・・大事腰部、暁の超特急、はやくちでいきますから・・・とか雑談をしましたが、自分でも、「早口の質問だ・・・」と思いました・・終わって、これで3分は「稼げた」と、やや、満足気味でした。

まず宮地市長の答弁です。下は、答弁を聞きとり、再質問への頭です・・。

私の席から、答弁席を望んだ様子の写真です。そして、下が大下副市長の答弁の様子です。

常藤特別理事の答弁、そして、下は、田村教育長の答弁です

下は、再質問へ備えて、答弁を聞いて、色々と思案するときです。

上が米井総務部参事の答弁、下が山本財政部長の答弁です

上の写真が上田新クリーンセンター所長、下が、友末環境事業所所長の答弁です。

上の写真・村上建設部長答弁、この方は三月末で定年退職です。そして、下は、植月地域振興部長の答弁の様子です。

下は、坂手農業委員会事務局長ですが、通常は、説明員ではありませんから、特別の手続きをとって説明員(答弁者)として本会議に出てもらいました。

★最初というか、登壇の質問項目での答弁者全員です。ここから、再質問ですが、今回は、「最後の質問」という事もあり、内容が少し「ちがう」ということもありで、総括質問形式をつうこくしてありました。再質問は自席からです。

残り時間と残っている「質問原稿のボリーム」とを考えながら、再質問、やはり、早口の質問になりましたですね。

 

うん・・とさらに早口へとスピードが上がります。スピード違反で捕まるなよ、神様仏さまです・・

残り時間がⅠ6分、何とかさいごまで「原稿通り」けそうな気配です・・

★再質問が終了、宮地市長の答弁などが続きますが当局の答弁は何分かかっても私の質問時間とは関係がないという事になっています。おかしなことで、議会なのに、議員の質問時間には「制限」がついて、当局の答弁は「時間制限なし・自由」とは、これいかに・・・はじめから、おかしいといい続けていますが、改善できないままに終わりました。

大下副市長・田村教育長も再質問へ答弁です。

そして、米井参事、友末所長、植月部長がとうべんです。登壇と同じメンバーの等辺というのは、質問が「横に広がる」のでなくて、「深く入る、再質問」という証です。登壇の身の質問という事もあり、その人は、再質問の答弁者としては登場しません。

★これで再質問と其れに対する答弁が終わりました。再々質問へと移っていきますが・・

登壇・再質問のとうべんにたいする「感想・要望」などを申して、さて、ここからは、いよいよ、私から、宮地市長へ最後の・・・私にとっても議員としての最後の質問はいっていきます、、とのべて質問が始まりました。

偶然に傍聴席まで鵜売ってしまった感じの何時画面です、傍聴席は71人あります。一人でも「多数」を入れるのは禁止されています。立見席は、絶対にダメという事ですが、地用度満席、多少の入れ替えはあったような感じです。

少しだけスピードは落ちましたが、スピード違反の早口は変わりませんでした。

★議員を辞した後は、「市民オンブズマン」を組織して頑張ってみたい、当局の皆さんも、議員の皆さんも、よろしくですが、オンブズマンの活動が必要ではない、ゼロの政治を目指してください…との訴えも・・・。

※この付近の「やり取り」でしょうか、滋賀県のともだちが「中継ライブ」を見ておられたようで・・「すごいですね、、、圧巻です」と感想のメールをくれましたシーンかな。

この4分をを表示した画面は、本当は、私の市長への最後の質問の再質問が終わった時のものです。市長の答弁の間は、時計の針は止まったままですから、継続している時計の残り時間です、なぜ、ここにこの画面を置いたかといいますと、

★いよいよのこり4分になりました、生涯を通じて、これが最後かと思うと感無量です。本会議における登壇出の質問は、過去212回、今回が213回目の質問です・・・と切り出しての「最後の質問」へと入ったからです。

44年、本会議で登壇しての質問回数は213回目の質問です・・

昭和60年から2か年と1カ月議長もさしてもらい増した、3日しか持たないと言われましたが、任期いっぱい務めてきました・・

政治は螺旋状の発展です、賛成や反対の意見があって、行き詰まり、苦労して反対者を納得してもらい、前を向く・・・新しい方向を作り出す、一直線ではいけません・・よりよいものを生み出す…それが螺旋状の発展です・・

世の中の本当の流れを作る動きが「らせん状」です。(この発言の前に、行政と議会は、車の両輪ではない、密接な関係を作るのは、妥協となれ合いの政治・当局の行き過ぎを議会は止める役割がある、利益誘導ではなく、政治を真正面から堂々と語ってほしい・・・暴力団は津山市議会に入らない、などの問題提起をした・・)その点では、44年、良く頑張ってこれたと自分を自分でほめてやりたい・・・

市民の皆さん、職員や議員の皆さん、今は亡き多くの先輩の皆さん、永い間お世話になりました。


多くの方々から「今、辞めるべきではない」との身に余る言葉を頂きました。かってよく言われた言葉「末永さえいなかったら、世の中うまく収まる、おまえがおるから困る、お前がおるから物議を呼ぶ・・いなかったら楽だ、幸せだ」と嫌われてきたが、「逆もまた、真なり」と思ってください。

宮地市長、44年、私が投票した人がはじめて市長になった・・・しみじみと思います、・・・あの時、よくぞ勝ってくれた、勝てたと・・・最後の5か年を、私が一票を投じて市長になった人と政治が勝たれたという、歴史の流れを感じています・・・

これからの津山市政発展のために頑張ってください。

44年、ひたすら前を向いて、なれ合いや利権政治とは縁のない道をまっしぐらに歩んでこれたのも皆さんのおかげです、本当にありがとうございました、・・・・・・このあたりで、質問時間が終了をしらせるブザーの音・・・

宮地市長、最後に、何かありましたら、お答えください。津山市の益々の発展と、皆さん方の先行きに幸多からんことを願って、終わりの言葉とします。本当に、永い間ありがとうございました、(目がしらを抑えた、泣くなよ、といわれましたが、、、仕方ないですね、、傍聴席から、議員や職員の席から、拍手を沢山いただきました)・・・そして、市長が「最後の答弁」へです。

発言を求めるサインを送るボタンを押している感じです。

どのような言葉で、これまでの議会人としての末永議員にお礼を申し上げればよいのか・・・(中略)・・・11期44年、津山市政の中で色んな場面を通じて議員活動をされてこられたことに、心からの感謝とお礼を申し上げますと、結んでくれました。

★当日の本会議終了の議長のあいさつ、机の上を片付けて、議場からそとへ出ましたら・・沢山の人たちが、花束などをもって、迎えてくれました・・・

市長もわざわざ、議会ロビーの方にきてくれまして。。。お疲れさん。。、

そして、日本共産党議員控室へ、

津山ネット副理事長のYさん、広報市議会だより担当のОさんに「かなり無理を頼んで」の写真、この画面は私がシャッターを切りました。

Оさんは、本会議中は、報道の腕章で写真など撮ってくれます。この画面の写真もそうで事前にどんな画面をとってもらうかななど話は無し、カメ渡して「よろしく」のお願いだけです、でも、いいタイミングの画面を多くとってくれてありがとうです。二人は、私の知らないところで「仲良し」のような感じで、時々は「会話・交流」などもあるのかなと思います、、、二人にもお世話になりました、ありがとうでした。

葛原先生や「ゴミ処理場領家への建設の再考を求める会」の皆さんから、神戸の孫からも「花束」をもらいました。さくら会館の幹部からも「記念品」を頂きました・・・本当に、ありがとうでした、多分、入れ替えも少しあり、70人を超える皆さんが傍聴に来てくれたと思います、ありがとうございました。議会は、まだ、続きます、性根がはいる課題も残っています、24日最終日まで届けます。

いた花束を持ち帰り、花瓶に活け替えました。上がK先生、下が、住民の会の皆さんから送られたものです。

そして、さくら会館の有志の皆さんからは、

そして、孫からも、お疲れさんともらい増した。





 

 

 

 

11日は東日本大震災から4年、2つの黙とうでした

★末永弘之の議員生活最後の本会議の様子、3月11日は、議場に「弔旗」を掲げての黙とうでした。

午後の本会議一般質問の冒頭に黙とうでした、13時15分からです。

そして、日上の「すうひろ停」では、この日に、岩手県宮古市のボランティアセンターに「復興支援物資」のにづくりと送りを予定していましたから、時間を早めて、2時46分にあつまってもらい、「テレビのもくとう」に合わせて、黙とうから始めました。

黙とうの後、コヒーにして、あらためての荷造りでした。

末永も少し早めに帰宅し、荷造りに合流でした。

をかえての写真撮影、同じようですが、上戸下では、人が入れ替わりました。そして、荷造りは、大きな段ボールで、野菜・衣類・生活用品で15箱+お米が4袋で合計が19ケとなりました。議会とは直接関係ありませんが、議会開会中に起こった活動歴として記載しておきます。

最後の議会・本会議質問二日目は久永議員ら質問

★同僚の久永良一議員が二番目に質問でした。写真のみ挿入しておきます。

質問通告は、①施政方針について、②島根原発について、③学校教育についての3課題でした。

最初の質問は登壇して行います。

再質問は自席から、久永議員は、一問一答方式を選択しての質問でした。

 

最後の議会・9日(月)の話し合い

★一般質問・議案質疑の本会議質問初日、公明党が代表質問、そして、岡田議員・秋久議員・山田議員(引退声明を出す)・木下議員でした。そして、その後、

政務活動費担当者会議でした、その様子を写真に撮ってもらいました、まず、責任者として私=末永の開会あいさつからでした。

後は、座ったままでの議事進行です。

議会事務局から、政務活動費の扱いについて、◎広報費の扱いで、ホームページの作成・開示管理費については、政務活動か政治活動家、後援会活動家、選挙準備活動かが区分できにくいので、1/4の案分支払いとすることを提案、説明してもらい、ぜんいんいっちで「決定」としました。

写真の向こう側は、副責任者の岡安議員です。本会議の後の会議は、中々疲れますねです。

 

 

 

末永弘之の44年の議会生活、最後の3月議会報告

★皆さんには、27歳の時から、44年の長きにわたり、輪世話になりました、ありがとうございました。私にとりまして、それでも、「気が残る、最後の議会」が1025年3月2日に始まりました。ひの様子を写真を中心としてお届けします、よろしくお願いします。まず、は、開会の日の様子です。

★最初に、議会運営委員会がありましたが、私は参加しません、まず、全員協議会からの会議の始まりでした。

宮地市長のあいさつです、その向こうは、私の姿です。末永、山田、安東の議員、その後ろはマスコミの記者さんです。

★市議会開会の日、初日の議事日程などに加えて、24日の最終日までの「議会運営の在り方」について、議会運営委員長から報告、了解をもらいます。議会というところは、ともかく「合議制」です、「よろしく」という議員の判断があって、議長は、議事を進めるという仕組みです。

議長や委員長、当局などの報告に聞き入る私です。

※当局からの報告事項もたくさんありました、追加議案とか、ていあんされている「議案の誤字修正」なども行われました。

★議長から、私が座長役をつとめた、「秘密会」の私から議長への報告書、議長から、申請者と市民と、マスコミに対する報告書の説明が行われました。市議会倫理規定に基づく「調査会」のことですが、審査会を開く必要なし、納税状況報告書の「再提出がありました」という内容などです。

その他案件で、幾つかの報告、質問も出されました。そして、

★私の方から、「議会最終日に、調査会のメンバーを代表して、市税納付と公選法に関係する、国への意見書を提出する」という議案会を提案しますから、よろしくおねがいします。との挨拶、要望を行いました。

提案することを了解してもらい、かくして、全員協議会は、無事に終わりました。

★全協がおわって、直ちに、市議会広報調査特別委員会(委員長、末永弘之)が行われ、3月議会報告を、5月、市議会改選後のあたらしい議員の時になって、市民に配すること、委員会の中間報告の必要性などを話し合いました。

型どおり、委員長の開会あいさつからです。

会議を終えて、「私の一つの思い出の為に、写真をとらぜてください」とお願いして、関係する事務局職員を入れて、写真を1枚・・・

この後、また、直ちに、本会議のはじまりです、、、この報告画面、少し、休憩しますね・・。4日の午後4時45分です。

午前11時に本会議が開会されました。

まず、議長の音頭で「市民憲章」の朗読です。そして、日程について、会議録署名議員の決定などを行い、議案の上程です。

そして、市長が「議案上程」の前に、所信を述べました。

所信を聞く姿です。

所信を机の上に置いて、…私の机の様子です。

下は、予算議案、条例改正議案などを説明する大下副市長です。本会議は、これで終了でした。

★本会議終了後、市民オンブズマンからうったえられました、「政務活動費」の件で、訴状に名のある17人の議員、各会派の担当者の話し合いが行われました。

そして、午後からは、私の質問の課題整理の為に、「最後の質問戦」という意味での、当局職員の人にご迷惑を掛けまして、沢山の人に集まってもらい、資料の整理や質問への対応などの話し合いをさせてもらいまして、議会初日は、終えました。