★土曜日の朝、普段よりは少し「ゆっくり」です、今朝は、雪はありませんが、冷たい空気、これから晴れるのかも知りません。
★写真は、1日の朝7時11分の西の空、太陽が出る直前という感じでした、昨日は、午後4時頃から、強い雨、そして、みぞれ、あられ、粉雪と、降ったり、止んだり、降る者が激しく変わったりの変化でした、朝までに降るかなと思わせましたが、朝は、綺麗に晴れた空でした、土曜日で、少しおそめの散歩の道中写真です。
★新年のあいさつというか、インターネットなどの記事も、「平和」という言葉並びます、とりわけ、日本被団協がノーベル平和賞を授与した事柄もあり、石破総理との対談について、被団協の人たちが「情けない、理解をしていない」などと、やや、残念の意味を含めての感想が多い中にあって、平和という言葉踊りますね‥
★その様子を、多くのマスコミは、石破総理大臣は、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会のメンバーと面会し、核兵器のない世界の実現に向けた長年の努力に敬意を表し、祝意を伝えました。一方、日本被団協の田中熙巳さんは面会後、「要望をきちんと伝えるような時間が設けられず、収穫のある面会ではなかったので残念だ」と述べました。と紹介していますね…
下の写真は、被団協のメンバーになると思います、被爆二世の木原さん、津山市民平和祭の責任者で、昨年8月6日と9日を中心として開催される、平和パネル展の様子です。
★日本平和委員会という組織、その下部組織区である、津山平和委員会の責任者を私がしている関係があって、いろんな情報が連絡されてきます。
日本平和委員会は、1949年に生まれました。 アジアの人々2000万人、日本国民300万人の命を奪った日本による侵略戦争(アジア・太平洋戦争)のあと、私たちの先輩は、“戦争はもう繰り返さない”と誓い、その思いは日本国憲法9条に結実します。 しかし、アメリカとソ連を軸とした「東西対立」が強まり、再び戦争の匂いがたちこめるようになります。こうしたなか、1949年にパリとプラハで平和擁護世界大会が開かれ、日本においても平和擁護日本大会が開催されました。この大会を契機に「日本平和をまもる会」(現在の日本平和委員会)が結成されました。以来、市民の手で草の根の活動をすすめています。 |
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●発行物 | |
日本平和委員会は、情報の提供や交流のために「平和新聞」(月3回発行・470円)と月刊誌「平和運動」(月1回300円)を発行しています。郵送や手配りで届けます。 |
★平和新聞は、月に3回、さくら会館がポストです、そこに必要な部数が送られてきますから、私が「仕訳」します、郵送読者が二人、その他は、手配りですが、別便の「あかはた日刊紙ルート」に乗せて配布してもらいますから、個々の読者までは届けませんが、それても、帯封をかけて。日刊紙のもポスト名と、読者名を貼って、日刊紙の元卸ポストまでもっていくます。下の写真は、昨年12月25日号の一面の紹介写真です。
★月に3回とはいえ、中々忙しというか、一定の時間を取って飲み作業が必要、・・・・集金の方は、別に見【会計担当理事】がおられまして、その人が、2つ気か見月ごと、まとめて請求して、振替も含めて集金してくれますから、その点はらくです。
★会費と合わせて、平和新聞代金を、毎年というか、決まって、きっちりし中央に収めるという「極普通、当たり前の仕事」ですが、それでも、一回も、滞ることなく、100パーセント上納が続いているということは、関係する理事や読者のみなさんのおかげ、ありがとうございます。
★昨日も、県平和委員会からの連絡がありました、しょうかいしておきますね、、
みなさま
講師は新日本婦人の会副会長・国際部長の平野恵美子さんです。
国際的視点からお話をしていただけるようです。
2月3日(月)18:30~20:00 ※18:20開室でオンラインです。
参加フォームから申し込んでください。
津山資源循環施設組合議会の「誤審情報の保護に関する条例の改正について議案会」の手続きでもありました
★先日、クリンセンターへ出かけて所要のための記事を書きましたが、会議録署名議員としての役割を果たしまして、サインしましたが、もう一つ、クリンセンターの条例改正に関する要件でした。津山圏域資源循環施設組合議会の個人情報の保護に関する条例の一部改正についての手続きです。この議案は、議員提案の形をとる必要性かに、酸性化、反対化の意思表示と合わせて、賛成ならば、提案者としての署名をするという手続きです。
★本会議で、議案会として正式に提案するのは、丘副議長の任務、我々は、賛成議員として名前を出すだけとはいえ、一応は、形をきっちりと整えないと、議案会としての体ができないという鉄付きです。
★その内容は、既定の中に、懲罰の事犯が出た場合、懲役刑という文言が使われていたのを、今回、法の改正も含めて、禁固刑に改めるという措置です。まぁー、率直に言いまして、詳細は「なかなか理解できない部分」もありますが、仕方ない、当然ということなのかもしれないと、サインしましたということです。