月別アーカイブ: 12月 2024

12月31日(火)2024年にさようならの日

★今日で、2024年(令和6年)が終わりまして、明日から新しい年です。新しいという言葉で、つい、なにかが「新しくなる」という感じになりますから、人間は、おかしなものです、決して、特別に良いこと」になったり、。今日から、明日へ、特別に新しいことが起こるわけでもありませんが・・

今朝はやや曇り気味、7時前の風景ですが、6時50分頃が上の写真です。

31日朝1

 

下の写真が6時56分ころ、すぐ空が変化です

31日朝3

 

そして、少し「いつもと違う景色」が、北南へ移動したも、7時過ぎに、北南側が「朝やけの空」でした、?の感じ

31日朝2

★年が変わるという現象は、何となく人間を慎重というか、改まるというか、そんな気持ちにさせますよね、、最後の掃除をして、年越しそば食べて、新しさを期待して、寝るということですよね・・・明日の朝は、どんなあさなんでしょうかね、、

改まりましてのご挨拶です、皆さんには今年1年お世話になりました、来年も、よろしくお願いします。

★昨日、一昨日と、やや、日中は温かい火事でした、娘と孫がひとくみ帰りまして、庭の掃除、落ち葉などをきれいにしてくれまして、何とか、庭だけでも「新年が来たかな」という感じになりました。

朝は冷たい空気、冷え込みも強いです、-3度くらいかな…那岐山は雪景色が消えません、これから、段々と雪が多くなるのかもですが、里は、降りません、阿波から加茂付近までは、非ヨット降っているのかもしれませんが、多子の地域などは降りませんね、、、若いころは、ショウガ筒までに2度や3度は積もっていたという記憶がありますが、個の近年は「積もる幸」は、一冬で1階か2回程度になりましたね・・

奈義6奈義8

★上の写真は、私の地域から、北東方面を眺めた那岐山の景色です、そして、下の写真2枚は、奈義町で撮ったものです、奈義町は28日の土曜日に所用で奈義に行きましてついでに撮りまして、私の地域の写真は、29日の日曜日の夕方に撮った景色です。

奈義1奈義2

いい年は来ない感じですね、参議院とまた衆議院の同時選挙とはこれ以下にですが、石破さん「やるかな」です

自公政権、少数【与党】と言われる政治になりました、新しい動きですが、国民民主などが「手助け政党」として存在です、・・・しかし、よさんが「否決」されるかも、・・・予算が否決なら、可決される国会を作らないとダメ・・・・これは、とうぜんのことですよね、、、ですから、石破さんは「解散」をほめかした・・・やるかもですよね。

★この「脅しに屈して、予算がとおる」というのが、日本の政治の「過去の流れ」です、私の記憶では、2度、完全に自民党・公明党が「政権の座から感じがありました、が、社会党の村山さんの時は、自民党と組んだ「政権」がうまれたの゛はなかったかな。。。変な政権で、変なせいじでした・・・

色んな政党の組み合わせの政権は経験済み、でも、良くならなかったのも経験済みなんですよ

★そして、もう一回は、今の立憲と国民とが一つだった時期、民主党でしたか、野党として政権をとりました・・・・しかし、2回とも、期待した政治」は生まれ見せんでした、今回の「少数与党」とか「連合政権」とか言われますが、結局は、大資本、日本をぎゅじっている人たちには、かてません・・・どうあがいてみても「結局り所、大資本とアメリカの言うがまま」の政治の流れを断ち切るという英断はしません、できません、これが、今までの歴史てす。

★政党自身が無くなり、また、名前を変えたりしましたから、一概ではありませんが、今、野党と言われる人たちの政党、色んな政党の組み合わせの内閣、政権は作ったことがあるんです、経験していますが、本当に、国民が求める政治は生まれなかった、良くならなかった、むしろ、コメの輸入自由化が始まり、消費税が作られ、率があげられの政治なんです、ある梨花べったり、大企業の言うがままのせいじなんですよ。。。

★思い切って、政治をかえるひつようがあり・・・とすれば、日本経佐々さん等を入れた「政権」の実が、未経験なんです、個の「可って経験したこと貸せない政治体制」を一度作ってみませんかです。。。実に、面白いと思いますよ。。。変わると思いますよ…それが、参議院選挙です、そして、ほんとうに「衆議院とダブル選挙か」と成れば、良い機会かもしれません、「日本共産党を加えた政権」を作ってみようではありませんか、…そう、おもいませんか・・・面白いと思うよ‥‥

2025年こそ、良い新年の初夢を見て、そして、初夢が「実現する」とという年にしたいものですね、、

12月30日(月)朝の東の空は

★今年も残り2日、寒い朝、太陽はまだ出ませんね、、午前7時の東の空です

30朝1

30朝2

30朝3

上から、7時、真ん中が6時56分、下が、6時50分頃かなという空の様子

12月29日(日)年末~年始へ「気まぐれ雑感」

★残り3日・少しだけ草木の上と車のウインドーに粉雪、降ったかどうかわからない程度ですがあります朝です。今日から、暦で言いますと、9連休ですが、お店、飲食業の皆さん方は、稼ぎ時期、正月もないという実態もあると思います。れじぁー関係の業界はどう何んでしょうか、普通は、土曜日曜の休日、祭日、連休などは忙しくなる業種と思いますが、年末から年始はどうなんでしょうかね、、、年始は、感じとしては、いそがしいかもですね・・

★一般的には、お休みが連続します、この「末永弘之の写真が中心のお便り、雑感」は、呉から新年にかけては、まさに、気まぐれに書き綴ります、開いていただき、書いていないときもあると思いますが、よろしくご理解くださいね。まず、明日は、休みますね、、

我が家の犬は「ころう」です

★厳密に言いますと、我が家と言えないと思いますが、息子の家、孫夫婦が買っています犬は、「ごろう」と言いますが、昔から、猫と比べて、犬は「利口だ」と言います、まさに、其の典型かもしれません、蒸すことか真子が帰りますと、車の音がするときから、クンクンと甘えた声出しています、

★私たち夫婦が帰っても、ソバを通っても、お尻のしっぽは降りますが、めったに、声はあげません、そして、知っている人が来ますと、すこしだけ「吠える感じで鳴きますますね・・・・市にない人、宅急便の人、郵便の人には、激しく泣いて、牙を出すときがありますから、「怖い」と言いまして、配達に困っています。

★私の家の玄関には、ごろうの前を通らないと到着しませんから、よほど犬の怖い人は、電話をしてきまして、犬が吠える、怖いので配達ができない」と言いますから、外に出で「ごろう」をなだめるか、小さい配達ものなら。外で受け取るかです・・

ころ2ごろ1

水平社100年記念誌編纂作業、国策樹立運動から、60年かな、?、今年で終わりました

美作水平社創立100年記念詩誌の編纂、年始もむ早々に事務会議で、編纂の「まとめ」が待っています。

1945年(昭和20年)の敗戦、農地改革と労働運動の発展、日本憲法の国民民主主義、基本的人権の確立など、大きな変革の時期、部落解放委員会として「水平社運動」が再開、部落解放要求国策樹立運動が昭和20年代の運動の中心に座ります。

下の写真は、全国徒歩行進隊、津山市内での様子です。1966年(昭和41年)8月です、額田雄二郎さんが市長、西日本徒歩行進隊が津山市に到着、津山から二人が合流して、東京へ徒歩行進隊として加わっていきます。この項は、70年の歩みに紹介されています。

国策

同和対策審議会の答申が出され、答申完全実施運動を経て、法が制定された後は、諸要求貫徹国民大運動と称して、地域からの要求の積み上げ方式で、津山市・岡山県・全国へと、大きな要求闘争が起こされます。

★そして、今年の2月です、豊かな・人つくり津山ネットワーク・市民協働団体による、市長・教育長との「最後の懇談会」でした。戦後、部落解放委員会として運動が再開され、国策で「部落差別をなくする法律をつくれ」と全国徒歩更新して訴えて、特別措置法が生まれ、諸要求貫国民運動へと発展し、要求貫徹闘争から、懇談会、話し合いへと変化発展した、運動の歴史、水平社百年の歴史刻み、戦後、七十年の国民運動の歴史、それに「終わり」を宣言しました、いろいろとお世話になりました、ご迷惑もおかけしましたということですね、、

最期の申し入れ1

★写真は、最後の申し入れ書を市長に手渡す、協働運動の中西会長です、下は、懇談会の様子です。

最期の申し入れ2

★この歴史は、記念史誌に「ほぼ収まる形で編纂」していますが、ページの都合で、少しは変化するかもです。この歴史ある行動が、実は、3年間の空白・しなかった年」があります、桑山博之市長の事態です、最初の年は、引継ぎということもあって、もう一つは、率直に言いまして、初めて公開する事実ですが、「桑山市長誕生の裏責任者」のような人を通じて、私と面談して、ほかの事の意見不一致は仕方ないが、この歴史ある対市交渉は、継続するように」と申し入れをひそかにして、了解を取っての始まりでしたが、2年目から、其の約束も保護にして、歴史に「空白・汚点」を残しました。

 

運動団体の責任者として、とても、腹の立つ、我慢ならない出来事でした、私の「責任・汚点」でもあります。今でも、残念無念、空白の3年間は、返ってきません…

12月27日(金)役所も「1年の仕事納め」の日

★今朝は、寒いです、今日で、お役所、津山市役所も年末・年始の「休日」に入ります、俗に9連休の年といわれていますが、新年号になっています、赤旗日曜版の配達に行きまして、お世話になったお礼と、来年もよろしくの御願いをして帰りました。役所関係は、明日までお仕事で、いわゆる「仕事納め」です。28日(土)から、9連休に入ると思います。

★9連休は珍しい出来事、この年末年始は、年末と正月三が日をはさんで112月28日の土曜日から、1月5日の日曜日まで最大9連休を見込めます、マスコミは「奇跡」と呼んでいるようですが、5年ぶりですね、、、、5年か6年目には、めぐってくる9連休の暦」のいたずらというべきではないかな・・

やはり太陽が昇るのは「早くなっていない」ようですね

★私の頭の中が「固定している」関係もあって、冬至が来たら、翌日から、太陽もだんだんと早くのぼるようになる、と、思い込んでいまして、それは「ちがっている」と最近知らサケまして、太陽が昇る時間が一番遅い日時は、すなわち、「日の出が最も遅くなる」のは冬至よりも後の時期で、ちょうどお正月の頃にあたります。その中間頃に当たる冬至が、昼間の長さが(日の出から日の入りまで)が最も短い日なのです。

★ある人が、今年の冬は、1月14日からが、太陽が昇る時間が早くなるよ、と、教えてくれました。

12月27日朝日1

★上と下の写真は、昨日、12月26日(木)の午前8時の私の地域(すえひろ亭・後援会事務所)から見た東の空です。太陽が少しのぼっています、7時前には、まだ、のぼっていませんでした、曇り空という感じでしたが…

12月27日朝日2

★これは、地球が太陽のまわりを回る面(公転面)に対して自転の軸が傾いていることや、太陽のまわりを回る軌道(公転軌道)が真円形でないことなどが理由です。なお、一年の中で日の入りが最も早い日や、一年の中で日の出が最も遅い日は、国内でも南北で差があります。

市長選挙、1年前の新年への話題

★年が明けますと、来年の2月が津山市長選挙ということになります、14が月前なんですよね、そんなこともあってか、ここ数日間、続けて、市長選挙の話題が入ってきます。やはり、三つ巴もえが「噂の中心」ですね。四つ巴の話は、あまりでませんね・・・ひょっとしたら、2つ巴になるのではないか、の声も聞こえてきましたね。だれと、誰か、現職は動かない、と、思っていましたら、妙なはなしがあるんですね、、

そんなことは、ありえない、とは、私が思うだけで、真剣に、もっともらしく話す人もありますね・・・それは、かなり「強力な新人」が立候補声明を発表したら、現職は、うかうかしておれないから、「他の政治の道を探る」とかのはなしです・・・そんなバカな話は無いとおもいますが・・・。いっすんさきは「闇」と言われる政治の世界です、どう動くか、お刈らないのは、わからないと思います・・・
★現在、公務員などの人が、立候補するとしますと、当然、現職では、選挙活動が出来ませんから、来年の3月には、退職する、いう話が「もっぱら」です。正月になり、3月末から、4月になって、噂が噂でなくて、「本物」になっていく、各陣営が「選挙態勢に入る」次期へ、賑やかになることなんでしょうね・・・・一人の傍観者という立場を貫いていくかなです。

いよいよ年の瀬です、総会の準備2つとお手伝い1つ

新年の4日が「町内会の総会」を予定しています。先週に、監査などをうけまして、会計の方が報告の準備ねされていますが、全体の記事振興、今年の活動報告と新年度の方針など、そして、役員体制などの準備は、会長の私に係るということです。準備をきっちりとしなくてはです。

★もう一つは、お寺さんの関係檀家総会、13日には「総恩講」という儀式というか、行事です、それに向けまして、お寺さんの費用を集めて、お参りの順番を最終的に相談して・・・・それなりにバタバタしますね、、檀家費用について、後、何人かが集まっていませんから、さて、どうするかですね、、更に、もう一つ、水利組合の課題、私は「顧問」という役柄、田んぼは、少ししかありませんが、今回、会力へ出ています理事の変更です、現在の人が好いと思いますが、辞任の意思が固く、後釜づくりの相談、おおむねの方向性は、本人を含めてできましたから、やれやれと一安心、その総会などをお手伝いというところです。地域のことも、中々忙しい年の瀬ということになります。

12月26日(木)日の出が、まだ遅くなる?

★今朝は、寒さが無い、冷たくない朝、暖かい訳でもないが…1日どうかなです。昨日は、1日遅れのクリスマス」でした、何年かぶりに、ワインで乾杯、少量のワインで顔が真っ赤になり、孫たちにジイジのかおが赤い」と珍しい景色を見るような感じではなしていましたね・・・こんな夜も、数年に一回ぐらいはあるんですよね・・・正月もまじか、孫たちが帰ってくる予定の正月、久しぶりに多数の家族の食事、味わえるかなです。

冬至が「基準」で、日の出が早くなるのではない‥‥

★私のこのブログ・雑感で、冬至の日に「太陽が段々は山あがる」と書きましたら、ある人が、「まだ、早くならない、1月の中頃からはやくなりはじめる」と教えてくれました。驚きでした、冬至で「明るいし甲斐がながくなる」と思い、日の出はだんだん早くなり、日の入りは、だんだん遅くなると思い込んでいました。

★例によりまして、インターネットで検索してみますと、

※問題1:1年のうちで日の出時刻が最も遅い日は?
⇒ ③の「冬至より後の日(2024年は1月7日)」となっていますから、1月8日から、少しは、日の出が早くなり始めるのではないかなと思います。 

※問題2:1年のうちで日の入時刻が最も早い日は?
⇒ ①の「冬至より前の日(2023年は12月6日)」ということのようですが、全体としては、1年前の月日ですから、今年は、1日か2日は、変化しているのではないでしょうか・・となります。

★先入観で冬至の日が最も日の出が遅く最も日の入が早い日と思っていましたが、そうではありません。なぜこのような現象になったかというと、地球の公転軌道(太陽の周りを回る軌道)が完全な円ではなく楕円だから、が理由です。どのような楕円なのか、といった数値のデータは探し当てることができませんでしたが、円運動の軌跡は三角関数で表すことができるので、冬至の日の出が最も遅く日の入りが最も早くなるはず。そうではないから楕円運動である、ということなのでしょうか。

朝3

写真は、12月の初めころの「朝焼け・日の出前」の様子です、私の居住地から真東を望んだ風景です。

★なお、東京の日の出日の入、日長は全て計算で求められます。東京のように建物が多いと正確な時刻が観測できないし、地平線に雲があれば晴天であっても正しく観測できないためです。地平線の設定など細かな定義は分かりませんが、そのため秒単位の時刻が公表されているサイトもあります。

年末になっても、法律の相談、裁判に関する相談2件です

★今日の午後と、明日の午前中に、別々の案件で、弁護士さんと依頼人と私とで相談事です。一つは全く新しいし世間で、結果としては、明和既存のようなものに発展するのかな、特定の行為により「日常生活を送るうえで、支障をきたしている」ということもあるようですから、その行為を「サイド目」するということもあるのかもしれません。

★明日の相談は、何回か紹介しています、ある福祉・介護施設の「給与未払い問題」です、来年の1月20日が「調停裁判」です。津山簡易裁判所に、相手が「調停の申し立て」なるものをしまして、本来3人なんですが、二人だけを「調停にかける」ということになっていまして、申し立て相手側(私に相談してきている人たち)としては「三人を対象にした調停のお願い」をしていますが、「やくいんだから」という理由で小、受け入れていません。

★その人は、たしかに「やくいんになってほしい」といわれましたが、役員会に出たこともないし、役員手当をもらってもいません、役員会が行われるという案内もなかったのだと思います。そして、労働協定書があり、労働者として働く契約、給与体系も契約していますから、そして、じったいとして、「介護士としてはたらいてきた」という実績があります、それに対して、「給与が未払い」なんですから、おかしなことになっているといわなくてはいけませんね。

★簡易裁判の調停にどう対応するのかなどを弁護士さんを入れて、初めて本格的に相談ということになります…。

先日の 久米の福祉・介護施設の裁判の仔細は

★前々から紹介しています、久米にあります、特別養護老人ホーム 〈従来型〉・〈ショートステイ〉 ·〈ユニット型〉などを運営しています、社会福祉施設ですが、「不適切介護・虐待行為」などによって、死に至った利用者、施設の移転を世和議なくされた利用者の人たちによって、「虐待防止・安心して高齢者を預けることができる施設へ…」を求めて、裁判を起こしました。八人の弁護団による訴訟、訴状が裁判所に出されて、相手に送付したと思います、併せて、初回裁判期日を書いて、送り、それまでに、訴状への答弁書などを求めている時期ですが、第一回目の訴訟が、来年の2月4日()か午後1時30分からと決まりました。

★1時に、岡山地方裁判所の横に集まりまして、傍聴へ、集団で参加することになりました、良い絵になりますように一人でも多くの人が来てほしいものです。人数が少ないと、様になりませんからね・・・

12月25日(水)今年最後の「ごきげん」

★今朝は、霧が深い朝、6時30分を過ぎても、うす暗いです、久しぶりに霧の朝、と、言うことは、日中は晴れるのかもしれませんね。

★末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」1375号ですが、配布の主な手段である「赤旗日曜版」の発行が、今年、12月29日と来年の1月6日とが「がっ―゜位」されて、新年号として作られるということですから、それに合わせまして、昨日、作成・印刷してまして、今日、地区事務所につく「日曜版新年特集号」に挟んでもらう準備です。そして、今朝の日刊しに入っていました。木曜の朝入れてほしいのですが、・・・・日曜版は、明日ポストに届くと思いますが、日刊紙の1日早いのが少し気になりますね、

★新年特集後の日曜版も、普通は、木曜日に地区について、ポスト卸が始まりますが、今回は、昨日の火曜日について、今日から、ポスト卸です、呉には、読者のみなさんの手に届くと思います。今年に作成して、来年の号で、新年のあいさつをという妙な編集になるのは、仕方ないことですね、よろしくご理解ください。

ご機嫌の一つの表題は市議選から二年を迎えます

正月ですから、辰のイラストを入れまして、挨拶というか、言葉などを書きまして、下記のような記事を一段に使用しています。

★2025年は「中間地方選挙の年」と言われます。私が、8年ぶりに帰り先を決意しまして、お世話になった津山市議選も行われた「いっせい地方選挙」から2年が経過して、議員任期は4年ですから、その真ん中で「中間」ということになります。

★津山周辺では、鏡野町・美作市・美咲町などの市町選挙があります。全国的に注目される大都市の選挙もあり、県内は倉敷市、そして、北九州市などです。そのあと、東京都議会議員選挙と続きまして、参議院選挙が夏には行われるということです。ご機嫌には書きません(市議会、津山市政、県や国政問題、社会の動き以外の事柄、特に、政党活動を書かないということです、政務調査費の関係と思ってください)が、参議院選挙は、

★全国・比例区の選挙、小池書記局長以下、5人の必勝態勢の候補者を発表しています、岡山県は、香川県の県会議員白川よう子さんが地域割りとなりました。よろしくお願いします。

白川さん

美作水平社創立100年記念誌編纂実務

★昨日も3人で、最後の追い込み作業でした、どう仕上げていくか、新たに資料不足に気づきまして、検索、見失っていまして、関係する機関にお願いというシーンもありますが、それなりに「仕上げ」へ動いています。キジ科寄らなかった課題、事務局として「作り上げる準備」もおえました。カキは、途中の記事、まだまだ未整理ですが、何とか、仕上げられそうな感じになりました。

国民運動と市民の暮らし守る活動のコーナーへ書き込み

1961年(昭和36年)第16回全国大会で、「部落解放国策樹立を求める請願運動」が始まり、同和対策審議会答申が出されて、「特別措置法答申完全実施運動」へ、そして、「諸要求貫徹要求」へと、名称が変更していますが、この年から、美作地域の各市町村(当時、津山市と30町村)との「交渉」と名付けた運動団体と行政・教育委員会との話し合いが継続しました。

津山市は2002年(平成14年)に今後の人権施策における基本方針として「一般対策の中で的確に対応する」と表明され17年が経過しています。

 2006年4月に、津山市では、豊かな街・日ことつくり津山ネットワークへ組織が変化発展した年から、「平和・人権・暮らし守る「市民協働実行委員会」としての話し合いに変更しています。要求書も、「真の平和・民主主義・人権尊重と市民生活の充実を求める要望書」と発展させました。

この歴史の積み上げの中で行われてきた、私たち「協働団体」と「行政」との話し合いが、前々市長・桑山博之氏【2006年(平成18年)3月に就任】によって3ヵ年中断され、歴史の歯車を止めてしまいました。

宮地市長によって2010年(平成22年)度から「再開」され,谷口市政へ引き継がれている経過を、津山市の歴史的な出来事として特筆しておきます。

★この部分をどう描くか、どうかきこんでしあげるかですね、、、最後は、谷口市長、有本教育長ら関係部署の人と、永井運動を「閉じるあいさつ」を交えての懇談でした。今年の1月22日(月)をもって、要求運動の終結としたと思っていますが…

★市民協働運動型へと変化発展させてきた歴史、そして、今、水平種創立100年を期して、この「自治体との交渉話し合い」も、終わりを迎えようとしている。どんな形になるかは、これからの論ぎ、決意との関係もありますが、2月末に、最後の要望活動の日程が、ほぼ、決まりまして、内容をどのように充実させて、未来へつないでいくのか」が、試されるところです、12日に実行委員会を開催して、要望項目をまとめる予定ですが、さてさて、どうなりますかですね。どうあれ、けじめをきっちりとつけたいものです。

12月24日(火)クリスマスの日かな?

★今朝も寒い朝、昨日、岡山の会議から、遅く帰ってきて、朝、少しねホセ宇しました、今日はもう、24日ですか、クリスマスなどあまり縁がない暮らしできましたから、なじめないですが、同じ敷地内の別家の孫夫婦が、暖かい首巻・靴下など「プレゼント」として購入してくれました。ありがたいことです、新婚のなせる業かも、孫も結婚前は、プレゼントなどなかったと思える、どちらかというと、こちらが「やる」ほうが多かったのではないかな。。。

昨日の夜は、岡山で「福祉・介護施設」に関する、虐待の損害賠償裁判の相談でした

★久米にあります、老人福祉・介護施設の内部での「不適切介護・虐待」などにより、命を奪われた利用者家族の人たちが、数人で「その責任を問う」裁判を起こしました。前々からかなり慎重に「準備」してきまして、資料なども風呂得ての訴訟への踏切です。

★昨日の午後6時から、岡山の弁護士会館で、8人の弁護団と原告家族数人と、支援する人たち数人で、これからの活動の相談でした。

★2月に第一階口頭弁論が開かれることが決まりまして、其の対策などでした。また、子細は、報告しますね。★

美作水平社創立100年記念史誌の最後の編纂へ

★遅れています編集祖業ですが、最後の大詰めというところです、沢山あります資料の中から、何を使うか、どの写真を乗せるかなど中々大変です、間違いなくたくさんの資料と写真です、が、この問題という思いの資料が寄らない、2つほどの「記事がこない」ということは、また、別の意味で大変です。

★いわば、ありすぎて困るという現象と、無くて困る、何とか「ほしい記事と写真」と思っても、その課題については、無い、ゼロなんですよね、どうするか、そのことを知っている人に問い合わせをして、メモでも書いて乗せるか、とか、率直に言いまして、私が知っている事柄を「簡単に紹介記事」にするか、最後の土壇場に来て、中々作業が決まりません、今年度中に仕上げたいとは思いますが。

★今回の記念史誌とは直接は関係ありませんが、下記の出来事、本当は、70周年記念誌の中にでも書いておくべきことと思いますが、さすが、私、個人の思い出の記のような火事ですから、書かなかったとおもいますが・・今、読み返しても、中々の内容ではないかな、相変わらず「誤字や脱字、変換ミス」はありますが、うまく、呼び出せましたら、下の部部をクイックしてみてください。

  1. 1981年–1984年 差別確認会・糾弾会は拷問です!、結局、あなたがたの思うとおりにしてしまう

★こんなことを書いたメモもあるんですよね、、、実に「面白い・・・」いかめしい肩書きの名刺配りのお話

★20数年(2015年~見てです)になるのでしょうか、全くの普通の仕事をしていた、活動経験も無い若者が「営農相談員」として、全解連の専従になりました。お勤めの初日、あいさつ回りに連れて行くからの言葉、名刺を印刷して渡してくれたそうです。本人は、てっきり地域、支部などへ挨拶をと考えたようでしたが。


①市町村の役場周りをしました→

部長室や町長室へ丁寧に迎えられて、お茶をごちそうになり、先輩がご機嫌よろしく「内の若い者です、全解連は若いのがおろう、頼むで・・・」と紹介し、後は、雑談です・、何か少しだけ、相手が気配りしすぎ、こちらは、やや、ふんぞり返り気味、?、と思ったそうです。


②奥の院に入り、名刺を交換して・・・・、→

「いんぎん無礼」とはこのこと、くそ丁寧に町長が、部長が、課長が、頭をさげて「名刺の交換」わしてくれました、が、・・・。部落解放運動連合会・・・の肩書きのある名刺です。昨日までは、普通の人間、役場に行っても、何一つ頭を下げられたことはないのに・・・・・部落解放という「名前」だけで・・・・役場の奥の院では、こんなことは茶番劇なのか?・・・、日常的なできごとなのか・・・?・


③それでも、別の運動団体よりはは良い→

★全解連の方が気を使わない、気が楽、との話も聞きました、これは何なら、この人らは変なことをしている、自己満足だけ、おかしい、無茶に腹が立ってきたそうですが・・・。行政周りが終わって、翌日も、その翌日も、いつまでたっても。支部には、地域には紹介がありませんでした、1ヵ月後の支部長会議なる会議で紹介をされました・・・・。


④ある先輩に「なにっ」と聞きました。→

★「わしらの運動はすごかろう・・・、ここまでなるのに60年、苦労があったんで、昔はナぁー」と話を聞かされました、そんな話をするときの先輩は、とても輝いて、元気で、熱心で、生き生きとしていました。


⑤もう一人、津山の委員長に聞きました→

★津山の委員長に「これって、おかしんじぁーないん」と胸の内を語りました。特に、印象に残る言葉をいったわけではありませんが、全国闘争となずけて、行政まわりをして補助金を受け取っていただけの運動から、支部や市町村協議会での学習会が生まれました。行政まわりをやめて「対話懇談会」をおこない、美作地域31の自治体で多くの住民団体との「自由な話し合い」のテーブルが用意されました。昼間、街頭から宣伝カーで「運動に参加して、要求実現を、全国の兄弟姉妹よ」と訴えていたのをやめて、新しく、集会所で「支部の学集会、話し合い」のスタイルへ国民運動が変化していきました。


⑥たどり着いたのは→

★私は、津山の委員長と「名詞配りの仕事」を止めました。そして、行政や教育の関係者に「普通にあつかってほしい、ペコペコするな」と訴えてきました。そしきの内部では、町長室でのお茶が、あたり前、運動の勝ち取った成果だ、と思わないように心がけてきました。
部落解放要求貫徹全国闘争と言われていた時代から、部落問題の解決をめざす国民運動対話懇談会へと、運動の質が変化、発展していく前の印象深い歴史の事実です。

★この経験もすごい葛藤でした、「私たちだけがもらえるお金は嫌!


集会所からの「謝金」をやめたら運動が終わる・・・と先輩たちが教えてはくれました、が・・・、

 かなり悩んだ課題、皆が、特に若い人が、結論を出しました。


★「私らだけが特別にもらうお金があるかぎり「部落差別はなくならない、やっぱりと言われる行為を地区内からなくしたい」の声は大きくなっていきましたが、経験豊かな、同和特別対策を作らせるのに苦労をして成果として勝ち取った闘志のある人、先輩たちからは「せっかく私らが勝ち取った集会所のお金、もらわなくては・・・・、昔はなぁー個人の家で支部集会などをしていた、それを改善させるために自分らが運動して勝ち取ったもの・・・、講師の謝金としてお金も出るようになったで、とさとされました。


★末永くんらは、それを止めようと言うからおかしい、支部では運動ができなくなる、じゃけん末永くんは嫌われる、強引で大衆の気持ちがわかっていない」式の反論、反対の声に随分泣かされました。


★時には、岡山~津山間の列車の中で「末永の悪口と津山市協議会の運動、やり方の批判」を、「古い活動家」から言われ続けた女性部の幹部も現れました。しかし、その女性部幹部は「特別のお金はもらわない方針」にあくまで賛同でした。地域では、若いPTAの人たちが「私らの子どもだけがお金をもらう制度は嫌だ」と頑張りました、解放同盟の影響だけでなく、人間誰でもが「お金になるなら」の考えがある中、大変な葛藤のなかでした・・・・、特別措置法制定下でしたが、18館の内14館が「謝金など完全に断り、自主運営」にかえました。

★問題は、こうした、津山市の運動の在り方を、どのように、記念史誌に書きどうするか、乗せるのか、載せないのか、今、大いに迷っているところですね・・

12月21日(土)冬至の朝・一人前にバタバタしますね

★土曜日の朝、少しゆっくりしています、冬至の朝は、曇り気味、東の空は、雲があり、太陽の光、夜明け前ですが、ありません、朝焼けにもなりませんね、、午後から党の宣伝カーを久しぶりに動かします、衆議院候補者であった、原田さんにも依頼し、さくらブロックの人たちと、今年お世話になった挨拶と、来年への思い、参議院選挙へ向けての日本共産党を大きく強くしてほしいの訴えです。

冬至3冬至1

明日の日曜・22日と、あさっての月曜日23日は「雑記」はお休みです。よろしくご理解ください。

★年の瀬、人並みにいろんなことでバタバタとした日暮らしです、暮らしの相談もありですが、町内会の総会の準備、役員会、監査、加えて、お寺さんの檀家早大もしていまして、1月に毎年総恩講として、個別にお寺さんにお参りしてもらいます、年末にお寺さんへの上納金を集めて、その日に渡しますが、個別に回る順序をきめて振れを出さなくてはいけません。

★この、町内会というか、住んでいる地域の暮れから新年にかけての「年中行事」のょうな出来事は、馬鹿にならない時間と縦鼻がかかります、従来は、新年総会では「暖かい鍋物」など手、一献という行事にしていましたが、コロナを幸いとして、そんなことは「やめる」こととしていますから、少しは、肩の荷が軽くはなっています。

初正月とは、?、亡くなった人の初正月は

★今年亡くなった人で、私たちの言葉で言います「初生姜」のお宅、数件にご挨拶にもいかなくてはと準備中ですが、さてさて、初正月の言葉の由来は、【赤ちゃんが生まれて初めて迎える正月を「初正月」といいます。 お正月に歳神様を各家でお迎えし、歳神様から「歳」と「福」を授かります。 初正月は赤ちゃんにとって生まれて初めて歳を重ねる日でもあります。 (数え年では2歳になります。)】ということのようです、では、亡くなった人のことは・・・・?

★初正月とは赤ちゃんが生まれて初めて迎えるお正月のことです。 亡くなって初めてのお正月は一般的には喪中と言います。喪中とは、?、亡くなって49日の法要までのことかなと思っているのですが、どうでしょうか、喪中の正月あいさつとでもいうのが適当なのかもしれませんが、言葉の綾ではなくて、今日、午前中と、明日の午前中に何件か回る予定しほぼ1日を費やします。

★後、赤旗の集金と、日曜版の配達、今週号は通常ですが、京都明日で配達しながら、集金して、後、年内に一回、新年合併号になると思いますが、1階は、配達が必要かなと思っています。

★そして、大変なのは、今日と、来週にかけて、3回の法律相談です、内容や事件や相談する弁護士さんも違いますが、私が橋渡しの役割は変わらずです、これは、来年へ持ち込まれる課題だといわなくてはいけません、昨夜の相談も、今後、幾つかの検討すべき課題も提起されていまして、中々、気が抜けませんというところです。

昨日の記事・津山市長選挙への動きの続き物語です

★1年と2か月後の津山市長選挙の、噂の人たちのお話、四戸萌乃可能性もあるかなと書きましたが、昨日、「津山が裁かれる東京裁判」の終わりの「けじめ」の挨拶と弁護士へのお礼の話をしながら、ふと、気が付きました。

★そういえば、近藤さんは、個の裁判の「本人(被告として)尋問」の時に、相手側(原告)のべんごしから市長選挙にでるがために太陽光発電事業問題を取り上げてあくせんでんをしたのか」という意味の問いかけに「市長選挙とは関係ない、政治を良くしたいとの思いで、疑惑を解明したかった」との旨を述べましたら、弁護士化、今度の市長選挙にも立候補する予定か、と、聞きまして、近藤さんは、明確に、

市長選挙には「出ません」と答弁でしが・・・

★と述べたことを思い出しました、ということは、さいきん「明確にしない」訳ですから、多少思考が変化した、事態が急変したのかな、・・・本人に問いただすか」と思いましたが、微に入り細に入りしつもんするのも「変な感じ」がしまして、よしました、が、さて、この経過を考えますと、近藤さんの心の変化がある」というようにも見えます、裁判では、間違いなく「市長にはでません」と宣言した人が、「どうするのか」と聞いたら、「まだ決めかねる」となった訳で、どうなんだろうと、言う意味です、心変わり、まさか、事態に変化があった、・・・・ということで、まぁー、昨日の雑記の記事を、今朝は、一部報告の「訂正」のようなことですね・・・すみません色々と言いましてということです。さりとて、出るという言葉でもありません、迷っている」?、うん、そうかな、出るべきではないのではとおもいますが・・・私があれこれ言う立場でもありませんし。。。です。

 

12月20日(金)昨日も法律、今日はお礼へ

★金曜日の朝です、昨日の朝は、ことのほか冷え込みが厳しかった感じでしたが、日中、小雨もありましたて、1日ぐずついた天気でした。今朝も寒いですが、霧は少ない、車のウインドーなどがしみている、冷たい食う気が段々と強まっていくこのころですね。

★昨日は午後5時、夕方から「新しい法律相談」でした、これからの「成り行き具合」によれば、確実に訴訟でもしないとらちが明かないのかもしれません。平成6年、7年頃かろからの話もありまして、古くて「証人」などもいないという事態もあるようです。

創設換地とは、これなんでしょうかね

★行政がらみにもなっていまして、圃場整備の幹線道路を「創設換地」として認めて、事業が進んでいますから、私にも、その点は全く理解できていません。創設換地とは、をしらべてみましたら、【創設換地 従前の土地がないにも関わらず,新たな換地を定めることです。 これは,地区内で新たに必要な土地改良施設,農業経営合理化施設その他の非農用地及び創設農用地の用地を生み出す場合の手法で,換地計画に取得者として定められた者が換地処分によって所有権を得ることになります。】という解説が見つかりました。

★こんな方法が認められているということです、行政的にも、私に説明するのにこの言葉で説明します、?の連続になるわけです。要するに、

※圃場整備事業における「主要幹線道路」は、いわゆる「関係の内の中から、共同の凡夫によって生み出されるどうろ」なんですよね、その道路を、津山市が市道(一般道路)として買収するということですから、何で、そんな「高等戦術・戦略」ができるのか、出来たのか、だれが志向したのか、とてつもなく、大変な「手段」で、圃場整備事業における「地権者負担金・おおむね全事業費の3、3割に値するお金を、津山市が市道として買い上げて作るということをしたわけです。

※土地の買収費だけでも、約1億7千万円です、今回問題となっています、圃場整備事業における地元負担金は、約9千万円と思われますから、普通は、圃場整備する場合は、地権者負担金を取られ、田んぼの面積は「減歩(減る)」されて、元の面積より市少なくなった農地を自分が所有することになるのが普通です。が、

※ここでは、市道建設を入れたことによって、地権者負担金はゼロとし、しかも、黒字で「利益をあげている」ということになっています。この手が使えるのでしたら、皆、三割の地権者負担金で困っている、悩んでいるわけですから、ときには、この負担金必要論から、事業を「しない地域」もあるわけで、まさに、㊙野㊙で、この戦略が進められたわけです。

★この手法を含めて、最初から「事業に反対していた地権者」の人が、途中で「同意する」という結果は生まれていますが、どうも、おかしい、自分は「だまされたのではないか」という疑問を投げかけているということです。私に相談が来る前に、自分たちでの努力、他の政治家などを使っての苦労もされているようですが、平成13年に工事は完了して、完成記念碑までできている物語です。

終わった裁判の後始末というか、後整理もしなくては

★そして、今日は、率直に言いまして、先日終わった、「津山が裁かれる東京裁判」と私がなずけた裁判の弁護士さんに「ご挨拶」方々の訪問です。元々、自治労関係の弁護士事務所ですから、私の直接知人の弁護士さんではありませんが、こんな同議員に弁護士を紹介した皆さんと一緒にお礼に行きます。これは、終わった裁判ですから、気が楽といえば楽ですよね。

★とは言いましても、12月議会での、近藤議員と谷口市長の「この裁判に関係する質問と答弁、市長の反問権の活用など、政治的には「終わった」とは言い難い様子ですね。私の中では、「裁判はおわった」という言葉て、終わっているわけなんですがね・・・・どうでしょうか。

さらに、新しい相談事で、弁護士さんと話し合いが必要

★別件の相談事です、弁護士さんを複数お願いしての相談、弁護士さんの都合で、26日の午前中としましたが、これも、話が、可也しんどい感じて巣、相談者の方が「被害者」です、加害者から、いわば「パワハラのような行為」をされたから、何とかならないかということです。

★パワハラというのは、中々立証が困難と聞きますが、パワハラを受けたと感じた人の言い分が、比較的問題視されるようになっていますから、一時とは少し世の中の流れが変化しているのかもしれませんが・・。どうも、相手が、上司、力持ち、実力者ということが前提にあるのかもしれません、普通の人から、普通の人が「パワハラ行為をうけた」というのは。どうも、実例の中では見いだせませんね。。。どうなりますかね。

★パワハラ(パワーハラスメント)とは、職場内での優位性や立場を利用して、労働者に対して業務の適正範囲を超えた叱責や嫌がらせをおこなう行為のことです。パワハラには種類があり、身体的侵害、精神的侵害、人間関係からの切り離し、過大な要求、過小な要求、個の侵害という6つの類型に分けられています。

★パワハラは、法律で具体的に明記されてはいないですが、厚生労働省の公式サイトで定義について明記されており、会社側にも再発防止措置をとる努力義務があります。

12月19日(木)年末のあわただしさへ

★とても寒い朝です、小さな雨のような霧雨、霧ではありません、冷たい北風、山間部は雪になるという予報が出ている朝です。那岐山の雪が解けないままにありますが、其の上に今日は、降り積もるかもしれませんね。

どうなんでしょうか、3つ目の裁判になるのかな?

★今日は、夕方から、知人の「ある出来事」と今のところ述べておきますが、弁護士と面談して、可能性があれば「訴訟」にでも持ち込まなくてはらちが明かないことになるかもです。そうなりますと、3つ目の裁判を抱えることになります。年末押し迫った27日(金)にも、古くて新しい訴訟の可能性を持つ相談事も一つ抱えていますから、さてさて、年の瀬から新年にかけて、あわただしく過ごしそうな気配です。

★なんで、私の「周り」で、こんなに裁判とか、法律とかの問題がたくさん持ち上がるのか、自分でも不思議物語です。昨日も、午前中に、司法書士を相手にすべき事柄の相談、結局は、私の手で、「家屋賃貸契約書」なるものを仕上げて、本人と家主さんに渡して、読んでもらい、良かったら、署名、捺印をとお願いしましたが、うまくいくでしょうかね。

★今は、裁判という意味では、一つ目が「久米の福祉・介護施設」の虐待とか不適切介護とかで「市に至った利用者家族の人たち」が、集団で起こした訴訟です、23日(月)に岡山で、弁護団と原告団と支援者の3団体合同会議です。そういえば、この施設は、私を「刑事告発」したことがあり、ずいぶんと「失礼な態度」でしたね、、おかげさまで「不起訴」らはなったんですが、あの時の思いは、消えませんですね。

★もう一つの裁判は、3つ目になるかなという事柄とおんなじことですが、今は、給与をだしていない施設側が、調停裁判に持ち込みまして、「給与をもらっていない人を、まぁー、訴えている裁判」ということになりますから、おかしな現象です、これを、正しい形、すなわち「供与をもらっていない労働者が、「未払い給与の支払いを求める訴訟」でも起こしそうな話です、2つと3つが「同時に進む」のかもしれませんが、内容は、まったくおんなじ事柄です。

★そして、今日の夕方から、まったく新しい課題での弁護士との相談です。この案件も「裁判になじむかどうか」が問われるのかもしれませんが、私は、弁護士を紹介するという立場でしかないと思います、事件というか、事柄は、まったく無知の事柄、縁がある事柄でもありませんが、しかし、弁護士を紹介という立場だけでも、完全に無視するなとはできないことでして、かかわりを持つことになると思いますね。

年が明けますと、津山市長選挙への動きも・・・

★再来年の2月ですが、もう、14か月後には津山市長選挙です、個々数日前から、しきりに市長選挙のことを耳にします、基本的には、「三つ巴」の選挙かな・・・・ある人に言わせますと、「いろいろとしんぱいするな、絶対に勝つから、政治が変わるから」と断言する人もあるというお話にも出会いました。年が明けますと、1年後に市長選挙ということになります、3月末で、退職して立候補する準備に入る・・・・誰が、?、そりぁー、新人候補がです、?、一人が、?、二人が、?、二人とも・・・・そうかもしれませんね、、、

★宮地さんから引き継ぐ格好で「4年前の市長選挙に立候補した近藤さんは‥‥」?、先日本人に直接聞きましたら、「まだ検討中、今だ,思案投げ首」というのが本音のようです。しかし、3月末か、4月までには、「遅くとも態度をはっきりさせないといけないのではないか…」と言葉をなげかけてはいますが・・

★試しに、三つ巴といわれる新人の2つ巴の側からの誘いというか、相談かな、話し合いは無いのか、も、聞きましたが、「無い」と明確に言葉がかえってきました・・・と、言うことは、いわゆる「立憲・連合・組合」などの選対、からの継続・繋がっていた、前市長らのグループとは違う形での候補者づくりになっているということなんでしょうね・・

私には、と、聞きますから、私は日本共産党です、だれも相談もないし、話し合いのテーブルもないでしょう、相手にはだれもしないとおもうよ・・・と明言しておきました。三つ巴であれ、四つ巴になっても、逆に「二人の対決」になっても、日本共産党と組む」という人はいないでしょう・・・それだけに「気が楽」ということです。完全に第三者となりきるべきとかんがえていますから・・・・。

その前に、倉敷・北九州、東京都議選、そして、参議院選挙と続きます、全国では、かなり沢山の自治体が議員、あるいは首長選挙があるのではないかな、いわゆる「中間地方選挙の年」ということになりますから。。。

何としても、全国比例区は、5人の当選を果たしたい

小池書記局長をふくめた5人の候補者、参議院選挙です、岡山は四国・香川県の元県会議員白川よう子さんの地域割り、まだ、お目にかかったことはありませんが、選挙まで、四国・九州・沖縄・中国という広い地域です、津山に来ることは、無いかもしれませんね、、、ダダ、鏡野・美作・美咲と地方選挙がありますから、そこの地域には、来られるかもですが、津山は、無理かな・・

白川さん

★白川さんのこの写真と、「挨拶と言葉」が、とても気に入ってます、画面を大きくして、読んでみてください、とても、苦労人だとわかる、そんな人を国会へと思いますね、、

★参議院選挙は、日本共産党と政党の名前でも、白川よう子と個人の名前でも有効です、白川さんの個人の名前が多い糸、党内での当選者として、多い順に当選となりますから、白川さんとよろしくですね。