大震災から半年が経過です

今日から津山市議会は一般質問です

9月定例市議会は、今日が一般質問初日、6人の議員さんが質問に立ちます。明日からは1日5人ですが、今日だけが6人ということです、津山駅前整備、教育問題、水道料金、暴力団排除条例、福祉、防災・災害など、かなり色んな課題が論議される感じです。

今日は12日大震災から6カ月過ぎました

★東日本大震災、原発事故・放射能漏れ・・・・あれから半年が経過しました、政治の分野をふくめて「色んな動き」はありましたが、被災地では、「避難所暮らし」が、ほぼ、おわって「仮説住宅住まい」へ移行と言う時期でしょうか、放射能漏れは「危険地域」の様子が、少しは分かってきた・・・安全な地域へ「引越し」という事態へ…・「そこにのこりたい」という人たちの気持ち・・・・どうなっていくのか、ひとが住める地域に「復興」できるのだろうか・・・・根本的と言うか、復興の兆しと言うか、どうも、スッキリとは見えてこないのではないでしょうか・・・・放射能汚染は、まいにち、まいにち、新たな課題が表面化して行く・・・「死の町」発言の大臣が責任をとらされて辞任劇・・・・・?です

「死の町」といわれれば、つらい、悲しい・・・・腹正しい

懸命に「福島を再生したい」と願う人たちの心を傷つける…・まずい言葉ではありますが…しかし、一方では、放射能に汚染された町、ゴーストタウン・死の町へなっていく、それはそれとして『事実』ではないんでしょうか・・・そこに住む人や、そこを故郷、として「なつかしさ」いっぱい、愛しい心の人たちからみれば、とんでも無い『悲劇』で、つらい、腹も立つ、でしょうが、しかし、その人たちの「責任はゼロ」です、だれが、そんな町、「死の町」と言わなくてはいけない状態にしたのか・・・・

汚染をなくす、排除する、といわれますが、放射能をゼロにできるものか・・・そういう点では、つらいことでも「ひとが暮らせる土地にするのには、かなりの事をしても、かなりのお金をいれても、出来ないのではないか・・・」そういうてんでは、もう、そこには帰れない・・・」という現実を厳しく眺めなくてはと、思えて仕方ありませんが…

原発ゼロをめざす県民集会

★実行委員会を代表して花田さんのあいさつでした。

★福島の「原発」事故直後から、現地入り、福島県浪江町の津島地区の、酪農家だけの地域、自ら「被ばく」しながらも、福島の酪農家の被爆から、離村・避難地への移転までを撮り続けた写真をもとにしての「フクシマ・残された故郷は何をかたるか」のお話、ひどい「放射能ひばく」と「無責任な政府と東電」を告発するじゃナリストの心をみたおもいでした。

★原発の爆破、三月の末から、故郷・フクシマを捨てざるをえなかった、小学一年生と四年生の子どもを持つ、奥さん、総社市の「実姉」を頼って岡山へ…・放射能と言う「見えない魔物」に真正面から向かい合った、一人の「母親としての苦悩、子育て真っ盛りの人たちの将来は…、涙がにじんだお話でした、彼女も、明るいはなしぶりでしたが、ギュッと「唇をかみしめる」時が、時々有りました…色んな『思い』が脳裏に走った時なんでしょう…この福島の人の心を全国へ、そして、原発ゼロへ・・・・長い道のりでも皆で歩まなくてはです。

自然エネルギーへの転化、電力は大丈夫か

日本科学者会議の榊原精さんのお話、10年後、長くても20年後、自然エネルギーの社会へ、原発ゼロへ、科学者の目からのうったえは、確かな響きでした。集会が終わって、デモこ行進でしたが、体調が、まだ、今一スッキリとしないので、デモ行進は、参加しませんでした…・津山からマイクロバス二台、一台が、高齢者や体調のわるい人たちと一緒に、少し、早めの帰りでした…

今日から、一般質問・・・・16日が私の質問日です…他の議員さんの質問や答弁を聞きながら、自分の質問と関係のある部分は、良く聞いて、質問の組み立てを「変更・仕上げ』をしなくてはの日です…

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