6月30日(水)昨日は、苫田ダム阻止同盟・運動の資料を自治体へ

★今朝も曇空、晴れそうですが、1日中、曇ったり、小雨でも振ったりかな…昨日の午後は、鏡野町(元奥津町を合併した)で行われました「苫田ダム 資料の贈呈式」にさんかしました。私が議員になった約60年前、まさに、「奥津町のダム阻止同盟」は、揺るぎのない団結、町をあげての「反対運動」の最盛期、阻止の旗が「崩れる」などは想像もしない時期でした。いろんな思い出が浮かびましたね、夕方は「500回記念野6・9行動」でした…が、この記事は、明日ですね。今朝は、苫田ダム関係だけです。

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送られた資料は、整理済が158点、未整理など605点です、段ボール箱に、25箱程度の膨大なものでした。下の写真、奥津町にあった「阻止同盟の事務所」です、何回か訪問、訪れた建物です。

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贈呈式の司会は、鏡野町の職員さんがしてくれまして、

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武田英雄さんが「贈呈者」を代表してあいさつを行いました。

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そして、世話人の南条さん、橋本さんから、鏡野町の山崎町長に「目録」が送られました。

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下は鏡野町・山崎町長の「お礼の言葉」でした。

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ここまでが贈呈式、゜ここからが、第二部 スピーチの分野です

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全体で約1時間でおわりました。私も、いくつかの「思い出」がある苫田ダム物語ですが、またの機会に私の思いは紹介しますね、「悪代官」といわれた、長野士郎県知事との「同席会議」でのやり取り、それに、パニック物語・・・と、これも色々だからね。…

そもそもの苫田ダムとは

苫田ダム建設事業は岡山県が1953年そもそも(昭和28年)4月に吉井川総合開発調査に着手したことから始まる。1957年(昭和32年)11月、農林省と県による農業用ダム構想の記事が山陽新聞に掲載されると、当時の苫田村は緊急村議会で反対を表明し、地元住民はダム建設阻止期成同盟会を結成した。その後合併して発足した奥津町は「苫田ダム絶対阻止」を町是とし、「苫田ダム阻止特別委員会条例」を制定して町を挙げた激しい反対運動を繰り広げた。

★苫田ダムは1963年(昭和38年)に建設省へ移管され、1手した。岡山県は町への補助金と公共事業の締め付けによる行政圧迫を強め、1986年かよん ら1989年にかけてはダム阻止派町長3人が任期途中で辞職するなど町政が混乱していった。また関係住民への直接対話や協力要請が続けられた結果、ダム建設容認へ動く住民も次第に増加していった。そして1990年(平成2年)12月、当時の奥津町長がダム受け入れを表明。1994年年(平成6年)6月に「苫田ダム阻止特別委員会条例」を廃止し、建設省・岡山県・奥    津町・鏡野町により「苫田ダム建設事業に係る基本協定」が締結された。

構想浮上から42年後の1999年(平成11年)6月に苫田ダム本体工事起工式が行われ、総事業費1940億円をかけて2005年(平成17年)3月に完成した。ダムによる水没面積は330ha、水没農地面積は155ha、水没戸数は50余戸(奥津町477戸、鏡野町27戸)に上った。そしてダム問題で揺れた奥津町はダム完成と同時期に市町村合併(平成の大合併)により新・鏡野町となり、46年の戦いの歴史でしたね・・・・町の歴史に幕を下ろした。

武田英雄県会議員最後の「一般質問」から 2011年2月議会(武田県議最後の質問ということになります)

★指摘しておきたい三つ目は、苫田ダムに関してですが、「10万㌧の水余りとそれへの毎年6億円の税金投入問題」、「吉井川下流の海苔の色落ちと赤潮発生」問題などは、昨年の6月議会で指摘させていただきましたので、今回は「治水」問題に絞って質問します。

★国や県に反対するものは絶対に許さない」とした長野県政の権力的な行政圧迫に対して敢然と対峙し、全国のダム建設反対運動でも史上最大最強といわれた苫田ダム阻止同盟の戦いは、私が今日の政治活動を始めるに至った原点でもあります。

★また、吉井川最下流の西大寺で吉井川の堤防のすぐ傍で生まれ育ち、今も吉井川に生業を求める人々と共に暮らす私にとっては、苫田ダムと吉井川の問題は私の今後の人生のライフワークでもあります。

そして何よりも苫田ダム問題は、チボリ・吉備高原都市問題と並んで、県政の根本を振り返り、明日への教訓を導き出す上で大切な問題を孕んでいます。

そうした立場から、私は京都を中心にダム問題に取り組む「国土問題研究会」に「苫田ダム完成5年の検証」の委託研究をしていましたが、この度、その結果がほぼまとまり、今月中旬に研究成果の発表の運びとなっています。

本日は、その研究に参加しながら考えた「苫田ダムの治水問題に関する私の考え」を示し、土木部長の見解を伺いたいと思います。

苫田ダムの集水面積は吉井川の全流域面積の10分の1しかありません。苫田ダムの集水面積内に雨が降った場合に限り、しかも鏡野町や津山市に対していくらかの治水効果は認められるでしょうが、ダムより下流に雨が降った場合や、一昨年の美作市の豪雨災害のように吉野川流域に雨が降った場合には、その治水効果は疑わしいものです。

さらに、吉井川は苫田ダムから河口まで90キロと長く、西大寺などへの治水効果は極めて低いといわざるをえません。

私は吉井川の治水にとって実際に大事なことは、①苫田ダムの治水効果の限界を明確にし、②河川の流れ、湾曲、支流との合流など実態にそって各箇所の治水対策を、③ハード・ソフトの両面から講じることだと考えますが、いかがでしょうか。

あわせて、岡山県の気象の特性とその最近の変化に対応することも、一昨年の美作市の豪雨災害の教訓から大切かと考えます。

岡山県は、全国屈指の「雨の少ない県」であることは確かですが、局地的な強雨の発生頻度が高くなっているのも確かです。その点からも、「巨大ダムに頼る治水」を一刻も早く脱却し、局地局地の治水対策を進めることが求められていると思いますが、いかがでしょうか

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