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1月22日(水)まずは、散歩とゴミ出しの朝です

水曜日は、我が家のゴミ出しの週が、正月のやや不規則な「ゴミ出し」から定例へ帰ってきましての定例化へです、朝の散歩、赤旗日刊紙の整理と持ち帰りが、まずの所用です。7時をすぎないと太陽は顔を見せません、そろそろ6時台には日の出かなと思いますが、なかなかですね、、今朝も冷たい感じよりも、寒いという程度の朝です<やや曇り空です。

美作水平社100年記念誌へ、新しい項目を・・

★ここに来ましても、まだ、新しい記事です、少しでも、残しておきたいの「願望・欲かな」とは思いますが、阪神淡路大震災から30年という世の動きによって、フト、気が付いた出来事、「阪神淡路の大震災」という名称がまだ゛ついていないときに、高速道が、須磨までは、津山からいけるという道路になり、地道も、何とか通れる頃に、皆で神戸に行った・・・・炊き出しで、ぼ人対アで、長田区の新しい図書館、ひんー難所で避難者の皆さんと一緒に、雑魚寝した‥‥震災への支援活動を書いておこう・・・・の思い出の記事と写真として、少し、まとめました。

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このトラックいっぱいの食料品、なべ、ガスコンロ、お米、野菜は津山で刻んで、漬物もすぐ食べられるようにして、ホルモンを100人分「カンパしてくれまして、味付け直前まで焼いて、そのまんま袋に入れて持っていき、現地で、大きな鉄板2つ、キャベツ、玉ねぎ入れて、お店の「みそ味しょうゆ」もカンパしてもらい、200人近い人たちに食べてもらいました。須磨の避難所だったと記憶ですが、医科は、記録から抜粋記事です。100年記念誌には、「ごきげんいかが」の記事を中心にしてまとめました。

19915年3月・266号の「ごきげんいかが」からボランティアとカンパをお願いしています

※1995年1月17日、阪神淡路大震災、全国がアッと驚きました。全国部落解放運動(通称・全解連)へと運動団体の名称を変更し、岡山県と並んで力持ちと言われた兵庫県神戸市協議会の拠点地域である長田町一帯が、とりわけ被害が大きく大変でした。

全解連として全国的に「支援の呼びかけ」が行われ、カンパ活動や物資の支援活動などが行われました。全解連津山市協議会(豊かなまち・人つくり津山ネットワークの前組織)が呼びかけて、美作町協議会などと共同で、現地の受け入れ態勢が整3月3月16日~17日と「炊き出しボランティア活動」にも出かけました。マイクバスとトラックで25人が参加してくれました。

初日が、須磨区妙法寺川対策本部の案内で「須磨体育館」(避難者約250人)へ行きまして、夕食から炊き出しをしました。

升炊炊飯器五ケ、大ガマ1セット、焼肉用大鉄板2鉄板など準備。サラダを入れる大きな鍋は3ケ、

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震災1

★「焼肉・ホルモン」→市内の有名店が、すべて寄付ということで軽く焼いて、袋に入れてくれました、それを現地で温めて、味付けして配ったということです。と「みそ汁」と「サラダ」と3皿が1人分と書いています、箸とお茶のむ紙カップもつけていますね。

須磨の避難所責任者の大西さんは「とても真面目なボランティアをしていただき感謝です」と喜びの声を上げていました。中には、多少「いい加減な炊き出しグループ」もあるとなげいていましたね。。。。どうされているでしょう、もう、お亡くなりになっているかもですね・・・かなりの恒例の人だったと思いますから…お元気でおられることを祈ります。

震災3

災害3

★翌朝は、4時30分から、朝食の準備、ご飯は炊飯器4ケ、湯通し野菜大ガマ1ケ、みそ汁用で大ガマ四ケ、当時の記録では訳二時間かけて準備、一番早い人が午前六時から来られたとあります。六時半から八時過ぎまで、訳二百人の朝食が終わったとあります。

全解連兵庫県連のみなさんの案内で、県連の事務所前でカレーとサラダ二百人分を準備し完食しています。→この地域では、全解連と解放同盟と右翼暴力団との事務所がそれぞれの拠点としてありました、カレーを取りに来られた人は、特に区別はなく、並んだ人に、亡くなるまで配ったわけです、一人、一皿と野決まりは、さて、どうだったでしょうか、・・・多少の「過ち」はあったと思います。ここでも、カレーとサラダとスプーンと紙カップを「人セット」で配りました。

昨日の市長選挙のお話続きます

昨日、近藤議員に偶然お会いしましたから、早速、「来年の市長選挙、そろそろどうするのか、結論を出したのではないのか」ということを聞きましたが、「まだです、いつ結6を出すかの時期と、それを発表する時期が、いつのタイミングが良いか思案中で、先輩(私=末永のこと)何かいい知恵はありませんか・・・」と逆に問いかけられまして、?、の思いがしました。

★ついでに、いろんなことを話しましたが、宮地前市長から、近藤さんへとつながった「選対・支援団体」としては、どうなのかという話もしました。私=末永は、宮地さん、こんどうさんと「一票は入れました」が、決して、選対に入っていたとか、事務所に座っていたとかの関係はありません、単なる応援団という程度の立場です、この点は、勘違いしないでくださいね。

★今しきりに「国政の段階」で言われます、市民と野党の共同という在り方、そのルートで言いますと、新しい候補者「探し」も含めて、近藤さんの決意も待って、検討中ということかな‥‥どこかの陣営が「正式な立候補声明」などしますと、そのころが、タイミングとしては、一番良い理科もしれない、と、言う私流の考えは述べておきましたが…。女性県会議員り話も耳にしますが、これは、無いと思います、5年、10年の単位で言うと「わからない」ですが、少なくとも、来年の2月の市長選挙は「無い」と思いますが。

三すくみとは、の解説→《「関尹子」三極から》蛇はなめくじをおそれ、なめくじは蛙 (かえる) をおそれ、蛙は蛇をおそれること。転じて、三者が互いに牽制し合って、それぞれが自由に動けない状態のことらしいですが、実態としては、どうなるんでしょうかね・・・。
保守の内輪もめというのでもなさそう、商工会議所、医師会、中政連、建設協会などなど、主な保守勢力の団体が、というか、団体の厚生委員にと言いますか、まず、下相談、挨拶、話し合い、お金の工面などなどの支援の以来、個々に立脚した「噂の人が3人」かな、そして、女性の国会議員、宮地~近藤のラインを引き継ぐ人、これで、5人ということになりますが、?、です。
とても面白いのは、反現職に対して、噂の人二人」が出たら、反現職の票が割れるから、一人に絞ったらという話が、誠氏やカニ言われ始めました‥‥この論理には「政治が無い」ですね、政治の立脚点もない」という論理です。そんなこと言いますと、現職が出る選挙では、どんな政策とか、考えとかに関係なく、二人は出てはいけないという、妙な論理になります、現職は現職、新人は新人、それぞれの政治理念と政策とで勝負なんです、あんまり、おかしな論調に流されない方が良いとは思いますが、案外、反現職の票が割れる」という考えの人は、多いようです。★この論理は、ぢがぅのです、現職にいやけがさす」とか「ついていけなくなった」とか、反ではない人、親の人でも、離れるケースもありますし、選挙は、十色、いろいろですよ。。。候補者に弱って、美鵜は変わります、動きます、反とか親とかではありません。
★宮地~近藤ラインでは、近藤さんが、もしダメならば、○○さんが、津山になじみの人、名前も売れている人、個の人に白羽の矢を充てるかの話が飛び込んできました、・・・私に相談」ではありません、あくまで、情報として、話を教えてくれるという意味ですから、誤解しないでくださいね・・・
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12月14日(土)今年も残り18日です

★朝は、小雨、そして、横殴りの風、冷たい朝の散歩、出はじめと終わりは雨が降ってなかったのですが、歩き始めてすぐ降り初めまして、風も強く、ズボンが少し濡れるという状態、少し、短いコースで終わりました。

★2024年も、今日を入れて18日で終わります。時の流れが速いです、この「雑記」は、明日の日曜日と明後日の月曜日は、お休みします、次の書き込みは火曜日の朝になりますが、よろしくお願いします。今年の暦が残り1枚、来年度の暦を、今年の次に新しくぶら下げています、我が家の中が4か所で、さくら会館の事務所は、各机の上に貼っていますから、5枚程度です、今年と同じ主。意の「暦」の次に、同じ種類を置きます。

★赤旗の暦には、来年の赤旗の暦、岩合さんの「猫の写真・日本国カレンダー」の下には同じものをという具合です。下の写真、今年の赤旗の暦ですが、これをめくりますと、新年、新しい暦が見られるようにしているということです。

暦

17日(火)が議会の最終日です

★火曜日は、津山市議会12月定例会議の最終日になります。提案されていました各議案の審査は、常任委員会で審査が終了、各常任委員長の委員会審査結果の報告があり、賛成・反対の討論があり、採決されて、追加議案が幾つかあると聞いていますから、市長から追加議案の説明があり、それを、委員会審査を省いて本会議で質疑、採択へと流れが予想されます。

★私は、1つの議案に反対し、その他は、多少「意見は述べる予定」ですが、賛成ということです。今議会委員会付託されたのは25の議案が提案されていますから、25分の1=0、04%の反対、96%が賛成ということになりますか…

★最終日には、追加議案として2つ用意されているようでどうなりますか、最終日は、17日の火曜日です、「総務文教委員会」で、可否同数、委員長採決により【否決】となっています議案は、最終的にどうなるんでしょうかね、多少、気になることですが、どうなりますかというところです。

最終日に追加される議案は、人事案件が2つと思いますが

一つは選挙管理委員の委員と補充委員の選任問題です、私の道の世界ですが、4年前の議会では、反対する議員もあり、ひと騒動あったとか聞きますが、今回はどうなりますかね。会議録を検索してみますと、岡安議長の時で、選挙管理委員を「指名推薦」という提案があり、それに、議員の中から「いぎあり」という声が出されており、議会を球形として、「投票によるせんきょ」という方式に変更されています。投票の結果は、4人のこう保守全員が「多数」を取って当選となっていますが、指名推薦という方式が通用しなかったということで、その「原因」は、会議録だけでは明確にわかりません、会議録では、議事の流れと結果がわかるということです。今回は、どうなるでしょうかね、欲わからないというところです。

★もう一つの人事案件は、「農業委員会の委員の任命についてです。この問題は、とかく「うわさ」も流されていまして、「本来の競争社会の在り方」がなくなってしまい、地域での「話し合い方式」に最近なっており、多少、その在り方に「批判的意見」を持つ市民というか、農業関係者もおられるとか言われています。現に、私にも、「おかしいのではないか」という声をぶつけてくる人もありますから、よほどのことがあるのかもしれません。そうした市民の方の意見、何とか、繁栄したいとは思っていますが、提案されるのは「だれだれを農業委員」という人の名前だけです。その人が「農業委員になるのに反対」という意味ではないと思っています。個人の名前・特定の人に反対と言うのでなくて、全体的な「農業政策のながれ」と関係しての、農業委員の選出の方法、あり方、経過が問題ということになるのでしょうか、どう扱いますか、悩まなくてはいけないという議案提案というところです。

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6月28日(水)今日は常任委員会予備日です

昨日から暑い、蒸せる、今朝も「蒸せる暑さ」です、空は曇っている感じですが、暑くてもスカッとした強い日差しの方が気持ちがよい…梅雨らしい雨は無いが、梅雨はまだ明けてはいないのかも…今日明日と雨かも…

きわめておかしな話なんですが、無知なんでしょうかね

※実は、きわめておかしな話なんですが、総務文教委員会で、「津山市の土地の上に(工作物建設している場所)に「行政視察」を公式に依頼しまして、行く予定でしたが、雨模様で延期になったのですが、それは、「仕方ないこと」ですが、「おかしな話」は、この現場から、「視察は良いが、写真は撮るな、視察の件を「公開するな、ブログに書くな」という意味の「条件付き視察許可」ということになっています、無茶言うな!と「怒りの声」です、

※津山市の土地がどのように利用、使用(私用→地上権設定ですから)されているかを、津山市議会が視察するのに、「活動ぶり、調査したこと、結果の感想、問題点を報告するな、ブログに書くな‥」とは、これいかにです、議会の公式な活動を何と思っているのでしょうか、秘密会ではないんですよ、そして、仮に「秘密会」としても、それは、他から言われたり、強要されたりすることでなく、議会自らが判断することなんですよ、これ、地方自治の原理、原則なの…わかられていない、知らないのかな・・

★津山市議会は、昨日までに、ほぼ、常任委員会の審査を終えまして、今日は「予備日」と言われる日で、審査が継続している課題があり、本会議最終日までに「審査が継続している課題」とか「まとめておくべき事柄」とカがある場合に審査するという日です。通常は、「休日」のような状態となります、今回は、実質的に休日ということです。

★明日は、特別委員会が予定されています。私が所属しています「市議会活性化特別委員会」と「広報調査特別委員会」(いわゆる、市議会だより編集委員会です)下の表は、議会活性化調査特別委員会についての案内です。

議会活性化調査特別委員会
定数 8人
委員長 三浦ひらく
副委員長 河村美典
委員
(50音順)
金田稔久
末永弘之
髙橋寿治
ほかぞの千晶
松本義隆
森岡和雄
所管事務 議会活性化に関わる諸問題についての調査研究

★どんなことを「活性化」と称するのか、「活性化とは何か」が問われるのかもしれません、何せ、委員長が「活性化、何が何でも活性化」のスローガンの人ですから、どのように問題が提起されるかですね、、まさか、「議員定数を減らすこと」が目的の委員会とは思えないのですが‥

昨日も、ほぼ、1日、7月8日に予定しています「美作水平社創立100年記念式典」の準備におわれました。

火曜日は、私の定休日としていたのですが、なかなかです、議会の日程と、まじかになりました、美作水平社創立100周年記念式典」の準備に追われます。いろんな資料を「引っ張り出す」作業も一苦労です、先日、フト、土佐山田町という記事に、?、と頭が止まりまして、そうか、そういえば、高知県土佐山田町、今は、香美市になっています、2006年(平成18年)3月1日に、当時の 香美郡香北町・土佐山田町・物部村が新設合併し市制施行、香美市が発足したようです。

★土佐山田町時代、日本共産党の議席が多くあり、今の香美市も5人の市議ですから、多いですよ、本音シンポが縁で、津山に来てもらったり、津山から言ったり、当時の「地区の中を「探索」して歩いたのを思い出します。7月8日に来てくれないかなぁーの思いですね。

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2023年1月5日(木)愛和荘物語新年へ復活の日

★今日は5日で木曜日ですが、私の2023年の仕事始めです、さくら会館・津山ネットを中心とした日々の活動です、特別に給与になったり、儲けるわけではありません、月曜、水曜、金曜が末永の当番で、火曜日が西山さんの当番、木曜日が山本さんの当番です、今日が木曜日ですから、山本さんの当番の日ということになります。月に「交通費」などで2万円の寸志だけです、でもね今年は、格別に「美作水平社創立100年記念のまとめ」が中心です、よろしくお願いしますね。

★最近は、晴れていましても、空気がとても「冷たい」です、午前中は、「風はない」感じですが、お昼からは、「太陽が丘を見せているのに、風があり、冷たい風が吹きます、からっ風、」です、昨日も、3時過ぎから、私用があり、庭とか、「すえひろ亭」と称する、昔の「末永事務所」あたりをごそごそとしましたが、とても、風邪が冷たくて、体が冷え込みました、これから、まだ、寒さが続くのでしょうが、冷たい、寒いのは嫌ですね。

人・文化、「豊かなまち・人つくり津山ネットワーク」の「人つくりの目指す方向」の続きです

★びっくりすることです、文化の香りする人が必要、ものを知ろうの運動、その基礎は、「差別するな」ではなくて「差別されない人間になろう」でした、そして、「子供や孫たちに、同和・部落という名のある地域を残すのでなく、普通の社会を残してやりたい」が、心底から必要と思ったものでした、とても、「すえおそろしい運動」を考えていたんですね、、、日ころは、忘れていますが、何かの拍子に、思い出す事柄で、事実、あった物語を「運動に生かしてきた」ともおもっていますが、、、実際は、うまくいったわけではないんですが・・・それでも「努力の方向」はしてきたんですよ、皆で…

★演歌・カラオケから、モーツアルト・ベートウベンがわかる文化を
1980年代後半から90年代にかけて、長い間津山市協議会の「運動方針」に書かれていたことです。
★演歌・カラオケは超一流、本当にすごく上手に歌いこなします・・・・・、この道でのさらなる頂点をめざしながら、モーツアルトやべートウベンが理解できる文化を、ビアノが弾きこなせる文化を求めていきたいと思います。
文化は人、人づくりです。


こんな運動方針があるものか?、と一部から「冷やかされ、冷たく眺められ」ました。

上の事柄、個人的に言いますと、私は「ド音痴」です、カラオケなど「もげることすらわからない」のですが、「おかしい」という認識は生まれますという個人の事ではなくて、津山ネットの活動家・会員さんは、じつに「うまい」人が多いです…

★なんで、こんなことを思ったのか、・・・そうですね、参考のために、思い出の記として書いておきますか、こんなこと書くのは初めてのような気がしますが。PTAなどの会合、津山市全体の連合会の役員会や総会、同窓会、〇〇回の懇談会、など、多少の「お酒の場」も含めて、お付き合いがあります、その時に、難なく「ピアノ」をおいた会場の時もあるんですね・・・

友が、連れの○○組織の会長さんが、何ということは無い、軽く「ピアノをかなでる」時があるんですよね・・・・その時に、寂しさとともに、フト心に浮かぶ「文化の歴史」「生きざま」でした・・・そこから、うまれた「人としての在り方、心根、文化の到達点と違い」をしみじみと感じ入った結果論といえばねわかっていただけますかね・・・

今年は、何か、正月から、少々変な話の連続ですね。

◆歌詞カードではなく、楽譜がないと歌えない?
これも実際に行きあたたった文化の違いでした、びっくりもしました。何かの記念集会の準備中と記憶しますが、「カラオケの先生」に出演の依頼をしたとき、「楽譜」を求められました・・・「違う」と率直に思いました・・・・・・、そして、運動方針に、またまた、変なのが登場しました。


★カラオケで「歌詞カード」を求めて歌いますが、専門官は、「楽譜→おたまじゃくし←を見ないと歌えない」といいます。楽譜を必要とする歌い手、おたまじゃくしがわかる、これが本物ということを少なくとも理解をして・・・・、歌詞カードではない楽譜を求めて一度歌って見てください・・・。

★とてつもない事柄です、こんな「部落解放運動における運動方針が世にあったんだ」とは、容易には信じられませんね‥

愛和荘物語・虐待とは確認しませんも再開へです

★下の二枚の写真、新年早々ですが、間違いが2つ、まず、曜日ですが1月5日(月)となっていますが、すくなくとも(木)でないといけませんね、そして、下の写真が、縦にうつらないと読めません、横になったままで、治らないんです、ごめんなさいです。

なによりも「大きな間違い」は、この2つの「資料」の上に、ただし書きがあるんです、この表のような「事故報告書」を、あるひとが「分析」した言葉なんですが、それが、消えているというか、写ってないないんですね、、、大変な間違いです。

23-1-5上側

★ある年の4月10日の17時から21時30分の「脂肪体退荘」するまでの事故報告書です。18時50分に「呼吸停止確認」し、19時50分に、ドクターが死亡の確認を行っています。その様子が、

★上と下の報告書に「双方にまたがる書き方」ですか、【愛和荘は〇〇さんが無くなった経過を全身浮腫のため亡くなった事にしょうとしていた。〇〇さんは夕食後いつもなら「あーあー」声をだされるかが、亡くなった日は出されていなかった。それは、△△主任は、把握している。行政指導時、なぜ、静かになったのかのに訪室しなかったを質問されて、△△主任は静かに寝ているんだと思ったと報告している。とありますから、大変なことだと思われます。

23-1-5ng@t@0

明日は、9日の「愛和莊に関する裁判」の関係で、いろいろと資料集め、情報の交換など行い、弁護士とも連絡とったりの日です。今年、この裁判は、どのように展開していくのでしょうかね、、、