作成者別アーカイブ: 末永 弘之

8月16日(金)ごきげんは・・・お休みです

★あの戦争から、七十九年目の「終戦記念日」の朝です、今朝も暑い太陽です。平和を求めて、核兵器廃絶へ、一歩でも、二歩でも、前に行きたいものですね。毎日暑い日が続きますね、昨日、二人の人から連絡がありまして、「ごきげんがないですが、どうされました、体調でもわるいですか・・・」という意味のことを聞かれました。「いやいや、暑いですが、年なりに元気しています。ごきげんは、赤旗日曜版が「11と18が合併校で、今秋が休刊日になっていますから、ごきげんもお休みさせてもらいました」と説明しまして、納得していただきました。

★ご心配をいただきありがとうございます。本当に、感謝です、市議会報告の「ごきげんいかが」を読んでいただいていると、元気も出ますし、私の身体(年ということも含めて)にも気を使っていただき申し訳ないことですが、今後ともよろしくお願いします。

気になっていたことを一つ昨日片づけました

★ゆうちょ銀行から、「登録内容の確認」と称しまして、正式な「法人資格」を有していない、団体名義の通帳についての、「預金者情報の整備」の書類を求められました。津山ネットワーク・津山平和委員会、・さくら産直などの「団体の名まえで、ゆうちょ銀行に口座がまだありますが、その名義の団体の確認調査ということだと思いまして、規約とか、総会の会議録とか、会計報告とか、活動の在り方とかの書類を、お盆で整理しまして、郵便局で確認してもらいました。

★なんとか、これで求められているものが百パーセントそろえた、ということで、締め切りが、8月26日(月)になっていますから、なんとか、市議的にはクリアできるので、郵便で送りまして、やれやれ、ということでした。

★これをしないと、団体名義の「通帳がしようできない」ということにもなる恐れがありまして、多少、急いで作成を余儀なくされたということでした。

よくわからなかった「津山が裁かれる東京裁判」の証言について、裁判傍聴記というところですね

★総論としまして、原告のK氏が尋問で述べた事柄、そして、準備書面に書いてあることなどを、総論として考えてみますと、どうも、意味不明、訳が分からないことということになります。裁判長も、ひょっとしたら、その点を感じで、かなり「鋭く、しつこく、K氏に問いただしていました」からね‥

★順不同(証言の順番ではないという意味です)              ①私たちが、東京の人から受け取りました資料について、証言の上で、間違えのないことは、原告のK氏から、平成30年ころまでの、仲間、百億円を預かって津山での太陽光建設事業を成功させる「地元工作費」として使用され、。その使用した「内訳」の金銭の動きと、いわば、K氏のオルグとしての活動をスポンサーへ毎日のように報告していたということ、その報告していたインスタなり、メールなり、コピー也が、私たちの手元に届いたということです。 

  ②その資料は、K氏とスポンサーの間で取り交わされた「企業秘密、内部資料である」ということ。これらのことが、尋問でも質問され、答えをしたということです。 

以下の三点が、何が真実かが裁かれるべき、大切な問題                         

※その内容については、間違いなくK氏が作成して、送ったということです、ところが、その中で、         

⑷スポンサーを安心させるために、嘘を書いたという部分がある。

⑤書いた内容に嘘はないのですが、K氏が「間違って記入した箇所」がある。 

⑥スポンサーが、書き換えて、書き換えた資料を私らにコピーしているということ。

★K氏からスポンサーに報告された、お金の使い方、活動の内容について、上記のように、私らの手元にある資料について、内容により、時に応じて、④~⑥を、使い分けて、証言しました。

★例えば、市長と「夕食会」を共にして、有意義な話し合いをしたという件については、「スポンサーに嘘を報告した。

★地元責任者に「地元工作費として三十万渡した」ということについては、その人の名まえで報告したが、書き間違えで、本当は、別の人であった。

★被告(近藤さんらが)が、真実だとして思っている文章は、スポンサーが、私(原告K氏)のスポンサーへの報告を、「書き換え」をして被告(近藤さんらに)に渡したものだ。

裁判長、元の文章はありますか・・・

K氏、スポンサーに送った文章は、焼いた、?、処分だったかもしれません、無い。

★こんな調子です、仮に、市長と夕食会を共にしたのが、「嘘の報告」であったとしても、30万円がほかの人に渡したお金であっても、

全部、「スポンサーが勝手に、私の報告分を、書き換えて発表している、それを、被告ら(末永も含めてということに繋がりますが)は知らないで本当のこととおもっている」という主張だけすれば、良いはずです。

★なんで、課題によって、あれこれの言い訳をするのでしょうかね・・・・あつかいが別々なのか、地元の人に30万円渡したのは事実なんですよね・・・被告が持っている資料は、間違いなく、K氏がスポンサーに送ったメール、インスタ、フアックスなんですよ、そうでないと、つじつまが合わないという結果になりますが・・・

この辺りは、裁判所に見結果を出していただく以外には、ないということでしょうね・・かなり、厳しい判断になるとは思いますが。

 

8月15日(木)早いですね、もう、8月の半ばです

★今日も暑そうです、オリンピックが終わり、甲子園が最中、そして、昨日、岸田さんが「総裁選に出ない」という事実上の「辞任」を表明、あわただしくお盆を前後して動きます・・・・時の流れも速いです…この間、8月になったと思ったのですが、もう、8月も半ばです、15日とは・・・年を寄せますと、月日の流れが速く感じる」とかよく聞きますが、その通りですね、、、最近は、殊の外、速い月日の流れを関します。

★1年が早く感じることを「ジャネーの法則」というそうです。 この法則は「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」というものです。 解りやすくいうと、歳を取るにつれて自分の人生における「1年」の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じるということのようです、年とともにということですか、嫌な現象ですよね‥‥でも、現実としては、速いですから、やはり、年なんでしょうね。仕方ないですよね。年は年ですから。

ジャネーの法則とは、何でしょうかね、初めて耳にする言葉ですが・・・・・、

★パソコンで検索してみますと、いろいろとありましたね・・ジャネーとは、19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネのことです。ジャネは、「主観的に記憶される年月の長さは、年少者にはより長く、年長者にはより短く感じられる」という現象を、心理学的に説明しました。

要するに、ジャネいわく、「歳を重ねるにつれて、自分の人生における1年の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じる…」ということです。
1歳の時に感じた1年を1/1とすると、2歳の時の1年は1/2となり、1歳の時の2倍速く感じるようになるということです。

そう考えると、10歳の子は、1歳の子より10倍速く感じ、50歳の人は、1歳の子より50倍速く感じる…ということがわかります。そうやって計算していくと、50歳の人の1年は、1歳の子の7日程度だ…ということがわかります。

また違う例をご紹介します。
50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。そう、50歳の人にとっての10年間は、5歳の人にとっての1年間にあたるのです。

 

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津山が裁かれる「東京裁判傍聴記」その16かな

★被告、近藤さんへの証人尋問の一つ、市長と、原告A氏の関係について、近藤さんが「真実に等しいと思える資料」について、準備書面では、「ホームランソーラパーク社と市長が管理者である津山市田邑財産区の地上権設定契約書であり、乙欄には、津山市長の印鑑が押されている。原告が市長と会食したと言われる日(平成30年6月1日)の3日後である6月4日付で作成されており、6月4日は月曜日である。

★同契約書の第5条(1)「契約初年度は甲は、乙に、契約日から翌年3月末までの地代を契約日に支払うこととする」とされており、「月曜日にも、津山市への本年度の地代を契約日に支払うものとする」とされておる。(乙7の9)と符合する。さらに、乙9では、平成30年6月4日には、8、247、439円が支払われている。契約初年度の地代の支払いと符合している。

★原告尋問で、K氏は「スポンサーを安心させるために、市長と会食したという嘘の報告をした」と述べたところの近藤側の準備書面・証言ですね。要するに、個の文書に書いてあるのは、K氏がスポンサーに活動報告をした不文であり、「平成30年の連絡メモについて、令和4年になって嘘の報告だ、と、称しているわけです。

接待2

★証言を聞いていまして、とても、不思議に思えたのは、「市長と会食した」という文言以外は、全部、ただしい事柄です、K氏も、「その他の事で、嘘をほうこくした」という陳述はしていません。地上権設定の日付も、津山市に地代を入金した日付も、原告K氏スポンサーに報告した手順で、その日程通りに事を実践している」ということです。「事実として、契約書が調印され、お金が津山市に振り込まれている」訳です。これらは、全て事実です、一つの事の流れの分子はょうの報告の中で、市長との会食だけは、嘘であるという下りなんです…・、さてさて、どう判断すべきか、不思議な事柄でした。全体が正しくて、一部だけが嘘である」という報告分が世の中に通じるのでしょうかね・・

★率直に考えまして、こんなことが、どう 判決に影響をあたえるのかですよね、、わからないことです、判決は、12月頃かな、?、

8月14日(水)お盆のゴミ出しの朝です

★今朝も朝から太陽がいっぱいで、暑い1日になりそうです。お盆前の連休から孫たちが帰って来ているために、普段と違って、かなりの可燃ごみ」と「不燃ごみ」の量が増えました。第三水曜日ですから、いわゆる白色」の袋かな、ピンクの袋は、次の週ということですが、朝一、まず、ゴミ出しの日課からでした。やや涼しくなりました、暑さ寒さも彼岸までとか言いますからね・・お彼岸とは、いつのことをいうのでしょうかね・・・

★秋の立秋なんでしょうが、「暑さ寒さもひがんまで」というのとは、少し違う感じもします、お彼岸は現世とあの世の距離が最も通じやすくなる春分、秋分の時期に、こちら側から近くまで行きご先祖様を供養する、という違いがある。 一般的にお盆は8月13日にご先祖様の霊を迎え、16日に送り火をたいて見送る。 推古天皇の頃に、初めてお盆の行事が行われたとの記録がある。とか言われますが、この、お盆「暑さ寒さも彼岸まで」というのが、季節としては正しい感じがしますが。。。

★正しくは、9月なんですね、でも、お盆で区切ってほしい暑さです、暑さが和らがないかな?

★なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」というのでしょう? 春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かいます。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくわけです。春はこの逆ですね。

★しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではありません。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高いのですが、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになり、慣用句として定着していきました。

津山が裁かれる東京裁判物語、その13ですか

★被告・近藤さんの準備書面から、当然尋問でも問題の一つになりましたが、【準備書面3】(令和5年7月31日提出、東京地方裁判所民事第一部C係)へ提出した文面の一部ですが「…前略・・・贈賄の具体的な行為である「原告が津山の政治家に多額の金銭を送金したこと」は事実であるし、「津山市長へ高額接待を行ったこと」については、被告(近藤は少なくともそのように信じるにつき相当な理由があった。と真実性・妥当性の所で指摘しています。

★この点で、証言によれば、(記憶の範疇の証言報告です、正しくは会議録を見てくださいね)「このような資料、「信じるに相当な理由となった資料」を、どうやって入手したのかということが話題の一つにもなりました。それは、インターネット上に記事が流れた後、6月の初めに、末永に東京から連絡があり、岡山駅前で○○さんから受け取ったしりょうである」という意味の証言を行いました。

★この証言は、私も知っていることで、間違いのない事実です。裁判の傍聴が終わって、しばらくしてですが、妙なことが問いかけられました‥‥それは、この裁判での証言と深く関わりのある出来事なんですが、被告の近藤さんが、「最近の街頭宣伝」において、「・・・前略・・私が最も信頼していた友に裏切られまして、つらいおもいをしています。・・・・中略・・・要するに世の中お金でうごくということなんですね・・・後略・・・」という意味の宣伝を始めているそうで、この訴えを聞いた人たちが、

末永が近藤裏切ったのかな…?、

「最も信頼していた人にうらぎられた」というのだから、末さんの事ではないか、・・・」「まさか、お金次第か‥」と続くわけだから、末さんではなかろう、違う、・・・・、なら誰なら、何の事なら…と物議も読んでいるようです、聞いた人によっては、私=末永と思う人があるのかもしれませんね・・・本人に聞いてみますと、「違う違う…」と笑いながらのせつめいでした。それは、東京の人で、当初から、こちらに情報も教えてくれ、何回か近藤さんが東京であっていた人、津山にも来た人、その人が、裁判を通じて、原告側の立場で証言でもするのかもしれないという話が出ていますから、そのことを説明してはなしているわけです」ということでした。

8月13日(火)赤旗日曜版と「ごきげんいかが」発刊

連休明けですが、お盆でお休みですよね・・

11日が、山の日という祭日と日曜がダブったために、12日の月曜日が、「振替代休」というお休み、ということで、お盆前の三連休で、お盆休みへということです。

★お盆と関係があるのかもしれないお話ですが、末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」の発刊、しんぶん赤旗と一緒にお届けしますとお断りしていますように、しんぶん赤旗「日曜版」の発刊に殉じて作成することになります。日曜版が、11日(日)と18日(日)が合併号で、実質的には、18日の日曜版がお休み」という感じになります。

★日付で言いますと、18日号が、11の州に発行・配達ということになりますから、「ごきげんいかが」も、8日付け1300号を作成・配布が終わっていまして、15日に作成すべき1300号が1週間後の、8月22日に発刊となりまして、8月23日のあかはた日刊紙と25日付けの「日曜版」に乗せてお届けとなります、今秋がお休みのということです。

あかはた「日曜版」月ぎめ990円です、お読みくださいね、

7月から値上げになりましたが、是非日4アバンをお読みください、もちろん、日刊紙もお読みください、特に、日本共産党は、堂本、なんとなく「すっきりとしていない方」は、手に取ってお読みください、たぶん、今、「日本共産党について思っておられるイメージ」のような感覚とは、少し違った意味でご理解をいただけると考えています、よろしくお願いします。

津山が裁かれる東京の裁判物語、その12かな?

★問題は、被告の近藤さんの言動とインスタグフの書き込みなどが、どんな形で原告K氏の「名誉ょ傷つけて、いくらの損害をあたえたのか」ということが、今一、ぴんと来ない裁判傍聴記でした。書面上では、数十億円の市こどがふいになったとか、そのうち、近藤さんの責任が三千六百万円に匹敵するとかは、書いてはいるのですが、証言ということでは、ほとんど「出てこなかった」という感じでした。

東京裁判3

★原告氏K氏が、津山に限って言いますと、太陽光建設にかかわって、破産手続きを開始して、別の会社に権利が譲渡されて、そのころに、「インターネット上にニュースが流されたと思いますから、津山における「倒産の時期のほうが早くて、遅れて、近藤さんにが「街頭宣伝、議会質問、インスタの記事」へとなったと記憶です、多少の違いがあっても、初期の段階が時期的にダブル程度手、近藤さんの活動が、原告の倒産などに結びつくということは、無いといえるのではないでしょうかね。

★まして、市長選挙の関係となりますと、益々、時期も違ってきますし、課題も繋がりませんし、近藤さんは「市長に出たがった訳」でもありませんから・・・こうした時間の差というか、日時は、証言でも整理されていたと思います。

東京裁判2

※この道を通りまして、玄関です、特に受付もなく、葉入れました、ロビーで少し早く着いたので弁護士さんと相談、雑談などしていましたら、原告らが、目の前を通っていきました、もっとも、その瞬間はわかりませんでしたが、弁護士さんから教えてもらいました。

令和3年8月10日に破産手続きは開始されています。そして、近藤議員らが市議会本会議で初めて「太陽光建設疑惑事件」を質問したのが、令和3年9月議会・9月6日か、7日という日時です。9月10日には、ホームランソーラー合同会社から、アフターという会社に、太陽光発電事業に係る権利譲渡は「契約済み」になっています。これは、当時の裁判での経過です。さらに、市長選挙は、令和4年の2月です、令和3年は、近藤さんは、市長選挙に出るという意思は、持っていなかったときです。この手氏の12月末まで「別の人」を予定し、話し合いが続いていたときですから、時期がかなり違ってはいるんですが、どうなるのでしょうかね…と、言うところです。

8月12日(月)市民平和祭り、親子映画会へ

★朝から暑いです、太陽がギラギラしている朝です、今日も暑くなりそうです、風がないので暑さも格別です。10日の土曜日、津山市民平和祭の主催、「夏安も親子映画会・あの世界の片隅に」でした。子供さんを含めて、それなりに沢山の親子が鑑賞に来てくれました。先だって視察した、呉が主舞台のアニメ映画でした。

★アニメのシーンに何回か写りました、旧藤原家の「3つの蔵」の姿、私も、呉の視察の時に、平和委員会の人に案内してもらいました。呉1

★旧澤原家住宅は,呉市街の北方の山裾にある。澤原家は,屋号を澤田屋と称した商家で,代々庄屋などの要職を務めた。宅地は,街道を挟んだ東と西に構える。主屋等は東側にあり,主屋南に前座敷,表門,三角蔵,北に元蔵を配する。街道の西側には三ツ蔵と新蔵があるそうです。

1809年年に建てられた土蔵造りの建物で、国の重要文化財に指定されています。同じ形の蔵が3棟並列する特徴的な造りをしていることから「三ツ蔵」と呼ばれています。映画「この世界の片隅に」ですずさんが闇市に砂糖を買いに行くシーンなど、何回か登場します。下の写真がそのシーンです。

呉

呉の中心部から離れていたため、「世界の片隅に」でもも名画面と言えるシーンにもなりました、呉の空襲画面の一つ、最大の空襲、映画の主人公の「すずさん」が小さい子供を死なせ、自らの手首が飛ぶというシーンになっていました。1945年年7月1日の呉大空襲の被害を免れました。現在も変わらない姿を見ることができます。

★津山市民平和祭りは、17日に、ヒロシマへ、親子バスツアーというプログラムがあるだけになりました。

津山が裁かれる東京裁判・傍聴記その13

★被告の近藤さんの証言の一つ、裁判の大きな課題と思われます「名誉を気づ付けたか」「損害を与えたか」ということに関して、何が原因なのかということが問われたシーンだったと思いながら聞いたのですか、近藤さんのインスタグラフに書き込まれた内容と、それを呼んだ樋地が、原告のK氏の「津山における太陽光建設事業で、市長に高級接待したという記事、それを問題にしたから、損害をあたえたということ・・・どうかな・・・」

★その手始めとして、被告の近藤さんのインスタグラフがどの程度読まれて、どんな影響を与えたのかということ、これがとわれるのではないかな・・・という感じてす、13、000人程度に読まれたという数字が言われたと思っていますが、「主にどんな人が読んだかわかりますか」「私の仲間、空手道のそれは、何割ぐらいと思いますか」「7割程度ではないでしょうか」「その他ドンナ人が市の職員とか、津山市内の私の後援会会員、太陽光縣羅刹問題が気になっている人たちではないでしょうか」

★という感じて、証言が続きました、原告の取引相手の人で、近藤さんのインスタグラフを見て、読んで、原告と、取引をやめる、という判断をした人があって、現久我「損害をこおむった」という人が本当におるのかどうかは、原告の側も明確な証拠になるようなものは無かったと思いましたが・・・・

★この辺りは、大変難しいところだと思いますが、そんな因果関係は、無いというのが普通ではないでしょうかね・・

仮に、関係する人が何人が見ていようと、それを見て、原告K氏の仕事が「無くなったり」しますかね、、、そんなことが…何人が見ているか、も、関係しますが、仮に、原告に関係する人が見ていたとしても、それを見て、取引をやめるということが、本当にあったのでしょうかね・・わかりませんね・・・

8月10日(土)お盆の支度からお盆休みへ

★今朝も暑いですね‥‥今日が土曜日ですから、お盆前の土曜日・日曜日で、引き続いて「お盆休み」に入るような感じの週になりますね。孫が秘匿も帰る予定の我が家ですが、それでも、のんびりとしたいの思い、いわゆる「初盆」の知人も幾つかありまして、今日明日に、お参りしておきたいなと思っています。

※試しに、「初盆とは」何か、と、思い検索してみました、

新盆(初盆)とは?通常のお盆と何が違う?

蓮の花と葉の画像

「新盆(にいぼん)」とは、故人様が亡くなられた後に初めて迎えるお盆のことです。より正確には「四十九日の忌明け後初めてのお盆」のことを指し、四十九日前にお盆が訪れる場合は、初盆を翌年に行なう形が一般的です。真言宗や曹洞宗など、浄土真宗以外の在来仏教で行います。
呼び方・読み方は地域によって異なります。「新盆」を「しんぼん・あらぼん」と読んだり、「初盆(はつぼん・ういぼん)」と呼ぶこともありますが、内容に相違はありません。

★こんな記事を見つけましたが、この付近は、やはり「初盆」と称しているのではないでしょうかね‥

東京裁判とは、「言い過ぎ」とご注意あり

★年配者ならよく知っている裁判の名まえです、「末さん、なんでこの名前を使っているのか、勝ってなら、あんたは、引っ張られるよ…」こんな忠告をうけました・・・・ウン、と、唸りましたね‥

※第二次世界大戦たいせん後,ポツダム宣言せんげんにもとづいて,連合国側れんごうこくがわが日本の戦争犯罪せんそうはんざい人に対して行った国際裁判こくさいさいばん東京裁判とうきょうさいばんともいう。1946(昭和21)年に開かれ,1948年までの2年6か月にわたって行われた。連合国側れんごうこくがわは平和に対するつみなどで満州事変まんしゅうじへん以来いらいの日本の侵略しんりゃくめ,東条英機とうじょうひでき元首相ら7人の絞首刑こうしゅけい,16人の終身禁錮刑きんこけい禁錮きんこ20年が1人など,全員が有罪ゆうざいとされた。

★この裁判のことだからというのです、そうか、さてさて、なんと呼ぶかな・・の迷いですが、

津山が東京で裁かれている裁判とでも言いますか

★裁判傍聴記その11になりますか、被告の近藤さんが、田邑地域での太陽光建設工事に関して、初期の段階で、地元に反対運動はなかったのか、なと度聞かれました。「多少の反対の人はあったようですが、大きな反対運動には発展しなかったようですが、今でも、反対している人はあります」という答えに始まりまして、「なぜ、強い反対運動などがお子になかったのか、田んぼへの濁水の流れなど心配はなかったのか」という問いに対して、「不安は居間で寝ある、心配している人もあるが、全体的には、大きな声に来なっていない、それは、地元へ、かなりのお金が流されていることとも関係があるのではないかとおもっている」

★5千万円とか、6千万円とか言われ、さらに、3人で「分けたおかね」とかいわれるものですか・・・そうです、2500万円という数字が出てきますが、何に使われたか、わかりますか、…えーと、それは、対策費ですか、…と、かなり、戸惑い気味でした。

地元に流された工作資金の価値観は偉大ですよね

★弁護士が「地元のことたちに、一戸あたり、配られたお金はどうですか」という趣旨を聞かれて、初めて気が付いたようで「そうです、それは、田邑地域、約450戸、一戸当たり5万円を配ったということです、そのお金を、町内会で持っている地域、個々に配布した地域とあるようですが、このお金をもらっていることと、自分の土地・山林を打った人と、いろいろありますが、不安があっても、建設そのものには「反対はできない」という空気を作り出したとおもっています・・・

★現に、何人かの人は、不安があるが、仕方ないという声を出す人もありますし、「地元への協力金ですから、建設には協力しなくてはいけない」というひともあります・・・という感じて証言がありました。

8月9日(金)ナガサキの日です

今日は、長崎に原爆が投下されて79年目の暑い日です。

★いつ頃とは無く、あさが「やや涼しい空気」に変化しているのかな、今朝は、涼しい風が少しありますから、しのぎやすい感じ、でも、日中は、暑くなりそうです。

★昭和20年8月9日午前11時2分、原爆搭載機ボックス・カー号(機長チャールス・スウィーニー少佐25歳)は、高度9600メートルの上空から第二号の原子爆弾(プルトニウム爆弾)を長崎に投下した。彼の手記によると、長崎の市街も、第一爆撃目標都市小倉と同じく雲におおわれていた。スウィーニーはレーダーによる爆弾投下もやむなし、と決断していた。すでに燃料は沖縄基地までようやくという状態に欠乏し、爆撃航路ただ1回分だけが残っているに過ぎなかった。示された照準点への爆弾投下まであと30秒、トーン・シグナルが作動し、爆弾倉の扉が音をたてて開いた。あと25秒。そのとき、はからずも爆撃手ビーハンの目に雲の切れ間から市街の一部がわずかに見えた。そこは、三菱グランド(浜口町)から三菱製鋼所、同兵器製作所(茂里町)にかけての中間地帯だった。爆弾の投下は目視爆撃で行えということが示された重要命令だった。そこで、ここが急遽投弾目標となった。

長崎

 爆発は、目標地帯からおよそ5~600メートル北方にそれて、松山町171番地のテニスコートの上空で起こった。(通称爆心地公園の上空)といわれています。

★長崎の平和公園には、一度だけですが、行きました、もう10年以上も前になるでしょうかね、、、永井潔さんの自宅跡とか、かなり歩いたという記憶ですが、もう、あれほどは歩けませんですね‥核兵器廃絶へ一歩歩くという姿勢が大事かなです。

東京裁判傍聴記・その10です

★昨日から、被告・近藤議員に対する、近藤さんの弁護士と、愛田川・原告K氏の弁護士と、そして、裁判長からの質問などを、相対的に、お知らせしていますが、今日も、あちらと、こちらと、裁判長と、3社を一緒にした形で、しかも、私の記憶の範囲でお知らせします。

★原告のK氏は、スポンサー的な立場の人から「最初は百億円預かり、津山での太陽光建設が実現できるように」と津山を訪問し始めた。このような、大規模な仕事をするためには、多額の地元対策費が必要というのは、当然のことで、近藤さんは、政治家ですから、「百もしょうちしているはず」と問いかけられまして、「知りません、そんなお金が必要とか、工作費などの存在などの仕事は、無いとおもっています」という感じから出発しました。

★民間の企業とはいえ、一つの大型開発事業をするのに、工作資金として何億ものお金が動く、必要になるという社会とは「無縁の人」ですから、「しらない」という答弁を繰り返したところです。それが、平成三十年六月でしたか、突然ネット上で「元原義に五千万円、市長に高級接待疑惑」という意味のニュースが流れましたから、「どこからそのニュースをしりましたか」と問いかけられ、「ある人から、知らされ、びっくりしてネットを調べましたら、本当に出ていたので、大変なことだと思いました。などを証言。

★その後、原告K氏が、スポンサーに送ったカカオトーク、金銭の振込用紙のコピー、金銭出納帳のコピー、などを、どのようにして入手したのかということが問いかけられまして、

★八月でしたか、末永に、関係者から連絡があり、「K氏や津山市長などについて、資料を渡すから、そして、問題点を究明してほしい」などといわれたようで、私=近藤と、中村議員に、末永先輩から声がかかり、三人で、岡山駅近くのホテルのロビーで面接し、仔細の説明と、沢山の資料を受け取り、私は、コピーをして、その後、その資料を検討したということです。

※などと答弁、そこから、「高級接待」かどうかは別として、市長とK氏は、食事などとにしたという重大な疑惑を感じ取りました。ある意味では、「カカオトークを見て、確信にもなりました」と述べています

確信したとの思いは「思い」ですが、それを、事実だとして書いたり、宣伝などしましたか、?、

★最初は、近藤さんは、「カカオトークを見たらだれでも確信すると思います、私も、確信として食事会はしている、と、おもっています」の答弁、そして、最後に、弁護士が、「その気持ちというか、思いを、そのまま、近藤さんのインスタブラフにかきこみましたか」と問いかけられまして「インスタグラフには、疑惑がある」ということだけを書きました、「確信犯のような記事は書いていませんし、街頭宣伝もしていません」と、ネット上に書いたきじについては「疑惑と書いた」が「食害はしているなと確信する思いは心の中ではある」という実態を明確に証言しました。

というのが、今日の裁判傍聴記のお知らせです。裁判長が、どのように理解されたかは、まったくわかりません、判決まで、わからないとおもいますね、、、

8月8日(木)昨日は、大学の公立化問題の勉強でした

★お盆前、毎日暑いですね、35度を超えて、40度にでもなる暑さで、もう、うんざりですよね・・・でも、自然界は、動いているという感じです、我が家の夏野菜の成長が止まりました、トマトも、熟する数がとても少なくなりました、青じそ(大葉としょうするのですかね)も、成長がストップした感じ、葉が、大きくなるのが、ゆっくりです。そして、少しだけですが、柔らかさがなくなり、硬いという感じの葉になりましたね。

野菜1

 

野菜3

野菜2

私立大学の公立化「必ずしも」良しではないの思考

★昨日の午前中、元大学教授の人から、公立大学の「法人化」に係る問題点、国の施策の舞台裏、そして、それにかかわっての、私立大学の公立化問題でレクチァーをうけました。

★1900年代、大学の設置基準が大きく変えられ、2004年に「国立大学の方針化・公立大学の法人化」問題が開始され、それから、20年です、国立大学の財務悪化と研究力の低下が課題となって浮かび上がってきているという現状のようです。資金不足が研究力の低下とかかわっており、アジアでは1位の研究力を持っていた日本ですが、「法人化」に伴って、アジアでは、3位くらいまで低下が進んだ。

★「地方独立行政法人」という制度設計に従わなくてはいけないこととなり、いわゆる「ステークホルダー」といわれる、あるいは、そのように自称する地元財界の人たちが、それぞれの思惑をもって大学運営に介入し、大学の公共性を脅かす事態があり、こうした事態は、小都市に行けば行くほど露骨に表れるようになった。と、分析されている。

津山の私立美作大学も、この頃から、地元経済界の有力者が大学の理事へ、運営人に入るようになります

★以前本会議で指摘したという記憶ですが、2008年~2018年にかけて、津山の財界の人が理事に加わります、国立ではありませんが、まさに、文科省が分析しているように「大変な器具」がそこに生まれているということのようでした。

★「島根県立大学と下関市立大学」のありようを具体例として幾つかのマイナス点を資料などともに教えていただきました。山口県下関、あの安部さんの出身地です、大学の「私物化」が目立ち、内部からも「大学の運営の在り方を危惧して意見書があげられる」というじたいもあり、市議会でも問題にもなったようです。

★あまりにもひどい、大学運営の「私物化」にょり、教員の大量流出資劇も起こり、3年で4割強の教師が大学を去るという異常な事態にもなっているそうです。さすがに、労働委員会が「不当労働行為だ」と認定し、下関大学と組合との誠実な団体交渉を求めることにも発展したとかです。

★大学の「法人化と私立大学の公立化への動き、言葉だけ見ますと、関係ないという感じですが、その内容と、国の指針と、方向性は「同一性」ですね、もっと、研究が必要というところ路です。

東京裁判傍聴記、その9ですかね・被告が「思わず叫んだ言葉は・・・?」でした

★被告の近藤さんに対して、近藤さんの弁護士も、相手側の弁護士も、近藤さんがインスタグラフに書き込んだ記事、街頭宣伝を下内容などは、市長を陥れて、自分が市長になるためにやったのかという趣旨の問いかけがおおきな課題でした。

★近藤さんの方は、「市長選挙とは関係ありません、インターネット上で、市長に高級接待疑惑と書かれ、それに関する資料も手に入り、太陽光建設を推進する企業の側の内部資料、いわばマル秘のようなものも手に入り、「接待があったと疑える根拠があった」ので、議員として、当然、疑惑を解明する、市民に実態を知らせる活動として行った、という趣旨を答弁しました。

★しかし、相手側の弁護士からは、執拗に「市長に出たいために、なりたいために、原告の贈収賄と言われる事柄を、事実とは違うのに、宣伝をした、市長選挙のビラにも書いた・・・」という趣旨を、何回も聞かれました、そして、「次回の市長選挙も出る予定でしょう、」と、断定的に質問されたものですから、彼の性格から見て、仕方なかったとは思いますが

「出ません!、市長になるのが目的ではありませんから」と勢いよく言い切りましたね・・・

市長に立候補するかしないかは、これからの時代の流れ次第ではないかな、今の時点で、結論は無理でしょう…・

この証言が終わってから、弁護士さんも含めて、「よっぽど頭に来ましたか、勢いが良すぎましたよ、出ません、という言葉・・・・本当に出ないということですかね・・・・」「いやいや、思考中なんですが、つい、頭に来まして、言葉が過ぎたでしょうか」「大丈夫でしょう、過ぎてはおりません、裁判長には、明確に意思が伝わったのではありませんか、本当に出る、出ないは、これからのこと、あの時点では、出ないと思った程度でいいのではありませんか…」などの雑談でわかれました・・・この近藤さんの答弁は、すぐ、津山にも伝わっていると思いますから、多少、物議を呼ぶ、尋問の結果になるのかもです。

8月7日(水)昨日は、ヒロシマ・スタンディングから

★昨日の8月6日の朝、79年まえと同じように「暑い太陽がてりつける午前8時」津山市の中心大通りで、「美作原水協」がよびかけます、「ヒロシマ・核廃絶・平和」を求めるスタンディング行動でした。

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★参加者は20数人、道行く人たちに、今日は、8月6日、ヒロシマの日です、と、声掛け、学生さんにが、手を振ったり、おはようのあいさつをしてくれたり、元気もらう朝でした。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下されました。原爆が投下された時間の、8時15分に、美作原水協の事務局長が「黙とう」の合図、静かに「黙とう」を行いました。

今日も、東京裁判傍聴記・その7になりますか

★令和4年(ワ)第31148号 損害賠償事件(原告 K氏・被告 近藤市議)の裁判について、7月30日(火)に東京地方裁判所で原告と被告への証人尋問が行われまして、その裁判に傍聴をしてきました、と、言うことで「傍聴記その7」をお届けします。

★記憶の範疇での報告になっています、正式には、やはり、裁判所の会議録を見てください。中々この記録は手にはいらないとはおもいますが・・・。K氏が裁判で述べた地元の人との関係では、「田邑には17の地域・町内があり、その全戸・450戸程度で渡しました、合計2500万円です、田邑連合町内会へは、5千万円対策費を出し、さらに、毎年町内会費を150万円だし、こうした多額の御金を、地元に理解してもらうために使います。

★このお金の使い方などを、資金提供者に、内部資料として連絡、メールしたわけです、スポンサーへの報告です。その内部資料を、被告らへ資料として渡しているわけですから、スポンサーへの資料がある人を通じて配られているわけです。

地元の町内の人たちとは、会議費として計上していますのが、食事代もあります、カラオケにも行きました。会議費として記入しているのは、ほとんどは会食費で田邑の住民や建築業者など会食やカラオケなどの経費。時には10人程度で行いました。

★町内会の役員と会食した記憶はない。町内の役員は、そんなところに用心して出てこない、全国共通です。

★ホームランソーラーパーク合同会社に、元県議が事業をやるから6500万円を貸してほしいと言われ、貸したものだ、どんな事業課は知らない、貸し付けの書類などは作っていない。貸したお金は、2年か3年で返してもらった。ネットに記事が出た時は、全額返してもらっていた。

★6500万円を3等分したという録音のテープは、何のことか、わからない。。。→弁護士と裁判長か「あなたが報告・書いた事柄です」と、何回か言われたが、そのことでは明確には詳言しなかった・・・と思う。

3人の名前も、はっきりしているのではないかという問いかけにも、答えは、何もなかったように思えた。

※かなり、前後の話しが「つじつまが合わない」という箇所が目立ちました。

総体としては、すごいお金が動いたという感覚でした、、、

 

8月6日(火)8・6日ヒロシマの日

★79年前のこの日、ヒロシマへ、そして、9日ナガサキへ、世界で初めての原爆が投下された日、原爆許すなの日です、津山では、早朝スタンディングです、これから出かけます。

昨日、津山市民平和祭がオープニングでした

★第38回津山市民平和祭りが昨日から始まりました。午前10時からオープニング式、木原実行委員長の開会あいさつ、そして、市長・議長・教育長の来賓あいさつ、テープカットと式典が続きまして、多くの市民の方の参加をよびかけました。オープニングの前、9時3十分から、実行委員会のメンバーと市長・教育長・議長との「平和に関する懇談会」を開催しまして、実行委員会からの「平和行政への申し入れ」が行われなど行ったわけですが、私は、都合で「欠席」となりました、申し訳ないことですが、悪しからずです。

★平和祭り実行委員会実行委員長の開会のあいさつ、木原被爆二世の会会長と、来賓あいさつの方々、谷口市長、有本教育長、中島市議会議長です。

木原3

木原2

★向かって左から、谷口市長、木原実行委員長、有本教育長、中島市議会議長の4人によります、テープカットの様子です。

木原6

木原4

木原5

木原実行委員長と、中西実行委員と、私です。

午後は、市議会活性化調査特別委員会でした

★午後1時30分から、3時過ぎまで、市議会活性化調査特別委員会でした。少し、遅れて参加、津山市議会を活性化させるために、何が必要なのかを論議する委員会ですが、今回は、会派から出された意見、例えば、1現在3人以上の会派から議会運営委員会のメンバーを出しているが二人の会派からも出すということにならないか、とか、②提案された議案に対しての「質問通告」は、どこまで行うべきか、質問通告に関係すると思って質問しても「通告にない」とか言われるケースもある、何が質問通告なのか、とか、③市民の意見を聞く議会という点でオンラインの活用を考えるとか、市民の方からの「目安箱」を設置するとか、議会の見学会をするとか、などについて意見交換でした。

★その他、もっと、根本的なところで、活性化とは何をなすべきか、何なのかを検討する。大きな目標にむかって「なすべきこと」を論議してほしいとかも意見として出されました。

★市民の関心を呼ぶという点では、質問通告を出して、質問日と順番が決まった段階で「各議員が三分程度で、私の質問は○○です、是非、傍聴とかゆーちぅぷでご覧ください」との事前の宣伝をインターネットで流したらどうか、なども意見として出され、次回伊郷さらに検討することとしました。

★次回は、9月定例市議会での「9月20日(金)特別委員会審査日」ということになりました。

東京裁判物語、その5になりますか、6ですネ。

★裁判の傍聴記が4が2回ありましたから、正式には、その6ということです、近藤議員を訴えています、原告のK氏に対しての東京裁判所での、本人尋問の様子を、傍聴して記憶の範疇でのお知らせが続いています、正式な内容につきましては、後日、裁判所が作成します、証言議事録を見てください、あくまで、私の「記憶でのお知らせ」であることをご理解ください。

※谷口市長は、本会議の答弁で、「K氏とは名刺を交換した程度、あったというきおくはある」という意味の答弁に趣旨しています。「あったと言うているのですから、それ以上でも、いかでもない」という意味の答弁をしていると、判断しています‥‥加瀬、・・・証言では、とても、「面白いといいますか、ためになる話」をされました。

100億円の地元対策費をオーナーから預かり、世の常識として、このような大型事業には、つきものの、地元工作資金として使ってきた。「東京や天満屋で土産を買って地元の人たちには、いつも渡している」とか、「市役所には、たびたび訪問している。市長にも会っている。」とか述べました。

★そして、「津山デザイン研究所の○○さんと一緒にあって、市長とも会っている。津山市の観光の件で話をしている。さらに、▽▽氏と桜プロジェクトを計画する話し合いもした。谷口市長とは津山市の振興のために話をしている。」という意味の証言がありました。

※○○さんは、谷口市長が、当選された直後に、衆楽公園を世界に誇る名園にする、日本三大名園に・・・・という意味の「大風呂敷」を掲げて、迎賓館を、世界のピップが宿泊するホテルにするとまで「夢を描いて、市長も、その構想を是とした時期があった・・・・と、記憶、私が、議員を一度勇退した時の物語です。

K氏の証言は、津山で実際に会った事柄、起こった出来事の説明でしたから‥「驚き」であり、「関係ない・知らない」では済まされない問題だという感じ

★さらに、K氏は、「津山市とは観光プロジェクトとして衆楽公園の迎賓館を世界のVIPに泊まってもらえるホテルにするとか、道の整備問題なども話し合った。」と証言しました。さらに、続いて、「谷口市長とは、いろいろなプロジェクトで話をしている。オーナーへのラインで報告した、【市長との会食】については、オーナーを騙すためのオーバープロジェクトであった。谷口市長には地元とは円満に話をしてほしいと言われた。」と証言が続いて行われました。

こんな話は、聞いたこともなく、思いもしない事柄でした。津山市・市長の側は、どうなのかは、わかりませんが、否定すると思われる内容ですが、しかし、K氏の「関与」は別としても、津山市長として、平成30年、市長になった直後の「政治のありよう」としては、事実、K氏が証言したないようは、「あった」と思いますよ、本会議でも、わだいになったのではないでしょうか・・その点では、事実と、符合した証言内容ということになりますよね。