月別アーカイブ: 2月 2019

2月15日(金)津山市民平和祭実行委員会の日

★今日は、15日、月半ばですが、2月は28日までですから、半ばはすぎてしまい、残りは13日程度ですか・・・時の流れは速いですね、もうすぐ3月になります・・・、先日、この「雑記」で紹介しましたが、今年、というか、来年度というか、の、津山市民平和祭の企画、その行事の一つである、

★「平和を学ぶ、夏休み、親子のつどい」(歌や映画、など)について、沢知美さんの「歌声」として、「原爆からも助かっていきてきたピアノ演奏をするか」同課の相談会です、渡した「求める会」が事務局ではなくて、「平和センター」を中心とした人たちの事務局当番の年ですから、私たちは、あくまで「参考意見・手助け」の組織です、

新しい年度、4月になってから本格的な取り組みの開始ということになりますが、その前に市議選挙、そして、参議院選挙へとつなぎ、具体的には、その後からということになりますか・・・・・、

2月14日(木)学力向上とは?点数を上げればそれで良しか?

★今日は、木曜日で私は「のんびり」はお休みですが、「うどん」と「カレー」の日で、当番のスタッフは忙し費になるのかなです。最近、「のんびり」のお客さんが少し、少ない感じです、寒いから、高齢者の出会いが少ないのかなとも思い、である気が、やはり少ないのが原因・・?・・・寒い日が続きます、空気は「冷たい」ですが、それでも、昨日も、お昼前後は、外を歩くのに、やや、春を感じる空気でした、暖かいというところまではいきませんが、それでも、どことなく、春が来るのかなと言う気配を匂わせます、ここ2~3日の自然界です。

さてさて、津山の「教育は・・・」は?

小中学の学力向上へ「政策提言会議」とは・・

★内容は全然わかりません、新聞記事になっている程度の知識で物を言うのも失礼ではありますが、新市長と新教育長と、それを取り巻く「いわゆる教育界」のメンバーの人達の動向からの創造もあり、?、?、なんだろうかな、小学生と中学生の、全国学力テストでの「点取りをあげる」「全国平均を上回らなくてはいけない、そのためには、、、」という思考が、「晴雨策提言会議」となってすすめられているということでしょうか。

★津山市総合教育会議・教育政策の提言へ…言葉と言うか、タイトルは、総合的な学力だと述べてはいます、しかし、子どもたちの健全なバランスのある教育などとは、ほど遠い感じ…要は、全国学力テストで、以下に点数を取るのか、県の平均ではなくて、それを大きく乗り越える、全国で10位くらいをめざす。。。。色々と言葉とか、文章では「もっともらしく」述べるのでしょうが、この会議の目的は、明確、全国核力手捨土手、点が取れる子供たちをどのようにしてつくるのか。経営学専門のコンサルタントが講師で「学力向上施策」を説くわけですからね…どうも、おかしなことになるとおもいますが・・・。。

★アベ内閣の「人づくりの創生」の一コマですね。数人のできるこどもがいればよい、その子を徹底的に伸ばして行く…それが、やがて、ニホンを支配し、指導していける・・・・それ以外は、物を言わない、忠実に働いて生きて行ける社会を保障すればよい、少数の「出来る子供を徹底してのばす」という仕組みの一コマだと私は見えます、、、怖い、危険、おそろしい教育指針だと思えてしかたありません、、、

塾で教育を伸ばす、公が足らないところを、民間が補う、「官民一体」とは、これいかにそして、教育も、「費用対効果」の中でかんがえる・・・・市長は、市議時代から、この言葉をよく使っていましたからね、、本来は、ビジネスの場でよく耳にする「費用対効果」。かけた費用に対して返ってくる効果はどのくらいある世界の言葉で、費用対効果を明確にして未来予測とリスク回避をしてい区ということであり、行政や教育の「リれ年」とは違いますが、「行政にもきぎょ意識を・・・」などと言い出したころから、、、行政に「ゆがみ」が持ち込まれたと思っています。公ノ果たすべき仕事は、税で賄うべきです。税の額の及ぶ範囲で、何をするかです。お金をかけたから、その成果を目に見えるものにしていかないといけないとは、これいかにです。

 

 

2月13日(水)歴史の「記念」とは、?、

★時の流れ、1カ月とか、半年とか、1年と言う刻みではなくて、20年、30年、50年、100年となりますと、その瞬間に「その座にあるもの」が、過去の流れ、動き、課題を、それなりに、その瞬間の人達に「歴史を伝える」「成り立ちをしってもらう」と言うことに力を注いで、自らが「研修する」「学習する」と言うか「過去を知る・学ぶ」必要があるのではないでしょうか。例えば、歴代の市長の名前や、それぞれの「政治の特徴」などを検証する、とか、その時、市議会はどう動いたかを調査するとか・・・。。歴史の価値観、・・・・ましてや、その地域全体を代表するとすれば、その地域の「出来事を学べる機会」を与えなくては・・・・学んでもらわなくては…くらいの心構えが欲しいものですね、・・・・それが、今に生きるというか、その時に生きているものの「役割」の一つではないでしょうか・・・・・・違うかな…

○何のために、歴史の「節目」に、記念式典をするのか、、、?、単に、過去を懐かしむだけでもなく、今の時代を生きている人の「宣伝」のためでもなく、「未来への思考」だけでもなく、、、いろんなことが「複合された目的」があるはずです、運動誌の中で、その時、今を生きる人たちの責任と言う立場が、過去を検証し、教訓を引き出し、学び、今に生かして、そして、未来へつなぐ…当事者が、そんなことを考えるだけでも、重み、価値観が多少でも変化するのではないでしょうかね。。やはり、年寄的な思考ですかね・・・・で、失礼が多いのかな…

★私らが行った、水平社創立60周年、戦後30周年の「つやまのあゆみ」の式典では、(もう、古い話ですが…1986年(昭和  年))、それでも、戦前の美作水平社の創立・津山(美作)水平社の創立冬至の世の中の動きや、創立に携わった人たち、創立の場所、話し合われた内容などを、いろんな地域に出かけたり、建立図書館で市資料を調べたり、当時の「特高の資料」をコヒーして学んだりして、寸劇のようにして「式典に参加して下さった人たち」に見てもらい、…とても、喜んでもらったのが記憶にもどります・・・当然、運動の大先輩たちを「感謝状」を贈ってたたえましたが、表彰する人を「見てもらうのが目的か」と思わされるような「演出」はなかったと思います…やはり、「挨拶・式辞」だけではなく、どちらかと言うと、寸劇が印象に残る「演出」だったと、今でも自負しますが。。

★いろんなことがありましたが、こんな「歴史の記念式」も行ったことがあります、「部落解放運動を歴史に綴じた(閉じる、ではありませんでした・・)式典を、みてみてください・・・部落解放を歴史に綴じて – 。こんなことができた時代があったんですね、古き、懐かしいときの刻みですかね、、、

2月12日(火)昨日は津山市政90年記念の日

★昨日は、朝は「雪景色」のあさでした、1センチか2センチか、雨もありで「積もった」というものでなくて「ベタ雪」でした、そして、建国記念と言われる日ですが、正しい意味で、日本の建国の日なのかどうか、専門家、学者の中でも様々な異論もある「日本の建国の日」です、しかし、津山市政が施行されて90年というのは歴史学的にも、地方の歴史・郷土史から見ても、政治学的にも、2月11日に間違いはありません。

津山市が生まれたのは、昭和4年に県下3番目の市として、人口3万3,361人で誕生しました、苫田郡津山町と津山東町と西苫田村と久米郡福岡村と2町2村が合併して生まれた市ということです。

津山市政施行90年杵間式典に行ってみました。

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河本議長が「会式の辞」を述べました。

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そして、谷口市長が「式辞」を述べました。

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90年の半分、44年、直接市政に携わってきたんですね、、市民の皆さんお世話になりました、支持していただいた皆さん、ありがとうございました
 
★約半分ですね、わたしが直接、津山市政に携わってこれたんですね、、長い間議員をさせていただきました、改めて、ありがとうと、おもいました。。。記念式典というものは、こんなものでしょうかね、、味があったり、感にいる、とか、胸を打つとか、思いだす、とか、改めて、そうか、そんなこともあったのか、などなど・・・・・・そんな演出というか、は、全く無しでした。そんなものでしょうかね、、何ということは無い、たんに「式辞があった」ということだけ、主催者側は、可なり緊張してことを運んでいた感じはしましたが、もっと、味が演出されているか、と、思った私が間違っていました、市が直接「起案・プロジュースしたのか、多分、どこかの「イベント屋・企画会社」に依頼、外注したのだと思いますが・・・味気ない式典、。

市政功労者の晴れ舞台のための式典?・・

何の意味のある、何のための「記念式典なのか」の疑問の中・・式典の後、市政功労賞の表彰がありましたが、色んな分野で活躍され「一定の歴史・年期」を刻んだひとが受賞される仕組みもある訳ですが、この「表彰者を披露する晴れ舞台」を沢山の人をあつめて披露した、あつめてやったのかなとも思われました。。。

友好都市の人たちとの「交流・懇親」などは、別の行事として当然行われ、それなりの「友好の絆」は深まるとは、私の経験からも想像しますが、式典のありようというものに「味がない」というのが実感でした、、、可なりの予算を使っての式典とは思いますが、何のための式典かが不明のままに終わりま下・・・、スライドも「作った」というのは分かりますが、「単調」すぎる、ビアノの生演奏という演出が光るだけ、歴史の流れはあまりよくない、というか、歴史は感じられない企画・・・誉められた中味とは思えなかった。。。なんで「あの写真をつかうのか」という写真数枚あり、、もっと、津山の歴史を知る、わかる写真・説明があってしかるべきとおもいますか゛。

一生懸命に、今の政権者が、100年記念へ向けて、さらに。発展を、進歩を、と言う願い、スローガンを掲げたのは、よくよくわかりました・・・具体的なことは無しですが、言葉だけは、「次は、100周年だ」という、言葉だけの強い意気込みだけは、伝わってきました・・未来志向というのでしょうかね、デモないな、心の勇だけというべきかも・・・・・、言葉だけの「未來へ頑張ろう」の掛け声だけと言うと、失礼かな・・・・・そんな印象強くして帰途につきました・資料袋の中を帰ってみましたが、津山の歴史はゼロ、・・・せめて、市政の流れとか、歴代市長とか、主な「施策・出来事」と科の印刷物でもあれば・・・ですが、無しとは、これいかにでした。

2月10日(日)中村・美見の事務所開きの写真

まず、9日の中村さんの事務所開きから、

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山本さんの司会でした

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まずは、地元の黒瀬さんが挨拶

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そして、私が、日本共産党が議席を有してからの52年になる、日本共産党の津山市議会における存在価値観、その大切さを訴えました・・

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参議院議員・仁比そうへいさん・大平さん・住寄3からのメッセージのひろうです。披露です。

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そして、ほんにんの決意表明でした。

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久永選挙責任者からの訴えで終わりました

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10日(日)は美見さんの事務所開きでした。

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司会は児島さん、まず、地元から、前町内会長・山根さんのあいさつでした

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そして、新日本婦人の会津山支部から長尾さんが挨拶

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津山高校の同級生・吉村弁護士から挨拶

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仁比そうへい・大平・住寄3のメッセージ紹介

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中西後援会会長からの願いとあいさつ

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会場についてから、突然、「挨拶」をと

御願いされて少々困りましたが、わたしが「党議員団をぜひよろしく」とお願いでした。

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美見さん本人の訴え、花束の贈呈、選対責任者の訴え、頑張ろうのかんぱいと続きましたが、カメラの調子悪く手、うまく収まりませんでしたと、いうことで、終わりです。

2月9日(土)市議選へ事務所開きですが・・

まず中村さんの事務所開きからです

今日8日が、中村聖二郎さん、明日が美見みち子さんの事務所開きです、中村さんは、4年前に、私と久永さんが同時に「やめる」と言う事態の中、美見さんは、比較的早くに「予定候補」としての決定を見たのですが、二人目、3人目の予定候補者が決まらない、何回も、何回も、市委員会が集まりましての話し合い、協議、名前の出た人を「説得・くどく」行動を行ってきましたが、「きまらない」と言うことが連続し、困った、困った、と大いに嘆き、「一人でやるしかないかも…」とあきらめていた時、3月に入って、も、決まらず、4月になろうとするときに、地区委員長の方から、ヒヨット、中村と言う人が出てくれるかもしれない…と声がかかりまして、私は全く知らない人、名前も聞いたことが無かった人、でしたが、党歴もあり、党公認でやるのなら、と、地区委員長にお任せ、と言う感じで、急きょ、党内でも無名の新人として立候補した人です。。かろうじて、28位で当選でした・・・・・・・

あれから、四年なんですね、、四年間の実績がどうか、が試される今回の選挙となります、まずは、今日、何人の人が集まってくれるのかです。。。よろしくお願いします。

明日は、美見さんの事務所開きです

★そして、明日9日は、美見さんの事務所開きです、が、これまた、何人の人が来てくれるのか不安ありですね、当選も数回、落選をも何回か経験した人で、今回が六期目、七期目かもしれません、前々回は、私と、久永さんと、美見③と三人で戦いまして、私と久永さんの二人だけが当選と言うことになりました。私にとっては、11回目の選挙でした、…そして、結果としては、私にとりましては、この選挙が最後で、引退していくということになったものですが、私の事はさておくとしましても、、、今回の美見さんの選挙はどうなんでしょうかね、、私の地元、河辺地域も、さくら会館があります、津山駅周辺・昭和町も美見地域となります。。。頑張ってもらわなくてはですね、、

2月8日(金)旧正月も過ぎて・・・もう8日です

★10日がお休みの為に、今日が「給与日」です、朝一に、郵便局の窓口に行って、振り込みの手続きからです・・・依然として資金繰りはしんどいですね・・・5日~でしたか旧正月は、昨日、最後の日になりましたが、福力荒神様にいきまして、ブラブラとお参りして、帰りに「シバタのタイ焼」き購入、自由出勤の特徴でゆっくりと散策して、のんびりと買えました、今朝は、まず、給与の振替からですが、時の流れは速い、今朝は霧雨か、とか、雨かとか、霧が多いから晴れるかなとか、考えている内に、2月になったのが2~3日前かなくらいに思えますが、もう、8日にもなるんですね、早いものです。

原爆のピアノ、津山市民平和祭りへ、15日には実行委員会で方向を検討します

★広島に原爆が投下され、その原爆から奇跡的に焼け残ったピアノ・・・・

“被爆ピアノ”といわれ、被爆2世であるピアノ調律師・矢川光則の物語はかなり名の知れた有名なお話です。北川さんは、自身の活動を「平和の種まき」と表現されています。矢川は「映画で多くの方に被爆ピアノを知ってもらうことが、改めて原爆や平和、戦争のことを考えていただけるきっかけになる。」と映画を作ったり、そのピアノを「調律」しながらも、全国各地へ貸し出しての「平和えんそうかい」として使用されています。そのピアノを借りて、今年の8月、津山市民平和祭りのメーンにできないか野、相談会議が今日ありまあります。何とか実現したいものですが、・・・どうでしょうか、

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沢 知恵/さわ ともえ 歌手(うたとピアノ)に出演依頼して思考中です。

沢さんは、シンガーソングライター。コモエスタ、ともえ基金代表。
1971年神奈川県生まれ。日本、韓国、アメリカで育ち、3歳からピアノを弾く。91年東京芸術大学楽理科在学中に歌手デビュー、今は、岡山市に住んでおられます。

現在までに〈われ問う〉など27枚のアルバムCDを発表している。第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。代表曲《こころ》は、夏川りみ、クミコ、持田香織、アン・サリーら多くの歌手にカバーされている。東京下北沢で季節公演を行うほか、ハンセン病療養所、災害被災地、少年院などでも精力的に活動し、圧倒的迫力のピアノ弾き語りパフォーマンスで、老若男女に支持され、「日本語をもっとも美しくうたう歌手」と評されている。何とか実現していモノですね・・・

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沢さん

2月7日(木)私は「お休み」の日ですが

★さくら会館「のんびりカフェ」は、他のスタッフが当番で、私は、一応「おやすみ」で自由に出勤となっています。さくら会館や支援事業部・津山ネット・のんびりカフェが休むわけではありませんから、それなりにすることはあるのですが、先日も記事にしましたが、今月は、8日(金)に給与の振込をする必要がありの日ですから、その「仕分け」とか「振込口座にお金を入れておくとかを供しなくてはです。

★そして、本当は、昨日の6日には配達をしておかなくてはいけない、平和新聞(毎月3階発行・5の日です、今回は、2月5日付けの新聞となっています…)の配達と夕総読者が数人おられまして、それらを予定です、遅れての配達で申し訳ないということになります。

休みとはいえ「三役会議」ありです

★私が、お休みの時には、必要な会議を予定ます、自分が責任を元べき会議ですから、勢い「他の人のお休み」ではなくて、「私のお休みの日」を使うことになります、今日は、そういういみで「津山ネット・さくら介護事業所」の三役会議です。これからの津山ネットのうんどうのありかた、・・・さて、さて、どうなっていくのか、「いつまでも同和・ぶらくではない」と、「部落解放と言う名前の運動団体の幕を綴じた(閉じた、とは違う意味合いの文字、言葉でしたが…)

この部分、ところまでは良かったと思いますが、新しく「市民との融合・地域人権の課題のとりくみ」などは、今市、うまく歯車が合わない…本当に、これから、いつまで、どうするかですね、、そんなことを話し合っていかなくてはなりません。。

2月6日(水)時代の流れにはついていけない動き

★今朝も小雨という科、霧雨という科、・・・最近朝の天気は、こんなのが多い・・・あまり寒くはないが・・・今週末が三連休・・・、9日(土)で10日と11日が「建国記念日」とかでお休み、3連休です。さくら会館関係の事業所の給与日が普通は、10日ですから、今月は、日曜日となりますから、繰り上がって8日に支払うことになります。資金繰りに大変な小さい事務行です、いよいよ「行き詰まり・金詰り現象」というところです・・

8日に支払います「給与」についての手続きを2月1日に行うために、郵便局へ行きましたら、局長さんから「2020年4月からは、今のような給与振り込みができなくなります、続けられますと、手数料が必要となり様式も変わります、パソコンにソフトを入れて利用する方法もあり、其れの方が安くつくということになります・・・どうされるか、考えて下さい・・・」という意味のことを言われました・・・・何で、どうして・・・です、郵便局が「手数料をもらわないと振り込みはできない」ということ、そして、パソコンでできる、と、いうこと、、、いずれも、お金がかかるということ。。。変なことです・・・

★少ない人間ですから、相談しまして、「手渡しにする」方が便利で、お金もいらないということになり、来るべき時が来ましたら、「現金渡し」の道を選択することとしましたが・・・時の流れ、時代の変化、でしょうか、何で、有料なのかは、意味不明、わかりません、いまのままの仕組みが「何でいけないのか」です・・・郵便局がお金にならない、サービスだけだから、、、?、そうか、・・・・おかしな話です、郵便局の通帳を職員に作ってもらい、それに「給与をふりこむ」という作業、、、通帳を作れば、勢い、日常的にも、その通帳の出し入れを職員各位はするはずです、、、それが基礎となり、各自が親金の出し入れをおこなう・・・現金が動く・・・そこに、郵便局としての「得」があるのではないかと思いますが、、、手渡ししますと、局に「一度でも貯金、預けて、出し入れする」ということが無くなります、と、思えるのですが、、、手数料をもらわないとできないとは、いかに、時の流れ、時代の流れとはいえ、なさけないことです。ついていけない話と言わなくてはいけません・・・・

2月5日(火)3日が節分でした

★昨日、「のんびりカフェ」で、変則的な「豆まき」でした、うどんなどを食していただくお客さんに、「豆が8つ入りの紙袋」を用意しまして、巻きずし(金棒)が5本、お菓子、縁起のよい5円玉と百円玉、などが当たる「くじ」を食卓に置きまして引いてもらいました、巻きずしは「おいしい」と好評のような感じでした。

節分2

節分1

★節分と言うのは、元々は、春だけではなくて、季節の分かれる日の意味で、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指していたようです。が、今は一般的に立春の前日。春は年のはじまりであり、季節の変わり目には邪気が生じるという考えから、鬼払いなどの儀式が行われるのが一般的になったようです。

と言うことは、昨日四日が「立春」と言うことでした、昨日は朝は小雨模様でしたが、午前中は晴れまして、どことなく「寒さが無い」感じはありましたが、お昼からは冷え込みました、春とは名だけで寒い、冷えますね、、でも、やがて春と言うことですから、だんだんと暖かくはなるのでしょうかね。立春とは→二十四節気の一。節分の翌日。太陽の黄経(こうけい)が315度に達する日をいい、太陽暦で2月4日ごろ。暦の上で春がはじまる日だそうです。