日別アーカイブ: 2024年5月10日

5月10日(金)昨日は全国地方議員会の交流会の日でした

★今朝も気持ちよく晴れている空、寒さはありますが、1日暖かくなりそうです。昨日は、全国の日本共産党地方議員の【支部と心一つに「手紙」にもとづく党づくりへ 地方議員オンライン交流会】の日でした。なれないオンラインでの参加ということでしたが、なんとか、パソコンで見ることはできました。下の写真、日本共産党の田村智子委員長です、先日の党大会で、初めての女性委員長として、今、話題の人といえますね。田村委員長の訴えから始まった会議でした。

インタビューに応じる共産党の田村智子委員長=東京都新宿区の党本部で

※交流会の参加案内は、【「支部と心一つに『手紙』にもとづく党づくりへ 地方議員オンライン交流会」が、昨日、5月9 日に開催されまシタ。 交流会では、「手紙」を力に党づくりで前進しようと、歴史的チャンスの情勢を生かして 住民のなかに打って出て、党勢拡大にとりくんでいる各地の地方議員の経験を交流します。 その際、党づくりをめぐる悩みにこたえる交流も行います。(※下記質問フォーム参照) ぜひ、すべての地方議員のみなさんが視聴しましょう。 都道府県、地区、議員団ごとに、積極的に視聴会をもって、それぞれの感想を出し合い、 討議・具体化する場をもちましょう。 [日 時] 5月9日(木)10時~正午 [内 容] 報告 田村智子委員長 発言 地方議員のみなさん(数人)】となっていました。

★地方議員からのお話、訴えは、8人でしたが、能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島市の議員さんの訴えと頑張りには感激でした。その他、7人の議員さんたちの報告も、党を大きくする苦労、支部との協力のあり方、そして、議会そのものの活動など、いろいろと悩みながらも前を向いて頑張る須賀田にも感激、元気出してこちにも頑張らなくてはですね。

苫田ダム阻止運動「今、何を考えるか」の展示会準備

★6月29日(土)から7月7日(日)まで、鏡野町のペスタロッチ館で「苫田ダム阻止同盟」の活動を紹介する展示会を準備しています。奥津町(現在の鏡野町奥津)として「絶対阻止」を掲げて頑張った歴史、

ダム2

苫田ダム(奥津湖)は、昭和28年岡山県の吉井川総合調査から開始され、昭和32年11月農林省と岡山県による農業用ダム構想の記事が山陽新聞に掲載されると、当時の苫田村は、村議会で反対を表明した。昭和38年に建設省(現・国土交通省)に移管された。

激しいダム反対闘争を経て、構想から42年後平成11年に漸く苫田ダム工事本体起工式が行われ、平成17年3月に完成した。52年の歳月を経て苫田ダム建設事業は完了したわけですが、「阿久津長をいじめた岡山県の長野知事を悪代官」とまで称した時代が、最大の山場だったのかなと思いますね・・・

★私が生まれたのが昭和18年です、10歳の時にダム構想なるものが始まっているわけですね。そして、津山の市議会議員になったのが、1971年(昭和46年)ですから、阻止運動の高揚期を一緒に歩んだということになります。何回か阻止同盟事務所にお邪魔したり、集会、年に一回の「阻止同盟の団結祭り」のような催しに出かけました。市議会でも、何回か「ダム反対」の論議をしたのも思い出します。

苫田ダムを建設しないと、津山市民は水が無くなり、暮らしがパニックになる、という初期の計画説明は?

★最初の頃のダム建設計画」をした時の「津山市の総合計画」には、ダムが出来なかったら、津山市は水不足で、市民の暮らしはパニックになる」という位置づけでしたから、阻止同盟の力で、建設が大幅に遅れて、総合計画に言う年月をはるかに過ぎても、「パニックにはならない」「水にこまることはない」という事態が継続し…この点では、今でも、水が不足するということは起こっていない状態が継続していますが・・・

総合計画で指摘している、昭和○○年が来ても、「水パニックは起こっていない、苫田ダムを作る理由の根底が崩れている、見通しがまちがっている」と指摘したのをかすかに覚えていますね・・・そんな論議があったんですよ、何年の議会だろう…会議録でも見つけたいものですね・・・

こうした課題を含めて、来週の展示に関する実行委員会」をオンラインで開催予定です、そして、展示会についてのマスコミ発表のあり方なども検討です。