いま、あらためて苫田ダムを問う!
★今日、6月29日(土)から7月2日(日)まで、いま、苫田ダム阻止運動を考える、阻止同面医の歴史、40年の「展示会」が、鏡野町ベスタラッチ館で行われます。午前10時から午後5時までです。
是非とも、訪れていただきたい企画です。
6月29日は65年前に旧奥津町が「苫田ダム阻止特別委員会条例」を制定した記念の日です。層名が誕生した経過は、下記の質問書からよくわかります。
1982年に共産党の瀬崎議員が質問書を
昭和五十七年十二月二十一日提出 質問第三号
苫田ダム建設計画に関する質問主意書
右の質問主意書を提出する。 昭和五十七年十二月二十一日
一 苫田ダム建設計画をめぐる地元住民との合意について
1 苫田ダムは、当初(昭和三十二年十一月十八日)県主管の農業ダムとして構想され、えん堤の高さ四十二メートル、貯水量三千万トン、水没戸数三百五十~四百戸程度と公表されていたのではないか。
2 苫田村(当時)では、この四日後に村民大会を開いて「絶対阻止」を決議し、苫田ダム阻止期成同盟会が結成された。
翌十二月には、同期成同盟会が岡山県議会に陳情、同議会は「苫田ダムに関する限り、地元の了解なくして実施しない」と全会一致で議決した。こうした歴史的経緯を建設省は承知しているか。
3 昭和三十四年六月二十九日には、合併して二カ月後の奥津町議会で町是「苫田ダム建設阻止」を決議するとともに、「苫田ダム阻止特別委員会条例」を制定した。
(1) 建設省はこのことを歴史的事実として承知しているか。
(2) この条例は、昭和三十八年六月二十八日に改正し、条例第十七号として今日まで存在している。
同委員会の設置の目的は、「奥津町大字久田下原地区に苫田ダム建設の構想に対し、これが実現を阻止する」ことにあり、同委員会は今日も条例の定めるところにより存在し、正常な機能を果たしているのではないか。
(3) また、これまで、奥津町の議会と関係機関が苫田ダムの建設を承認したことは、ただの一回もないし、そういう記録もない。
★昨日、展示場の準備を岡山から来てされていました、本来は、私も手伝わなくてはいけないのですが、「手伝いでなく、様子を見に行く」だけででペスタロッチ館へ行って写真のみ取ってきました。部屋が少し「せまい」という感じでしたが、明日の午前10時から開会式です。