★1985年6月19日でしょうか、津山市議会で「核兵器廃絶平和都市宣言」が議決されました、当時、私=末永が市議会議長へ・・・日本共産党議員が議長へ、と「物議」を呼びましたが、それが縁で、平和都市宣言を行なうと言う機運が高まり、都市宣言がおこなわれ、平和予算というものを始めて作りだし、市民平和祭が行なわれるようになりました。
今年は、第27回目ですが、本当は、28回でなくてはいけません・・・最初の段階で「開催しない年」が起こりまして、とんでしまいました…継続は、しんどいです、でも、「力」です、この「空白の「1回が有る」と言う歴史が、しんどさと、継続の価値観をあらためて考えさせられるというものですね。
★木原実行委員長と宮地市長と私=末永です、めったに取れない写真ですね。第1回市民平和祭は、木原さんのお父さんが実行委員長でした、私が市議会議長として、木原さんと一緒になって「平和都市宣言」をもとめた市民団体へ呼び掛け、激論の中「5つの加盟団体の満場一致性で事をおこなう」と定め、行政に「年間100万円の平和予算」をつくってもらい、実現したものです。被爆二世の会・木原さん、実行委員会も、今、2世の時代へ引き継がれました。
司会は実行委員会の事務局がおこないます。
★木原実行委員長のあいさつ、そして、宮地市長・川端議長・田村教育長と「来賓挨拶」がおこなわれ、「平和のための戦争展」のオープニング・テープカット、で、開会式典が終了します。
★津山市と実行委員会では、市民のみなさんに、「戦争遺品」というものを「寄贈」して頂くように呼びかけています、毎年のように、すこしつづ市民の方が「遺品」をもちよってくれますが、ことしは、例年よりも「沢山集まった」とかみみにします、大切に「保存」して、また、「平和祭」で、遺品展に展示していくことになると思います。写真は、遺品展に見入る市民の方々です。
★この写真は「2年前の平和祭」の時の者です、参考に乗せておきます。