福島・原発事故、廃墟の町・・・・こんな無茶なことを・・・

★視察三日目は、原発事故その後の対策は、・・・・をテーマにしたつもりでしたが、無理でした、現地は、その後ではありません、あの日のまんまでした、ひどいことです、・・・何で、安倍のおじさんたち、原発の再稼働なんだよ、何で原発の輸出なんだよ・・・・無茶な日本です、このままで良いのでしょうかね…。

いわき市の伊藤達也さんに1日ご案内をしていただきました。伊藤さんは、原発問題住民運動全国連絡センター筆答代表委員・福島浜通り医療生活協同組合理事長・たくさんの「共同作業所」の役員、責任者、そして、10年前まで、県会議員をされていた人です。

27日の午後の訪問地は、楢葉町の竜田駅と富岡町の駅でした。2011年3月11日のまま、2年半まえから全く時間が止まったまま、壮大な景色、風景が広がっていました。まさに、地震、津波、原発事故で放射能汚染、「原発被害のひどさ」をまざまざと見せられました。

竜田駅まえ、駅舎は残っていました。しかし、廃墟の町でした、楢葉町です、2年間で、各家は、ねずみ・へび、みみず、など小動物のすみかへ…・原発マネーでたてられたトイレが異常に綺麗でした…。

除染の作業員以外は、一人の姿もありません、しかし、学校の校庭です、「もうすぐかえれる地域になりますよ」と、草ぼうぼうの地域を、綺麗に刈り取り、見違えるようにした、校庭です。人間の背丈をこえる草が生えていた工程です。時々、私たちと同様見に「視察」でしょうか。何かの調査でしょうか、人の姿が見えました。

ここから下は富岡町・富岡駅の様子です

富岡駅と駅前商店街、あるお店の時計、2時46分ですか、47分ですか、時間を刻んだまま、壊れて止まって、そのまま、危険区域へ、家に帰られません・・・・

★地震、だけなら、もう、復興しているとおもいます、そして、津波の被害、それでも、2年と半年、何とか、人が暮らせるようにはなっていると思います。しかし、原発事故・放射能漏れ、そして、汚染・帰還困難区域指定、居住制限区域への指定・・・・1年か2年したら「帰還できる」という国の言い分・・・・・しかし、放射能測定器は、1、5~2へ、そして、4、5~5、へ、6へとマイクロシーベルトの数値があがります・・・・帰れない、帰りたいが、帰れないのである、除染した、と言うが、無理、除染した翌日には、又、数値が上がります、・・・・・・・・現地は、3月11日午後2時46分のまんま、何一つ動かないのである。そこへ、12日、原発事故が起こったんだよ。。。。

ここまでの写真は、竜田駅と富岡駅のものが前後しています。そして、これらの写真が1番最後に見た地域のものです。

★ここからは「危険区域」で入れません、道路が続きますが、車も人も通れません、その周りを伊藤さんのご案内で、ぐるりと回りました。

★この右側の赤色のレンガからが、立ち入り禁止区域、私らが「禁止区域に侵入するのではないか」の思いでしょうか、消防と警察が、かなり、後になり、前になり走っていました。そして、この道路を隔てて、補償が満額と六割にわかれる、そんか「分断の道路」でもあります。

★上の写真が、27日の最後の写真です、桜並木通りだそうです、政府と東電は、今年のさくら満開の時「1時帰宅」をゆるした、もくろみとしては「沢山の住民が帰宅して、桜を見て、花見でもする」と思ったそうですが、誰ひとり、花見などする人はいない、そんな実態ではない、住民自らが「示した行動」だったようです。

ここから、正式に、27日の行動の順番になります。廃墟の町、ゴーストタウンを見ていただきたくて、最後の訪問地を最初の画面構成にしました。

★27日は、伊藤達也さんのご案内で、いわき市の北部、旧緊急時避難準備区域、そして、警戒区域の楢葉町から富岡町へ、帰還困難区域へと案内してもらいました。

★郡山から約2時間、いわき市へ、午前9時40分ころに、まず、伊藤達也さんの事務所に到着です。ここで、約、1時間程度レクチャーを受けました。左から3人目、黒っぽいシャツを着た人です。

★いわき市は、原発事故現場から60キロ圏内、そして、北部は、30キロ圏域内に入っています。

★広野町は、20キロから25キロ圏内、そして、楢葉町は、20キロ圏内、富岡町は警戒区域です、など、訪問する地域、町の基礎知識や現実を教えてもらいました。

放射能測定器、通常。自然界は0、04べしベルだそうです。伊藤さんの自宅・事務所付近は、0、3~0、4デシベルくらいでした。

いわき市人口約33万人、1万2千減だそうです。しかし、避難者が3万人はいると言われているようです。仮設住宅などに住む人に、住民の「嫌がらせ」が頻繁に行われているそうです。津波で流されたまま、手が出されなていない地域、そして、放射能汚染です。

この地域は、堤防が無かった、津波が直撃、私たちが見に行ったときは、堤防の工事が行われ、トラックの出入りが激しかった。

そして、広野町へ・・・・

東電の火力発電所もある町です、ただし、原発もふくめて、東京に電気はおくられており、福島県はゼロ、東北電力が電気の供給をしているわけです。

この広野町は、東電が、1997年に、130億円をつかって、サッカー練習場(11面のサッカー場・ホテルなど)を作って、「寄付」をしてくれた、「さすが東電」といわれたが、その後、伊藤さんが県議時代に、この費用は、必要経費(電気料金に与される)と言うことを明確にさせた。と、言う事態であったそうです。寄付ではなくて、電気代金に上乗せして費用が作られた。

火力発電所の煙突、すごく、異様な風景でした。広野町から楢葉町へ、放射能に汚染されて、除染作業、汚染された土壌などは「袋詰め」して、仮置き場へ、いたるところに積まれています、この袋は、津山圏域の「領家地内・ごみ処理施設建設現場」で、ヒ素の汚染された土壌の撤去で使われている袋と同じもの・・・・クリーンセンターが「袋が手に入らない」と嘆いていたのが、原因は、ここですね、、、言葉では言えない、本当に、すごい大量です、仮置き場から中間処理へ、最終処理方法な「見通しなし」です。どうするんでしょうか、安倍のおじさんたち、原発再稼働ごときに、うつつを抜かしている時ではありませんよ、・・・・どうしてくれるのか、この、放射能の汚染物の最終始末を。。。

この付近は、除染作業が沢山のところで行われていました。作業員の乗るバス・乗用車、パン、そして、汚染土壌を袋に入れるユンボなど、トラック・ダンプ、行きかう車と人は、それだけです。上記のサッカー場を紹介しましたが、広大なサッカー場が、「関係者の仮住まい、作業員、車両、すごい数です、このサッカー場を仮住まいとして、汚染処理の現場に大量の車と人をはこんでいますね、、、

お墓の除染は、ブラシで、一文字、一文字、除染するそうですから、気の遠くなるような作業が、永久に続くんでしょうね…・二度目の除染が必要な地域も沢山あるそうです。

放射能に直接汚染されて、避難、約9万人、帰宅者は、極僅か、帰宅可能地域になっても2割程度しか帰れない、空き家、ねずみやへびなど大量の「小動物のすみか」になっており、人が、帰ったり、住んだりできる時代ではない。。。。そして、

玄関に張られている「コラ、ドロボウ!!」との呼びかけ・・・・・何ともいえない「わびしさ」です、日本のというか、日本人と言うか、人のなり、文化の低さというか、思考力のひくさというか、ともかく、言葉なしでした。

富岡町は、避難指示解除準備地域に指定され、3年以内に帰宅可能にする、として、除染作業が進められていました。泊ることはできないが、日中の出入りは自由となり、私たちも出入りが出来ました。警戒区域は三つの区分だそうです。①避難指示解除ちいき、②居住制限地域(3年から5年で帰宅可能に)③帰宅困難地域(5年以内は帰宅できない)の地域、①は補償費の4割、②は6割、③は満額出す、との方針。道路、一つ隔てて、①になったり②とか③になったり、住民の「分断」の開始だそうです。

竜田駅へ、今日の画面の一番上に、紹介しています、高校生の当日の通学に使われた自転車がそのままの写真、そして、富岡駅へ、で、地震、津波で破壊された家屋、住宅の中へ自動車が入ったまま、などの風景へ続きます。

★放射能測定器、車の中でも、1、5です、そして、1、7から8~9です、2、0へいやいや4、0へ5ですと、上がりっぱなしです。長居は無用、車から出ないで、車に乗ったままで、グルグルと伊藤さんの案内で回りました。

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