★日曜日と月曜日に「お休み」しました雑記帳、3日ぶりの書き込みという感じです。昨日は、市議会が常任委員会審査日でした。総務文教委員会と厚生委員会の2つが開かれまして、明日が、産業委員会と建設水道委員会ということになり、総務文教委員会は、文教関係が明日、13日に行われる予定です。
久米市民プールに関しては委員会の審査が終わらず、13日午前10時まで「論議を中断」としました
★今議会では、総務文教委員会に23議案が提案、審査されますが、令和5年度一般会計第10次補正予算、令和5年度津山市土地開発公社生産事業独別会計補正予算第二次分が全員一致で採択されまして、議案第78号令和6年度一般会計当初査さんの審議が、午後5時になっても尽きないで、11日は「休憩」として、13日の午前10時に再開ということで終わりました。
★久米市民プールの公認化に関する予算、1581万円の予算、そして、令和7年から8年にかけての債務負担行為20億6390万円についての質疑が多く出され、午後5時には質問が終わらない、残されたということで、13日まで「休憩」として、昨日はわおったということです。
★久米市民プールに関して、主に質問したのは、私=末永と三浦ひらく議員、曽田の議員は時間が足らないということで、河村・金田両議院が、資料の請求も含めて、聞きたいことの原だけ説明して、午後5時になりまして、「会議時間は午後5時までとなっていますから、本日は、ここまでの論議して、13日午前10時にいい南海をさいかいする」と金田委員長の言葉で終わりでした。
午後2時46分に「東日本大震災から13年」ということで、委員会を中断して、「黙とう」をみんなで行いました
★東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震でした。マグニチュード(M)は、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0。これは、日本国内観測史上最大規模、アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震でした。
被害状況等については、まだ行方不明者も多く、全容は把握されていません。緊急災害対策本部資料によると、震災から3ヶ月を超えた6月20日時点で、死者約1万5千人、行方不明者約7千5百人、負傷者約5千4百人。また、12万5千人近くの方々が避難生活を送っています。現在でも、原発事故現場をはじめとして、帰宅が出来ていない人たちもたくさんおられます。元の生活には帰れないという大変な事件です。
写真は、当時の津波の様子を写した画面です。田老地域と思います。
★こんな事柄も、今でもいきているんですね、、上の記事、水泳・プール問題と、震災での「思いつき」記事・・・岩手県立高田高校水泳部。2011年の東日本大震災の際、海沿いのプールで練習を予定していた部員9人全員が津波にのまれ、7人が帰らぬ人となった。部員のことを心配して学校を飛び出た顧問の一人も亡くなった。被災地の部活動として「最悪の悲劇」と呼ばれながらも、その後も活動を続けてきた。「なぜ救えなかったのか」。そう問われ続けたもう一人の元顧問の目線から、「泳ぎたい」と願った部員やその後を紹介する。
「生き残った方の顧問」と呼ばれて
水泳部の元顧問・Hさんは昨年12月、岩手県陸前高田市や大船渡市に点在する計7カ所の墓地を約5時間かけて回った。 最初に訪ねたのは、まだ遺体が見つかっていない高校2年生だった女子部員のお墓だ。 「早く出ておいで。みんな待ってるよ」 周囲を掃除し、花を換え、最後にお菓子の「じゃがりこ」と「アポロ」を手向けた。 「お花より、お菓子の方が喜ぶかなと思って」 そう笑う目元が、わずかに光った。 あの日以来、「生き残った方の顧問」と呼ばれ、周囲から「なぜ水泳部員たちを救えなかったの?」と問われ続けてきた。でも、その言葉を恨んだことはない。 「だって、事実だから。多くの生徒と同僚が亡くなり、私は生き残った」
海沿いのプールへ向かった1台の車
高台にある高田高校グラウンドから海を望む。水泳部が練習していた屋内プール施設は海の近くにあった=2011年3月17日、岩手県陸前高田市、井上裕一撮影
2011年3月11日は午後3時から、学校から約1㌔離れた海沿いの民営プールで練習が予定されていた。部員2人が休み。残る9人がプールサイドで練習前の準備などをしていた。 午後2時46分、大地が割れるように揺れ始める。 校舎内にいた畠山は避難路を確保するため、急いで登校口の扉を開けた。生徒や教職員が慌てて校庭に飛び出してくる。地域の住民も避難してくる中、近くで練習していたサッカー部とソフトテニス部も戻ってきた。でも、水泳部員たちの姿が見えない。 「津波が来るかもしれない。生徒や住民をもっと高いところに避難させよう」。そんな声が上がり、校舎の裏側の高台にある第2グラウンドに避難することになった。 生徒や住民が高台へと駆け上がる中、ものすごいスピードで学校を飛び出し、プールへと向かう1台の乗用車が見えた。運転席には水泳部のもう一人の顧問である女性教諭。まっすぐ前を見据え、ハンドルを握りしめていた。 「水泳部員たちを呼び戻してきます」 同僚の教員にそう告げて、向かったらしい。この先生も亡くなった、帰らぬ人です。H先生が無念の気持ちを持ちづける課題です。。。
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