★ここ数日は、日中は、好天気です、昨日は、朝は「曇りから雨かも・・・」と思いましたが、想像を外れて、夕方まではカラリと晴れ渡った秋日和で、洗濯物も、よく乾きました。洗濯物は、朝の様子から、単に「きりが深い」という、好天気の前触れでなく、どんよりとした曇りの感じでしたから外に出さないで、部屋の中で・・・と、思いましたが九時過ぎから好天気の様子で、外に出しましたという次第でした。。今日は、朝から雨、一日中降るのかな・・
★時の流れというのでしょうか、日本共産党津山市後援会活動とか、ありかたとか、後援会ニュースのつくりかた、とか、その内容、とかが、とかく物議を呼びまして、党市委員会内部でいろいろと検討し、現在の後援会の会長さんとも相談をして、日本共産党中央委員会の示す「後援会活動」の方向で、津山の後援会も再整備省というところです。
★私の記憶の範囲ですが、北原信一郎さんが初代の後援会長で、その後は、大林秀弥先生へ、そして、中西孝先生へと、会長職が変わったと思います。事務局が、Sさんでしたが、一向に動かない、本当に、なんにもしない。。。と、いうことで、日本共産党市議団として、わたしを「後援会担当」として、大林さんや中西さんと連絡をして必要な措置を講じてきまして、議員を辞めてからは、「自称事務局長」と名乗るようになりました・・・
そして、その他の役員は、必要におうじて「縦線後援会・地域後援会の代表者・事務局のような人」に集まってもらい話し合ってきたと思います、正式な「役員は無し、会長と事務局長だけ」で運営でした、そして、後援会ニュースは、色々と相談して、継続する、事を前提として、当時の党市委員が「順番で作成する、作成者の判断で記事は決める」という方式を作り出して、できたものには「あれこれと批判はしない」という原則でやってきました、色々ありましたが、20年にもわたって、月に一回か、二月に一回か、は必ず「津山市日本共産党後援会ニュース」を作成してきました、年に一回程度の当番が市委員に回ってきたわけです、私も、中西会長も、年に一回程度の当番には、ニュースを作成してきました。。。この「ありかた」が物議を呼んだという次第で・・・後援会の再整備が必要となってきたわけです。
★ことのほか、全国の流れを津山流で言いますと「市民と野党共闘」という新しく目指す「国政選挙の候補者」も、決定されれば、支持して後援会活動ができるようにもしていく、そして、後援会長・副会長・事務局長・事務局員、等の「役員体制を正式につくり」出して、後援会活動は、「役員会」の協議、相談、決定により行うようにする、後援会ニュースは「編集委員会」を組織して、月に一回か、二階は発刊していく、という、後援会らしい後援会活動を、来春の市議選挙、夏の、参議院選挙に向けて頑張ろうというものです・・。
市委員会で相談したことを、従来の後援会の人たちと、党支部に対応する後援会の人たちで、先月の27日に、後援会再整備のための話し合いをしまして、今日、正式な「役員構成をする」ということで準備してきたものですが、、、さてさて、どうなるのでしょうか、大切な時期での党後援会再整備ですが・・・。