3月24日日本原自衛隊基地の視察でした

★広戸池新設工事・基地対策事業の一環です、基地周辺整備事業がどうなっているのか、日本原の基地の中は、どうなのか、かって、1917年ころに日米共同訓練を行った時に、「市街地作戦区域」を設けまして、海兵隊と自衛隊が、射撃訓練、そのど真ん中、交差点に「スエナガ商店」を設けまして、縦横無尽に「射撃」をうけました・・・あの地点が、変わった、「スエナガ商店」がなくなった、と、噂に聞いていましたから、本当かどうか、もあり、視察の申し入れ、地域振興部・勝北支所・自衛隊の案内で、久しぶりに基地の中に入りました。その様子を写真で紹介します。

自衛隊からもらった基地の内部の図面です。黄色の部分が、いわゆる「西地域」といわれる訓練区域とおもいます。下の方の四角でかこんだ「西地区」の三文字がみえますが、この真ん中あたり・地とあるあたりが、市街地作戦区でした。

まず、市街地を作って、銃撃訓練をしていた場所へ案内してもらいました。この付近に交差点があり、その角に「suenaga」と書かれた、散髪屋でしたか、雑貨屋でしたかありました・・・・今は、広い更地、広場になっていました。

★今は、市街地作戦訓練は、時代に合わなくなり「やめた」そうです・・・「スエナガ」は、防衛省中国四国防衛局の「幹部」に「スエナガ」がおり、その人の名前からとったと、の説明を、当時からし続けていますが・・・?と私は、云うています。

続いて、戦車部隊が「訓練中」ということで、戦車3台がならべられ、自衛隊員が訓練している現場へ、「77戦車」(777とい歌かもしれません・・)だそうで、いま、1個連隊17騎保有しているそうで、2個む連隊で34台が日本原基地の中にあるとかの話でした。

★続いて、ヘリコプターの「滑走路新設現場」へです、オスプレイは「来てない・来ない」とのことですが、「その保証はないでしょう」とといかけましたら、ニコニコとわらっていましたが、返事なしでした。800メートルの長さ、広い滑走路でした。

滑走路から、「着弾地」を望んでみました・・。

★基地の中の最後は、洗車部隊の「戦車射座」の広場です。

このちてんから、1、800mはなれた「徹甲弾着弾地」をめがけて、洗車から発泡します。まず、全てが、的中させるそうです、「外れることはめったにない」とのこと。

最近は、予算不足(一つ打ち込んだら、鉛の玉かな。。。?300万くらいかかるのかな・・打つ回数が減ったそうです) 自衛隊も「削減ですか」と聞いたら「そうです」と答えていました。

普通の着弾地がとなりです。これで、基地の調査・視察は終わりまして、広戸池新設工事現場へです。現場は、まだまだ「生コン打ち」という状況ではなくて、「穴を掘っている」「仮設道路」などを整備している、という感じでした。

田畑を、一部、山林もかな「更地にして、池を作る」ということなんでしょうね・・・基地がある限り、こうした「周辺整備事業」は、永久に続けられ、道路と施設と、コンクリートでかためられた「地域」を作るんでしょうかね、、、綺麗に整備されつつある、という表現にも「値する」のかなとは思いますが、、、地域からの「要望に応える政治の分野のあり方」とでも言うのでしょうか、色々と考えさせられる基地めぐりの半日でした。

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