日別アーカイブ: 2022年5月19日

5月19日(木)選挙事務所後事務所の整理へ・・・

午後1時書き込みですが、今になっても津山市は67人と過去最高値へとこれいかにです。コロナ252人感染 岡山県発表分

★岡山県は19日、252人の新型コロナウイルス感染を発表した。津山市67人、総社市24人、玉野市23人、笠岡、赤磐市各19人、浅口市16人、瀬戸内市14人、井原市13人、真庭市、早島町各9人、鏡野、美咲町各8人、勝央町5人、里庄町4人、新見市3人、高梁、備前、美作市、矢掛、奈義町各2人と県外在住者1人。
※岡山県の発表には、岡山、倉敷両市の感染者は含まれません。

 

★昨日は1日晴れでしたが、夕方からの通夜の席は少し冷えましたし、朝は、なんとなく涼しさ、冷えを感じます、今朝も同じ感じですね、1日晴れるような気配です。。

★今日は木曜日ですが、朝からバタバタとします、何よりも「選挙事務所」として使用していた「スエヒロ亭」の中に眠っている茶碗、皿、なべ、もろもろの台所用品、そして、電話機とかコピー機とかフアックスとかの事務用品、ストーブから机・椅子まで行きますと無数ですが、どれだけ「整理」していただけるかは不明ですが、不用品すべてを「整理」する日です。業者のひとが「無料でもちかえる」という事でお願いをしていますから、お昼までには終わらないかもです・・・。

★少しの台所用品と事務用品を「もちかえり」という事で何人かの人に持ち帰ってもらいました、さくら会館の「のんびりカフェの喫茶店」で使用していたコーヒーカップ、サラヤ茶碗も「持ち帰り」の人もありましたが「残りぜんぶ」を「スエヒロ亭」に昨日までに運び込みまして、それがプラスしての処分となりました。かなりの荷物になるのではないかな…と思います。

先輩の死と選挙と言えば・・・

★昨日の夕方、先輩のお通夜に参加しまして、色々と思いだしまして、こんなこともあったなです、90歳となっていましたから、先輩は40歳前という事になりますね、、約50年前の話し、私が27歳で初陣、はじめて選挙に出たときの開票日、教育会館だったと思いますが開票所に地域の若い人達数人と開票所の真ん中に陣取ってその様子を見ていました・・・候補者が開票を直接見に来るなんて前代未聞だったそうですが。。。

★開票が進む、何回か「途中経過の票」が発表されますが、(今とは全然様子が違いますが。。。)みんな1000票をこえて「当確」のようになっていく中、私だけが300票代のまま・・・えらいでんなぁー、とぼやいていた時に、中から「先輩」が、「ヒロちゃんもう帰ってもええよ、真ん中くらいで当確、大山さんよりは少しうえ・・・(大山さんとは日本共産党で初めて市議になっ人、2期目でした、大山さんの力、2期目で党の議席が2人になったんです・・)」と言う意味のことを教えてくれました。今でも「とてもうれしかったのでしょうね、先輩の声が耳に残っている感覚」です・・・。。それが、昨日通夜で今日葬儀の先輩です、これは、もう時効の話ですよね、、

★しかし、当確が出るまでは、と、頑張りましたが、私の票は、最後の最後まで300票代のままで推移しました・・・今でも、なんでだろうと不思議な記憶です、、、若造が、候補者が開票所の真ん中に陣取りして開票をみている、というのが「関係者にとっては目障り」だったのかな、、、いまでいう「いしめ・いじわる」かな・・とおもったり・・・、これって本当なんですよ、最後の最後の「端数票の整理」の段階になって突然末永弘之が1200票ていど「上乗せ」で、全体では真ん中あたりで当選したんですよ、、、

★試しに、結果31位になった人が、当選祝いをしたんですよ、、、だって、最後の最後まで30位に名前があり発表が30位だったんですから、ただし、当確はついていなかったと思います、私にもついていなかった・・・30人定数で、数人のあふれ、私は、ビリのビリ、300票代でしたからね、、、

嘘のような本当の懐かしい話ですが、先輩がいなくなりましたが、この話を知っている人は、もういないとおもいますが・・・・・・私の頭からは消えない思い、苦くて、愉快で、おもしろい人生の話の1つですね。やはり「変わり者」なんでしょうかね・・・