★今日は、24日の月曜日ですが、一昨日になりますね、22日(土)は、津山市民平和集会と平和行進でした、参加者50人弱、まさに、暑い夏、猛暑の中元気に集会、そして、行進でした。
★平和行進は、私が音頭取り、暑い日でしたが、汗だしながら、先頭を歩きまして、スプレヒコールの音頭も取りましたです。
今年は、原爆慰霊碑への祈願、参加者が少なくて4人でした、きれいに火の回りを掃除、花立を洗いましてきれいな花を活けて合掌し平和を誓って帰途につきました。★
昨日、7月23日は「私の誕生日」でした、なぜか、三回のというか、誕生日が3つなんですが・・・今の戸籍です
★80年前の昭和18年です、まだ、戦争中ということなんですよね、、2歳で「周旋」ということになりますが、6月8日と聞いていますが、私が、川元弘之としてこの世に誕生しましたそうです、当時、戦争というあわただしさもあったと思いますが、親父が5月に亡くなり、すぐ、私が生まれるということでばたばたとしていたのでしょう、誕生の届け出を、8月10日に、当時の岡山県勝田郡河辺村の役場に届け出したと聞きます。生年月日は、8月10日になりました。
★小学校の5年かな、6年かな「河辺村が津山市に合併」しました、生年月日は8月10日のまま、津山市民になっています、当たり前なんですが、結婚まで行きます、最初の免許証は、川元弘之で昭和18年8月10日が生年月日のままでした。わけありまして、結婚のときに、末永の性へ、実の母親の弟、末永泉の養子へ、妻と結婚届と合わせての戸籍の変更でした。
★この時に、異変が起こりました、何と、昭和18年7月23日が生年月日だと大原町(母が末永から川元に嫁いだ地域が大原町でした・当時は、大原町が本籍地だったんだとおもいますが・・・)から連絡が来まして、?、何っと、思いまして、卒業証書も、免許証も、何にも、8月10日だよ、と、言い張りましたが、そこは「変えないまま」に「夫婦の新戸籍」が、 ※末永弘之、昭和18年7月23日へと生まれました。 ※川元弘之、昭和18年8月10日だったわけですから、
※まるで、別人になったような妙な感覚が「今でも実感としてある」んですよね、免許証は、次の書き換えで7月23日になりましたが、考えてみますと、「変わった人」なのかもしれませんねです。