日別アーカイブ: 2023年7月20日

7月20日(木)美作水平社100年記念史誌づくりへ

★昨日は、朝から雨、降ったりやんだりの天気でした、今日はどうでしょうかね、朝はよく晴れています、日本晴れという感じてす、空に雲はありませんね・・・。

先日と言いましても、8日でしたから、早いもので2週間にもなりますか、美作水平社創立100年記念式典、水平社の運動の歴史、流れをくむ同和・部落・人権」を冠とした市民運動を「終結する」決意を固めた日から、残された仕事と言いますか、役割である、100年記念史誌編纂へいよいよ最後のお鋳込みです。

年表史と活動遍歴の編纂へ

★100年という歴史刻み、昨年は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と、京都岡崎公会堂で、全国水平社が創立されて「100年」という大きな「節目」を迎えました。さらに、1923(大正12)年5月10日 岡山県水平社創立 岡山市 商品陳列会館で行われ

1923(大正12)年7月5日 美作水平社が、当時の津山町 鶴山会館で創立されました。

こうした設立の様子や、多少の前後の経過などは当然記述し、私たちは、水平社運動から、部落解放委員会、部落解放同盟、解放同盟正常化連絡会議、全国部落解放運動連合会、そして、人権連、豊かなまち・人つくり津山ネットワーク(通称・津山ネットと称する)へと運動の継承を行ってきた歴史などは、1993年7月4日に「美作水平社創立70年記念誌」を作成していますが、その後の「運動史誌の編纂・作成」を行い、との願いです。

★昨日も、原水爆禁止運動の自治体あいさつ回りを終えてから、資料アサリ、案外最近のごきげんいかがの冊子を観れば、かなり「分かる」ということで、Kさんが、丁寧に「ごきげんいかが」を洗い出ししてみると大役を勝ってくれまして、大助かりというところです。

★本音シンポジウムの歴史、31回で「最後」になっています、この時は、東北大震災の後、ごみ最終処分場建設をめぐる様々な動きがあった時など、幾つかのことが重なっている感じです。こうしたことを、一つ一つ、ひも解くという「懐かしさ」がありますね、

そして、何があったのかを「思い出の記」として綴りたいと思っています、あまり特別措置法の下での「施策の在り方」などを残しておきたいの願い、中小企業経営相談員とは、営農相談員とは、就職あっせんかと言われた職業相談員とは」など、ほとんど、其の活動ぶりもさることながら、そんな人的配置施策があった事すら、知らない人が多い、何をしてきたのか、単に、年月日の歴史、何月何日に何があったのか、だけではない物語です、そんな記念史誌づくりへです。。。。

昨日は、原爆許すなと、自治体回り

★朝早くから、下野理事長と待ち合わせをしまして、久米南町、美咲町、鏡野町、津山市へと原爆許すな」の訴えと、首長、教育長、議長の「3人の平和祈願ともいうべきペナント」を集めたり、核兵器禁止への署名を御願いしたりの「あいさつ回り」でした。

久米南町

まず、久米南町へです、正広議員の案内で訪問、3人の名前入りのペナントを預かり飲まして、署名もいただきまして、8月9日のナガサキ本大会への持参など話し合いました。そして

美咲町

美咲町へ、藤井議員のご案内と、年金者組合の杭田会長などの案内で、青野町長、議長、教育長が自ら立ち会ってくださって、ペナントを受け取りまして、平和への思い補話し合いました。そして、

鏡野町

鏡野町へ、ここでも、山崎町長が、そして、議長と教育長が直接話し合いに応じていただき、ペナントなどもいただきました。山崎町長とは、久しぶりの面談、議員に復帰してからは初めて、また、資源循環施設組合議会で‥よろしくの挨拶、「いやいや、末永さんのおかげて、出来上がった処理施設ですからね・・・」とか「色々ですね」とか、懐かしい話多しです。そして、最後は、津山市へです、

津山市

新日本婦人の会の長尾さん、津山民商の西田さん、共産党の山本さんが同席、当局は、人権啓発関係、教育関係、議会事務局関係の人が参加、22日の津山市民平和集会と平和行進への参加もお願いして3回となりました。