8月3日(木)公認プールの請願採択とは

★今朝は曇りの感じです、沖縄地方の大型台風の影響かなと思ったりですね・・・先日から続いています、久米のレインボープールを「公認プールに変える」という課題、古くなってきたので「建て替える」というのが、そもそものところで、建て替えるのであれば、思い切って「良いものに、公認プールへ、稼働床式へ…」という感じだろうなと想像はしますが、問題の一つは、21億円の費用、久米でよいのかという課題、公認ならば、25メートルでなくて、50メートルプールではないか、の問題、などなど、課題は山積というところでしょうかね。

★昨日の、私のブログに書きました、水連の幹部との話のことで、二人の人から問いかけられました。一つは、「過去に議会で作ると決めているのではないのか、新しくというか、出直しの末永さんの意見が何で必要なのか」という意味のこと。もう一つは、だれだれが反対なのか、末永さんだけではなかったのか、なんで、末永さんだけのような言われ方をして居るのか、という意味のことでした、が、2つ目のことは、少し、わからないことですが、一つ目の過去のことは…調べてみました。

令和4年9月議会へ請願書提出され議決です

津本議員が議長の時、令和4年9月議会に「総合屋内25mプール」建設に伴う請願書、として5人の議員が紹介議員として提出され、採択されたということです。ただ、これをもって、今回の「久米・市民プールの公認プール建設」と直接的に結びつくかどうかは、やや、検討の余地ありとは思いますね。

★日本水平連盟「総合屋内公認25mプール」建設を強く要望しているわけですが、「プール建設場所については限定しない」とされた請願ですね、水泳連盟ではなくて宇人、幅広論の中でしょうか、津山市スポーツ協会 会長 高原 清隆 氏が請願者になっておられます。

★総務文教委員会の時に当局が配布した「基本構想」の公認プールの経過報告の中で見ますと、「新たな公認プールの整備については、3度の請願書が津山市議会へ提出され、いずれも採択されています」と書かれています。この令和4年9月議会の請願が「一番新しい」というか「近年のもの」ということになると思います。当局にも、同じように請願があったことも記してはいますが、だからと言って、久米のプールを21億円で整備することとは直接の関係はないとは思いますが、何よりも

去どんな決議があろうとも、7月26日の「プール問題学習会」において、賛成意見がなかったのは不動です

過去何回も、どんな決議が行われていたとしましても、7月26日の総務文教委員会の名で行いました「プール問題学習会」において、反対の意見しかなかったのは事実あり、変えることができない不動のものです。そして、私=末永が「反対意見のリーダー」とか「中心とか」ましてや、わたし=末永だけが反対意見を述べたというようなことはあり得ません、静かに、おしとやかに、「津山中心部・総合グランド付近に公認の50メートルプールを建設するというのが本来であり、久米に公認の25mプール建設は認めるわけにはいきません」という主張をしただけなんですから、水連のみなさん、ある意味、体躯協会のみなさんも、誤解のないようにしてくださいです…体育協会からの請願であったということがわかりまして、なんとなくですが、当局が「何としてもやりたい」という意味合いが、理解できるかなと思うのは、わたしだけかな。。。?です。

8月2日(水)広くなった衆議院岡山3区の予定候補

岡山3区候補者を発表・原田あき子さん、8月10日(木)に大平よしのぶ 氏 来津で 集いを予定

8月1日 共産党岡山県委員会は1日、次期衆院選の岡山3区に新人で元団体職員の原田亜希子氏(50)を擁立すると発表した。

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衆議院岡山3区予定候補発表 原田あき子さんの写真です、すがすがしい感じの人で、福島原発事故の関係で、群馬県から岡山県に移住してこられ、元は民商の勤務員でしたが、今は、地区党に勤務しています。

8月10日には、前衆議院議員・大平よしのぶさんが久しぶりに来津予定です。午後6時30分 津山総合福祉会館 三階中会議室 衆議院選挙を勝利する「党と後援会の集い」を予定しまして、立候補の決意を述べます、今から、ご参加予定よろしくおねがいします。翌朝11日(金)午前8時から、国道53号線天神橋北詰 朝宣を行います、よろしくお願いします。

昨日は、日本共産党「さくらブロック会議」でした。

昨日の午前中は、日本共産党津山市委員会内の「さくらブロック会議」でした、上記の8月10日(木)の大平・原田野活動の在り方について、日本共産党8中総(党大会この8回目の中央委員会総会という意味です)の決定事項の実践・党を大きくする課題・総選挙の準備活動強化などを相談、各支部ごとの「会議・統一行動」などの独自の活動も話し合いました。

とても、おかしな話になっていますが、何でかな

先日のことですが、久米市民プールを、21億円かけて「公認25メートルプールにする」ということについて、総務文教委員会が、全議員対象の「勉強会」を開きましたが、その時に、10数人の議員さんが参加、意見を述べましたが、「ニュアンスの違いはある者の全員が、反対の意見」でした。中には、「このまま行ったらリコールが起こる」まで強い意見が出ました。

★ところが、この件について、水連の幹部が私を名指して「反対されているようですから、お話をしたい」とのことで、話し合いに応じましたが、とても、とても、おかしな末永が反対のちゅうしんじんぶつ」「多くの人は賛成なのに、なぜ、はんたいか」などと意見を聞かれました。まさに、?、の話、みんなはんたいでしたよ」というのと、私は、公認プール創るのならば50メートルプールでないとダメ、お金がかかっても、作るのなら50メートルを・・・」と述べました、と、言うことと、久米のプールを21億掛けて、公認プールにすることには反対です、と、説明しましたが、?の連続でした。

水連の人は、「50は理想、しかし、できないので、せめて、25を、と思う、できないことをい望んでもいけない」という意味のことをしきりに言われました、「末永は、共産党は、絵空事で50をと言うている、と、悪宣伝は自由にしてください、理想があって、それが出来そうにないかに、中途半端なもので妥協するということは私にはできない、理想は、理想として追い続けるべきと思っていますから、見解の違い、これ以上話しても無駄」と、話を打ち切ってもらいましたが、何ということでしょうか、私ひとりが「反対者」とは、これいかにでした、変な話に発展するものですね。だれが、水連の人たちに「末永が反対の中心だ」なとど言いふらしているのかなです。

8月1日(火)津山市民平和祭オープニング

昨日の朝、8時30分から「実行委員会」が集まりまして、津山市民平和祭オープニングの準備、午前10時に開会式、開会あいさつ・来賓あいさつの後、テープカットでした。

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上の写真は、準備中の様子と、美作原水協・下野代表理事と木原実行委員長と私です、下の写真は、開会あいさつの木原実行委員長、お父さんの被爆の様子など話されていました。

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木原実行委員長から、市長・教育長・議長へ「平和問題での申し入れ書」を渡しました、代表して谷口市長への申し入れです。

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上の写真は、市長応接室に置いての平和懇談会の様子です。

愛和会問題・公訴をしないという処分とは、不起訴処分

岡山地方検察庁津山支部から、「貴殿に対する名誉棄損疑惑事件については、令和5年7月6日公訴を提起しない処分をしました」という連絡がありました。6日に処分を決定して、連絡が遅くなったのは、私の古い形態に南海連絡してね通じない、いろいろと調べて、ゃっと、つながりましたということでした。

★少し、遅いとは思いますが、いずれにしましても「不起訴という性分」ですから、やれやれ、と、言うところですが、が、つきますよね、私を「名誉棄損で告発したのは愛和会」です、老親福祉施設愛和莊を経営する、社会福祉団体ですから、このままということにもならないと思いますね、と、言いましても、いかにとかせんという基本的な課題はありますが・・

役員会も開かないで「人を罪人としてねがう」とは

いつの理事会で、私を、どんな罪により「警察に告発したのか」「願ったのか」と問いかけましても、理事長は「すべて副施設長に任せているからわからない」の1点張り、副施設長は、施設長とともに、そんなことには応じられない…帰れ、帰らないと業務妨害で訴える、などと述べて、初めからお話になりません、とは、家、2度、役員会の開催とか、告発の事実確認などで愛和荘②伺いましたが、2度とも、門前払いでしたから、最初は、施設長と副施設長は留守だったのかな、居留守ではなかったとおもいましたが。。。

人を罪人に仕上げておいて、知らぬ顔とは、これいかに

★評議員と理事、全員に手紙で真実と経過と思いを質問しましたが、2人の人は、丁寧に対応してくれましたが、後の人は、無しのつぶて、人間を、人を、どう思っているのか、罪びととして告発しておいて、何にも云わない、知らん顔しているとは、何でしょうか、人間を冒涜するにもほどがあると、言うものです。人権を侵してね平気のへいざ、そんな人たちに「老人福祉施設を経営する資格があるのか」と、問いかける必要はありますよね。。

7月31日(月)月末の月曜日・津山市民平和祭りです

★珍しい現象で、月曜日が月末になっています、やや、曇りの朝ですが、今日から、津山市民平和祭りです、朝8時半に市役所ロビーに集合しまして、平和のための戦争展・パネル展示の準備です。今年は、新しい巣パネルも沢山用意されるはずです、津山市民平和祭実行委員会(委員長・木原 賢二 被爆二世の会会長)が津山市の「平和行政の一環」として行うもので、31日から8月4日まで「市役所一階ロビー」をお借りしての展示です。

★オープニング式、開会あいさつなどに続いて、テープカットなどを、実行委員長・市長・教育長・市議会議長などで行いまして、そのあと、実行委員会と市長らとの「平和懇談会」です。被爆者の会・原水協・原水禁などの慣例する団体が一堂に会しましての「平和懇談会」は珍しいと言われていまして、これからも継続して取り組みたいものです。

今年の夏の「平和・核兵器廃絶」の活動予定

★7月31日(月)~8月4日(金)まで、市役所ロビーでパネル展    ★8月 5日(金)~8月6日(日)まで、図書館前でパネル展      ★8月 5日(金)13時 津山市民平和祭 映画会 「かんからさんしん」    ペンタホールにて、 無料。                      ★8月 6日(日)ヒロシマの日・8時~8時30分 文化センター下交差点   原水爆禁止スタンディング                        ★8月18日(金)吉井川河川敷で「平和の灯」です。午後5時に「さくら会館」に集合ください、準備と、暗くなってから片付けが必要です。原水協に加盟団体の人、団体から少なくとも二人程度はご参加ください。

8月6日に、原水爆禁止世界大会ヒロシマ集会が、8月9日を中心として、原水爆禁止世界大会・ナガサキ集会(本大会)が開催されます。これが、一連の暑い夏の塀を・原水爆禁止の行動予定です。

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7月29日(土)暑い日が続きます

★とても暑い日が続きます、昨日は、金曜日のほぼ恒例の動き、さくら会館から、5時前後に出で、日曜版配達しながら帰宅のコースなんですが、5時前頃から、雨、しかも、かなり強い、大粒の雨、しかたなく、配達をあきらめて帰宅、今朝、少し、早めに起きて、やや、涼しさの中配達終えましたという次第です。あつくなりそうですね・・・

個個数日は、毎日暑いです、役所に行きましても、車から降りて、議会事務局に行ったり、さくら会館の駐車場から国道を横断して、さくら会館の二階に上がるだけでも、「汗びっしょり」でした。

さくら会館1階は改造工事中です

★かっての「のんびりカフェ」コーヒー店、うどんや、野菜売り場などに使用していましたが、その後、中華そば屋さん・カレーもありの「ノンビリひろ」になりましたが、改造で「お休み」となっていましたが、ここに来まして、七月の工事」が行われていまして、バタバタとしていますが、「焼肉店」に代わります、お昼は「中華そば」もするとか言われていますが、私には子細はわかりません、単に部屋を貸した主という立場だけですね・・

★とは、言いましても、焼肉屋さんが改訂しましたら、よろしくお願いしますね。お盆過ぎかな、九月ころからかなという感触の工事の進め具合です。

太陽光発電事業に関する申し入れについて

7月27日(木)に、総務文教委員会で「田邑・一宮地域に建設中の太陽光発電建設工事現場」の視察に行きまして、その時に「質問した案件」について、改めて「文章にして提出」となりました件、昨日、もう一度資料などを観まして、思い出しも含めて、文章の整理への日です。

★現地視察は、岡山ソーラ合同事務所を出まして、先日もお邪魔しました、榎の地域を最北部、まさに、先日私が走った「なじみの道」を通りまして、「北酪が牧草を植えて、牛を話していた場所榎地区のA工区と称しているようです、北部分の全体を見渡す感じで説明を受けました。

★少し小高い所に移動しまして、太陽パネルを配置というか、設置している現場を見まして、ここですね、私の勝手知っている地形、谷もありました、この谷を「どのような安全対策を講じて埋め立てたのか」が、質問の一つですね、、議員皆に「ここ掘れワンワンというかもしれません」等冗談を言いながら、別の場所へ移転でした。

★そして、5号調節池へ、調整池でなくて「調節池」と称しました。7号の調節池も見ましたが、さてさて、調節とは何でしょうかね。

調整池とは?

調整池とは【ちょうせいいけ・ちょうせいち】と読み、
集中豪雨等の大雨が降った際、雨水を一時的に貯め、
河川への雨水の流出を抑制する施設です。

※同じ雨水を溜めておく池として調節池【ちょうせついけ・ちょうせつち】というものもありますが用途は同じです。
土地の開発者が住宅地等を開発する際に設置する施設が調整池で、河川管理者が設置し主に川の脇付近に造られる池が調節池です

調整池・調節池は開発で森林田畑が失われたり、道路の舗装や建物・家屋の連担により地中の保水機能が低下したことで河川に雨水が一気に流れ込むことで起きる洪水に備える施設です。
調整池・調節池に貯められた雨水は調整されながら河川に徐々に流れる為河川へ流出する水量を調整できる仕組みです。

とありましたが、わかるようで、わからない呼び方の違い、ですね。一つか2つ、新しい質問もあるかなです。

7月28日(金)昨日の太陽光発電建設現場

暑いです、今日も暑くなりそうです、朝から太陽が輝いていますから‥‥日も、暑い、暑いでしたが、午前中の田邑・一宮地域の「太陽光発電事業建設番場」の視察は、説明を受ける地点地点で車から降りて、少しは徒歩もありましたが、基本は車で移動(市議会の車です、業者の車ではありませんからね)ということで、やや、暑さと疲れからは解放されまして、ありがとうございましたです。

★午前9時45分前に市役所を出発しまして、途中一宮で、議長を車に同乗してもらい(議長は総務文教いいんですから、ここは、委員という立場ですが・・)現地事務所に10時2到着、事務所の一室で、事前にお願いしていました資料を頂き、資料も含めて質問項目に解説などしてもらいまして、幾つかの質問でした。

★安全な工事という点で、「谷を埋めた地点、昔、私=末永が待った毛などを引いたところ、歩いたところなどは、高い山を削って、低いところを埋めていると思うが、谷の底付近、埋めた地点にあった、大木、木々は、切り倒して、木の株(根っこ)は掘り起こして、どこかに捨てたと思いますが、切り倒す前の写真(施工前写真)、倒している写真(施工中の写真)、そして、高いところから土砂をもってきて埋めた写真(施工後写真)のようなものがありますか、本当に「気の株は掘り起こして移動させた証しになるものを示してほしい、雨が降った時の雨量計算とか、それに見合うだけの池を作ったとかは、わかりますが、土地を均した須賀田、安全な太陽光のパネルを敷く土地造成の在り方がしりたい」という意味のことをもうしました・・・・

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写真は、別の地域の太陽建設です。下の二枚の写真のような感じでしたねです

★が、要領を得なかったのか、説明がうまくいかなかったのかはふめいですがね「後で、文章にして質問などしていただけますか」となりまして、後で委員会の名で文章を出しますから、と、言うことにしました。

★そして、写真などとるな、とか、言われて、そんなことはおかしいと私たちの意見を述べて、平行線のままだが゛、やはり、写真はだめか」とききまして、「ダメ」ということで「納得はしない、後日に意見は述べるが、今日は、とらないでおきます」と断言して、現地視察に入りましたです。

★9月5日でしたか、それまでに仕上げると、現場は、急ピッチで工事中、すでにパネルを張っているところ、造成中のところ、いろいろでしたが、大きくて、広くて、大変な感じでしたね・・後日に「ゆだねた話」もあり、現場と議員というか、市民の目線での課題整理はこれからですね。

昨日は、結果として、1日中「太陽光関係」の活動日

★役所に帰ったのが12時30分頃で、昼食をとりまして、休む間もなく、太陽光建設問題に関係する人たち、を足しを入れて4人で1時半から話し合い、愛和荘問題も、共通の話題でしたから、最近の様子など意見交換しまして、3時から、5時過ぎまで、「太陽光発電工事の疑惑を解明する会」(前市長/宮地昭範会長)の事務局話し合い、子連ら運動の在り方とか、市民へのお知らせの在り方とかを熱心に話し合いました、近藤裁判を勝利する会の活動についても、市民が第一を中心として我々も応援することなどが方向付けられました。ということで、まさに、太陽光詰めの1日の暮らしでした。

アサイド

7月27日(木)熱くなりそうですが「山歩き」です

前々から田邑・一宮地域の太陽光発電事業建設現場の視察を予定していました、住民として視察のお願いは別件で、1年以上も「お断り」の連続ですが、たまたま、議員に返り咲きがなりまして、こんどは、「市議会総務文教委員会」としての視察計画を、委員長を中心として組んでくれまして、私も総務文教委員ですから、③かができるということになりましたが、雨で、委員会視察は2度延期になり、今日、やっと実現できそうになったという朝です。暑くなりそうな空ですが、気を付けながら歩いてきます。

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津山・田邑一宮地域ではありませんが、山林を開発して作られる「太陽光発電建設工事」の様子の写真です。

★とはいえ、おかしなことがありまして、視察は良いが、視察に関して写真はダメ、ブログに紹介するのもダメ、と、これまた前代未聞の「対応」ということに条件を付けてきました。これに対して、私も含めて議員が正式に公務として視察する事柄について、他からあれこれと制約を受けるものではない、議会活動についてブログに書くのは「議員の側の自由の問題」という意味の申し入れもしていますが、いろいろと子理屈つけて「書いてもらったら困る」という趣旨のふざけた態度をとり続けています、無茶で、物事のイロハを知らない人たちのなせる業かなです。ともかく、行ってきますです、暑くて、汗かいても、熱中症には気を付けますね・

昨日の二つの議会の会議もいろいろでしたね、久米の市民プール建て替えは「かなり難物」の感じでした

昨日、午前中は、津山市議会活性化調査特別委員会でした。議会から市民の皆さんの所に対話懇談会を」という趣旨で「出前集会」を呼び掛けていますが、二つの「団体からの申し出」があり、今後実施へ向けて市債の検討・打ち合わせです。そして、その他、議会報告会を委員会ごとにするかどうか、懇談会は、を論議し、こちらかに一方的に「報告する会」については、話が決められてしまい、市民の参加も固定化される傾向、ひと工夫が必要との意見、むしろ「懇談会形式」のものを考えていこうという方向性が話し合われました。

★市議会の「会派による議会報告会を、予定したら、公報市議会だより「みてみんちゃい」で紹介できないか、と、意見も出されましたが、これについては、私は「会派とか個人の議会報告、私は一人ですから、無所属会派としての報告会、すでに三回していますが、これを「市議会だより・みてみんちぁい」で紹介するのは、不可能ではないか、いつどこで報告会をするかが大変、あれば紹介され、こちらの報告会は紹介され、こちらは紹介されないということもあり、トラブルもあるだろう、無理なことだ」と主張しました、宰異臭的には公報調査特別委員会」での検討になるのかもしれませんが、あまり無理なことはしない方がと思います。

「久米市民プール建て替え案」は何だい、議会からの批判の声が沢山だされました…9月議会の一つの争点かな?

レインボープルと称していたと思いますが、久米・市民プールが「築27年になり、建て替えが必要」とのことで、すでに基本構想が出来て、具体的な「建設へ出発直前」になっており、9月議会(8月28日開会予定)に予算というか、議案を提出したいの説明会でした。

久米

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★総務文教委員会が「全議員によびかける」という形で行われました勉強会です。全員の参加ではなくて、約半数かな、10数人の参加でしたが、参加者のほぼ全員が「今の時期、21億も使って、25メートルの公認プールを作る意味があるのか」という基本的な声に合わせて、「短水路プールでの大会は数が少ない、大会など誘致は出来ない。合宿も本当に出来のか」という意見、専門家の意見がもっと聞きたい、調査が必要、などなどでした。

★財政計画の子細を知りたい、過疎債が使われるようだが、旧久米に多額の過疎債を使ってねいいのか、加茂や勝北、阿波はどうなるのか・・・・極端なこんなものを谷口市長が作ったら、リコールが起こる、2回目のリコールが成立してしまう」というびっくりする意見まで出てきました。しかも、この議員さんがここまで言うかな、と、言う率直な感想も含めて大変な意見でした。

★最後、これだけの意見があっても、9月議会に予算、議案を提案する気か…です、私は、正副委員長・議長に対して「出来たら議案を出すなというべきではないか」と意見を述べました、…みんな、そんな感じの意見を述べていましたが、当局が「どのような対応をするか」ですよね・・・、

7月26日(水)幾つかの会議の連続の日

★昨日は夕方というか、六時前頃から、雷雨、かなり降った感じでしたが、今朝は、蒸せますね、、、雨でしたから、朝だけでも少しは涼しくなるかなと思ったのですがそうでもありませんね・・・・・、昨日の津山圏域資源循環施設組合議会、議長には、津山市議会から、金田 稔久 議員が、副議長には、勝央町の岡 立 議員がなりまして、議会選出の監査委員には、美咲町の則吉  洋介議員がなりました。一定の規則の中で、広域組合の役は決められていくということもあり、すべての人事案件には賛成しました。

これからの議会運営の在り方については一言お願いでした

新しいクリーンセンターなんですが、可燃物の量が多い、減への努力は多々あるようですが、他の施設に「お金を出してやかせてもらう」という措置をとっています、何で、の疑問、かって、私が議員だった2010年6月のことですが、当時のごきげんいかがですか」の記事、

【新クリーンセンターではプラ・革製品などを燃やすことを思考している】という小見出しの記事が踊っています。今まで分別していたものを、今度は「可燃物へ」とむすんでいますから、?、ですよ、この方法に、可燃物が増えた原因の一つがある、と、すれば、原因も、財政負担も、一考が必要ではないかな・・

★こんなことを質問するとしたら、今臨時議会の組み立て、全員協議会が30分で、本会議か30分で行うという「予定の運営は、やめてほしい、津山市議会の運用規定に準ずる」のが決まりとすれば、私の質問時間だけで30分必要だと思う、事前に申し上げておきます、そうしないと、定例本会議になってから、時間が足らない、お昼だ、などと言われたら、質問がやりにくい、そんなことにならないように、事前にしっ切りと時間配分をしてほしい」…こんなお願いをしておきました。

1日に4件の議会での会議・研修会ですが

★今日は、議会関係の会議御多しです、全てに出席は出来ない感じですが、まず、10時からは「津山市議会活性化調査特別委員会」です、そして、11時からは、「予算の見方などの議員研修会」です、希望者だけですが、田に用事もありです、午後は、1時30分からは、「久米レインボープール」についての勉強会です、基本構成は出来上がっており、建て替え、公認プールへの組み立て、などが検討されているとかの話、さてさて、どうなりますか、20億円とかの工事になるとか言われますが、動なんでしょうかね、、

★最後は、市議会会派代表者会議、私は、1人会派で「無所属」と言われます、採決県はもとより発言の自由もありません、最後の最後、その他、何かありましたら野項目で、一言言わさせてもらえるという程度です、課題ごとには、発言はさせてくれませんね・・・変な気持ちでの参加は、いかがなものかですよね・・

明日は、太陽発電工事現場の委員会視察の日ですが、どうなりますかね・・・視察したら、現地見たら「ジエンド」ではないよな。。

7月25日(火)資源循環施設組合議会・臨時会の日です

★今日は、津山資源循環施設組合議会・臨時会の日です、津山市・勝央町・奈義町・鏡野町・美咲町で組織しています、「新クリーンセンター」の運営管理する広域組合、其の議会ということです。改選後初議会、津山市議会から、金田・近藤・勝浦・末永の4人が選ばれていますから、組合の規約のようなもので、「議長は津山市から」と定められていますから、4人で相談して議長を作ることになると思います。

★いろんなことがあった「新クリーンセンター建設の経過」です、今の領家地域に決まるまでに、数地域を4対候補地として発表しましたが、其の反対の声つよし」で実現に至らず、1地区を除いて、反対運動の先頭に立たされけてきました、そして、後、1地区は私が関係者と相談して、予定地に名乗り出た地域」もありました。

領家地域への決定も、前々市長の無茶なやり方で、再考を求める会が組織され、私が相談役へ、様々な経過でした

何々が起こったのか、桑山さんという市長の時代です、公募ということで「予定地選考」に入りましたが、予定地の条件として、地元町内会の名前で新星」と決められていたのが、久米連合町内会の名前」という、完全に「ボタンノかけ違い」を無視して、「領家が最高点」と小細工を働いた桑山市長の技、何があったか、桑山さんが市長選で負けて、二年「裁判を起こした」を毛ですが、裁判所の土地鑑定額は、「約7200万円」でしたが、実際の購入価格は、「4億5千万円近い額」で桑山さんが、市長選挙一週間前に「会逃げ」した土地でした。その礼金は、いかほどと、当時、噂されたものです。

★建設予定地に「大量の産業廃棄物が埋められたと田である」と、地元の人が告発、私がなかにはいり「現地の掘り起こし」を命じて、地権者の負担で、掘り起こし作業が、役、一か月、すごい量の「産廃」が出てきました。ヒ素・鉛も、検出されました‥‥そんな土地を、「産廃ではない、遺物だ」と称して、購入したわけです。無茶な人でした、結論としては、宮地市長誕生への秘話物語ですよね。

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★これらの写真は、2008年10月24日から産廃の掘り起こした現物」のものです、100枚以上の写真があります、毎日、掘り起こしの現場で写真撮りましたです…1か月以上かけて、産廃を全部掘り出して、処分はしましたが、桑山さんは「産廃ではない、遺物に過ぎない」と、言い続けました、…さらに、ヒ素か、鉛でしたか、検出もされ、専門官の意見をいれた「中和剤処理」を、宮地市長になってから行いしまた。専門官は、京都大学の環境学者・その後、熊本大学へ転勤されましたが・・私の知人でもありました。

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★ひどかった、桑山市政の在り方、宮地さんに代わって、かなり前進した新クリーンセンター問題、桑山さんが二期目の市長に当選していたら、たぶん、領家では建設が困難、できなかった可能性ありなんですよね。。。いろんな思いがあります、当時は、組合議員は八人、町が二人づづでてぃまたね。合理化で半数になったということでしょうかね。

7月24日(月)土曜日の津山市民平和集会と行進

今日は、24日の月曜日ですが、一昨日になりますね、22日(土)は、津山市民平和集会と平和行進でした、参加者50人弱、まさに、暑い夏、猛暑の中元気に集会、そして、行進でした。

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★平和行進は、私が音頭取り、暑い日でしたが、汗だしながら、先頭を歩きまして、スプレヒコールの音頭も取りましたです。

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今年は、原爆慰霊碑への祈願、参加者が少なくて4人でした、きれいに火の回りを掃除、花立を洗いましてきれいな花を活けて合掌し平和を誓って帰途につきました。★

昨日、7月23日は「私の誕生日」でした、なぜか、三回のというか、誕生日が3つなんですが・・・今の戸籍です

★80年前の昭和18年です、まだ、戦争中ということなんですよね、、2歳で「周旋」ということになりますが、6月8日と聞いていますが、私が、川元弘之としてこの世に誕生しましたそうです、当時、戦争というあわただしさもあったと思いますが、親父が5月に亡くなり、すぐ、私が生まれるということでばたばたとしていたのでしょう、誕生の届け出を、8月10日に、当時の岡山県勝田郡河辺村の役場に届け出したと聞きます。生年月日は、8月10日になりました。

小学校の5年かな、6年かな「河辺村が津山市に合併」しました、生年月日は8月10日のまま、津山市民になっています、当たり前なんですが、結婚まで行きます、最初の免許証は、川元弘之で昭和18年8月10日が生年月日のままでした。わけありまして、結婚のときに、末永の性へ、実の母親の弟、末永泉の養子へ、妻と結婚届と合わせての戸籍の変更でした。

★この時に、異変が起こりました、何と、昭和18年7月23日が生年月日だと大原町(母が末永から川元に嫁いだ地域が大原町でした・当時は、大原町が本籍地だったんだとおもいますが・・・)から連絡が来まして、?、何っと、思いまして、卒業証書も、免許証も、何にも、8月10日だよ、と、言い張りましたが、そこは「変えないまま」に「夫婦の新戸籍」が、        ※末永弘之、昭和18年7月23日へと生まれました。          ※川元弘之、昭和18年8月10日だったわけですから、

※まるで、別人になったような妙な感覚が「今でも実感としてある」んですよね、免許証は、次の書き換えで7月23日になりましたが、考えてみますと、「変わった人」なのかもしれませんねです。