カテゴリー別アーカイブ: 雑記帳

8月12日(月)市民平和祭り、親子映画会へ

★朝から暑いです、太陽がギラギラしている朝です、今日も暑くなりそうです、風がないので暑さも格別です。10日の土曜日、津山市民平和祭の主催、「夏安も親子映画会・あの世界の片隅に」でした。子供さんを含めて、それなりに沢山の親子が鑑賞に来てくれました。先だって視察した、呉が主舞台のアニメ映画でした。

★アニメのシーンに何回か写りました、旧藤原家の「3つの蔵」の姿、私も、呉の視察の時に、平和委員会の人に案内してもらいました。呉1

★旧澤原家住宅は,呉市街の北方の山裾にある。澤原家は,屋号を澤田屋と称した商家で,代々庄屋などの要職を務めた。宅地は,街道を挟んだ東と西に構える。主屋等は東側にあり,主屋南に前座敷,表門,三角蔵,北に元蔵を配する。街道の西側には三ツ蔵と新蔵があるそうです。

1809年年に建てられた土蔵造りの建物で、国の重要文化財に指定されています。同じ形の蔵が3棟並列する特徴的な造りをしていることから「三ツ蔵」と呼ばれています。映画「この世界の片隅に」ですずさんが闇市に砂糖を買いに行くシーンなど、何回か登場します。下の写真がそのシーンです。

呉

呉の中心部から離れていたため、「世界の片隅に」でもも名画面と言えるシーンにもなりました、呉の空襲画面の一つ、最大の空襲、映画の主人公の「すずさん」が小さい子供を死なせ、自らの手首が飛ぶというシーンになっていました。1945年年7月1日の呉大空襲の被害を免れました。現在も変わらない姿を見ることができます。

★津山市民平和祭りは、17日に、ヒロシマへ、親子バスツアーというプログラムがあるだけになりました。

津山が裁かれる東京裁判・傍聴記その13

★被告の近藤さんの証言の一つ、裁判の大きな課題と思われます「名誉を気づ付けたか」「損害を与えたか」ということに関して、何が原因なのかということが問われたシーンだったと思いながら聞いたのですか、近藤さんのインスタグラフに書き込まれた内容と、それを呼んだ樋地が、原告のK氏の「津山における太陽光建設事業で、市長に高級接待したという記事、それを問題にしたから、損害をあたえたということ・・・どうかな・・・」

★その手始めとして、被告の近藤さんのインスタグラフがどの程度読まれて、どんな影響を与えたのかということ、これがとわれるのではないかな・・・という感じてす、13、000人程度に読まれたという数字が言われたと思っていますが、「主にどんな人が読んだかわかりますか」「私の仲間、空手道のそれは、何割ぐらいと思いますか」「7割程度ではないでしょうか」「その他ドンナ人が市の職員とか、津山市内の私の後援会会員、太陽光縣羅刹問題が気になっている人たちではないでしょうか」

★という感じて、証言が続きました、原告の取引相手の人で、近藤さんのインスタグラフを見て、読んで、原告と、取引をやめる、という判断をした人があって、現久我「損害をこおむった」という人が本当におるのかどうかは、原告の側も明確な証拠になるようなものは無かったと思いましたが・・・・

★この辺りは、大変難しいところだと思いますが、そんな因果関係は、無いというのが普通ではないでしょうかね・・

仮に、関係する人が何人が見ていようと、それを見て、原告K氏の仕事が「無くなったり」しますかね、、、そんなことが…何人が見ているか、も、関係しますが、仮に、原告に関係する人が見ていたとしても、それを見て、取引をやめるということが、本当にあったのでしょうかね・・わかりませんね・・・

8月10日(土)お盆の支度からお盆休みへ

★今朝も暑いですね‥‥今日が土曜日ですから、お盆前の土曜日・日曜日で、引き続いて「お盆休み」に入るような感じの週になりますね。孫が秘匿も帰る予定の我が家ですが、それでも、のんびりとしたいの思い、いわゆる「初盆」の知人も幾つかありまして、今日明日に、お参りしておきたいなと思っています。

※試しに、「初盆とは」何か、と、思い検索してみました、

新盆(初盆)とは?通常のお盆と何が違う?

蓮の花と葉の画像

「新盆(にいぼん)」とは、故人様が亡くなられた後に初めて迎えるお盆のことです。より正確には「四十九日の忌明け後初めてのお盆」のことを指し、四十九日前にお盆が訪れる場合は、初盆を翌年に行なう形が一般的です。真言宗や曹洞宗など、浄土真宗以外の在来仏教で行います。
呼び方・読み方は地域によって異なります。「新盆」を「しんぼん・あらぼん」と読んだり、「初盆(はつぼん・ういぼん)」と呼ぶこともありますが、内容に相違はありません。

★こんな記事を見つけましたが、この付近は、やはり「初盆」と称しているのではないでしょうかね‥

東京裁判とは、「言い過ぎ」とご注意あり

★年配者ならよく知っている裁判の名まえです、「末さん、なんでこの名前を使っているのか、勝ってなら、あんたは、引っ張られるよ…」こんな忠告をうけました・・・・ウン、と、唸りましたね‥

※第二次世界大戦たいせん後,ポツダム宣言せんげんにもとづいて,連合国側れんごうこくがわが日本の戦争犯罪せんそうはんざい人に対して行った国際裁判こくさいさいばん東京裁判とうきょうさいばんともいう。1946(昭和21)年に開かれ,1948年までの2年6か月にわたって行われた。連合国側れんごうこくがわは平和に対するつみなどで満州事変まんしゅうじへん以来いらいの日本の侵略しんりゃくめ,東条英機とうじょうひでき元首相ら7人の絞首刑こうしゅけい,16人の終身禁錮刑きんこけい禁錮きんこ20年が1人など,全員が有罪ゆうざいとされた。

★この裁判のことだからというのです、そうか、さてさて、なんと呼ぶかな・・の迷いですが、

津山が東京で裁かれている裁判とでも言いますか

★裁判傍聴記その11になりますか、被告の近藤さんが、田邑地域での太陽光建設工事に関して、初期の段階で、地元に反対運動はなかったのか、なと度聞かれました。「多少の反対の人はあったようですが、大きな反対運動には発展しなかったようですが、今でも、反対している人はあります」という答えに始まりまして、「なぜ、強い反対運動などがお子になかったのか、田んぼへの濁水の流れなど心配はなかったのか」という問いに対して、「不安は居間で寝ある、心配している人もあるが、全体的には、大きな声に来なっていない、それは、地元へ、かなりのお金が流されていることとも関係があるのではないかとおもっている」

★5千万円とか、6千万円とか言われ、さらに、3人で「分けたおかね」とかいわれるものですか・・・そうです、2500万円という数字が出てきますが、何に使われたか、わかりますか、…えーと、それは、対策費ですか、…と、かなり、戸惑い気味でした。

地元に流された工作資金の価値観は偉大ですよね

★弁護士が「地元のことたちに、一戸あたり、配られたお金はどうですか」という趣旨を聞かれて、初めて気が付いたようで「そうです、それは、田邑地域、約450戸、一戸当たり5万円を配ったということです、そのお金を、町内会で持っている地域、個々に配布した地域とあるようですが、このお金をもらっていることと、自分の土地・山林を打った人と、いろいろありますが、不安があっても、建設そのものには「反対はできない」という空気を作り出したとおもっています・・・

★現に、何人かの人は、不安があるが、仕方ないという声を出す人もありますし、「地元への協力金ですから、建設には協力しなくてはいけない」というひともあります・・・という感じて証言がありました。

8月9日(金)ナガサキの日です

今日は、長崎に原爆が投下されて79年目の暑い日です。

★いつ頃とは無く、あさが「やや涼しい空気」に変化しているのかな、今朝は、涼しい風が少しありますから、しのぎやすい感じ、でも、日中は、暑くなりそうです。

★昭和20年8月9日午前11時2分、原爆搭載機ボックス・カー号(機長チャールス・スウィーニー少佐25歳)は、高度9600メートルの上空から第二号の原子爆弾(プルトニウム爆弾)を長崎に投下した。彼の手記によると、長崎の市街も、第一爆撃目標都市小倉と同じく雲におおわれていた。スウィーニーはレーダーによる爆弾投下もやむなし、と決断していた。すでに燃料は沖縄基地までようやくという状態に欠乏し、爆撃航路ただ1回分だけが残っているに過ぎなかった。示された照準点への爆弾投下まであと30秒、トーン・シグナルが作動し、爆弾倉の扉が音をたてて開いた。あと25秒。そのとき、はからずも爆撃手ビーハンの目に雲の切れ間から市街の一部がわずかに見えた。そこは、三菱グランド(浜口町)から三菱製鋼所、同兵器製作所(茂里町)にかけての中間地帯だった。爆弾の投下は目視爆撃で行えということが示された重要命令だった。そこで、ここが急遽投弾目標となった。

長崎

 爆発は、目標地帯からおよそ5~600メートル北方にそれて、松山町171番地のテニスコートの上空で起こった。(通称爆心地公園の上空)といわれています。

★長崎の平和公園には、一度だけですが、行きました、もう10年以上も前になるでしょうかね、、、永井潔さんの自宅跡とか、かなり歩いたという記憶ですが、もう、あれほどは歩けませんですね‥核兵器廃絶へ一歩歩くという姿勢が大事かなです。

東京裁判傍聴記・その10です

★昨日から、被告・近藤議員に対する、近藤さんの弁護士と、愛田川・原告K氏の弁護士と、そして、裁判長からの質問などを、相対的に、お知らせしていますが、今日も、あちらと、こちらと、裁判長と、3社を一緒にした形で、しかも、私の記憶の範囲でお知らせします。

★原告のK氏は、スポンサー的な立場の人から「最初は百億円預かり、津山での太陽光建設が実現できるように」と津山を訪問し始めた。このような、大規模な仕事をするためには、多額の地元対策費が必要というのは、当然のことで、近藤さんは、政治家ですから、「百もしょうちしているはず」と問いかけられまして、「知りません、そんなお金が必要とか、工作費などの存在などの仕事は、無いとおもっています」という感じから出発しました。

★民間の企業とはいえ、一つの大型開発事業をするのに、工作資金として何億ものお金が動く、必要になるという社会とは「無縁の人」ですから、「しらない」という答弁を繰り返したところです。それが、平成三十年六月でしたか、突然ネット上で「元原義に五千万円、市長に高級接待疑惑」という意味のニュースが流れましたから、「どこからそのニュースをしりましたか」と問いかけられ、「ある人から、知らされ、びっくりしてネットを調べましたら、本当に出ていたので、大変なことだと思いました。などを証言。

★その後、原告K氏が、スポンサーに送ったカカオトーク、金銭の振込用紙のコピー、金銭出納帳のコピー、などを、どのようにして入手したのかということが問いかけられまして、

★八月でしたか、末永に、関係者から連絡があり、「K氏や津山市長などについて、資料を渡すから、そして、問題点を究明してほしい」などといわれたようで、私=近藤と、中村議員に、末永先輩から声がかかり、三人で、岡山駅近くのホテルのロビーで面接し、仔細の説明と、沢山の資料を受け取り、私は、コピーをして、その後、その資料を検討したということです。

※などと答弁、そこから、「高級接待」かどうかは別として、市長とK氏は、食事などとにしたという重大な疑惑を感じ取りました。ある意味では、「カカオトークを見て、確信にもなりました」と述べています

確信したとの思いは「思い」ですが、それを、事実だとして書いたり、宣伝などしましたか、?、

★最初は、近藤さんは、「カカオトークを見たらだれでも確信すると思います、私も、確信として食事会はしている、と、おもっています」の答弁、そして、最後に、弁護士が、「その気持ちというか、思いを、そのまま、近藤さんのインスタブラフにかきこみましたか」と問いかけられまして「インスタグラフには、疑惑がある」ということだけを書きました、「確信犯のような記事は書いていませんし、街頭宣伝もしていません」と、ネット上に書いたきじについては「疑惑と書いた」が「食害はしているなと確信する思いは心の中ではある」という実態を明確に証言しました。

というのが、今日の裁判傍聴記のお知らせです。裁判長が、どのように理解されたかは、まったくわかりません、判決まで、わからないとおもいますね、、、

8月8日(木)昨日は、大学の公立化問題の勉強でした

★お盆前、毎日暑いですね、35度を超えて、40度にでもなる暑さで、もう、うんざりですよね・・・でも、自然界は、動いているという感じです、我が家の夏野菜の成長が止まりました、トマトも、熟する数がとても少なくなりました、青じそ(大葉としょうするのですかね)も、成長がストップした感じ、葉が、大きくなるのが、ゆっくりです。そして、少しだけですが、柔らかさがなくなり、硬いという感じの葉になりましたね。

野菜1

 

野菜3

野菜2

私立大学の公立化「必ずしも」良しではないの思考

★昨日の午前中、元大学教授の人から、公立大学の「法人化」に係る問題点、国の施策の舞台裏、そして、それにかかわっての、私立大学の公立化問題でレクチァーをうけました。

★1900年代、大学の設置基準が大きく変えられ、2004年に「国立大学の方針化・公立大学の法人化」問題が開始され、それから、20年です、国立大学の財務悪化と研究力の低下が課題となって浮かび上がってきているという現状のようです。資金不足が研究力の低下とかかわっており、アジアでは1位の研究力を持っていた日本ですが、「法人化」に伴って、アジアでは、3位くらいまで低下が進んだ。

★「地方独立行政法人」という制度設計に従わなくてはいけないこととなり、いわゆる「ステークホルダー」といわれる、あるいは、そのように自称する地元財界の人たちが、それぞれの思惑をもって大学運営に介入し、大学の公共性を脅かす事態があり、こうした事態は、小都市に行けば行くほど露骨に表れるようになった。と、分析されている。

津山の私立美作大学も、この頃から、地元経済界の有力者が大学の理事へ、運営人に入るようになります

★以前本会議で指摘したという記憶ですが、2008年~2018年にかけて、津山の財界の人が理事に加わります、国立ではありませんが、まさに、文科省が分析しているように「大変な器具」がそこに生まれているということのようでした。

★「島根県立大学と下関市立大学」のありようを具体例として幾つかのマイナス点を資料などともに教えていただきました。山口県下関、あの安部さんの出身地です、大学の「私物化」が目立ち、内部からも「大学の運営の在り方を危惧して意見書があげられる」というじたいもあり、市議会でも問題にもなったようです。

★あまりにもひどい、大学運営の「私物化」にょり、教員の大量流出資劇も起こり、3年で4割強の教師が大学を去るという異常な事態にもなっているそうです。さすがに、労働委員会が「不当労働行為だ」と認定し、下関大学と組合との誠実な団体交渉を求めることにも発展したとかです。

★大学の「法人化と私立大学の公立化への動き、言葉だけ見ますと、関係ないという感じですが、その内容と、国の指針と、方向性は「同一性」ですね、もっと、研究が必要というところ路です。

東京裁判傍聴記、その9ですかね・被告が「思わず叫んだ言葉は・・・?」でした

★被告の近藤さんに対して、近藤さんの弁護士も、相手側の弁護士も、近藤さんがインスタグラフに書き込んだ記事、街頭宣伝を下内容などは、市長を陥れて、自分が市長になるためにやったのかという趣旨の問いかけがおおきな課題でした。

★近藤さんの方は、「市長選挙とは関係ありません、インターネット上で、市長に高級接待疑惑と書かれ、それに関する資料も手に入り、太陽光建設を推進する企業の側の内部資料、いわばマル秘のようなものも手に入り、「接待があったと疑える根拠があった」ので、議員として、当然、疑惑を解明する、市民に実態を知らせる活動として行った、という趣旨を答弁しました。

★しかし、相手側の弁護士からは、執拗に「市長に出たいために、なりたいために、原告の贈収賄と言われる事柄を、事実とは違うのに、宣伝をした、市長選挙のビラにも書いた・・・」という趣旨を、何回も聞かれました、そして、「次回の市長選挙も出る予定でしょう、」と、断定的に質問されたものですから、彼の性格から見て、仕方なかったとは思いますが

「出ません!、市長になるのが目的ではありませんから」と勢いよく言い切りましたね・・・

市長に立候補するかしないかは、これからの時代の流れ次第ではないかな、今の時点で、結論は無理でしょう…・

この証言が終わってから、弁護士さんも含めて、「よっぽど頭に来ましたか、勢いが良すぎましたよ、出ません、という言葉・・・・本当に出ないということですかね・・・・」「いやいや、思考中なんですが、つい、頭に来まして、言葉が過ぎたでしょうか」「大丈夫でしょう、過ぎてはおりません、裁判長には、明確に意思が伝わったのではありませんか、本当に出る、出ないは、これからのこと、あの時点では、出ないと思った程度でいいのではありませんか…」などの雑談でわかれました・・・この近藤さんの答弁は、すぐ、津山にも伝わっていると思いますから、多少、物議を呼ぶ、尋問の結果になるのかもです。

8月7日(水)昨日は、ヒロシマ・スタンディングから

★昨日の8月6日の朝、79年まえと同じように「暑い太陽がてりつける午前8時」津山市の中心大通りで、「美作原水協」がよびかけます、「ヒロシマ・核廃絶・平和」を求めるスタンディング行動でした。

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★参加者は20数人、道行く人たちに、今日は、8月6日、ヒロシマの日です、と、声掛け、学生さんにが、手を振ったり、おはようのあいさつをしてくれたり、元気もらう朝でした。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下されました。原爆が投下された時間の、8時15分に、美作原水協の事務局長が「黙とう」の合図、静かに「黙とう」を行いました。

今日も、東京裁判傍聴記・その7になりますか

★令和4年(ワ)第31148号 損害賠償事件(原告 K氏・被告 近藤市議)の裁判について、7月30日(火)に東京地方裁判所で原告と被告への証人尋問が行われまして、その裁判に傍聴をしてきました、と、言うことで「傍聴記その7」をお届けします。

★記憶の範疇での報告になっています、正式には、やはり、裁判所の会議録を見てください。中々この記録は手にはいらないとはおもいますが・・・。K氏が裁判で述べた地元の人との関係では、「田邑には17の地域・町内があり、その全戸・450戸程度で渡しました、合計2500万円です、田邑連合町内会へは、5千万円対策費を出し、さらに、毎年町内会費を150万円だし、こうした多額の御金を、地元に理解してもらうために使います。

★このお金の使い方などを、資金提供者に、内部資料として連絡、メールしたわけです、スポンサーへの報告です。その内部資料を、被告らへ資料として渡しているわけですから、スポンサーへの資料がある人を通じて配られているわけです。

地元の町内の人たちとは、会議費として計上していますのが、食事代もあります、カラオケにも行きました。会議費として記入しているのは、ほとんどは会食費で田邑の住民や建築業者など会食やカラオケなどの経費。時には10人程度で行いました。

★町内会の役員と会食した記憶はない。町内の役員は、そんなところに用心して出てこない、全国共通です。

★ホームランソーラーパーク合同会社に、元県議が事業をやるから6500万円を貸してほしいと言われ、貸したものだ、どんな事業課は知らない、貸し付けの書類などは作っていない。貸したお金は、2年か3年で返してもらった。ネットに記事が出た時は、全額返してもらっていた。

★6500万円を3等分したという録音のテープは、何のことか、わからない。。。→弁護士と裁判長か「あなたが報告・書いた事柄です」と、何回か言われたが、そのことでは明確には詳言しなかった・・・と思う。

3人の名前も、はっきりしているのではないかという問いかけにも、答えは、何もなかったように思えた。

※かなり、前後の話しが「つじつまが合わない」という箇所が目立ちました。

総体としては、すごいお金が動いたという感覚でした、、、

 

8月6日(火)8・6日ヒロシマの日

★79年前のこの日、ヒロシマへ、そして、9日ナガサキへ、世界で初めての原爆が投下された日、原爆許すなの日です、津山では、早朝スタンディングです、これから出かけます。

昨日、津山市民平和祭がオープニングでした

★第38回津山市民平和祭りが昨日から始まりました。午前10時からオープニング式、木原実行委員長の開会あいさつ、そして、市長・議長・教育長の来賓あいさつ、テープカットと式典が続きまして、多くの市民の方の参加をよびかけました。オープニングの前、9時3十分から、実行委員会のメンバーと市長・教育長・議長との「平和に関する懇談会」を開催しまして、実行委員会からの「平和行政への申し入れ」が行われなど行ったわけですが、私は、都合で「欠席」となりました、申し訳ないことですが、悪しからずです。

★平和祭り実行委員会実行委員長の開会のあいさつ、木原被爆二世の会会長と、来賓あいさつの方々、谷口市長、有本教育長、中島市議会議長です。

木原3

木原2

★向かって左から、谷口市長、木原実行委員長、有本教育長、中島市議会議長の4人によります、テープカットの様子です。

木原6

木原4

木原5

木原実行委員長と、中西実行委員と、私です。

午後は、市議会活性化調査特別委員会でした

★午後1時30分から、3時過ぎまで、市議会活性化調査特別委員会でした。少し、遅れて参加、津山市議会を活性化させるために、何が必要なのかを論議する委員会ですが、今回は、会派から出された意見、例えば、1現在3人以上の会派から議会運営委員会のメンバーを出しているが二人の会派からも出すということにならないか、とか、②提案された議案に対しての「質問通告」は、どこまで行うべきか、質問通告に関係すると思って質問しても「通告にない」とか言われるケースもある、何が質問通告なのか、とか、③市民の意見を聞く議会という点でオンラインの活用を考えるとか、市民の方からの「目安箱」を設置するとか、議会の見学会をするとか、などについて意見交換でした。

★その他、もっと、根本的なところで、活性化とは何をなすべきか、何なのかを検討する。大きな目標にむかって「なすべきこと」を論議してほしいとかも意見として出されました。

★市民の関心を呼ぶという点では、質問通告を出して、質問日と順番が決まった段階で「各議員が三分程度で、私の質問は○○です、是非、傍聴とかゆーちぅぷでご覧ください」との事前の宣伝をインターネットで流したらどうか、なども意見として出され、次回伊郷さらに検討することとしました。

★次回は、9月定例市議会での「9月20日(金)特別委員会審査日」ということになりました。

東京裁判物語、その5になりますか、6ですネ。

★裁判の傍聴記が4が2回ありましたから、正式には、その6ということです、近藤議員を訴えています、原告のK氏に対しての東京裁判所での、本人尋問の様子を、傍聴して記憶の範疇でのお知らせが続いています、正式な内容につきましては、後日、裁判所が作成します、証言議事録を見てください、あくまで、私の「記憶でのお知らせ」であることをご理解ください。

※谷口市長は、本会議の答弁で、「K氏とは名刺を交換した程度、あったというきおくはある」という意味の答弁に趣旨しています。「あったと言うているのですから、それ以上でも、いかでもない」という意味の答弁をしていると、判断しています‥‥加瀬、・・・証言では、とても、「面白いといいますか、ためになる話」をされました。

100億円の地元対策費をオーナーから預かり、世の常識として、このような大型事業には、つきものの、地元工作資金として使ってきた。「東京や天満屋で土産を買って地元の人たちには、いつも渡している」とか、「市役所には、たびたび訪問している。市長にも会っている。」とか述べました。

★そして、「津山デザイン研究所の○○さんと一緒にあって、市長とも会っている。津山市の観光の件で話をしている。さらに、▽▽氏と桜プロジェクトを計画する話し合いもした。谷口市長とは津山市の振興のために話をしている。」という意味の証言がありました。

※○○さんは、谷口市長が、当選された直後に、衆楽公園を世界に誇る名園にする、日本三大名園に・・・・という意味の「大風呂敷」を掲げて、迎賓館を、世界のピップが宿泊するホテルにするとまで「夢を描いて、市長も、その構想を是とした時期があった・・・・と、記憶、私が、議員を一度勇退した時の物語です。

K氏の証言は、津山で実際に会った事柄、起こった出来事の説明でしたから‥「驚き」であり、「関係ない・知らない」では済まされない問題だという感じ

★さらに、K氏は、「津山市とは観光プロジェクトとして衆楽公園の迎賓館を世界のVIPに泊まってもらえるホテルにするとか、道の整備問題なども話し合った。」と証言しました。さらに、続いて、「谷口市長とは、いろいろなプロジェクトで話をしている。オーナーへのラインで報告した、【市長との会食】については、オーナーを騙すためのオーバープロジェクトであった。谷口市長には地元とは円満に話をしてほしいと言われた。」と証言が続いて行われました。

こんな話は、聞いたこともなく、思いもしない事柄でした。津山市・市長の側は、どうなのかは、わかりませんが、否定すると思われる内容ですが、しかし、K氏の「関与」は別としても、津山市長として、平成30年、市長になった直後の「政治のありよう」としては、事実、K氏が証言したないようは、「あった」と思いますよ、本会議でも、わだいになったのではないでしょうか・・その点では、事実と、符合した証言内容ということになりますよね。

8月5日(月)今日から津山市民平和祭です

★暑い日が続きます、今日は、少し曇り気味の朝ですが、あつくなるのかな・・・夕方は雷つ雨が二日程度続いています、どうでしょうか・・・お盆の帰省客への地域のおもてなし」というところでしょうか、毎年ですが、お盆前の日曜日、8月の第一周ですね・・・町内会としての行事、道路ディーです。主要道路の周辺の草刈りと溝掃除が中心です。暑いから、朝、7時から始めます、7時に行きますと、何人かの人が「すでに仕事」しています、感謝ですね、、、今年は、風のない、蒸せる暑さ、

★日中は、40度近い温度へ、大変な暑さです、終ってからの冷えたお茶」がとてもおいしいですね、、ビール、ビールもおいしいと思いますが、私は、駄目、全くのめませんから・・・津炉体お茶ということです。

路2

路3

路1

路4

市民平和祭の思い出

★第38回になりますか、私が市議会の議長になった時に、「非核兵器平和都市宣言」をやっとの思いで全会派一致して議決できました、そして、その「記念の平和行政・平和事業として、当時、市議会に請願した団体、原水協関係、県水禁関係、公明党関係、市民生協関係、被爆者関係の団体の代表者と、当局を事務局として誕生したのが、「津山市民平和祭実行委員会」(代表者・美作被爆者の会 会長・木原徳治)でした。

★あれから、もう、40年になるんですね、、毎年行ってきたという感じですが、最初のうち、事務挙巻く団体の「手抜き」の感じで、にどほど「開かない年」がありました。

★今年の平和祭りのチラシです。今日からの市役所ロビーの平和のための戦争展、そして、図書館前へ移動しての展示、一人でも多くの人に見てもらいたいものです、よろしくお願いします。

東京裁判の傍聴報告・その4ですかね

★10日の土曜日に「スポンサーを安心させるために、谷口市長と夕食会を共にして、有意義な話であった」という意味のメールを入れたが、その夕食会は「嘘をほうこくした」という記事を書きましたが、何故、スポンサーに「嘘の報告」をしたのかと言いますと、何と、当初「百億円の地元工作費」を預かって、津山へ乗り込んできた、という証言なんですから、驚きました。、、、、そのために、津山に来て太陽光建設ができるようにと」色んな手を尽くす、こんな事業には、地元対策費が多額に必要、ということをK氏は説明しましたから、お金をばらまいたということなんでしょうね、、

★そのお金をばらまいた「成果」として、「夕食会をして、有意義な話し合いが出来て、思いのほか地上権設定契約が早くできて、らい腫の月曜日には、賃料を振り込めるようになった」と、報告したわけです。この、実は、スポンサーを安心させるために嘘の報告をした」ということなんですね。驚きですよね、百億円の資金です、そして、嘘をつくということなんですね・・

ところが、このスポンサーへの報告については、別の所では、「私=K氏が、スポンサーに個人的に送った活動報告であり、企業秘密に値するメールです、そのメール内容が、近藤さんにわたっているというのは、おかしいわけです。私とスポンサーしか知らない企業秘密事項ですから・・・と、述べています。自分が書いた代物に違いない、あくまで、企業内部の資料であると、言う重みのある連絡事項なんですよね、、、

8月3日(土)雑記の記帳はお休みとしていますが

★最近は、土曜日・日曜日・祭日は、この「写真中心の便り、雑記帳」を書くことを休むことにしていますが、それでも、時々は、書き込みますね、それほど大事な事柄でなくても、まぁー、気まぐれ日記のようなものですね、今朝も、そんな気分で書き込みです。

東京裁判「傍聴記・その4」になりまますかね

★原告K氏の弁護士、そして、反対尋問に立った近藤さんの弁護士、さらに、裁判長の尋問などを、取り混ぜて、傍聴した「記憶」の範囲、残念ですが、メモしていないわけです。正式には、裁判記録ができて空ということになりますが、裁判記録は、当事者でないとコピーなどもらえませんから、たいへんと思いますが、いずれにしましても「正式な裁判記録」ではなくて「傍聴記」ですから、その点を含んでください。

オーナーから百億円投資として使用、津山に発電所設置を

★原告K氏の証言内容(記憶の範疇)です、オーナーといえるような感じの人から、百億円預かり、津山での太陽光発電事業を成功させる資金として使用する投資額です。

★大型の開発事業、全国どこでも、多額の地元での支援金を使います、近藤さんは、政治家ですから、当然、そうした社会常識は、承知しているはずです。→この点で、近藤さんは、「そんなことは知らない、そんなに多額のお金を使って地元の反対をなくする政治はおかしい。。。と、言う意味をのへました。

★インターネットに流れた、津山の元県議への5千万円などのお金ですが、ホームランソーラーパーク合同会社の金を元県議に払った。それは、元県議が、自分の事業にお金が必要だから、貸してほしいというので、貸し付けたものだ。→なんの事業なのか、とか、契約書はあるのか、など聞いたが、あいまいなことをだらだらと説明した感じ。※さらに、カカオトーク理中で「税金対策として貸し付けたことにする」という意味の反対尋問での指摘もありました。貸付金は、二年ほどで返してもらった。

谷口市長とは、津山市の振興のために、何回か話した、衆楽公園にホテル構想も、私が紹介した人だ

★2018年6月1日は会食していない。(※この証言は、細かく記憶をつづりますと、・市長とは、会食を、しま・・・・一息入れて、したことはありません、していませんと答えたものです)

★オーナーから100億円投資させているから安心させるために嘘を書いて、ラインをした、と述べるようになりました。議会で私らが使った小、裁判所での資料に、「市長と面談し、夕食会に市長が参加することになった、昨夜の夕食会は、和やかで、思いのほか、ことが早く進むことになった」との旨のラインを送ったことは、K氏は認めた。そのラインは、「嘘をついた、でっち上げた内容だ」と、述べたということです。

★市役所には、たびたび訪問している。市長にも会っている。津山デザイン研究所のY氏とも紹介して会っている。津山市とは観光プロジェクトとして衆楽公園の迎賓館を世界のVIPに泊まってもらえるホテルにするとか、道の整備などを話している、と、等々と証言しましたね。

★この証言、裁判所がどう見るか、考えるかは、わかりませんが、明確なのは、「この裁判は、このこと事態が裁かれる、問題になっているあんけんではない」ということですから、これが、近藤さんが、原告のK氏の名誉をどれだけ傷つけたか、損害を与えたかを問う裁判です、どうなりますかです。

★今から、書いておきますね、6月1日の件で、裁判所が、どんなことを判決に書くのかは不明ですが、「裁判所は、6月1日に会食があったとはみとめなかった」という主張ができるようなことになります、なぜか、その日時が裁判で争うことではないから、あいまいなままでも、特に、当該裁判には、関係ないから、裁判所は、明確な判断をしてはいけないということです。それを、逆手に取って「裁判所は、夕食会があったとは認めなかった」などと言いふらすという在り方は「邪道」だと指摘しておきますね。。判決が出た後のために・・・

8月2日(金)変な開示請求の回答です

★昨日は、暑かったです、40度を超える感じの厚さ、38度くらいだったのかな、ともかく暑いです、真夏の太陽、むせないので、暑さの感じは、照り付けるという感じ、風でもあれば、多少心地よいのかもしれませんが、3時。4時頃は、無風の中、車で走るのも大変でした。車中温度は41度を示していました。今朝の厚さは、昨日ほどではない感じ、少し、曇り空かな…

3つの開示請求でしたが、どうかなの疑問

★先日、以下の3点の資料開示を求めました。               ①平成30年6月1日の市長行動表作成の履歴、書き込み、追加書き込み、削除された直前の履歴、書き込みなど経過がわかる書類の開示請求、      ②津山中央病院への災害拠点病院への支援金、1200万円の「補助金申請書類及び決算書類」に関する開示請求、                   ③太陽光建設に関係して、地元に流れた30万円の「お金の流れ」を説明した、東京裁判の原告から市長に送られた資料の開示請求、

の3つを行いました。

★これについて、7月31日に開示が行われましたが、中央病院の支援金について、要請した資料は、それなりにそろっていますが、内容は別です?と思われる内容が、幾つか見つかります。そして、・・・後の2つは、?、300000円の資料は、全部黒塗り、?、個人の秘密を公開できないから、とは、これいかに、市民の知る権利をどう考えているのか。。。法に、上位下位は、無いはず、と、思いますが、そして、意味不明の「解説付き」でした、

★受け取った瞬間に、ザっと目を通しまして、たぶん意義の申し立てするようになるとおもいますから・・・」と野旨を当局にお伝えしましたが、そうなりそうですね、、、もう少し、吟味してからということになりますが。。

市長の手元に届いていたのは届いていたんだ

近藤議員が3月議会で地元責任者に300000円のお金が流れているか、俊公務員の立場、おかしいのではないか、と、質問し、谷口市長は「知らないこと、関係ないこと」という意味の答弁でしたが、その後、この質問への回答という形で、東京裁判(原告K氏・被告近藤市議)へ準備書面という形で「責任者に渡したと名前を書いたのは時事だが、地元の工作資金だったために、間違えて書いた、本当は別の人に渡したお金だ」という意味の署名を裁判所に提出されました。

★差の裁判所の準備書面を、津山市長に送った、と、言うことで、本会議で質問しましたが、谷口市長は「来たか来ないかをとうべんしない」という態度で答弁しました。

★そこで、今回、開示請求となったわけですが、「来た」ということは明らかにしました。開示請求への回答ということになったわけです。K氏からの送りは、

※令和6年4月24日付けで、津山市役所 市長秘書室 御中 で届いているようです。

※そして、「文書送付の報告」という命題で、

※冠省にて失礼します。本日、津山市議会事務局に封書を送りました。市議会事務局に送達した内容と同じ文書類を本封筒に同封しております。ご査納頂きますお願い申し上げます。

という内容のつけ文になっており、この部分は、全部開示ですが、その他は、全黒塗りの書類、60ページ分と少々が、一面真っ黒・黒塗り開示、

開示1

一ページすべてが黒塗りが60枚続きます、なんの開示か、と、思えますが、ともかく、【応えられない】と本会議ての主張が、変化して、開示請求によって「来ている」という事実は、明らかになったという、まぁー、10分の1程度の前進かなです。

東京裁判傍聴記・その3になりますかね

開示2

★本会議など手何回か質問の資料となった「証拠書類」ですが、初めて公開ということです、大きくしてみてください。平成30年6月2日に、Kゑ時から、まぁースポンサーとでもいう人たち、グループと書かれていますが、津山での活躍ぶりを「メール」(K氏が裁判で証言した言葉)で報告されたものです。市長らは、本会議で「カカオトーク」と称されています。

★この市長らと行った会食会のことを報告しているわけですが、なんと、裁判で、このことは、スポンサーのFさんを「安心させるために、嘘の報告をした、だました報告書だ」という意味の証言をしました。

※これには、アドロ来ました、弁護士も、裁判長も、確認をしていましたが、この文面の前後の連絡、その他の報告は、全部「ただしい」か「正しいのだけれども、K氏が名前を間違えて書いている」という、いわば、修正のようなことになっていますが、「全文を、書いたのは支持時だが、嘘を書いた」というのは、初めてですね。

★これ以外に、お金の使い道を報告した、いわば会計報告には、何回か「会議費」という項目が出てきますが、この大部分は、食事代であるということがわかりました。そして、市長との食事会、・・・弁護士でしたか、裁判長でしたか、質問しましたら、「食事は・・・しました・・・」という意味のことを言いかけまして、一瞬の間をおいて「していません、地元の人とは何回かしました」という証言になりました。

きわめて、微妙、な言葉でしたから、最終的には、裁判所がどんな判断をするのでしょうかです。

ただし、私の?なんですが、この件が、事実か、間違い化は、別の事件として、当該裁判にどんな影響があるのか、という、元々のところが「すっきり」としていないわけです。

★そもそもの裁判の原点は、近藤さんが、インスタグラフに書いた記事が、K氏の名誉を傷つけたかどうかが「問われている」裁判と思っていますから、

8月1日(木)今日から8月です

★木曜日の朝、暑くなりそうな天気です。そして、新しい月、8月に入りました。木曜日ですから、通常ですと、末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」の発刊日なんですが、都合で、お休みとさせてもらっていまして、「ごきげんのない朝」ということになりました。昨日も、暑かったです、今日は、どうでしょうかね・・・・

★今日午前中は、介護施設の「虐待とパワハラ問題・給与未払問題」などで相談の日です、岡山県美作県民局、鏡野町、津山市と、対策を求めて申し入れを、「福祉問題を考える市民の会」と、施設に直接関係していたといいますか、元職員らで「改善の申し入れ」を行い、文章の回答がそろいまして、その回答をもとにして、対策を検討する話し合いです。

★申し入れ書の一つの課題ですが、                    ※職員に対して、「電話連絡」を強要しまた一方的に電話連絡をしてきて仕事に支障がおこるケースもある。また連絡をしなかった職員に対して「なぜ連絡をしないのか」と詰問し、利用者の状況を知らせるようにパワハラ的に強要を迫る行為などをくり返している。                      ※大雪の日に職員に対して「まだ仕事にこないのか、何をしているのか、早く勤務につけ」などと暴言をはいていた。                  ※令和5年12月には利用者と介護者が散歩しているときに介護者が利用者を「田んぼ」に突き落とし、地域の人から県に連絡が入っている。       ※早朝からまた勤務が終わって帰宅していても職員に電話をかけてきて暴言をはき勤務時間外の労働を強要する。                    ※利用者の前でも職員に対して暴言を吐き大声で怒鳴り散らす行為をする。

★などです。自治体の対応というのは、こちらが思っているようにはいきませんで、相手が「認めてから、初めてそうだ」という感じですね、、、こちらの言い分を聞いて、客観的に調子手という、その「調査」なるものが曲者で、結果として、「訴えられた側」が、訴えの内容を「認める・容認する」ということにならないと、行政としての態度が決まらない、市道もできないという感じですね、、これでは、中々ですよね‥

東京裁判の傍聴記続き物語

東京裁判1

★東京裁判の、原告と被告の本人への双方の弁護士、及び、裁判官の質問と答え、たいへんな思い出傍聴しましたが、とても、おかしな言い分が出てきますね。被告の近藤吉一郎議員が、最近の彼のインスタで、東京の情報提供者Aさんからの声篝で「原告K氏の事柄」を書いて、その後、A牛が「自分のことを裁判なとで名前をださないように・・・」という依頼があり、その意見を取り入れて削除したそうです。

★この削除の理由を、相手弁護士がしきりに聞きました、?、です、この記事は、当該裁判の「近藤さんの令和2年~3年ころのインスタ・街頭宣伝などで名誉が傷つけられ、数億円の損害を受け、3600万円の損害賠償事件ですから、今年になった記事など、どんな関係があるのか、さっぱりわかりませんでした。近藤さんは、あっさりと、「A氏により記事を削除したほうが良いと思ってけした」と答弁でした。

★もう一つ、同じような東京裁判・谷口市長と扶桑社の裁判の判決文を近藤さんが「持っている」ことについて、しきりに、「誰にもらったのか」と聞いていました。これも、本来の「損害賠償資源の名誉を傷つけた」という事件との絡み合いが、わからないままです。裁判所の判決文は、当事者でないと持っていないと、しきりに相手の弁護士は言われましたが、確かに、当事者と弁護士とが持っているものですが、誰かが、コピーして、他者に渡したら、それは、拡散していくでしょう…絶対に秘密のものではありません、裁判所に行けば、だれでもが閲覧、筆記できるものですから。。。

★なんで、このことが、どういう形で、原告の名誉を傷つけて、損害を被って、裁判に訴えたのか、本当に、?、でした。近藤さんは、「その名前は言えません」と、拒否、証言を拒否したのではなくて、「証言として、その人の名まえを言うわけにはいきません」と、態度を明確に示したということで、さすが、政治家です、情報源を「軽々しく他に漏らすものではありません」ということ、政治の世界の信用を保つ作用の一つですと思いました。

東京裁判2

東京裁判3