月別アーカイブ: 8月 2011

世の中「狂い」ましたかな

原発事故、放射能漏れからがひどいブレ

★民主党という名前で、自民党・公明党の「悪政の限り」を行うようになる・・・こんな事を誰が想定したか・・・・民主と自民と公明が「子ども手当て」を足がかりに、政策の「一致」へ基本的な合意・・・・表向きは「東日本大震災の復興策とをと予算のあり方、国民への増税」をうたい文句にです、、、菅さん「やめる」ことを錦の旗にです。。。。辞めるんかいな、と、思えますが、世の中がこれ以上の「居座り」は認めませんか・・・さすがの菅さんも「辞める」のですか・・・・大震災を「逆手」にとった増税へと流れています・・・

日本中の科学者もマスコミも、はじめから「原発は危険性がある、と、指摘をしていた」というムードにもなっています。本当でしょうか・・・・日本をリードする科学者の頭脳も、マスコミに登場して「知った知識を大いに披露して、乗りに乗っているジャーナリスト」の皆さんが、少なくとも、今の日本を引っ張っているのです・・・・自分の人生そのものに「責任」をもってもらいたいです・・・

でも、原発は安全ではない、東京電力は本当のことを言うべき、政府の発表も疑問あり・・・と言う潮流に「原発事故」いらい、かわりつつある、これは、動かしがたい事実ですね。世の中がそちらの方向へ『動く』というのはブレではなく正しい方向性というべきかなです・・・・

津山のゴミ処理施設建設予定地の「砒素や鉛」も・・・・

★前の市長のときですが、新クリーンセンター建設予定地には、環境基準を超えた「ヒ素と鉛がある」というショッキングな話が公然とした時期、岡山大学だったとおもいますが、学者の話として「クリーンセンターだより」に、赤ちゃんが飲むミルクにもヒ素や鉛があり摂取量をまもればこわまない、と図式入りで「解説」をしたことがある、まさに、これは何だ!である。これが、日本の最高学部の学者のすることか・・・・こちら「環境基準が超えたヒ素・鉛」を問題にしているのだよおー、、、、赤ちゃんが飲んでもよいヒ素や鉛を聞いたわけではないんだよー、なのに、なんで、桑山さん、学者さん、赤ちゃんが飲める「ヒ素や鉛」の話をだして、ヒ素や鉛は「大丈夫だよ、危なくないよぉー」と叫ぶんですか・・・・・

原発の安全だょーと似てないかな

どこか、似ているよ、日本中の学者が、こんな「論調」なんだ、原発。核・放射能・・・・・怖いよーという人たちに、危険だょーという人たちに、「安全だよー、広島や長崎ではないよー、」と叫んできたんだー・・・そして、爆発して放射能がもれても、本当のことを言わないで「直ちに人体に影響がない」と述べて、長崎や広島の「病院の専門家」をテレビに登場させて、「広島や長崎のようにならない」と説明をさせたんだ・・・・

どこかが「いびつ」ですね、、、

いびつといえば、やはり「おかしい」のでは

★16日の「大いに迷う記事」にしました部分、ここに書いています、

領家に建設することを前提とした「ゴミ処理施場の管理や運営」のあり方を、クリーンセンター整備・運営検討委員会」へ意見を集約してもらうための措置を講じた。

という記事に関係していますが、この「検討委員会のメンバー」に上記に書いている「赤ちゃんのミルクにもヒ素(8/20訂正)がある、大丈夫だ」と書いた学者をいれている、ここは、宮地市長の「策」である。しかも、この学者を副委員長に座らせたのである。

いびつ、おかしい、と言う指摘は、

『桑山前市長の選んだ学者』を、しかも、ヒ素は赤ちゃんの飲むミルクには入っており、「安全だ」と宣言する学者を、今、何故、宮地市長が「メンバーにわざわざ入れて委嘱状を出さなくてはいけなかったのか。。。」ということです。

それほどまでに、桑山のやったことは「立派だ」と評価できるということなのか・・・・何かがおかしいのである。

★今日は、美作原水協主催の「平和のともしび」の日です、なんとか参加をしたいとおもってはいるのですが・・・

18日木曜日は議会報告「ごきげんいかが」発刊日

★週に一回の、末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」の発刊日、1086号かな・・・今週の記事は、このブログではすでにお届けしています、米軍機低空飛行の小学校・中学校、そして、幼稚園や保育園の「実体調査」についてを主に書いています…・

月曜の早朝から、京都へ、骨収めなどの私用で出かけておりましたから、じつは、出かける前に、すなわち、土曜日・日曜日で「作成」をして、kさん、Fさん、に印刷などをお願いしておりまして、今朝の、新聞「赤旗」日刊紙への「折り込み」から配布が始まっています、留守をしまして、その間に「印刷」など、一連の配布への段取りなどして頂きありがとうございますです。。。。こうした、色んな方の「応援・援助」というもので、議会活動ができ、「ごきげんいかが」も発刊出来と言うしだいで、ありがたいことです、お世話になりますが、今後ともよろしくお願いします。

大谷本廟へお参りの写真

★15日の雑記で紹介しました、母・品代の「大谷本廟」へ納骨した時の写真が届きました、あらためて紹介しておきます。

大谷本廟への実母・品代の「納骨」のさいに、樋口英明京都市議(娘婿)が同行してくれて写真を1枚とってくれていまして、送ってもらいました。京都の娘と3人の孫、神戸の次女夫婦と孫ふたり、と一緒でした。

納骨とは、浄土真宗独特の「習慣」かな、骨収め(納骨)とは、何かな?

大谷本廟(西大谷)への納骨・分骨について 古来よりお骨の一部をご開山親鸞聖人の
御廟に分骨又は納骨することが、一般的に浄土真宗の「あり方」であり、一般的にご本山に分骨・納骨などと称していますが、正しくは本願寺大谷本廟(西大谷)への「分骨」、「納骨」の事という意味だそうです。

京都の五山送り火を見ました

妙の文字の間近でみて、大文字を遠くに

★生まれて初めて京都の、大文字焼、送り火なるものを見ました、すごく綺麗、そして、すごい人と暑さでした。少々足が痛いですね・・・

昼間の大文字の文字、金閣寺付近から撮りました、この大文字は夜見た山と違うものだそうです、大文字は右と左と二つあるのだそうです・・・

夜の8時を少しすぎてから点火しました、何故遅れたのかは不明・・・左京区松ヶ崎の自動車教習所の小高い丘の上から遠くを望みました、とっても綺麗な大の字をみました。

昼間にみた「法」の文字、松ヶ崎の町から、すぐ近くから写すことが出来ました、が、つらいことに、夜の撮影は出来ませんでした、この現場にたった時は、すでに午後9時前で、文字は消されていた、と、言うか、消えていました。

少しわかりにい感じですが、「妙」の文字、妙法と言う二つの文字が、松ヶ崎の山の右と左に浮かぶということでした。そして、夜8時10分頃でしょうか、松ヶ崎の自動車教習所の丘の後ろ側、まさに、目の前に、妙の文字が浮かびました。

見事でした、数えてみてください、103の薪の炎です、幻想的、しばしみとれていました、火の点火直前に『太鼓』の音なども聞こえていました。そして、少し離れた山では

船の形の炎でした

遠くに大文字の文字が移っている予定でしたが、うっすらと私の顔しかわかりませんですね・・                こんな京都の夜を楽しみました、幻想的な「妙の文字」は、なんともいえない姿でした。こうした行動・写真撮りのための移動などを終えて、急いで10分程度、人と自転車の間を縫うように歩いて「法」まで行きましたが消えていたというしだいでした。

今朝は早くから孫と「すみ拾い」へ登山

これから、「法」の文字の焼いた後、地域の人たちと孫たちと一緒に「すみ拾い」にいってきます、下山して、少し休んで帰ります。

カメラ忘れました

★めったにないこと、たびたびあっても困りますが・・・・2年ぶりですか・・・一つの儀式ですから「デジカメ」を充電して、かばんに入れて、京都へ、そして、西本願寺から、大谷へ骨収め、さて写真をといわれて、アレッ・・・・車の中に置き忘れ、車はホテルの駐車場でした・・・と言う次第で、昨日の実母・品代の納骨は写真に収めることが出来ませんでした。

今夜は、大文字焼を見て帰る予定です、67歳にして初めて見る、送り火、京の都の

幻想の炎 五山送り火です この「送り火」は、ものの本によりますと、

『お盆に迎えた精霊を送る京の伝統行事は「五山送り火」といわれており、8月16日夜に、京都市内の5つの山で催される。午後8時に如意ケ嶽(左京区)に「大文字」の火がともる。その後、同10分に松ケ崎西山と東山(同区)の「妙」「法」、同15分に大北山(北区)の「左大文字」と船山(同区)の「船形」、同20分に曼荼羅山(右京区)の「鳥居形」の順で点火される。』

とされています、娘夫婦が左京区ですから、ぐるりと周りの山々です。。。今日の午後8時に「大文字山」に点火、8時10分に松ケ崎西山と東山(同区)の「妙」「法」、という文字に火が入るそうです。その「法」の文字に点火する山ののふもとです、昨日のお昼過ぎから、準備してみいる姿が、近くの山の上、よくみえますから大いに楽しみです。

写真は、昨年の写真をインターネットでみつけて紹介です、こんなに綺麗に見られますようにです。

原発事故、放射能汚染の薪の物議

さて、今年の送り火は、かなりの「物議」を呼びました・・・「京都五山送り火」の騒動は、ご案内と思いますが、岩手県陸前高田市から送られた薪を、燃やす、燃やさない、中止する、しない、中止は「送り火」ではなくて、セシウムが検出された陸前高田市の薪、京都では燃やさないことになりました。これも「原発被害」の一つかなです。         最近は、どうも、この「原発と放射能」に関する発表や数値は、「本当なのか」と、まず疑いの目です・・・ちゃんと測定したのかなど、「薪に関する経過」もスッキリとは判然としていません。                                             燃やす、燃やさない、の繰り返し・・・なんとも後味の悪い結末となりました。そんな流れのあとで「薪からセシウムが検出された」と聞いても、「ホントかなあ」と疑いの目を向けずにいられません。

日本中が、今、本当に大丈夫なのか?

過剰反応と批判の声も聞かれますが、不安が一杯です、何から始まったかな、水道水、野菜、お茶、牛の餌になる牧草などなど、そして、薪です、福島原発の近くではありません・・・・今までに「表面化」している、社会的に問題とされた、それぞれの「品物」《こんな呼び方ではいけないかもしれませんが・・・》が、今、どうなったのかわからないまま、おかれたままで、新しいものへの「放射能汚染」です・・・これは、汚染の広がり以外のなにものでもありません・・・・・どこに行っても、何を食べても、大丈夫、不安も心配ともないのが、あたりまえ、普通なんですから、そもそも、放射能のことを、日常生活で「心配」しない世の中を、帰してください、「原発は安全だ」と推進して来たみなさんへです。

大いに迷う深夜の雑記

★無様(ぶざま)なことですが、何回か『迷い、迷い』の雑記は、久しぶりです。

率直に言いまして、タイトルは5回書き直し、以下の「雑記」は、書いては消し、書いては書きなおし、全部けして、また、書いて、書くたびに「文章」もかわってしまい・・・こんなに「迷う雑記」は、ひさしぶり、ひょっと、初めてかもしれない、大いなる苦悩であり、葛藤であり、大いに迷いである、嘆きでしかない、が、書くことに覚悟をきめて、何回目かの「書き直し雑記」です・・・・・

ゴミ処理施設問題で、新しい動きが・・

12日に、領家に建設することを前提とした「ゴミ処理施場の管理や運営」のあり方を、クリーンセンター整備・運営検討委員会」へ意見を集約してもらうための「提言案」なるものを示してという外郭団体、審議会のようなものであると思う。

「広く市民の意見を聞いて、新クリーンセンターの建設を推進する」と言う方策から行われる「政治手法」の一つだろう、・・・・宮地市長は「新クリーンセンターが地域の皆さんに喜んでもらい、他の地域に誇れるような施設になるようにしてほしい」との旨を述べたという記事がマスコミに書かれている…

アレッ、いつか聞いたようなセリフではありませんか

このままいけば、新クリーンセンターは「領家で建設」という事になるであろう…、それは、「検証の結果」の発表以来、陰に陽に明確にされていること・・・・だが、だ、色んなところで、宮地市長らしさが、なんで出せないのか…なんでかな・・・…もっと宮地市長になったから、 ここが、こう変わった、 という施策、言葉はないものか・・・・

イライラですが、京都へ実母の「納骨」へ行きます

★朝から少々イライラ気分です、車の運転は危険かな・・・・しかし、初盆も終えて、今日は、お骨納めで、京都の西本願寺へ「お参り」です、早朝からでかけます・・・京都や神戸の娘夫婦や孫たちと一緒に実母・品代を西本願寺に納骨します。しかし、西本願寺は、まさに、『お参り』だけで、納骨と言う点では、正確には「大谷本廟」(東山区五条東・清水寺の近く)へ行きます。

昨年、義父・泉と義母・知恵子の「納骨」の事を思い出しますと、西本願寺に受付・お参りをして、西本願寺が、お骨納をする家族をまとめて、「特別バス」で「大谷本廟」につれて言ってくれました。沢山の人たちとバスで行って納骨し、お経を読んでももらってお祈りして終わりと思います。今年は、お盆の最中です、沢山の人たちで、大賑わいかな・・・

13日(土)ですが、今日からお盆

★昨年の8月10日、長い介護の生活ではありましたが、亡くなる直前まで「痛み・苦しみ」など全くなく、アレッ、と体調の変化にきがついて、約30分かな、1時間たらずで眠るように息を引き取った母・品代、96歳、「老衰」という診断でした、あれから、丁度1年、『初盆は昨年の盆か、今年の盆か」と色んな意見もありましたが、昨年も「一応のお盆」をして、今年が、どうやら「本物の初盆」になるとか・・・仏の道は分かりません、なによりも「宗派」によっての、かなりの違いがあるようですから・・・と、いうことで、今日、お墓とか仏様とかを綺麗にして、お花をあたらしくして、初盆を迎えます。お寺さんが午後くるそうです・・・。

川元品代(実母)と漠・ひろし(実父)が眠っている「川元のお墓」です、このお墓は一代かな・・・

末永泉(養父)知恵子(養母)や泉・品代の父・和田蔵とその妻・ふよ、そして、順四郎叔父とゆみ夫婦、泉や品代の祖父の利喜蔵・なみ夫婦らが眠る末永のお墓です。

★この利喜蔵が、天保3年6月7日生まれです。天保3年といえば1833年で、徳川12代将軍・家慶の時代です。

利喜蔵の息子たち、長男・順四郎は慶応3年12月8日生まれです。若くて亡くなり、弟の次男である和田蔵は明治4年生まれ、この人が末永の跡取になったようです、そして、泉や品代ら姉妹弟6人を生んでいます。

★利喜蔵の父親が、茂平という名前である所までのルーツが分かっているのですが、倉庫にある「墓石」は、この茂平のかなです・・・亡くなった月日や、その時の「苗字・名前」をどう刻んでいるか、が知りたいところです。

★慶応3年は1868年2なりますか、徳川最後の将軍・15代将軍、慶喜の時代で、慶応4年9月8日に「明治」となりますから・・・・

◎この二つの「時代」に、末永利喜蔵であり、末永順四郎でありえたのかどうか…身分制度の厳しい中、本当に、末永という苗字がありえるのか・・・墓石には「末永」と刻まれています…かなり、興味があり、歴史をひも解いてみたい、・・・だから、解読可能なと思える、かなり「風化している墓石」を、地下に埋めないで、倉庫に撮っていると言うことです。。。誰か、読んで下さい、解読してください。。。いつの時代に、どんな苗字で、名前で、誰が亡くなったのか…・しりたい限りです…

★二つお墓が、右(西側に末永)左(東側)に川元と並んでたてています、墓石です。もう、4年になりますか、養父・泉(実母・品代の弟)が亡くなった時に、泉の意思(金銭的な問題も含め)もあって、いわゆる「末永代々の墓」にしました、古い、ふるい、オはかでした、文字が消えて(風化)よめないものもふくめて、沢山の墓石がありましたが、地下にうめてしまい、一部、文字が判読できそうなものを、いま、倉庫に入れていますが、早く、読んでほしいとは思っていますが…そして、跡がどうなるかが、かなり「不明」ですが、大原町(現在の美作市)にありました、父のお骨を持ち帰って、品代と二人だけの「川元のお墓」を作って、末永の横に空いた訳です。

いつまで私ら夫婦が生きるか…長生きをしたいとおもいますが、私ら夫婦は、川元から末永へ「養子縁組」(苗字をかえる手法としての養子縁組)ですから、末永のお墓に「お骨」はいれるべきと思います…

12日金曜日、今日も暑くなりそう

★毎日暑いです、35度前後を毎日しめす温度計、今日も暑くなりそうです・・・・8月12日、お盆前で、実母・品代の初盆の準備、合わせて、お盆には、京参り、西本願寺に「納骨」の予定、すこしバタバタしていますこの頃です。昨日の11日は、あの東日本大震災から5カ月目、米軍機低空飛行からも5カ月と9日目です、どちらも「終息の見通し立たず」という嘆きです、昨日は、日本共産党岡山県委員会が、岡山県知事に対して、「低空飛行の解決を・・」との申し入れをしてくれていますが、津山市の学校現場の実態を踏まえた「早期解決への申し入れ」でした・・・申し入れ書は、また、ご紹介します。

県委員会の「申し入れ書」の全文はHPへ紹介です

前にいかない「ゴミ処理施設組合議会・議長づくり」の話し

★昨日の、津山圏域資源循環施設組合の『議長づくり」の話し合いは、結局は「調整つかず」でした。夕方に、町からでています議員さんに、「申し訳ないが、一人に絞っての推薦と言う形が取れませんから、27日に予定する「臨時市議会」では、投票による選挙で、議長を作ってもらうことになります、今までの「役職づくりの内規・覚え書き」は、白紙にもどして、投票の選挙と言うことで、町から出ておられる議員さんもご協力くださるように・・・」とお願いでした。

それでも、一つの妥協案を・・・・

津山の8人の議員だけの話し合いでは、「3人の予定者にたいして、津山の8人で投票をして、負けた人はあきらめてもらう、一番多い予定者に、本会議においては全員が一致できるようにする、と、言うことで、3人の話し合いをしてほしい・・・・」と提案があり、「26日まで3人で覚悟を決めて話し合いを・・・」と注文をつけていますから、何とか、話し合いの余地はある、と言うところです、が、昨日の段階では、「投票をするのであれば、組合議会全員で投票すべきだ」と言う意見も強く出されており、この道も、かなり厳しいと言うか、どうも、塞がれている感ありです…どうなるのでしょうか?です。

世の中全体が、お盆休みに入ります、おかしいことですが、「行政」には、正月のような「お盆を休日」という制度かなく(暦の上でも休日が無いということ)個々の職員さんが、『夏休み」というかたちで、何日かの「休日」をとるようですが、お盆にまとめて・・・とか、役所全体が「休み」と言う休日はありませんから・・・暑い夏のおわり、お盆も、暑い思いの「資源循環施設組合議会の議長をめぐる暑い思い」(誰の思いかな・・・)が続くのかもしれません・・・・

どうなるか「資源循環施設組合議会」への対応

★ゴミ処理センター建設・運営に責任をもつ「津山圏域資源循環施設組合議会」の議長が、まだ、決まっていません。組合議会の「内規」ては、津山市議会から選出の8人の議員の中から議長を推薦することになっており、津山市議会8人の推薦があれば、四つの町から選出されています8人の議員さんは、共同推薦として議長がきまります。そして、副議長は、四つの町から選出されています8人の議員から、人口比例の「まわり順」で、副議長が推薦されてきますと、津山市は、共同で、その人を副議長に推薦することになっています。

津山市議会選出8人の議員の責任です

★今朝の段階では、津山から選出されている8人の議員の意見が「一致しない」ままになっています。他推薦、自己推薦も含めて3人が「議長候補」に名乗りを上げている実態で、調整がついていないと言うことです。7月に、一度「議長選出の臨時市議会」が開かれましたが、これが、選挙が出来ないままに、「自然流会」となり、8月27日(土)に開く予定、という連絡が事務局から入りまして、この開催の「手続き」などについて、今日、津山の8人の議員が招集されました。

議長の選出が出来ない津山市議会が、?になります

★たしか、4人の議員が、宮地管理者に対して「議長選挙を行うので、臨時市議会を開いてほしい」と「議会開催の手続き」が出来ると思いますが、今までは、津山市の8人の議員が集まって、協議して「臨時会の開催」の手続きをしていました、7月の「臨時会」も、津山の8人がしました・・・・ところが、臨時会の目的とした(津山の8人の議員の開催目的です…)「議長が決まらない」ままに、流会とした、津山の議会ですから、、、また、「流会になるかもしれない」のに、また「臨時会をひらいてください」と、言えるのかどうか・・・どうも、わたしは、それは、「おかしい」と思えてしかたありません・・・「決まることができていない」のに「決めるから臨時議会を開け」とはこれいかにと言うところではないでしょうか・・・今日1日、この問題で、色々と意見交換の日と言うことになりますが・・・さて、どうなるのか、先行きが見えてない、朝の雑感です。

先行きが見えないといえば・・・・

民主と自民と公明が「意見の一致をみた」という出来ごと、民主党が「政権を維持するために、自民党に、にじり寄った」姿です。これは、なんなら!です。選挙のマニフェストを民主党は「投げ捨ててしまった」訳です、その選挙マニフェストで、「勝った」わけですが・・・なにやってるのか、民主・じみん・公明は・・・・子ども手当が「減額」されると起こっていますよ、こそ大真っ盛りの人たちは・・・・日本中が、そんなことに「うつつを抜かすバカがどこにおる、東日本の日1の救援と復興をいそげ、原発・放射能の核対策、拡散をなくせ、汚染された大気・土地・水の責任を明らかにし、一刻も早く「綺麗な空と土地と水をかえせ」と、怒っていますよ・・・・

本当かね、菅さんは「辞めない」のでは?

「辞める」?、菅さんが「辞任の意思を表明」…といっせいにマスコミが、また、ですよね、また、書きました。何回、このような記事をみたことでしょうか・・・・

本当に「辞めるかね」・・・・そんな人ではない、と私=末永は、市川房江さんの手記「私=市川のめざす政治と菅さんのめざす政治は違っている」と書いた部分を読んで、そう理解しています。最近の、あの、『はしゃぎぶりの姿』は、まさに、そのとおりですよ、政治の志が市川さんとは逆、違っているのです…現に、「衆議院の任期は4年・・・4年間真面目につとめるのが国会議員の仕事」とまで、はしゃいでいるではありませんか・・・「国会には、菅の顔を見るのも嫌いという人が、沢山おるんですよ・・・」とのべた、あの時のテレビに映った「はしゃぎぶり」は、尋常ではなかったと私はおもいました・・・情けない姿でしかありませんでした、あんなに『はしゃいだらいけない』と思いましたが…

津山と国会を「一緒に描くな」ですが・・・

かって「時期がきても、絶対に辞めなかった、津山のある議長さん」を思い出しました…これも、なかなかですね・・どうなるか、国政の動きです・・

さくら介護センターについて

★私が日常的に《活動の拠点》としている事務所が、「さくら会館」という建物ですが、その中に、1階を事務所として、「豊かなまち・人つくり津山ネットワーク」があります。そして、「さくら共済・産直」の事務所などがあり、―本音で語る―人権・民主主義問題シンポジウムの事務局、さくら二級ホームヘルパー養成学園の事務局もあります。

★二階が、「さくら介護事業所」であり、この中に、①さくら支援事業所(ケアマネ)②さくら訪問介護事業所(ホームヘルパー)の二つがあります。今、さくら介護事業所では、ホームヘルパー1級以上の資格、介護福祉士及び介護職員基礎研修修了者、もちろん、ホームヘルパー1級を含めてですが、「常勤職員」を募集しています。経験者優遇で、できれば、30歳代くらいの人を求めています。

希望者は、31-2188 へご連絡下さい。

また、ホームヘルパー2級以上の資格を有する方で、登録ヘルパーとして勤務を希望される人も「随時募集》をしています、お気軽にご相談下さい。さくら介護センターの理念などは、さくら会館ブログへおいで下さい。

2級ホームヘルパー養成講座の準備

まだ、正式な「受講生の募集」ではありませんが、11月頃に「開講」をめざして準備中です。準備中ですが、興味のある方は、ご相談を日常的に受けています、22-9072の方へご連絡下さい。

また、募集が正式にきまりましたら、おしらせをしますが、これも、ヘルパー学園のブログがあります、ご覧下さい。

昨夜はヘルパー会議でした

さくら介護センターでは、毎月、定例のヘルパー会議を行い、一カ月の利用者の状況や家族の変化、利用者や家族からの要望や苦情内容の報告や検討をしています。時には、入院をされていた「利用者」が数カ月ぶりに返ってくるが、医師からの注意事項や、入院前の状態と現在の状態の情報交換、ヘルパーとして「気をつける課題」などを話し合います。

国の制度や『介護制度』の変更も話題に、侘しさをかんじる「介護」ですね・

★また、国による「制度改正」とか「細かい籠の決まり」なども話し合います、具体的な、今の利用者における問題をふくめて、あの利用者に、「草取りをしてほしい」とか「花に水をやって下さい」とか頼まれてこまった、どうすべきか・・・の検討です、決まりは決まりとしてキッチリとせつめいをしてほしい、「国が、〇〇をしてはいけない、と、決めているのです、さくら事業所の方針ではありません」と説明をすることの大切さを昨夜も確認ですね・・・まぁー、仕事終えて、何でもない時に、通り道すがら「植木に水をやりに行く」のはボランティアですること、絶対に仕事としてはしない、してはいけない・・・こんな「話し合い」は、寂しい限りです、もっと、人としてヘルパー活動が出来る分野に「ゆとり」がひつようではないのかなです、今日も、熱帯夜でした、夜中から朝にかけて自動でクーラーが入るようにしてクーラー切ってねますが、、、今日も、日中も暑くなるのかなの雑感です。

やはり米軍戦闘機は「協定違反」でした

爆音、雷のような激音がした!

★昨日、津山市総務部と子ども保健部が資料公開

3月2日におこりました、米軍機・2機について、学校現場や幼稚園・保育園での「目撃・実体調査」についての調査結果を発表しました。私も、「関係者の一人」(井口さんの代理人と言う意味合いですが・・・)として、色々と質問し、教えても、もらいました。岡山民報社の大野さん、低空飛行の「目撃者証言の測量専門家」も、危機管理室のほうへ問い合わせもされたようです。

津山市の危機管理室(後藤和哉室長)と子ども保健部企画調整課かな、が、学校や幼稚園、保育園などの協力の下に、色んな情報をまとめたということです。

学校の上を50~70メートル上を飛んだ!

★津山の小学校が28校で、その内15校で目撃、中学校は8校で、その内6校で目撃されたり、爆音が聞かれていた。高度は「50m~70m」と答えた学校もあり、「100m以内」とか「相当低空」とかの意見があり、「山の項すれすれ」というのもある。

旧勝北付近は国道53号の上・・・・そして、まっすぐに神楽尾山にぶつかる!

奈義町から津山市へのコース、国道53号線の流れに沿っている感じで、旧津山市に入り、国道が南下しているから、飛行機は、そのまま高倉付近から高田へ、まさに、私たちが「目撃者証言」として調査済みの「神楽尾山へぶつかる」という表現に、まさに、直接繋がっていくのである。
音というてんでは、すごい証言がならびますね・・・・
◎ 「爆撃機のような感じ」
◎「爆音で授業を中断して空を見上げた」
◎「非常にびっくりする音だった」
保育園では10園、幼稚園では6園で目撃されていました。
◎「地響きがした」「雷のような激音」など大きな音が聞こえていて、
◎「子どもたちが怖がっていた」などの状況だったことがわかりました。
◎地震や爆撃等、尋常ではないことを感じて、安全管理上の必要性を感じたが、一瞬 のことで、対応が出来なかった。情報が無く、一時混乱した。
◎一瞬危険を感じた。飛行機が落ちてきた来たとおもった・・・

等などの実体報告です。さて、アメリカさんと日本政府・防衛省はどう出てくるのか…これでも、「協定の範囲を守って飛んだ」と言い張るのだろうか・・・・?ではあります。報告の全ての状況 仔細・内容は、ここから見て下さい…

★昨日が立秋ですが・・・暑い日が続きます

こ暦の上では、もう、秋です、が、毎日35度をこえる「猛暑日」がつづきます。しかし、人間妙なもので、言葉だけでも「秋になった」と聞けば、何となく、朝の新聞配達の「自転車」で風切る空気が、涼しいのかなと思いますし、周辺の「たんぼの早生稲」が、穂を出し始めています…季節は、確実に動いているのでしょう・・・昨夜は、党津山市委員会で、今日は、党地区常任委員会です。生活相談が二つありまして、夜は、さくら介護センターの「ヘルパー会議」へ暑中、いやいや、残暑、となりますか、お見舞い方々のご挨拶です…