日別アーカイブ: 2021年7月15日

7月15日〈木〉党創立99年記念日

昔の名前で出ています、頑張っています。

★今朝も曇空、1日どうかなです・・・・色々と意見はあるようですが、日本共産党・創立99年になり、創立の時からの一貫した名前です、中国でも、ソ連でも、挑戦でもありません、日本です、ここをまちがわないでほしいですね、、、日本共産党は、1922年(大正11年)に結成され、日本の政党のなかでは、第二次世界大戦前・戦後を通じて同一の党名でもっとも長く存続し、もっとも古い歴史をもつ。第二次世界大戦前の23年間は非合法状態にあり、組織的活動は中断された。共産党が国民の前に公然と姿を現し、合法的に活動を開始するのは、敗戦後となる。

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共産党の創立大会は、公式党史上は、1922年7月15日日、渋谷・伊達(だて)町の一民家で開かれたとされている。その母体は、前年4月結成の日本共産党準備会であった。党の創立は、1922年末に開かれたコミンテルン第4回大会で正式に承認され、「コミンテルン日本支部日本共産党」が成立した。

1923年年6月の第一次検挙(第一次共産党事件)と引き続く9月の関東大震災での虐殺事件で動揺した共産党古参幹部は、翌1924年年3月、解党を決議した。しかしコミンテルンの指導もあって、1926年12月、山形県五色(ごしき)温泉での第3回大会で党は再組織され、11928年2月からは非合法機関紙『赤旗(せっき)』も発刊された。その直後、1928年3月15日の「三・一五事件」、1929年4月16日の「四・一六事件」と相次いだ大弾圧によって、党は大きな打撃を被った。「満州事変」の始まった1931年から1932年10月の一斉検挙(熱海事件(あたみじけん))までが、戦前において共産党がもっとも発展した時期であり、最大時党員数約500名、『赤旗』7000部を記録した。しかし、1933年以降の党幹部の相次ぐ転向、当局の取締りの強化やスパイ・挑発政策、方針上の不十分さもあって党内に分派を生じ、党勢力は急速に弱体化していく。1935年3月、最後の中央委員の検挙によって、党中央委員会は最終的に壊滅した。1935年7~8月、コミンテルン第7回大会で決定された反ファシズム人民戦線の方針は野坂参三(さんぞう)らによって日本に伝えられ、国内でも、共産主義者グループによる人民戦線運動や党再建が試みられたが、結局成功するには至らなかった。

 第二次世界大戦前の共産党は、綱領草案、「二七年テーゼ」、「三二年テーゼ」、「日本の共産主義者へのてがみ」などの綱領的指針に基づいて活動を進めた。これらのなかで、天皇制の廃止、18歳以上男女普通選挙権、土地解放、朝鮮・台湾・中国からの軍隊の撤退、侵略戦争反対などの平和と民主主義の要求が掲げられた。党の基本戦略は、ブルジョア民主主義革命から社会主義革命に発展転化する二段階革命路線であった。とされています、正式には、日本共産党の文献を学ぶことが一番ですから、よろしくお願いします。

衆楽公園の異様な匂い・悪臭の源は?

★次に、津山のことです、昨日のことでした、朝の話ですが、楽衆公園の池の悪臭と思いますが、正門から入りますと、異様な匂いですが、末永さん、知っていますか、ブログにでも書いて下さい、何とかすべきですよ・・・」こんな話でした、少し、バタバタとした要件を抱えていましたから、現場に行くことはできませんでしたが、今日にでも行ってみますかです・・・

★以前、日本共産党の中村議員が「本会議」で取り上げていたことがあり、それを思いだしますね、、その後「つやまし」が清掃作業をし、匂いが無くなり喜んでいたのに‥‥、、あの時は、「よくいうた」という意見と「良い意見だが、わざわざ、本会議でいうことか、しつもんすることか」という声も聞かれ、いずれもが、「そうか」と思わされたきおくがありますが・・・中村議員が議員になった最初のころの話とおもいますが・・・いずれにしましても、「津山市の公園」…津山市の物でなくても、私的なものであっても・・・」悪臭を漂わす」と言うのは、よくないですね…・

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写真は、きれいな時の楽衆公園の物です、今日行きまして、今の写真撮ってきますね…

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コロナ感染東京が選任を超える感染者、オリンピック、やはりやめないとですね。

★東京都で14日、新型コロナウイルスの新規感染者が11491149人確認され、約2カ月ぶりに千人を超えた。年末年始の第3波以降、都内では緊急事態宣言解除とリバウンド(感染再拡大)を繰り返してきたが、

今回は宣言解除から千人到達までの増加ペースが最も早かった。

人出の高止まりや感染力の強い変異株(デルタ株)の流行が要因とみられ、23日に開幕する東京オリンピック(五輪)期間中にさらに大きな波が訪れる懸念が出ている。過去の波と比較すると、その上昇スピードは群を抜く。

第3波で、最後に千人を上回ったのは1月28日(1065人)で、2月下旬には感染者数が100人台~300人台まで下がった。3月上旬以降に感染者数は増加に転じ始めたが、千人を超えたのは4月29日(1027人)で、1月28日の千人超えから次の千人超えまでは約3カ月の間隔があった。

第4波では5月13日(1010人)を最後に1千人を下回る日が続いたが、6月21日に3度目の緊急事態宣言が解除される前から、すでにリバウンドの兆候は見え始め、前回の1千人超えから約2カ月で再び1千人を超えた。上昇スピードが早く、週平均の新規感染者数でみても、前週比も上がり続け、13日には130%を超えていた。

感染者数が急増したのはデルタ株の流行に加え、いっこうに減らない夜の繁華街での人出が要因とみられる。小池百合子知事は9日の定例会見で「(夜の繁華街に)かなり多くの方が出ておられる。路上でバーを開いているような方などもある」と危機感を示した。政府は12日、東京に4度目の緊急事態宣言を出したが、休業要請を守らない居酒屋が相次いでいる。