日別アーカイブ: 2022年3月3日

3月4日(金)近藤さん物語その③

昨日は、3月3日、全国水平社創立100年の日でした、岡山県の水平社創立、美作地域の創立へとつながるときの流れ、全国の100周年記念行事は、コロナもあり、しばらくは「延期措置」したようですが、来年の美作水平社創立100年記念日の時は、どうなることでしょかね、

★岡山は「まん延防止」はしない、要請もしない、とは、大丈夫か津山は、昨日の3日が52人ですよ、2日が37人、1日が25人で、1週間前の24日が23人で26日が38人ですからね、、昨日の52人を見ると、「まん延防止」をしないのはおかしいと思えますが、高値安定のような雲行きの中で、マンボウが解けたら、またまた、増えていくのかも、怖い措置ですね。

近藤さん市長選挙いよいよ出馬へ

★昨日書いた「保守層のある人からのお声」までには、一つの布石のようなものが私のところにも届いたことがあります。9月議会で近藤議員が「太陽光発電事業をめぐる疑惑」を取り上げた直後に、これは、保守とか革新とか矢藤とかは全く関係ない人、普通の市民が電話をかけてきまして「近藤議員が、あそこまで谷口さんを追い詰めたのなら、近藤さんが責任を取って、市長選挙に出るべきと思う、その意思はないのかなぁー」という感じの声でした。

★この声と直接は関係ないのですが、こんな話が市民の中であったということなんでしょうね、、、何か、当時のその後(私に電話があった後という意味)、近藤さんにききましたら「自分のところにも〇◎さんが電話してきた。」と言われていました。この〇◎さんと、私のところに電話してきた人は別の人でした。

★私は、「ふるさと津山を語る市民と議員の会」、とか、「議員&OBの会」とかで、「市長選挙に誰が出るとしても、必ず、反対だ、支持できないという人(いわゆる仲間の中からという意味です)は出てくる、あの人はダメ、しかし、この人は好い、と人間として思うようになる、その場合、出る人により【動く人が変わる】のは仕方ない、それを【一緒やろう】とは言えない、知らん顔するしかない、・・・どうなっても、誰が決まっても、絶対に守ってほしいのは【二人が出る】と言う無様な姿はしないでほしいというか、すべきではない。。」という意味のことをしばしば述べてきました。

さてさて、私にも出るようにと電話の人は言いましたね、

★おかしなことになりまして、私は「そんなことはないし、できないが、仮に、私が出るなら、アルネ問題の一つのケジメとして、津山市の政治日程が狂った(市長選挙が変な時期に行われるという意味)、アルネリコール運動・市長選挙という責任を取って、市議選挙と市長選挙の同時選挙、すなわち津山の政治日程を合わす責任がある、1年と少しでやめる、その間に、良い、若い人をみんなで見出して、新しい政治を創るかな‥‥それが選挙公約になるかな・・・」なんていうことを言うていたものです、無責任で、気軽な立場で言うていたことですが‥)1年と少々で「新しい人へ」かな?津山の政治日程をもとにもどします、がスローガン、というイメージを一瞬持ちましたね。

★それはそれとして、近藤さんが「私のところに報告・相談に来た」のは、家族の人や、河本議員を代表者とする「市民が第一」の議会会派の皆さんとか、宮地さんなどのお世話になっている人たちと、一定の話し合いをした後でした。私は、率直に「近藤さんは議員として28分の1人として頑張ってほしい‥‥しかし、家族を含めてみんなで【やる】と決意するのであれば、応援は惜しまない、私が一票入れる人ができたといいますよ‥」と励ましにもならない言葉を言うたのを思い出します。

近藤さんは「男の子でしょう、の言葉に・・

近藤さんの人柄を思わせることですが、何人かのひとに「近藤さん、男の子でしょう、責任を取ることは大事」という意味のことを言われ、背中を押され、「男の子の責任」をことのほか感じて、いろいろあったようですが、決意されたということです。市議会の仲間である「市民が第一」の会派の中で、どんな内容や約束があったのかは聞いたこともありません、労働界やいろんな市民団体の人たちとの話し合いの内容も知りません、が、各議員さんらが、自分が立候補できないから、近藤さんに荷をかけた・責任をかぶせた」とかいう人もあったり、近藤さんを利用したという考えの人があったりですが、そんな簡単で単純なものではない、ですよ。

谷口陣営の人たちも、市民の方にも・・・考えてくださいで、この物語は終わりますね、

★共産党が後ろについている、とか、立憲民主とか、近藤が市長になったら○○が副市長になる、とか、近藤さんの人格」まで傷つける「悪口」を言うているようですが、全部違っています、津山の政治を少しでも「良くしたい」の思いが強く、今のままでは津山市はつぶれる」という声に押されて、自分でできることは何らかと苦悩の中でえらんだ「人の生きるさま」そのものです、

★「近藤は、人生をかけて市長選に立候補を決意しました」という言葉そのものなんです、「冷やかしのような言葉」をいうたり「けなしたり、能力がないと人格を傷つけたり」「末永の文書をよむ」ととんでもないことをいうたり、ともかく、近藤さんへの批判こそ、私を「兄のように、親父のようにしたってくれる」と書いたら、近藤は共産党か、などと、これまた、話にならないことを言いだしたり、こんなことは近藤さんと私への「誹謗・中傷」であり、人としての尊厳を踏みにじり、人権を無視した言い草だと思って、自粛してくださいね。よろしくです。ジエンド物語でした。

3月3日(木)近藤さん市長選への足取りその2

3日岡山県発表、津山が52人とは多すぎはしませんか、午後1時半に書き込みです、県内はコロナ173人感染 

★岡山県は3日、県内で173人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。津山市52人、総社市19人、里庄町12人、備前市、早島町各9人、玉野、笠岡、瀬戸内、浅口市、吉備中央町各8人、真庭市6人、井原市、勝央町各5人、赤磐、美作市、久米南町各3人、和気、美咲町各2人、新見市、矢掛、奈義町各1人。
※岡山県の発表には、岡山、倉敷両市の感染者は含まれません

ここから下は朝の記事のままです、★昨日は、小雨の朝でしたが、お昼頃から、やや晴れ間もありましたが、曇空が基本だったです、今日は、朝から、冷えてはいますが、天気は良くなり晴れる気配ですね、コロナは、津山が多いのが気がかり、岡山県は「まん延防止」の延長はしないと決めたようですが、少なくなったとはおもえませんね、、、政治の世界は不気味、色々とあるのでしょうね。

市長選の前哨戦・9月議会から12月議会などの動きは?

★9月議会の論議を通じて、そして、12月議会へと、あせるような雲行きもあり、市長選挙で○○をたてて、何とか「津山市政を変えたい」「かえなくては・・・」と言う声が強まる中、何人かの「候補者としての名前」が出ては消え、消えては別の人の名が出てくる、そんなことの繰り返しのような日々が続きました。女性の立候補はどうなのか、と言うことで「二人の女性の名前」も上がり、私は、一人の人と「かなり深刻になっての話し合い」を数回繰り返してきました。もう一人の人とは「直接話す機会はなかった」ですが・・・結論としては、「あきらめざるをえない」ということになりまして・もちろん、他の団体や人たちの動きは見えてこないままで、全くわかりません、なんとなく幾つか話をしている感じは伝わりましたが。。。・・

★再び、候補者問題が「暗礁に乗り上げる」こととなりまして、それでも「再び宮地さんはどうなのか」というぶり返しの話になりました。谷口さんの陣営かもしれない人からも「○○が本当にでるのか」と、1週間に2度や3度は「といあわせ」とか「相談」もありました。宮地さんの名誉のために書いておきますが、自分が出たいとかではありません、「誰もいなかったら・・・」という責任感の気持ちはあったのではないか、と想定ですが、医師から注意あり「完全に断念する」と言うことになったものです。

★太陽光発電事業をめぐるインターネット上の「疑惑事件」も当然話し合われながら、市政の「動き」もしばしば「話し合われ」ました。そのつど、市長候補の名前も出ました、あれは本当か、との問い合わせも何人もありました。◇◇はいけまい、とか、△△なら気が楽だ、とかも耳に入ってきましたが、これらは「私の知らない人の名前」であり、かかわってはいませんでした。決まったら、あせてほしいとはお願いしましたが、結果としては「あうことはなすかった」ということです。

★こうしたことのくりかえしで「これ」という人はなかった・・・なんとかならないか、の焦りの心が出かけたときに、ある人が、一昨日書いた「そんな話はない」と思える人について、現職市議の名前ですね、パッと噂が広がりました。

★その人は、市長に「出るらしい・出たい」ということで様々な話があったのは事実です。そして「本気で出ることにしたい」ということを本人も言われたようです、私には、その本人からは「出たい」とか「よろしく」とかの話はなかった。

★一方では、専門的に、世論調査をされている情報屋さんが「現職が思いのほか不人気」と言う結果もあるという「噂話」も出たようでした。そして、1カ月でも勝てる戦略があるか、という話し合いもあり、一度だけ「そんな内容の話し合い」にも呼ばれたことがありましたね・・・

★取り巻きかなと思える人からは「その人についてどうか」とか「出たらよろしく」とか「今の議員の中ではこの人しかいない」という意味の話は、幾人かの人から直接言われたことはあります。12月だったと思いますが、その人が「ほぼ本気」と言う時期・・・

選挙管理委員会の「市長選挙の説明会」が行われました。

★宮地前市長と、私=末永が「説明会」に参加して、とても物議を呼んだところです。「立候補届け出書類一式」をそれぞれ「一組」(2人で二人分)を持ち帰った時を前後していますから、宮地さんは「現職の市議会議員かも・・・」と言われる人の書類をという事で、その人に書類一式を渡しました・・

★この頃に、私は、ある現職市議のひとに「出てほしい」との依頼を数人でしましたね、「本気で考えてみる」との決意で別れて、1日して、「せっかくの話だが、無理がある」という旨の「無理」の内容も大きし、返事をいただき、「残念無念・がっかり」したのを思い出します。、・

★私=末永は、「その人(宮地さんの持ち帰り書類を渡した人)が出なかった場合、元職の人のために」という意味での書類持ち帰りでした、このことは、当時の「ごきげんいかが雑記」に書いています、今、初めて書くことではありません。

時を稼いで「でない」「出せない」ではないかの疑問符

※この頃から、私は「ひよっと、○○(宮地さんの書類持った人)が出るから・・・」という言葉だけで、時を稼いで、他の人には準備をさせないで、候補者がたてられなくするのではないか、そんな【高等戦略・作戦】かも・・・、とひそかに思いまして、そして、心あたりの人に【出てほしい】と極々に内々の相談をしていました。特に、1人の人は「出でみるかな」という感覚にもなり、「そうならば、出る覚悟して、宮地さんの持ち帰った書類を持つ人よりも、「早く立候補声明をすべし」とお願いして、私の持ち帰った書類一式を渡しました、元職の人でした。

★しかし、その話が「迷い、迷い」しながら、その人が現職の人(宮地さんの書類を持つ人)の立場も「待つ」という事も考慮し、あれこれとが続いて微妙な時期でしたね。この頃に、はじめて、近藤さんの名前が出始めました、私の名前も再浮上しました・・・2人とも「とても、とても・・・」とお断りしました。

★私の書類を持ち帰った◎◎さんは、これ以上「立候補声明を先延ばしは出来ないな」と判断できるタイミングまで、「出るか・出ないか」で随分悩まれたようで、近藤さんが決意してからも、悩んでおられましたね・・・しかし、最終的には「出なかった」ですが、

近藤さんへ、本格的なお声が・・・・

★そんなとき、保守層の人・近藤さんは、元々が「保守の人」ですが、たまたま、市議会では事情があって「革新的」と言われる人たちとおんなじ会派に属しているということであります。そんなある人から「近藤さんが出るべしではないか、どうか・男の子でしょう・・・・・」と言う意味の声が本人にかかったわけです。もっとも、私が彼から聞いたのは、かなり遅い時期だったのかもしれません、私に話が直接来るまでには、色々と経過があったと、後で聞きましたが、そして、「保守の大物」さんは、名前を聞いている程度、現職市議の時に1回か2回程度、見た、あったかなとも思いますが、はっきりと覚えていない人でした、長いこと「顔」をみていな人ですね・・・・ここから、本人の「葛藤」が始まりましたね、、ここからは、明日に続きます。嘘と思われる人もあるかもですが、間違いなく、「事実あった話」です、私が体験したことです。