★昨日の朝は小雨から曇りへ、蒸せましたが、ほぼ1日晴れ、時々曇りという感じでしたが、午後2時過ぎに、加茂では、夕立のような強い雨が降りましたね、夜も小雨の感じ・・・今朝は、木々には水玉です、曇りの感じですが、動かな、はれるのかも・・・
8月に招集する議会を、なぜ、9月議会と称するのか、市民からの疑問提起で?で困りましたです。
★既報を何回かしていますが、9月定例市議会が28日(月)から始まります、時々市民の方から質問されるのですが、「8月28日に始まるのでしたら、8月議会ではないのか、」と、いう率直な意見です。なるほど、そういえばそうですよね、、、何で9月議会なのか、知ったかったふりして書きますと、条例で市議会は、3月・6月・9月・12月を定例会議とする、と定められていますから、と、言うことになるのでしょうか、?、
★これでは、市民の方の疑問に答えていない感じ、では、9月に招集しないと…と、言われますからね、、、8月に招集しても、9月議会とは「これいかに」というところですよね。招集は、市長がしていますから、何故八月なのかは、そちらに聞くべきかな…
地方自治法第102条では、1、普通地方公共団体の議会は、定例会及び臨時会とする。2、定例会は、毎年、条例で定める回数これを招集しなければならない、となっていまして、定例会とは、毎年定期的(定例的)に招集される議会で、条例で定める回数を招集しなければなりません。
★津山市議会条例では「津山市議会定例会議を召集時期を定める規則」→上記条例ではなっている」は、あやまりですね・・・・として、「毎年、3月・6月・9月及び12月に招集する。ただし、止むを得ない事由があるときはこれを変更することができる」。となっていますから、「やむを得ない事由」として、今回は、8月に「9月議会を招集した」ということでしょうかね、、・・・・そうですね、でも、市民の方の疑問、町外とは言わないが、何で8月召集が「9月議会なのか」と疑問にズバリ答えたということにはならない感じですよね、、困りましたです。
★補正予算など、先日の議案説明会で説明を受けて、議員さんの質問と答弁聞いて、(議案の事前審査方式かな、と、思わされる質疑になった感ありで、私は、議案事前質問方式には、ついていけないタイプ、事柄を企画したり、考えたり、発想したりの段階での協議は必要かな・・・と思っています)ザっと目にしまして、幾つか問題もありで、九月議会も、さてさて、と、言うところですかる。
昨日の国民救援会支部総会の様子
★加茂の宝蔵寺で開かれました、国民救援会美作支部の総会、普通の活動報告とか、活動方針とか、決算・予算・役員人事などに加えまして、美作地域内で起こっている「人権無視」などの報告が2つありまして、一つは、奈義町の「町長による職員へのパワハラ問題」の報告でしたが、パワハラという言葉の持つ意味合い、という点で「多少の違い」はありますが、首長による行政運営の在り方、上からの目線、トップダウンかなと思えるやり口など「どこかの市」と似ているなと思いながら聞きました。
★すごいと思ったのは、現職の職員が実名で「告発」のょうなことになっていたり、自治労が正面から取り上げたり…この直接の関係者が表面に出るということが、議会での論議が「やりやすい・現実味をもつ」というものですよね。
★もう一つは、私に名指して指名がありまして、「高齢者福祉施設・籠施設の虐待の問題と人権」のような報告になりまして、虐待を内部告発した職員への「人権侵害事件・不当解雇=別途裁判で和解、業務妨害事件としての裁判提起、そして、私=末永を告発した事件、警察の家屋調査と取り調べ、津山市の虐待認定、検察庁の調べ、不起訴処分、福祉法人としての「役員会」の在り方、行政指導の在り方、などを訴えました。
片山潜について、久米南町・政広議員からのお話
片山潜記念館に関する講師でした
★片山潜は、1859年に久米南町羽出木村の庄屋に生まれたましたが、家計困窮のため、すぐ農耕、炭焼きなどをして働きました。
このため、ほぼ独学で勉強し、明治13年に岡山県師範学校に入学。翌年、上京後、印刷工員として苦学し、明治17年、25歳で渡米。明治25年、アイオワ州グリンネルを卒業後、大学院に進みました。
明治29年に帰国し、現早稲田大学教授に就任。幸徳秋水、阿部磯雄らとともに社会主義研究会を組織し、日本における社会主義の先駆者としてその生涯を反戦、平和に捧げました。
生誕の地に建つ記念碑、その碑のそばには数々の資料を展示する記念館があります。片山潜は遠くモスクワのクレムリンに眠っていますが、氏の遺徳を偲ぶ人が今もこの記念館を訪れています。記念館が立てられている久米南町ならではのお話しと資料の配布、沢山の研究資料、ありがとうございます。