★今朝も小雨で、曇り空です…今日の4時過ぎから、豊かなまち・人つくり津山ネットワークとしての、最後の「詰めの任務」の一つ、というか、本当の意味では、対外的な活動の「最終日」ということになります、津山市長・教育長らとの話し合いです。 「平和・人権・暮らし守る【協働】団体(代表 中西孝)と豊かな町・人つくり津山ネットワーク(代表 末永弘之)による、真の平和・民主主義・人権尊重と市民生活の充実を求める要望」にょる話し合いといあーうのが今日の正式な名称ということになります。
市民要望活動の歴史の大きな流れ
★1945年(昭和20年)の敗戦、農地改革と労働運動の発展、日本憲法の国民民主主義、基本的人権の確立など、大きな変革の時期、部落解放委員会として「水平社運動」が再開、①部落解放要求国策樹立運動が昭和20年代の運動の中心に座ります。
写真が正面に座りませんが、全国と歩行身体、津山市内での様子です。
★同和対策審議会の答申が出され、答申完全実施運動を経て、法が制定された後は、諸要求貫徹国民大運動と称して、地域からの要求の積み上げ方式で、津山市・岡山県・全国へと、大きな要求闘争が起こされます。
これも写真がまっすぐに納まりません、古い市役所前に「全国行進大河訪問」したときの様子です、1966年・昭和41年8月です、額田市長の出迎えでの激励会の様子。
★こうした「要求闘争の歴史」です、70年の歴史、この霊視を継承してきた「市民協働の要求闘争」(懇談会・話し合い)ですが、今回で「最終回・綴じる」という儀式の懇談会になるかなとは思いますが、どうなりますか、また、ぉしらせしますね、
こんな「嘘つき」があるもんですか、嘘をつくきはなかったが・・・なんででしょうかね
★自衛隊の募集事務というか、それらに協力する地方自治体のありよう、私が委員会でも質問したことがありますが、「18歳になる有権者名簿を自衛隊にコピーしてわたしていないか」という問いかけに、「渡していない」と、答えてきた津山市でしたが、
★一策時になって、担当の職員から、「令和2年の政府通達により、住民基本台帳の一部を(18歳名簿)を自衛隊に提出することが可能である、という、趣旨の閣議決定に伴って、ていしゅつしていた」という、お詫びかたがたの報告がありました。
★まぁー、なんということかです、市民団体のみなさんには、「津山市は提出していないようです」と、正式に報告してきましたから、今度は、私が「市民団体からしかられます」ということを述べ、そして、私は、あんたがたを怒らなくてはいけない立場だ、と、講義はしましたが、それにしましても、きわめて、お粗末なことではありませんかです。困ったことですね。