3月21日(金)美作水平社創立100年が102年に

昨日は、それでも、暖かい日でした、お昼からは、曇り空にもなり、少し冷えては来ましたが、曇ったままの空という感じではありますが、まぁー、暖かい1日か名でした、今朝は、霧の深い朝、少し寒いですが、日中は、暖かくなるかもですね。

★昨日、午後、少し暖かくなり、所用が早く終わり、スエヒロ亭となずけた事務所の掃除と、草取り、合わせて、自宅の方のチゥリップの芽が大きくなっているので、プランタンの中の草取り」して、綺麗にしてやりました、そろそろ、先始めるかな・・の期待です。

100年の記念詩誌づくりは大変です

★もたもたしているうちに、2年が経過してしまいそうです、2023年7月14日に、「解放運動の終結を宣言」と題した市民集会を開催し、津山市で、水平社運動の歴史を今日まで継承してきた市民運動団体の責任において、゛同和・部落゛の付く運動にさようならをする」と歌い上げまして、100年の歴史をまとめるとしましたが、あれから、1年と半年、そろそろ、2年という歳月が過ぎ去ります。

★19日も「100年誌編纂事務局会議」を開催して、目次などの組み立てを一からやり直し」の作業に入りまして、来月くらいには、ほぼ、出来上がりかなという感じ、早く、記念史誌を世に出したいの願いです。かなり、準備と、記事の纏めと、資料の整理に時間がかかってしまい、申し訳ないという気持ちですが、最後の踏ん張り、頑張っています・・・

お彼岸のお墓にお花を供えて…・

★朝早く、お墓に行って、お花をお供えする準備をと思いましたが、花筒が凍っている」ということ、古い花も、凍り付いて、花筒から取り出せません…しばし、休憩でした。3時間程度経過し、やや、太陽さんも出ていましたから、もう、大丈夫と思いましたが、花筒から、古い花は抜けましたが、凍っている、浸みているのは、かわらずでしたが・・・

★そのまま、水洗い、新しいお花に変えまして、やっと、お彼岸かなという雰囲気になりました。2つのお墓です、一つは、川元のお墓、おやじさん・寛と、おふくろ・品代③の二人だけが入っている川元家の葉かです、川元の姓は、元大原町(現在は美作市)の性で、、おふくろが、日上の末永から、大原の川元へ嫁いだ家です。20年程度前に、大原から、おやじの寛骨をもらって帰り、日上に二人を「祀った」ということです。末中のお墓の隣に私が作ったものです。先祖代々にはなっていません、寛~始まっています、おやじは、私が、生まれる2か月程度前に亡くなりました。

1日お墓2

★もう一つは、末永の橙のお墓、これも、昔々のお墓がたくさんありましたが、20年程度前に、いわゆる「寄せ墓」とし、末永家代々の葉かとしたわけです、母親の実弟の「末永泉」に、私が、川元から、末永に変更するときに、養子縁組としての苗字の変更でした。義父の泉は、東京暮らし、妻(私から見ましたら「義母」ということになりますか、そして、叔母の「時恵」の3人は、私の手で、早期を行い、お墓に埋めています。

1日お墓

★お彼岸ということで、昨日のお昼前に供養、新しいお花も生けまして、…ご損ぞさんに合掌ということでした。

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