2月5日(水)今日~6日は東京へ出張してきます

★寒い朝です、朝早く津山を出発して、新幹線で東京へ向かいます、科学文部省へ行きまして、教育問題での「お願いと私立大学の公立化についての勉強会です。津山市内では、美作大学の公立化が今、1つの大事な課題となっていました、市民団体のいろんなところから、「津山に大学は必要、欲しい、なくしてはいけない」という、明文の言葉の中で、全部が包括されて【美作大学を津山市立にする】という、異常な「空気・雰囲気」ですよね。

★なんか、逆らったら、市民ではないという雰囲気です、もっと、各団体が、市民の方々が、直接関係するみなさんが「静かに、冷静にものごとを考える」とうことにはならないのでしょうかねと思うほど、ひたすら、「美馬さん大学の公立化を望む」という雰囲気になっています。

★津山市に大学は必要、あってほしい、あるべき、という基本は、を足しもおんなじですが、さて、それでは、何が何でも゛つやぉま私立でないといけないのか」ということです、今の「私立学園」のままで「看護学科など医療系の学部、とか、今、はやりの、IT学部とかの設置を視野に入れて、学生の募集、来る人を増やすということ、はかんがえられないのかです。

公立としても、県立とか、圏域立とかは、ダメなのかとか、いろいろと試行錯誤する課題は、まだ残っていると思えて仕方がないのですが、どうでしょうかね。

文部科学大臣は、津山の人・あべ俊子さん

★文部科学大臣に会えるかな、と、期待ではありましたが、とても、とても、無理ということのようです、津山から、文部省に行きますから、と、いう言葉をお願いしましたが、スン刻みの日程とかで、無理ということのようです、秘書の三秘書の三そして、つなぎの役目の人からの連絡でした。ただし、こちらの要件は、今度は、文部場へ、直接訪問するということになりました。以前は、仁比僧兵参議院議員の紹介で、段取りをしていただき、お役人と話をしましたが、今度は、お役人に直接の面台という違いがありますね、どうなるのか、多少、緊張しながらの状況です。

愛和荘の「虐待問題」が裁判へ

★以前から紹介してきました、久米にある福祉施設の内部における「虐待・不適切介護」によって、死亡事故という「事件」に遭遇した家族の方が、施設を相手取っての訴訟が、昨日岡山地方裁判所で行われました。

以下の写真は、弁護士が作成した裁判所入り口までのappeal行進の看板をもって歩く関係者の皆さんです。

愛和裁判1愛和裁判2

裁判の傍聴をしましたが、裁判は長引きそうな感じ、裁判所が「慎重にしらべなくてはいけない」という趣旨のことを述べていましたし、被告の方の「罪状認否」の提出所。意もなかなか大変な様子、原告弁護士は、「罪状認否だけでも早くしてもらわないと、次の段取りが、やりにくい」という意味のことも申していました。結果として、次回は、4月8日(火)午後1時30分になったと思います、明確に言葉が聞き取れなかった関係で、。少し、違っているのかもしれません。

★原告が6人、弁護士が7人、第1回公判で、原告の代表者が「母親が亡くなった時の事柄を意見陳述」しましたが、聞いていても、本当に、無念、施設は、何やっていたのかと思える内容でした。長くかかっても、支援し続け、なんとしても、原告の勝利をと願っています。

2月4日(火)昨日は、さくらブロック会議

今朝は、晴れていて、良い天気、でも、風邪が冷たい朝です、冷たさはない、霜もない朝です、1日どうか。。。昨日は、霧の深い朝で、曇り空、結果としては、1日中すっきりとしない天気、小雨になったり、曇ったり、お昼からは、やや、寒くなり気温も下がったかなでした。

2月8日(土)午後2時30分から、末永弘之の市議会報告会です、ご参加お願いしますね・・・

★2月8日(土)午後2時30分から  市内大谷・中央公民館大会議室   末永弘之の市議会報告会  お誘いあわせで多数の皆さんのご参加をお願いします。8年ぶりに議員に復帰させてもらって約2年、開拡、若さ、新しい、とは、いったい何でしょうか・・・そもそも議会改革と言いますが、何が悪くて、何が良いのかもかたらないで「なんでもかえる」ことが改革なのか、新しかったら「改革」なのか・・

とりわけ、若かったら「それで改革か」の感じの津山市議会の様子、…間違いなく「新しさ」はおおきな魅力です、・・・・しかし、それは、未知の人、道の世界だから言えることであって、新しかったら、それで良しで、「改革」なのかが問われます。

★古い」から言うのではありません、いつの選挙でも、率直に言いまして、新人は何人かが出ます、多い時は三分の一程度新人が当選という時もありましたよ・・・それで、政治が良くなったでしょうか‥‥しんのいみで「改革」ができたでしょうか・・・そんなことを思えるこの2年、そんなことを花にしてみたいでする。。

★この市政報告会に、参議院選挙・全国比例区日本共産党の予定候補5人衆の一人白川よう子さん(元香川県会議員・四国・中国・九州、沖縄が守備範囲です。)が美作地域へ、鏡野町、美咲町の町会議員選挙の応援、そして、偶然にも、私が予定しています、末永弘之の市政報告会の日ですから、応援に来てもらうことにしまして、それぞれの会場の段取りなども相談です。

私の市政報告会は、午後2時30分から、市内大谷の中央公民館です。2期8年一度引退していた身ですが、都合で、返り咲きをすることとなり、1年と9カ月前に復帰、12期目となりまして、そろそろ、折り返し点です。おおむね、2年間を総括して、次の2年間への飛躍を…

★とりわけ、後継者づくり、2年後の市議選には、是非、新しい党の姿で戦いたいものです。その点では、公募でもして、日本共産党公認の候補者を是非皆で創ってほしいと思います。

さくらブロックでの「市政報告」の話は、何を報告するのが一番なのかを考えてもらいましてた・・・

昨日は、日本共産党津山市委員会の「さくらブロック」会議でした。当然、2月8日の市政報告会」の事が、一つの課題です、議員に復帰して2年、さて、何が話の中心になるべきか・・・・それぞれ意見を出してもらいまして、報告会での話の内容を決めていきたいのねがいでしたから・・       ①8年ぶりに議会に復帰して、津山市政と市議会をどのように思ったのか、末永さんの感じをはなしたら・・・                    ②太陽光のこととか、反問権のこととか・・・・どうなんだろう。      ③谷口市長というか、市政の特徴は何ですか、そして、次の市長選挙は。。。  ④水道料金とか、美作大学の公立化問題とかは…             ㊄市民の暮らし向き、水道料金とか、下水とか、陥没のような不安はないのかなど、市民は聞きたいことがたくさんあるのではないかな…

★などなど、いろんなことが出されまして、さて、どこまで報告ができるのでしょうか、これから、レジメ作って、まとめないとあまりにも、多岐にわたって、意味が通じないというか、1つの出来事でも、内容がしっかりとわかるように話せるかなです、少し、心配になってきましたね。

aod

★岡山の住寄さんが作ってくれたチラシです、ありがとうです、よろしくお願いします。

白川よう子参議院予定候補にも、あいさつと応援歌を唄って頂く予定です。

★7月2行われる参議院選挙、日本共産党の全国比例区の予定候補は、5人の必勝態勢、5人をぜひこっすいに送ってくださいの願い、そして、岡山県は、中国・四国・九州ブロックとして白川よう子さんの受け持ち地域です、たまたま、鏡野町、美咲にくるのですから、私の報告会へもというご無理なお願いです。この市政報告会へ、多数のみなさんのご参加をお願いいたします。

インターネット上で、白川さんの日々の活動が紹介されていますが、沖縄県での活動、各市町村の地方選挙の応援、四国が故郷で、中国、九州と広いですね、、、大変でしょうと思えます、参議院選挙本番になりますと、とても、とても、津山にくるということはないのではないでしょうか・・・

白川沖縄

いずれも、沖縄での選挙応援の写真です、下は、赤嶺衆議院議員と一緒に、浦添市の応援風景とおもいますが。。。

白川沖縄1

2月3日(月)霧の深い朝です

おはようございます、少し、遅い書き込みと立ち上げです、今朝は、とても、霧が深いです、道路がかなり湿っていまして、夜中に小雨でもふっかなという感じ。無茶に寒くはありません、どんよりとした曇り空、霜は無で、車のウインドへも凍ってはいません。

★写真は、朝、7時15分頃の東の空です、霧も深く、曇り気味で、見通し悪しです、私の暮らしのようなもの、見通しがつきません。。

霧の朝

★2月1日が土曜日でしたから、昨日の日曜日、2日から第2週といういうことです、2月は、28日まで、やはり早く月が「去る」とおもいますね、、2月中頃から、資源循環施設組合議会、そして、津山市議会参加絶定例会議へと繋がっていきますから、後半は、バタバタとしたあわただしい日常かな。。

2月1日(土)2月になりました、時の流れが速いです

★昨日も、朝はそれほど冷えませんでしたが、1日中、寒い、冷たい風の1日、今日は、土曜日で、やや、ゆっくりの朝、散歩も、時間が遅いです、ちょうど日之出に会いました、7時13分頃から、7時25分にかけて、ゆっくりと昇ってくる太陽を東に見ての散歩でした。

2月1日朝

★今日から2月です。1月は【行く】(いぬるともきいたことがありますが・・・)かな、2月が【逃げる】そして、3月は【去る】でしたか、月日の流れが速いことを言うのだろうと思いますが…1月も、アッという間に過ぎ去りました。特に1月は、正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったものだといわれます。二月は逃げる、ですが、元々「28日間」しかありません、4年に一回29日がありますが、やはり「早くすぎる」という感覚になりますよね。1月は、往くと書く場合もあるようですね。

★面白い話で、「誰がそんなことを考えたのか」との問いに、「毎日忙しくしている人は、そんなことを考える余裕はないから、よっぽど暇な人が考えたのでしょう、という名言を言われた人があったとか、あるとかの話です。真実は、どうなんでしょうかね‥インターネットで調べてみるのも面白いかもですね。

美作水平社創立100年物語仕上げへ

どうも、まだ、定まりません、おおむね、終わったと思いますが、いろいろと意見もあり、資料も出てきたりです、自治体との交渉、話し合いが「津山市」のことしか書いていないということ、他の自治体についてどうするかも、悩みの一つですね。

★書き始めは、美作水平社70周年記念式典の取り組みからです、この催しは、1923年7月4日(日)に、文化センター・津山鶴山ホテルを中心として、美作水平社70周年記念事業が取り組まれました。後世に、部落解放運動の全盛期時代を物語るものかもしれません。

※写真などを使っての紹介です、文化センターにおける一部・記念式典の様子です、1200人の参加、3階まで満席でした。住寄愛水さんが地区委員長でした。岡映さん、手塚亮さん、大林秀弥さん、そして、水杉一夫さんらを表彰・感謝状を渡しました、一人、一人に応じた違った言葉で感謝状を書いてもらい、渡しました。

こうした記事の下記はじめなんですが、さて、どの写真を使うかということになりますと、大いに、迷うということです。全体の様子ができるだけわかるようにとは思いますが、中々ですね。

同和を乗り越えた若者たちの結婚は?このタイトルは、100年史には、むかないかもです・・・

今から、25問程度前の書き込みです。

【近年、同和問題を乗り越えて結婚する例は多くなっています。「同和・部落問題」をしっかりと学んで、理解をして、「分かった、だから部落の子を好きになって差別を乗り越えて結婚する・・・」!、そうなんかといいますと、「おっちゃん関係ない!、何をいようんなら」と必ずいいます、「自分が好きになったら、結婚してもえんだろう」といいます。


関係ない、んですよ、部落問題を乗り越えて結婚した、素晴らしい経験だ、「同和教育の成果が出てきた・・・」なんて、一生懸命「同和・部落」と関係して考えようとするのは、特定の年齢層と特定の「教育・運動」を考えている私たちだけです・・・・、当事者の若者たちは「関係ない」といっています。では、何が「同和・部落」を乗り越えさせているのか・・・。日本国憲法の「婚姻の自由の規定」です、これが、若者たちを変えました、時代の流れ、歴史の動き、社会全体の近代化です、・・・・・。この流が、部落問題でもっとも困難で、最後まで「残る」と危惧されている「結婚問題」を乗り越えました・・・。

★ここから言えることは、ことさら「同和・部落」を特別に教えるのではなく、日本国憲法の「民主的要綱」、教育基本法の「人が人を大切にする」という理念、ここをしっかりと教えれば、「部落問題は解決できる」・・・・・、これが、私たち津山がつかんだ経験です、「特別の教育や制度を教える」のではなく、普通のことを教える、当たり前のことを、普通に教えていくことだけで、部落問題はなくなります。
★それでも「聞かれたら答えてやれる親になろう」と数年は方針化していましたが、今は、それもなくなりました。全国で「同和教育・解放教育をやめてほしい」「同和という名の付く特別の扱いはすべてやめてほしい、

わざわざ教える必要は無い・部落民宣言に等しい教育はするな、やめよう野運動を提起です

★「子どもたちや孫たちに「同和」という名の付く特別の地域がある社会ではなく、普通の社会を残してやりたい」
→全国水平社創立75周年、津山市協議会創立45周年で高々と歌い上げた、津山市協議会の「市民へのアピール」です、このスローガンが運動の貴重となり、私たちの新しい運動の目標が定められていきます。そして、特別対策事業のない時代づくりへ、同和地区という「汚名」を返上する、線引きをなくする方策の研究に入ります。同和という名前が、特別の対策が、特別の地域が、そこにある限り「同和地区の人、同和といわれる」?

★いつまでも「同和・部落」ではない、限りなく同和をゼロに」、この方針が数年前から生まれてきます。


やがて、同和が「ある」ことがおかしい、というべきであり、色々と理由をつけて特別に扱うのがおかしいと明確に方針化していきます。

★お前は「同和の子どもだ」と教えるのではなく、社会にそんな言葉や対策事業や、特別の扱いや、それを利用したりすることがあるのが「間違い」と教えてやればそれで充分です。それ以上は、絶対に不必要です。

★ここまで、到達するのに30年、苦悩がありました、抜け道の無いトンネルから抜け出たのは、やはり本音で語るシンポジウムを支えた私たちの心構えでした。普通の教育で事が足りる、それは、憲法や教育基本法の定着という社会の流でした、近代化でした。
ややこしい、難しい時期を経験したものですが…

1月31日(金)市議会役員構成への課題整理

★朝は、曇り空・・・2年前、市議会議員としては、2期8年お休みして、8年ぶりに復帰した市議会、最初が「正副議長など市議会の役員に関する課題」でした。かって、私が在籍していた市議会で作ってきた「津山市議会 議会構成に関する申し合わせ」について、結果としては、「これをまもっていない」ということで、正副議長、議会運営委員会などに「抗議と公開の質問書」などを提出しました。水稲がありましたが、結果として「他の画題におわれた」ということもあり、公開という措置はしないままに今日を迎えました。

★そこで、15日の全員協議会・議員会議などで、「議会構成に関する申し合わせを、護ように正副議長など、役員を創るのかどうか、申し合わせを守らないのなら、申し合わせを破棄してしまえばよい、あるのならまもるべしではないか」と意見を述べました。そして、それを受けて、各会派代表者会議菜とで、今後検討する、会派での意見を上げるようにとなりまして、今、意見の集約中というところです。

★確認したのは、3月議会で「議会構成替え」をするのではなくて、5月に臨時会を開いて行うということです。従いまして、それまでに、意見調整をして、最終決定を議員会議で行うということになります。

私=末永(一人ですから無所属です)も意見上げます

★この申し合わせは、2009ねん9月1日から実施しています。私が責任者となり、意見をまとめて、「申し負わせ」を作ったという記憶があります。役員の任期を「2年とする」ことから始まり、「その他」まで、9つの課題を整理して申し合わせ事項としています。途中何回か【変更】していますが、2017年4月を最後に、現在まで変更されていません。たぶん、この申し合わせを、棚の上において、そんなこととは関係なく、多数派を構成したグループによって、「思いのままに議会構成を行ってきた」のではないかなと思えます。

★今回、あらためて「申し合わせは必要・護」ということを前提として、【変更すべきところがあれば変更する」という方向性を出して、今、動きかけているということです。

議場5

写真は、市議会全員協議会室です、議員会議の会場にも使われます。

「議会構成の申し合わせ事項」の真骨頂は、対決ではなくて、話し合いで決めるです

★昔もややそんな感じはありましたが、今のように、明確な区分ではありませんでした、と、言うのは、議長室を構成した「多数派グループ」(幾つかの会派が集まる)が、時の首長さんを「護・支持する」ということとは、まったく無関係に集まっていました。ということです。今は、議長室を作ったグループは、市長擁護派と決まっていますから、おかしいのです。議会と当局は、本来は、対極点(支持する、市内ではない)は基本が「当局のちぇく機能をはたして行く、切磋琢磨して、対決して、政治を寄り、マシに。因り良くしていく」というのが、本来ですから、議員間の「対決、もめごと」は、議会内部の問題として処理するのが、普通と思えば、かんたんなことなんですがね・・

★現在の申し合わせ事項の3、正副議長及び監査委員の選出という項目では「正副議長は、話し合いで決める、決まらないときは、選挙する」とし「監査委員は別途きょうぎする」となっています。

※これは、本来は、議会の「三役」は、議長室校正の多数のグループが「独占」するのではなくて、三分の一は、少数グループから出すという内容もあるわけです。ここが、話し合いの大切な事柄、議長は、私らがもらいますから、副議長は、では、あなたたちで…と、美しくいきましょうということ。。。

★ここの話しあいを、まず、会派代表者によって話し合う、議長候補者、副議長候補者、を持つ、会派が、しっかりと基本を固めて、話し合う、それが無理になったら、監査委員をと、こんな話をして決めるということですが、会派の構成とか、グルーブの攻勢をつくる時から、正副議長、監査をセットにして作るから、「申し合わせと違う事柄」になってしまうのではないでしょうか。

今日は、午後から県庁です、県庁行着と言うていましたね

★今日は、環境問題を中心として、他のも議員さんの案内で堅調に行きます。昔は、県庁に行くときは、一兆頼の服を着ていくということで「県庁行着」といわれて、いわば「星座して、改まっていくところ」というイメージだったんでしょうかね・・・

★用件は、ごみ処理に関する問題、津山市の行政ともかかわりがあり、津山圏域資源循環施設組合の任務とも関係がありですね、、、「ゴミ焼却あとの焼却灰」の最終処分について、今、クリーンセンターでは、本施設では、ごみを焼却して発生する焼却灰を資源化施設へ搬送し、有効利用を図っています。 焼却炉で燃やされたごみは焼却灰となり金属選別機で鉄と不適物を回収した後、搬出します。 また、節炭器やろ過式集じん器より排出される飛灰も資源化施設へ搬出します。

ゴミ3

ゴミ1

ゴミ2

写真は、現在の「最終処分場」のものです。灰は、捨てていません。

★かっては、「灰」そのものを埋めていた事態゛、その名残、こうした現状と、過去の課題、横山の最終処分場をめぐる「焼却が終わったおわった」という認識と「処分場をはいしした」という認識と、どんな実態の違いがあるのかなどを調査、研究というところです。

1月30日(金)1月が終わります、早いね

★昨日は、1日変な天気、太陽が出たり、曇ったり、時々雪が舞ったり、雪は積もる雪ではありませんすが、それでも風に乗って、吹雪の感じの瞬間もありました。今朝は、冷たくないです、曇り気味かな、霜もなく、霧もなくの朝です。

★1月の暦が残り1日です、あわただしく月日が流れていきますね。昨日印刷してもらった「末永弘之の市議会報告・ごきげんいかが」を日曜版に挟んで配布です、散歩の道すがらに、10数部地域配達です、金曜日の散歩は、いつもよりは、時間がかかりますし、読者の方のポストまで行ったり来たりで、可也の距離を歩くことになりますね。散歩していなかったときは、車でグルート回っていたのですが、朝寒いですから、厚着して、頭から「かぶり物」して配ります。

★昨日は、車の免許、「認知症検査」でした、書き換えでないのに、?、でしたが、信号でのいったん停車が「十分でなかった」という違反、そういえば、そんなことがありましたね。そのために、改めての「認知症検査」という案内だったわけです。

津山市議会「反問権」実施要項の定めへの意見

★12月議会で、近藤議員に対して行使した、谷口市長の「反問権」が一つのきっかけとなりまして、その是非論、内容の確認とか、内容の是非論など、議会内部で物議を呼び、議会運営委員会で、各会派の意見を求めるということになりまして、私も、ひとり会派(日本共産党とは規定で名乗れない、無所属と称します)としての意見を提出かる準備終わりました。

★実は、もう一つ、同じような扱いで、5月臨時会で行います、議長・副議長などの市議会役員づくり、行く印構成に関する申し合わせ事項の「変更へのいけん」というのも、集約していまして、その、内容と合わせて、近く提出するかなです。

★反問権にかんする「定め」は、1条から7条まで、簡単な文章で決められている議会内部の「定め」ということです。私が、気になりますのは、第4条です。「反問は、1つの質問項目に対して原則一回とする」と現在はなっています。これが、解釈で、多少の「あいまいさ」があるというのが、論議の一つですから、整理が必要ということです。

★どこの文章を、どう変更・加筆などすればよいのか、?、の図、「定めの表現」は、別として、どうあるべきとおもっているのかですよね。。。1議員が「3項目質問」できるという定めですから、反問は、それぞれの「項目ごとに」一つだけ、で、一回で終わり、というのが、まず、描かれますから、ただ、1項目で、その中を「いくつかに分けて反問」というのは、どうもと、おもいますから、ここの点が、文章として、同「定め」に書くかということですね。

★1議員の質問で、1項目ごとに、1件・1回とでもしますかね、、そして、質問戦の準備の過程で、おおむね、議員の質問内容がわかれば、その自伝で「反問」を準備する、準備するとしたら、「事前通告」というのを「原則」にする必要があるのかもしれません。

★議場で「突然質問されて、その質問に「反問」というケースは、事前通告など当然できませんから、その場での「議事の流れ具合」ということになるとは思いますが、・・・

下の写真は、市議会の議場、本会議中の様子を、傍聴席から写したも→間違いです、訂正します、「私の席」からです。12月議会のようすです

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★少なくとも、議員に対して、「可能な限り質問内容を事前に知らせてもらって、資料とか的確な答弁のためにとかを言うのであれば、メモしたものを読む「反問」は、事前に通告しておくというのが、ルールかもしれませんね…あっさりと、なにもかも「ゼロ」として、議事の振興の予定がありますから、それでも、議員の質問時間だけ、1時間以内と決めて、後は、フリーとする、これが一番ベターと思いますが、そうは、ならないでしょうね。

中間地方選挙への準備、各地で抜かりなくです

昨日が、美咲町の選対会議でした。4月が選挙ですから、3月の中頃に「事務所開き」をして準備を本格化させるかなということと、参議院選挙も併せて、党を強く大きくする活動、宣伝などの日程も具体化し、頑張っていかなくてはいけませんが、活動家が、高齢化、大変です。

★鏡野町が3月25日の告示です、先日、26日に事務所開きをしまして、私は、地域の家事騒動で不参加、夕方に「陣中見舞い」には行ってきましたが、個々も、党を大きくし、宣伝戦を強めていかなくてはということでありました。2つとも、個別の「対話活動」などは、本人も含めて進んでいるようですが、本格的な動きは、これからというところです。

1月29日(水)白川さんの日程が少し変更です

★昨日は、朝の散歩時間、晴れてもなく、曇るかなと思いましたら、家を出て、さくら会館に行く頃、御前8時過ぎから、とても良い天気になりまして、晴れましたが、10時頃からは、風もあり、冷たい空気、空は、曇り、午後も曇りが続きました、今朝は、うっすらとした雪化粧の朝です。冷たい風がありますから、寒くなるかなです。

★昨日28日午前中、日本共産党の地区の正式な会議の前に、2月8日(土)に来津予定の、参議院予定候補の白川よう子さんの日程、集い(鏡野町と美咲町と津山【正式には、末永弘之の市議会報告会】の細かい日程など)の打ち合わせを行いまして、白川さんの都合で、日程の変更でした。朝、9時2津山駅に着いてから、夕方の6時21分津山発の列車で見送りまでが、地区の責任、大部分を私に任され、大まかな日程、コースなどは作りましたが、帰りが午後4時37分発で津山を出発になりました。

★全体としての、細かい時間とか、集いの司会とか、白川さんの話の時間とか、中々、いざとなりますと、いろいろと決めておかないといけないこと多しというところです。

最低でも、津山駅前の街頭宣伝4時40分~を、4時10分からにと変更は必要、夕食は無しの日程ですね。

★書くことは簡単ですが、街頭宣伝一つ取りましても、宣伝カーを車庫に取りに行き、プラスター・のぼり旗などを準備し、駅前まで車を持ってきてくれる人、そして、全体の後援会に「街頭宣伝」の場所へ参加して、一緒に道焼く人に訴えてもらう段取りして、少しは「休憩」して、夕食の場所を予約し、一緒に食べてもらう人を作って…と、バタバタと変更の段ども大変なんですね。まぁー、白川さんの日程が最優先、しかたないですが。。。

中間地方選挙へ本格的な準備を

★地区党としては、3月16日(日)から赤磐市議選挙です、現職の勇退の後、新人一人を抱えての二人選挙、そして、3月26日(火)告示で、鏡野町議員選挙、現職一人で2期目へ挑戦、4月6日(日)が真庭市と美作市の市議会選挙告示、真庭は現職が2期目へ、美作市は、現職勇退で、元職の「高齢」が多少気になる人の挑戦、年レンガ「私にも若干影響あり」という感じの選挙戦、そして、中間地方選挙のラストランが、4月8日(火)告示で、美咲町町会議員選挙です。

★もっとも、ラストランという点では、投開票は、真庭市・美作市・美咲町が4月13日(日)ですから、ラストランは3つの自治体ということになります。ここで、いわゆる「中間地方選挙う」が終わります。

新年早々の全国の地方選挙の結果、もっと、勝てです、やや、調子悪し日本共産党というところかな?

★全国の地方選挙、正月早々の選挙、倉敷市、北九州市、など、ソレゾレ、めいっぱい奮闘し、頑張って、頑張ってですが、結果としては、今一、勝てない、大きくならないで、どちらかというと。減です、もっと、強くなれ、大きくなれです、それは、だれの責任でもない、自分自身の責任、皆で力を一つにして、頑張ろうです。

参議院選挙は、なんとても全国比例区5人を・

 

参院選勝へ ワンチームで – 日本共産党の5議席を

 

5人そろい

★上の写真が、ソレゾレ5人の候補者の特徴など紹介したものです、是非とも、7月にはよろしくお願いします。

参議院選挙前後には、来年の2月のつやましちょうせんきょが「本格的に動く」と思いますが、どうなんでしょうか、びっくり仰天、いまさら、そんな、という感じの「うわさ」も出ていますが、三つ巴、四つどもえ、いやいや、2日もとか、とかく無責任な「うわさ話」でもちきりですね、、、事実は、本人と、まさに、直接の支援者しかわからないこと、私たちのような、外野席、そのまた、外野の広い人々には、さっぱりわかりません、というところです。

でも、7月前後には、保母、見えてくるというのは、間違いないことだと思いますが、とはいえ、前市長の宮地さんも、敗れましたが、近藤さんも、そういえば、正月を過ぎて、1か月前くらいに「正式な発表」でしたから、・・・それを思うと、いつとはいえませんか、、、とかく、政治の世界は、信用がなりませんというところでしょうかね。

1月28日(火)福力荒神様の旧正月が終わりました

★今朝は、冷たさはありませんが、曇りかな…・暦の上では、1月29日が旧正月の元旦となっていると思いますが、私の子どものころは、「荒神様」といえば、旧正月の楽しみの一つでした、中学校はお休み」でもありました。最近は、きゅうしょうがつではなくて、「1月の最終の土曜・日曜・月曜と3日行うように変更しているようです。今年の福力荒神様は、25日の土曜日~27日(月)でした。25日の前日位から、また、冷たい風が吹き、寒い日が帰ってきました。旧正月、福力荒神様へお参りをと考えていましたが、止めて、家の「守」しまして、午後3時前から、買い物にでかけまして、様子見るかなと、大崎は通りました…が、夕方で、人では少なかったです。まむし除けと安産の神様として知られる福力荒神社の大祭です。

荒神様

日本共産党が、大きく、強くなれの願い、倉敷市は残念で、1名の減となりました。

★一昨日の日曜日は、党津山市委員会の「さくらブロック」の新年宣伝の予定でしたが、地域の火災事故ということで、延期しました。自公の過半数割れという新しい時代の中、参議院選挙勝利日へ、党を大きくしたいの願いです。

★一昨日、日曜日投開票の「中間地方選挙」・・・注目の倉敷市では、一人減で3人に、基地吸収しでも、9人の当選を目指しましたが、7人の当選に留まっています、その他の市町も、どうも、全体で「今一」という成績かなと思えます。頑張らなくてはですね。

★今まで、野党と言われていた政党も含めて、党の名前は、変わっては来ましたが、日本共産党を除いて」の「連合政府」は「自民党と一部野党」とか「日本共産党をのぞいて「野党だけの連合」で、政権を取ったことはありますが、全てが、「いまいち」です、国民が願うような政治はならないで、すぐ、自民党に「負けて政権が自民に戻る」ということできました。

★7月の参議院選挙で、全国比例区の5人をチームとして全員の当然を、そして、小選挙区でも、東京、京都などで勝利をして、今まで、経験していなていない「政党間の組み合わせ」、日本共産党を入れた、市民と野党の連合政権を作ろうではありませんかとの訴えでした。

5人宣伝広島

上の写真は、広島市での、5人そろい組での宣伝、衆議院中国ブロックの大平さんと、6人の宣伝のあとの様子です。下の写真は、参議院選挙、おかやまの責任地域、白川よう子さんの写真です、よろしくお願いします。

白川さん1

2月8日(土)ようこそ津山へ、来津予定゛参議院選挙→5人をセットで、白川よう子さんを是非国会へ送ろう

★午後2時30分から、津山中央公民館で、末永弘之の市政報告会を行います。2期8年ぶりに復帰させてもらって2年がもうすぐきます、津山の市議会は、どうなのか、私が所属している、津山資源循環施設組合(クリーンセンター)はどうなのか、報告します。

★この報告集会に、この日、鏡野町、美咲町に凝られれる白川よう子さんが、応援、激励に来てくれます。白川さんに、挨拶・報告もしてもらう予定です、多数の皆さんのご参加をお願いします。

チラシ

1月26日(日)予定が変更

★日曜の朝、散歩が終わり、事務所で日の出前の写真を撮って、日刊紙の整理、ポスト分けして、帰宅の時に、サイレンの音、・・・かなり激しくなりれました。家に帰って、朝食、妻が『ドカン大きな音がして、バリバリという音がする、なんだろう・・・」と声、そこへ、我が家から、西方面に住んでいる友から、「火事、おまえとこではないか」という問いかけと知らせ、表に飛び出しまして、隣へ。○○さんの家、藪が燃えるかも、水掛けた方が」」」」とバタバタです。

★その隣が、真っ黒な煙と、おおきな火の粉、真っ赤に燃え上がった炎、怖いのと、類焼なども気になり、現場に直行、・・・結果としては、長屋も含めて、おおきなおうちでしたが「まる焼け、全焼」です、孫のお嫁さんと隣近所の人たちと相談、急いで、「握り飯」づくり、、、、最初が、散歩したままの上着を脱いだ、薄着でしたから、途中で帰って、着替えをして、再び現場へ…

★一人、行方が分からないらしい、という話が飛び込んできまして、たいへんだ・・・消防の人達が、丁寧に、焼けたものなどを動かして検索していました…

★と言う、突然の災難、あわただしさで、鏡野町の選挙事務所開きを欠席、明日の宣伝戦も中止ということになりまして、あちこちに一応の連絡、京都、明日の行動が、大きく変化を余儀なくされたというお知らせで、休む予定の「雑記」も火災でしたというお知らせだけ書くことにしました、

火災のお見舞い申し上げます。隣の人々より

1月25日(土)水平社100年史調査の繋がり

★土曜日の朝、霧も、霜もなく、冬にしては、暖かい朝、車のウインドーも凍ってもなく、曇ってもない、珍しい朝です、明日の日曜と明後日の月曜は、個の雑記はお休みさせてもらいます。

★美作水平社創立100年記念誌編纂、大詰めに来て、最後の「あがき」です、資料の添付と写真選び、フト、気が付く「書かなくてはと思える歴史」の追加記事、印刷に回す前、誤字とか、文字の大きさとか、タイトル・中見出しの書き方とか、編纂委員会で何回かの点検作業です。

★そんな調査をしたり、写真など探していますと、思わず手が止まる時があるんですね、、、アレッ、この写真は、とか、これって何だったかな、とか、いろいろと思寝いだしながらの「歴史検索」もまた、一つの楽しみですね。歴史には書かない者も当然出てきます、こんな書き物を見つけました。

1995年1月阪神淡路大震災の前後の出来事は・・

★19915年1月17日、あれから30年、フト、美作水平社100年史に「書き込むべき事柄」として、3月に「炊き出しボランティア」に、当時の、全国部落解放運動連合会津山市協議会を中心として、25人で出かけたのを思い出し、追加記事としましたが…

★その時の様子をしらべる一つの「資料」が「ご機嫌いかが」です、260号くらいから書き始め、兵庫南部大地震と名付けていますね。270号あたりまでの様子を、懐かしく見返しというところです。100号ごとに「冊子」になっていまして、「300号冊子」が、その部分にあたります。

★地方選挙の都市なんですね、3月に、ボランティアに行ってすぐ、県議選があり、日本共産党から、岡田実さんが立候補して戦っています、この後から、県議選は「見送り」ということになっていくのかもです。

★4月16日が市議選挙の告示日、久永、美見、末永の3人態勢が出来上がった選挙選でした。面白いのは「市議会に末永は絶対必要、しかし、私は、別の人を入れる、こらえてほしい」という「名言?」を紹介していますね。この開票の様子が、面白く、おかしく、書かれています。

★最後の端数整理、末永は、1300から動かない、端数だけでは「落ちるかも」というきわどさ・・・・心臓が悪くなる一場面、「おかしい」と叫んで、末永が、投票所に1来るとね事務所を飛び出して、投票所へ、、、端数整理がほぼ終わっており、50の束が「残っていた」→これが、末永の票…端数を入れて、94票、、、、党の中では、一番多く、5票差で、季長・久永・美見と並んで当選…ひやひやした開票の風景が、描かれていました、「ごきげんいかが275号」です。

★正月過ぎから、阪神アワジ大震災の直前、勝北町の買収選挙が世に出で大騒動の都市、結局、日本共産党の議員も「買収選挙」にかかわっており、除名への都市でした。

★津山の市長は、永礼市長から、中尾市長への時になりますが、永礼市長の「後釜」といわれていた有力な当時の助役、「ご機嫌いかが」を見ますと。市役所内で、毎朝のように「御前様会議」(2つの意味で言われていた・朝早いから午前、そして、親分の前だから、御前)が開かれていた様子が書かれています。西中の、石碑事件が起きて、この有力な助役さんは、力行ができず、中尾さんが市長がなるという時期です。

★ことの良し悪しはありますが、考えてみますと、こんな大物の職員は、最近は、無いですね、、すごい「権力」を役所内では持っていましたからね。こんなことを知っている職員さんは、もういなくなっているでしょうね・・私=末永とも、1つの「格式」を持っていました。

ある種の「利益誘導の政治の在り方」を指導?

★この「御前様会議」の主人公といわれていた人が、まだ、土木課長の時、私が二期目か三期目の選挙準備に入っていた時に、「末永議員、それでも、年に何回かは、私のところにあいさつに来て、道路の新設や改良、生コンの欲しい話や、砕石をばらまくことをしないと、選挙がくるしい・・・・」という意味の「ご注意」というか「ご意見・市議会議員の任務」のようなことを、諭されました。

★末永→何に、!、どういう意味ですか、そんな馬鹿なことを議員に指導し、議員を手の内に入れるというやり方が、あんたのやり方ですか、津山市の「議員懐柔方法ですか、よーわかりました、覚えておきんさい、今日限り、土木、産業ばたの窓口には、出入りしません、道路なども大事ですが、政治の大道を語って、その中で、市民の要望を市政に届ける仕事、で、議員をやり切ります件、人を、なめんといてください、二と度、土木には、顔見せません。。

との旨、タンカを切ったのを思い出しますね、、、、年月日は忘れました、生意気盛り、ばかげた議員だったんだろうなと、今でも思い出します。それから十数年、「西中石碑ものがたり」「百条調査特別委員会設置」と、秋山委員長と、弁護士と末永との間で「百条委員会の最終報告をめぐるいざこざ」と、御前様といわれた人との「責任論」などへと発展していくわけです。

★事柄が、一度に起こったような感じになりましたが、何年かの積み上げの結果論としてよんでくださいね・・・すみません。