★今日から、6日の月曜日まで、ざっきも「おやすみ」としますね、、、ゆっくりと過ごしましょうです。
★昨日は、朝から晴れて、気持ちよい1日でした。日陰は「ひんやり」という感じもありますが、暖かくなったと思います。今朝も良い天気、涼しさもあります、今日から、6日(月)までが「連休」で、ゴールデンウイーク後半ということになります。どうやら、前半と違って「晴れそうな予想」ですね。
★憲法記念日は、昭和23年の「国民の祝日に関する法律」の制定当初に定められた計9日の「国民の祝日」の一つであり、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」日とされています。 日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布され、半年後の昭和22年5月3日に施行されました。ゴールデンウイークの中日のような感じで、5月3日と制定されたようです。今、まさに、「憲法を守れ」と大きな声で叫けばなくてはですね・・・自公政治、維新などをふくめて「改憲」を企てています、「改憲」を許すなです。
★8日の午前中に、これからの「市民運動の在り方」を中心として事務局会議を予定しました。1週間後ですが、連休でバタバタとしますから、その準備、宮地さん、近藤さんと相談、事務局会議で相談したい一つに、「東京裁判」その後物語、次回が5月にオンラインで開催され、その後、ことと次第によっては、被告・近藤吉一郎さんの「証人尋問」が入るかもしれないということで、秋には、結審が予想されそうな雲行きの報告がありました。裁判で問題となっている一つに「東京から、前の議員・中村さんに郵送されてきた、「週刊誌のコピーとかその証拠物件のような資料」についての扱いについてがあります。
★この「中村資料」については、私にも一定の責任があります、と、言いますのも、中村さんから、私が預かり、コピーして、話し合いの資料として活用したことがありますから、まだ、議員に復活する前の話です、その資料を基にして、近藤さんが「宣伝の利用した」と思います。その宣伝が、原告の「名誉を傷つけている」と主張されているのだろうとの想像です。
★と、なりますから、近藤さんの尋問があれば、傍聴もできたらしなくてはいけないなと思ったりです。どうなりますかね・・
★田邑・一宮太陽光発電事業をめぐる「不思議な動き」の一つ、東京裁判と、地元への「対策費」の使われ方問題ということでしょうかね・・・近藤議員の3月議会がきっかけとなり、財産区責任者への「お金の流れ」は、間違いで、【違う人】へのお金の私だったということを、原告側が、自ら証明したことから、【違う人】の地元町内というか、地域のひとたちは「大変な」ことです、もちろん【違う人】にとっても、こんな形になるとは「夢にも思ってなかった」のではないでしょうか・・・
★しかし、お金を「もらいました、受け取りました」という「領収書」までが、裁判所に「証拠書類」として提出されてしまいましたから、「知らないこと」とはいえない・・・さりとて、現在の地域の人たち・町内の役員さんたちは、「全く知らない出来事」で、5年もまえに「お金をもらってので、今、町内に渡します」といわれても「とまどい」と「困惑」しかないでしょう・・・・そんなお金は必要ない、知らない、受け取らないという態度・・・まさに、新たな波紋が、田邑・一宮地域にひろがっています・・・罪なことですね・・・
★さてさて、ここまで書いて、?、誰が罪な人になるのかな、罪を作り出したのかな、と、一瞬戸惑いですね、、誰が原因なのか、わかりにくい「罪びと」と書いておきますかね。
★久しぶりに気持ちよく晴れた朝です…昨日の午後は、原田あき子衆議院予定候補と河辺・高野支部の人たちと一緒に「しんぶん赤旗・日曜版」を中心として、対話と拡大行動でした。留守の家もいくつかありましたが、6人との対話が出来まして、結果として日曜版は3部にとどまりまして、もう少し増やしたかったの思い、留守宅をまた訪問したりしなくてはです。
★対話では、「お金が無くて読めない」とか「新聞を読む暇がない」などの生活の実態も深刻な問題として話されました。私の議会報告「ごきげんいかが」が、郵送地域でよめないから・・・と、断られたり、いろいろですが、生活相談、住宅入居とか、老人ホーム―の入所手続きとかの話、問いかけもあり、新婦人への加入の話を後日行うこととした人もあり、対話としては、中々味のある内容の濃いい対話でした。★
★4月30日の「市議会通達」は、タブレット配信を通じて、5月1日から10月末まで、クールヒルで、上着・ネクタイを「正式な公務行事」でない限り許可するというものです。本会議質問も、上着は必要、議員バッチも必要ですが、ネクタイなどは不必要ということのようです。
★クールビズは2005年に政府(環境省)が提唱した施策です。進行する地球温暖化への対策のひとつとして、夏に涼しい服装の着用を推進する活動を指します。一般的にオフィスワーカーの仕事服は長袖のスーツジャケットなど、肌の露出が少ないものが求められますが、クールビズではカジュアルな格好を仕事服として認めています。これにより、エアコンによって室温を極端に下げすぎることなく、快適に仕事に取り組みやすい環境が作れます。クールビズに法的拘束力はなく、適用するかどうかは各企業の裁量に委ねられています。なお、地方自治体や各省庁では、クールビズが国家の推進施策であることから、基本的には採用されています。
★近藤議員のインスタグラムsいうものでしょうか、先日来「この雑記」にも書いています、出来事の一つ、太陽光建設に関して、地元の責任者が「お金を受け取ったわけではなくて、別の人に渡したものが、間違って(誤記)で誤解を招いた」という経過に関してですが、近藤さんに許可をもらいまして、下の写真を紹介します、これが、近藤さんのインスタグラムをはじめとして、SNSに挿入された写真です
★これが、裁判所に提出されたもの野コピー写真です。別の人が受け取ったとする「領収書」の写しを「名前を伏せて紹介」しています、個人のプライバシーの保護という意味で、実名ははいけないとの思いで「伏字」の写真を表示しているようです、ところが、この「伏字になっているところが、個人の名前を書いている場所」ですから、見る人にとっては、「地元責任者の名前と思う人があるから・・・」と言う連絡が地元の知人からありまして、「そうかな、近藤さんの記事もあり、○○さんではなくて、別の人と思えないかな」、と、言いながら、いろいろと話し合いまして、笑い話のようなことでしたが、「かんちがいがある」とすれば、改めて、この写真の「伏字」は、
★なんで、近藤さんのインスタグラムの記事を、ご機嫌の雑記で「書かなくてはいけないのか」ということになりますが、「元の責任者とは私の友」だから、そして、「よく知っている人から、誤解を生むかもしれないから、訂正してもらいたいというか、わかるようにしてほししい」と依頼されたからです…それにしましても、この問題、というか、裁判所にK氏から提出された「準備書面の内容」は、色んな所に拡散され、思いもかけないできごとが「副作用」として起こっているようで、何でこんな準備書面が裁判所に出されたのか、不思議、意味不明です、深いところで、「何かの狙い・落とし穴」でもあるのかもしれませんね・・
★5月1日です、朝は雨です、1日降るのかも…メーデーの日、闘う労働者の祭典、メーデーとは、今は何だろう、最近は、参加もできていない、県労会議のメーデーが「コロナ禍」で中止になって数年、今年も津山では開かないそうですから、岡山まで行く元気無しです。連合関係のメーデーは、中央では4月21日に「おまつり・式典」等をおこなったとか・・・どうなのか、全く不明です。
★昨日の、岡山県平和委員会からの連絡です…・岸田政権はいよいよ末期ですが、アメリカの言いなりで国民の生活実態を無視して戦争準備と改憲に躍起となっており、ついにアメリカ軍の指揮と自衛隊の指揮を統一することを公にしま
これでアメリカの戦争に自衛隊を自動参戦させる仕組みが出来上がったことになり、5月の2+2で具体化されます。
敵基地攻撃能力で正式に憲法違反となった自衛隊は入隊勧誘を強化して、教育や様々なイベントに介入しています。4月28日には安保廃棄実行委員会で安保条約の宣伝を行いました
6月23日の日曜日には県内各地で安保条約をなくす宣伝を計画し
★通達の全文なんですが、津山平和委員会としても、何かの行動を起こさなくてはと思いながら、中々、実行に踏み切れませんというところ・
★日米首脳会談を読み解く。自衛隊と米軍の指揮・統制の枠組みを向上させることで合意した。NATO軍や米韓連合軍は統一指揮官を置く。これらと、日米との違いはどこにあるのか。安保協力は、日米だけでなく多国間に広がる新しい同盟の形を模索し始めた。というのが新しい事態ということですね・・・戦争への道筋、嫌ですね・・・
★何回も書きますが、何で、市議会で質問した案件」が、東京裁判に「準備書面として答弁書のようなものが提出されたのか」ですが、その後の動きですが、三月議会での質問は「地元財産区の責任者が礼金のようなものを受け取ってもよいのか」という趣旨です、それが裁判所へ準備書面として【責任者ではなくて、別の人に渡したお金です】と丁寧に領収書までつけて提出という「丁寧な事柄」なんですが、【別の人】と言われた人、裁判所に実名で書類と領収書を出された人、にとってはまこと迷惑な、「降ってわいた話」と思えます。
★しかし、どんな立場の人であっても、太陽光建設に関係して「現金をもらってもいいものかどうか」も検討の価値ありですが、それは、それとして、お金をもらったと言われた【ほかの人】は、地域の人たちに【私が預かっていた金子】と説明をしているようです、平成30年10月~「預かっていたお金」ということのようです。地域のお金ということでしょうが、地域の幹部の人たちはそんなお金は知らない、聞いていない、今更【そんなお金は受け取れない、いらない】という趣旨のことを主張しているとの話が、知人から連絡があり、子細の話が昨日の夕方伝わってきました。
★確かに、「意味不明のお金」と言えるかもですね、、、受け取れない、いらない、巻き添えを食わない」という措置は、まことに、見事、理にかなった方法と思えて仕方ありません、拍手ですね・・・
★改まって、「地元の責任者の無罪には、大いに役立つ文面」とは思いますが、さてさて、東京裁判の原告側の皆さんは、【地元責任者を、そこまでして、守るというか、擁護する必要があるのか・・・】本当に、何のために、何があるからでしょうかね・・・そこまでしてとは、無関係の裁判に書面をだして・・・という意味ですから、誤解のないように…
★この裁判所に提出した準備書面と証拠物件の3件は、例えば、市長に、「こうなっているのだから、近藤議員の質問に明確に答弁して下さい」というお知らせ、とか、知恵だしとか、答弁に使うとすれば、それは、それとしての価値観があるのかもしれませんね・・・意味の分からない言動が起こるこのころの出来事、それを書き続ける「ごきげんいかが」も、訳が分からないことを書き続けるということになりますね。
★昨日は午後2時ころまでは曇り空、その後小雨が続き、今朝も霧雨のような、降っているという感じではありませんが、さりとて、何もないということでもなし…くもりというのかな、そんな朝です、久しぶりに定期で「さくら会館」へです。ゴールデンウイークの合間の3つ日間の普通の日です、会社というか、企業によれば、前半を6日間(27日~2日)連休として、後半(2日~7日)は仕事、其の逆と社員を半々に分けるところもあるとか聞きますが、いわゆる「暦通り」というのが公務員などです。
★近藤議員が3月議会で、田邑・一宮地域に建設されている「太陽光発電工事」に関して、地元の◎◎さんにお金が泣かれていたということを指摘し、物議を呼びましたが、それが、実は、🔳🔳さんに流れていたもので、K氏からS氏に「連絡していた金銭の流れ解説」のようなものには、「◎◎さんに渡した」と2度書いているのは事実であるが、それが、誤記で🔳🔳さんと間違っていると、近藤さんの「裁判に準備書面として提出された」という経緯…
★いろいろな疑問と、憶測を呼んでいますが、🔳🔳さんの方は、どうなのか、裁判の書面で指摘されるわけですし、何よりも、「お金をわたした」とされている人が、自分で裁判所に「申し出をした」ということですから、🔳🔳さんは、「穏やかではないはず」です・・・これがなぜ、近藤さんが訴えられている裁判と関係があるのか、と、不思議なことですが、🔳🔳さんは、「もらった」と自覚されて、どうされるか、・・・「厄介」なことだと思います、それなりに、この結論が市民にようにしておかないと、「3月議会では、間違った質問をした、個人に傷つけた」ということにされてしまいそうですが、どうなんだろう・・?が多い、この課題です。
★なんで、津山の本会議でだされた質問が、裁判という、全く無関係で、法の世界で、突然でできて、◎◎さんへの「疑惑を解く」「たすける」ということになったのかが、解ければ、スッキリとするのですが、裁判を通じて、この準備書面は、何ですか、どんな意味があるのか」が、裁かれるようにはならないものでしょうかね・・・「本来の裁判とは無縁、関係しない、放置する」というのが、弁護士さんの意見のような感じがしますが、原告側から提出された「この準備書面は意味が解らない」です、「◎◎さんの無罪・無関係を証明というか、言い分にはのは、間違いのない事実ですか、・・何故、裁判でそのことを主張するひつようがあったのかです・・・・
★昨日の28日は、朝早くから私用で孫たちと京都へ日帰りの旅、孫の車に乗せてい、往復、運転はしませんが、京都の日帰りは、少々疲れますねです。今日は、やや、ゆっくりとしたい日です。ゴールデンウイーク前半というのかな、昭和の日で「前半が終わり」ということ、30日・5月1日がメーデーですか、普通の日、2日も普通の日です、そして、3日から、また、御休みが続きます。
★国民の祝日で、4月29日。 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨に制定された。 もとは昭和天皇誕生日で、昭和天皇崩御後は、植物に造詣(ぞうけい)の深かった天皇にちなみ、1989年(平成元年)より「みどりの日」となっていた。その流れをパソコンで検索してみますと、
★4月29日は「昭和の日」。毎年の「ゴールデンウィーク」を構成している4つの祝日のトップバッターだ。この日は1927年(昭和2)年から国民の祝日だが、実は現在に至るまで、3回にわたり名前を変えてきた。
★「天長節」(1927年~1947年)
まず最初は「天長節」と呼ばれていた。「天長節」は、その世の「天皇の誕生日を祝う日」の意。老子の「天は長く地は久し」(天地が永久であるように天皇の治世も続くように)という言葉から付けられたとされる。日本では8世紀から、天長節を祝う慣習があった。国民の祝日となったのは明治時代から。以降、天皇が変わるごとに日付が変わり、昭和天皇の時代に4月29日に。
★「天皇誕生日」(1948年~1988年)
2番目の名前は「天皇誕生日」。戦後の1948(昭和23)年、「国民の祝日に関する法律」が制定され、昭和天皇の「天長節」だった4月29日は「天皇誕生日」と名前を変えた。
★「みどりの日」(1989~2006年)
3目の名前は「みどりの日」。1989年に昭和天皇が崩御。元号は「平成」となり、天皇誕生日は12月23日に変わった。しかし、4月29日はゴールデンウィークを構成する祝日の一つとして定着しており、平日に戻すことで国民の生活に影響が出るといった懸念から、名前を「みどりの日」と変えて祝日のままに。その趣旨は「自然にしたしむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」とされた。昭和天皇が植物に造詣が深く、自然をこよなく愛されたことが由来といわれている。
みどりの日との関係は?→4月29日の「みどりの日」はその後18年続いたが、2007年に新たに「昭和の日」と改名され、「みどりの日」は5月4日に移動することとなった。
5月4日はもともと平日だったが、3日の「憲法記念日」と5日の「こどもの日」に挟まれ、この3日間が飛び石連休になるため、「国民の祝日に関する法律」の改正で「『国民の祝日』に挟まれた平日は休日になる」と定められた。その後、4月29日が「昭和の日」となったことで、いわば玉突き的に5月4日が「みどりの日」になった。こんな経過で昭和の日として今のところ落ち着いている感じですね。
★27日は、まず、朝8時から「町内の水利組合の水路清掃の日」でした、1週間前の日曜日に雨が降って延期したもの、それでも、20人弱の人たちが集いまして、田植えへ向けて、水路掃除、本当は、田んぼということでいいますと「パイプライン」になっていますから、実質的には町内・地域の清掃」というところです、そして、9時からは、河辺学区の一つの地域の「町内会運動会」で、他の県議・市議さんらと挨拶をさせてもらいまして、ラジオ体操などに参加し、また、帰って、水路掃除と事務所の周りの清掃・・・
★午後は、市議復活1年のふしめ集会」を行いまして、20人強の講演会の人たちが集まりまして、御茶お菓子の「持ち寄り懇談会」でした。一年間の市議会の有り様、5月臨時会、年4回の定例市議会、そして、常任委員会の開催の「日程」のような説明、私の委員会所属と、圏域議会(資源循環施設組合議会)についての報告などでした。4時前までワイワイガヤガヤ、幾つかの質問も出され、美作大学の公立化問題、2年後の市長選挙の動きなどに花が咲きました。もちろん、地域の問題、妙な2つの町内会」の問題など、あれやこれやでした。
★それが終わって、町内会として、街頭設置の話が前々からありまして、関係する役員の人と、現場の様子を見たり、しに申請のための写真などをとりまして、届け出用紙に添付する準備などでした。
★今日からが、ゴールデンウイークですかね、29日までを「前半」と称して、5月1日のメーデーを挟んで、5月3日から5月6日の月曜日までを「後半戦」と称しているようです。長いスパンで考えますと、4月27日(土)~5月6日(月)マテですかね、まぁー、のんびりと暮らしたいものですが、この休みの間で、なんとか、「美作水平社創立100年記念史誌」の編纂作業に「けじめ」をつけたいものです。
★一つは、上記の「記念史誌」の編纂です、なんとかしたいものです、これは、自分の努力が大きく作用する問題ですから、自らに「鞭打つ」ということになりますね。もう人は、さてさてです、自分では、どうすることもできない問題です。
★太陽光建設事業に関しての「疑惑解明問題」で、特に、ここ、3日か4日前から書いています、「近藤議員の裁判と3月議会の質問」に関する出来事です、思いもしない方向での展開です、いくら考えても、「近藤さんが訴えられている「損害賠償事件」と本会議で質問したこととが、結びつきません。もちろん、近藤さんが「3630万円の損害を出さなくてはいけない」(裁判で負ける)という事態を、なんとしても、頑張って館たなくてはいけないから、いろいろと自分のできる立場で、手を打つ、行動する、というのは「至極当然」のことだと思います、が、がです
★相手側が、本会議で質問した「◎◎さんに現金が流れているのはおかしいのではないか」との趣旨を質問したのに対して、「裁判での正式な「準備書面」で、◎◎さんは「もらっていない」という主張をする、ここが「わからないから、本当に、大丈夫なのか」という間持ちが残るわけです、…しっかりしてほしい、・・?、だれに‥‥双方ともに、、、、、
★しかも、準備書面では、「◎◎さんにお金が平成30年10月30日に30万円の支払いが記載されているのは事実だ」と認めているわけです。しかも、2度も◎◎さんの名前を実名で書いている「金銭出納帳」のコピーまで出しているわけです…それが、実は、名前を書き間違えた帳面なんですということです、こんな理屈が、本当に、成り立つのですかね、、、大丈夫なんでしょうね、、、しっかりとしてくださいよという愚痴なんです。
★
★70周年・1923年から100年まで、30年間の歴史を中心として「記念詩誌の編纂を」と意気込んでみたものの、日々の忙しさと、年とともに「気力がながつづきしない」という体力と能力の衰え、もあり、中々構想通りに事が進みません。
★昨日も午前中に、パソコンへの記事の打ち込み作業とか、写真や資料の整理などをしましたが、はかどりませんね‥それでなくても遅れている「編纂作業」です、とはいえ、パソコンへの打ち込みも、だれにでもできることではなくて、多少は、お互いの「頭の中にある構想・イメージ」などが、そのまま、文字にならないと「生きた史誌」にはならないと思っていますから、もっと検討が必要かなとの思い、早く編纂する、丁寧に編纂する、津山らしさの在る内容に史実でもって語り掛ける必要があるとは思います
目次
1.70周年記念式典の取り組み
2. 同和対策事業特別措置法の遍歴と地区の変化
3. -本音で語る-同和問題シンポジウムのとりくみ
4. 解放会館から社団法人「さくら会館」へ事務所の名称変更
5. さくら会館祭りの開催
6.2014年 国民運動学習会の開催
7.津山市市民協働の対市交渉と美作地区内の町村協議会の自治体闘争
8.女性部の活動
9. さくら介護センターの開設(夢発進と名付けた活動)
10. ヘルパー2級養成講座の開催
11. 「21世紀へ部落問題を持ち込まない」決意と各種の集会 地区内の動 き
12. 自治体の統廃合
13. 地区協議会の廃止と全国・県の組織の関連 下部組織
こんな目次で編纂予定なんですが、内容は少し変化せざるを得ないかなというまとめになりました。
★以下の2つの市民集会、このスローガン、
この集会には1500人の市民が参加し、このスローガンを作り出しました。そして、解放同盟が一定の影響力を持つ中、行政ぐるみではありませんが、市民の側から、同和地区の側から、同和の終結を実践し、行政や教育をも動かし、ほぼ同和をなくしてきました。
そして、同和団体からの脱皮、特別助成金(補助金)からの脱皮をめざして産地直送運動・助け合い共済会に加えて、欠陥だらけの制度ですが、介護保険制度の導入にあわせて、介護センター開設などの新しい運動を展開しています。(私の夢発信講演の原稿です)
まさに、津山らしさ、津山の運動が作り出した運動の在り方を的確に表しています、この運動をどのように描くか、骨の折れるところですね。
★どうも、段々と「物事がわかりにくくなります」ねが、裁判に提出された「第6準備書面」です。近藤さんが、市議会で、地元財産区の責任者◎さんにお金が流れたという出納長のコピーがあるが…と質問しましたら、議会とは関係なく、裁判で「第6準備書面」として、◎さんではなくて、🔳さんに渡したものだ、誤記である、と、主張して、領収書まで添付している、裁判所で取り寄せた書類です。
★従いまして、◎さんの問題は解決したかもしれませんが、🔳さんのほうは、個人がもらったのか、領収書は、個人の受け取りです、組織なのか、町内会なのかが問われます。私が関与する問題ではないと思いますが、
★近藤さんは、谷口市長に質問したわけです、裁判とは全く関係していません、議会質問ですから、それが、議会質問と答弁の様子を議事録のようにして裁判所に提出し、◎ではなくて🔳へ渡したお金だから、◎は「無罪」という書類です、何なんだろう、何で、市長に質問した事柄が、裁判所に「正式なかいとう」として出てくるの、不思議というか、おかしいというか、真面ではないというか、「ぐる」なら「そうか」と言えますが、それにしても、裁判もおかしいし、市長と原告の関係、◎さんと🔳さんの事柄、後ろで動いているのだろう」という、謎の物語が、まだ、続きそうですね。グル、?、まさかね。
★今朝もやや涼しさがありますが、暖かくというか、暑くなる予報が出ています、どうでしょうかね・・・・なかなかはかどらない「美作水平社創立100年記念史誌編纂」の作業ですが、それでも、最後の仕上げへ急がなくてはです、今日は、編纂の原稿の最後の整理です、2~3人の事務局が集まりまして、ほぼ出来上がっている「年表」に加えて、「主な出来事の解説記事」のまとめ作業です。これが終わりますと、印刷へ何とか出せると思っていますが、なかなかです。
★1923年7月4日(日)に、文化センター・津山鶴山ホテルを中心として、美作水平社70周年記念事業が取り組まれています、個正に、部落解放運動の全盛期時代を物語るものかもしれませんね・・
※上の写真は、文和センターにおける一部・記念式典の様子です、1200人の参加、3階まで満席だった記憶があります、住寄愛水さんが地区委員長でした。岡映さん、手塚亮さん、大林秀弥さん、そして、水杉一夫さんらを表彰・感謝状を渡しました、一人、一人に応じた違った言葉で感謝状を書いてもらい、渡したと思います。
★こうした一つ一つの出来事に「解説と写真」を入れた記念史誌を編纂です、この記事がなかなか大変なことで、元々発刊予定を、大幅に「おくらせてさくせい」ということになってしまいまして、申し訳ないことだと思っています。
★100年の歴史を「今の時代に生きる者の責任として閉じた」わけです、それなりの理由、歴史の流れと世の変化、課題ごとの終点、経過があるわけです、津山市を中心として行ってきた、美作地域での「部落解放運動の歩み」です、「子供や孫たちに童話という特別の地域がある社会ではなくて、普通の社会を残してやりたい」そして「いつまでも同和・部落ではない」、特別措置のある時に「特別のことは何もしないのが最善策」と妙な「先進」となずけた事業、ー本音で語るー同和・人権問題シンポジウムとは何であったのか、津山からのレポート称して、各地で行ってきた運動は何を残したのか、・・・暗中模索の事態からの脱皮とはなんであったか、などなど、書き残しておかなくてはいけない課題は、山ほどあります、一定の資料もそろいましたが、見つからない資料もありますが、急いで編纂・印刷にかけなくてはです。
★過去を顧みて、今を知る、今何が起こっているのか、何が市政の上で問題なのかを、しっかりと見据えなくてはいけません、これも、大事なことです。
★この話前提が2つ ①近藤さんが太陽光建設に関することで損害賠償(3千6百30万円)訴訟を起こされている。 ②3月議会で、太陽光疑惑で、建設している土地の「財産区」の地元責任者がお金をもらっているのはおかしいと指摘をした、という事柄です、これが前提です。
★子細は「別の機会で近藤さんに聞いてください」ですが、近藤裁判が24日にありました。その裁判へ、相手側・原告K氏が、「財産区の地元責任者(実名入れ)と書類には書いているが、それは、「別の人と間違えて書いた、誤記であり、本当は、別の人(実名が書いています)事務担当者が適当に名前を記載したものだ」という正式な準備書面が提出されました。
・令和四年(ワ)第31148号 損害賠償請求事件 原告 金田直己 被告 近藤吉一郎 第6準備書面 令和6年4月22日
という公式な「裁判書類」です。原告の主張は「田邑財産区の地元責任者ではなくて、他の人だ」「誤記だ」「事務担当が適当にきさいしたものだ」ということですから、近藤さんが本会議で指摘した、お金の流れは、「事実あった、しかしお金を渡したのは別の人だ」ということですから、地元責任者は「関係なくなった」ということです。
★では、「別の人」は、実名がありますから、近藤さんが「確認」しましたら、「無茶なこと、知らない、私までそんなことにまき添えにしないでほしい、裁判の書面の書き直し、削除を求める」と、ひどく立腹していたということのようです。この怒りは、本物のようで、腹からの怒りという感じでしたね・ということです。
これが、昨日の津山の現実の動きの一つです、?、です、頭の中を整理しないとよくことがわかりませんというお知らせ。後、市議会をめぐる動き、市長選挙をめぐる新しい動きなど耳に入ってきますが、1年と10か月後の選挙、まだまだ情勢は動くのではないでしょうかね・・・そんな感じが強くします。
★水曜日の朝、例によりまして、我が家のゴミ出しからです。小雨のというか、霧のような雨の中です、昨日は、朝小雨も少しありましたが、曇りの1日、夕方参時過ぎからは小雨そして、本格的なあめが夜まで続きました。そして、やや、寒さも感じる1日でしたが、今日の一日はどうでしょうかね・・・
★岡山県安保廃棄実行委員会が(旧)安保条約発効の日4月28日に「安保宣伝
基地問題も軍事費も核兵器も敵基地攻撃も自衛隊募集もそれぞれみ
でも安保を廃棄して憲法の輝く日本をつくろうと言わなければ、自
安保についてほとんど知らない人たちにどうアピールすればよいの
各 位
4月28日(日)は日米安全保障条約(旧)発効の日です。
以下の通り、宣伝行動を行うのでご協力ください。 日時 2024年4月28日(日) 11時00分~12時00分 場所 岡山駅西口2階 さんすて前
★1985(昭和60年)の9月に第1回津山市民平和祭りが開催されまして、39年目になります、祭りの回数は、37になるかな、8かもしれませんが、最初のうち「年に一回」が実施されなかかった時もありますが、されでも、年に一回の、8月6日と9日を中心とした、いわば、津山の平和行政です。写真は、昨年の様子で、木原実行委員長(被爆二世の会会長)と、美作原水協の代表・下野先生と私です。もう1枚は、市役所ロビーの様子です。
★核兵器廃絶へ、平和の願いを込めまして、「平和センター」を中心とした市民団体と原水協・平和委員会を中心とした市民団体と2つの団体が、1年交代で「市民平和祭実行委員会」の事務局の役割をしまして、企画・運営などの責任団体となります。今年は、いわゆる「私たち=津山平和委員会代表・の当番都市」ということになります。近く、内部協議をしまして、正式な実行委員会の立ち上げということになります。
★私=末永が、津山市議会議長になったのが、1985(昭和60年)3月7日でした。それまで、いくつかの動きはありましたが、「平和都市宣言」の決議を行うことに成功しまして、それを記念として、私と、当時の市長、永礼市長と、被爆者の会会長の木原さん(現会長のお父さん・徳二さん)とで頭をひねりながら作り出した「平和行政」としての位置付けの催しです。
★今年も、暑い夏がまたやってきます、暑い夏は、平和です、原爆許すなです。